夢の国

星河未途

夢の国

 その日は週に一度の茶華道部の帰りだった。高校二年生の私たちにとっては高校最後となる文化祭まであと二週間に迫ろうというこの日、浴衣の着付けの練習をした茶道部の面々は、浴衣という普段より余分に多い荷物を持って、学校から駅に向かう坂道をえっちらおっちら下っていた。

私はというと、いつものように我が茶華道部の部員であり、友人である早坂千尋と里見紗代と喋りながら駅に向かった。

秋も少しずつ深まり、日が落ちるのが早くなった。星がちらほらと見え始めた空を横目に見ながら、私たちは横並びになって歩く。後ろから歩く人には壁になってしまうが、縦に並んだり、前後に分かれると話しにくい。周りの人の邪魔にならないよう、周囲に気を配りつつ、歩きながらとりとめのない会話をする。これもいつものことだ。

千尋が言う、

「うちのクラスのお化け屋敷、凝ったのにしようとか言い出した奴がいたせいで、物凄く衣装と大道具に時間かかってるの。

 会話は途切れずに続いていく。クラスの出し物は何をするのか、当日の天気は良いだろうか、不登校になった二組の男子は当日来るのかどうか、部活の大会と被った友達が気の毒だ、等々。自然と内容は目前に迫った最後の文化祭についての話題が中心になる。そんな話をしているうちに駅についてしまった。ああ、もう少し話したかった。しかし、

「お疲れ―」

「じゃあね」

「バイバイ」

改札口で彼女たちと別れ、電車に乗り込む。思ったよりも混んでおらず、角の席が一つ空いていた。重い荷物を肩から下し、その角の席に座った。スクールバックとセカンドバックを膝の上に移動させ、紙袋を脚の間に収納した。『ご乗車、ありがとうございます。この電車は…』聞きなれた車内アナウンスを聞きながら、私はぽつりと呟いた。

「…つかれた」

私はたった今床に下した荷物に目線を落とした。スクールバック、セカンドバックに、大きな紙袋…。紙袋の中身はさっきまで着ていた浴衣である。黒地に向日葵をあしらった浴衣が紙袋の中で疲れ切ったようにのびている。着慣れない浴衣を着ての稽古で疲れていた私は、使い込んでヘロヘロになった二つのバックを抱くようにして支え、バックに顔を埋めた。


いつの間にか寝てしまったのだろうか、顔を上げたときには、窓の向こうに見慣れない景色が広がっていた。

ここ、どこ…?まだはっきりとしない頭で、今どこなのか、景色を見て考えようとするが、濃い霧がかかっていることもあり、見当もつかない。それでも、何とかして居場所を知ろうとしていると、車内アナウンスが流れた。『間もなく、終点夢島、夢島です。お忘れ物なさいませんよう、ご注意ください。本日は夢島線をご利用いただき…』あれ、終点まで乗ってしまったのか、引き返さないと…と思っていると、些細な、しかし重大な違和感に気が付いた。

私の使っている路線の駅に「夢島」という駅は無い。そもそも「夢島線」という路線は、通学に使っていないし、聞いたこともない。よくよく車内を見まわしてみると、私が使っている路線の車内と、座席の形や色が違う。いつもの七人掛けのロングシートの二倍はありそうな長さのイス。色も見慣れない青緑色だ。の何より、私以外の乗客が誰一人いない。おかしい。変だ。いったい何が…。一人で慌てている間に、電車はホームへと入って行き、停車した。ドアが開き、無音が私を包む。

とりあえず、そのまま乗っていよう、折り返しの電車ならば、そのまま帰って行けるはずだ。そう思い、そのまま発車するのを待っていると、車掌がやってきた。

「お客様、この車両は回送電車となりますので、お降りいただけますか」

「あ、す、すみません」

慌てて荷物を持って降りるとしばらくして、回送の表示を付けた電車は元来た方向へと去ってしまった。ホームの端が見えない程霧が深い。見える範囲の人は居なかった。それどころか、ホームに人の気配は全く感じられなかった。

とりあえず、ホームにある時刻表に近寄り、見てみる。すると、一時間に二本しかない。そういえば、今何時かなと思い、腕時計を見ると腕時計の針が恐ろしい勢いで回っている。最近買ってもらったばかりのそれは使い物にならなくなっていた。うそー、もう壊れるなんて、運が悪いなあと思いながら、今度はスマートフォンを取り出してみる。こちらも買って数ヶ月の比較的新しいものだったが、使い物にならなかった。電源ボタンを押しても、ロック画面すら表示されない。真っ黒な画面が、不安そうな私の顔を映すだけだ。部活終了時に五〇パーセントを少し割ったほどだった。その程度なら、夜まで余裕で持つはずなのに。おかしい。路線名、駅名、腕時計、スマートフォン、どれをとってもおかしすぎる。

とはいえ、この怪現象の原因を考えるよりも、この場を離れるのが先決と思い、ホームの時計を仰ぎ見る。今七時四七分、電車は八時一九分だから、それまで三〇分くらい時間がある。ここから動くのは危ないかもしれない。ホームのベンチで待ってようと思った。が、それを行動に移す前に、時刻表の近くにあるポスターに目を奪われた。

「ドリームアイランド、夢島駅から徒歩〇分、夢と理想の世界へようこそ!」

ポスターには、様々なアトラクションの説明や公式キャラクターの絵が散りばめられ、見ているだけで楽しくなってきそうだ。そして何より、無性にこのドリームアイランドに行ってみたくなってきた。

 時間はあるし、ちょっとだけ。ちょっとだけなら。私は駅の出口に向かって歩き出す。駅は無人駅のようだったが、改札は交通系ICカードに対応していた。乗り越し精算機もあった。念のため、乗り越し精算機にICカードを入れると『このまま通過できます』という、前に聞いたことのある音声が流れた。ほっとして、「カードを取り出す」のボタンに触れる。ICカードを手に取り、改札を通った。

 改札を出ても、ドリームアイランドの広告はたくさんあった。むしろ、ホームよりも増えている気がした。その多すぎるほどの広告に従い、濃い霧の中、駅から少し歩くと、ドリームアイランドの入口に到着した。

ドリームアイランドは浅草や多摩や千葉にあるそれよりも、広くて豪華そうだった。入口の装飾は霧の中でもよく見える程に華美で、しかし霧と相まって、うるさすぎなかった。とても大きなイチゴタルトに後から粉砂糖を振り掛けたみたい、そう思ったら、突然お腹が鳴った。茶道の稽古では、毎回和菓子を食べられる。しかし、そこまでお腹を満たせるものではない。今の今まで空腹など忘れていたのだが、「イチゴタルト」に触発されてしまった。

園内に入ったらとりあえず何か食べよう。そう思いながら、チケット売り場を目で探した。しかし、窓口のようなものすらなかった。あるのは入口だけ。とりあえず、入口に向かうと、係員が立っていた。少し恥ずかしさを感じながら、私は、

「チケットはどこで買えばいいですか」

と訊いた。すると、

「本日は園内を無料で開放しておりますので、そのままお入りください」

と言われた。

「そうなんですか」

何となくほっとしたような気もする中、遊園地が無料開放なんてあるのという疑問が一瞬浮かんで消えていった。

 園内に入ると、まず様々な花が目に付いた。花壇いっぱいに植えられた花が何かの絵を形作っているようだった。しかし、濃い霧で、はっきりとは見えない。天気がよければ、よく見えたのに、と残念に思っていると、コインロッカーを発見した。さっきから、持ち歩いている紙袋をどこかに置きたいと思っていた私は、コインロッカーの中に紙袋をおしこめた。セカンドバックやスクールバックの中身も、できるだけロッカーに入れたかったが、あいにく、百円玉が二枚しかなかった。お金を崩すためにも、何か食べよう。

周りを見渡すと、霧の中に見覚えのあるシルエットを見た。二組(私のクラス)の不登校児、海藤淕。しかし、こんなところにいるはずがない。他クラスには、いやクラスメイトですら知らないかもしれないが、彼は別の遊園地で行方不明になったのだ。他県のコールド・パークという、遊園地で。今のは見間違いだ、そうだ、いるわけがない。

「田町?」

影が私を呼んだ。気がした。

「なんでこんなところにいんの?」

気のせいではない。影が私に話しかけている。

影がこちらに近づいてくると同時に、だんだんとはっきり見えてきた。

「やっぱりそうだ、田町だ」

「海藤」

お互いがはっきり見える位置まで来ると、私は海藤の服をまじまじと見つめた。あの時と同じ服。白い英文字入りTシャツに、紺のパーカー、ブーツカットのジーンズ。時間が止まったかのように、全く同じ。おそらく、背負っているリュックも。

「なあ、何で制服でここにいんの?ていうか、何で夏服?寒くないの?」

海藤も私の服装が気になったらしい。私も負けじと言い返す。

「あんたこそ、今の時期にその恰好って暑くないの?五月の下旬だよ」

「全然。ていうか、まだ春休みだろ。今日は三月の二九日だろ」

「何言って…」

と言いかけて、口を閉じる。確か、海藤が行方不明になった日にちって、確か、確か…。

「どうした」

「待って、ちょっと静かに…」

考えろ、考えろ。思い出せ。あの日は、確か…


三月の二九日。


 依然として、周りは濃い霧が立ち込め、視界ははっきりとしない。しかし、私の頭の中の霧には一筋の光が差し込んだ。ここは危険だ。早く脱出しなければ。

「どうしたんだよ、本当に」

「逃げよう」

「は」

「早く」

事態を全く認識していないマヌケの手をひっつかんで走り出す。が、

「ちょ、ちょっと待て」

男子に力ではかなわない。簡単に動きを止められてしまった。

「何」

「古浦と水島がまだ見つかんないんだけど」

古浦と水島は三月二九日に海藤と共にあの遊園地へ遊びに来ていた海藤の友人だ。海藤がその二人が、今どうしているか知らないのは当然だろう。

「その二人なら、どこにいるか知ってる」

「まじで」

「でも、説明している暇はないの。後で話すから、とりあえず、外に」

「それ。何で外に出なきゃなんねーの。わけわかんねえし」

私は一刻も早くこの場所から去りたいのだが、海藤はその理由が気になるらしい。私も逆の立場だったら同じことをするだろうと思い直し、説明することにした。

「あのさ、海藤は今日が三月二九日だと思ってるんだよね」

「思ってるって、変な言い方だな。日が暮れて夜になったところじゃん」

ばかにしているのかという視線とともに若干イラッとさせる台詞を言い放つ海藤。成績では私がはるかに上だという心の叫びを押し殺しつつ、私がここに来た経緯を話すことにした。

「私がここにやってきた日にちは五月二六日。部活の帰りに電車に乗り過ごして、このドリームアイランドの近くにある夢島駅に着いたの。それで、思い付きでここにやってきた」

「ちょっと待って。なんかおかしい気がするんだけど。日が変わらないうちにもう六月になりそうなわけ?それに、俺たちがいたのはミステリー・ボックスだぞ」

そんなことぐらい知っている。あのとき、遠くから見ていたから。ついでに、今の海藤のパニックを全面に出した顔がものすごく面白い。切羽詰まった状況にもかかわらず吹き出しそうになる。懸命にこらえ、声が震えないようにしながら、私の推測を話す。

「何かの拍子に、ここに来てしまったってことだと思うんだけど、あんたがかなりの時間が経っていることに気が付いていないんだから、そのまま居続けたら」

「浦島太郎のように…」

なんか、いいところを持っていかれた様な気がする。そしてそんなに絶望しきったような顔しなくていいから。面白いけど、私しかいないんだから、全力で顔芸しなくていいから。そんな私の気持ちを知らずに、

「じゃあ、早くここから出ないと」

という先刻私がしゃべったような台詞を言った。私は少しイライラしながら、

「だからさっきからそう言ってるでしょ」

というと、

「…ごめん」

と、しょぼくれた声が返ってきた。強く言い過ぎたかもしれない。それと、別の不安が顔に浮かんでいる。

「それなら、古浦と水島とどこかで合流するのか?」

そっちの説明もしなければならない訳か。友達思いなのはいいことだが、今は説明する時間が惜しい。

「二人は学校で会ってる。だから無事だし、この変な遊園地に迷い込んでもいないわ」

私の言葉を聞くと、海藤はほっと肩を撫で下ろして言った。

「そっか。無事なんだな。良かった」

海藤が少しはおとなしくなった、かのように見えた。

「でもよく気が付いたな、そんなこと」

何でこんな局面でこんな明るい声が出るのか、謎だ。それに、これ以上事細かに説明している時間は、無い。それなのに能天気なものだ。少々腹が立って、そっけない声が出た。

「…そこら辺は後で話すよ。とりあえず、早くここを出ないと」

「そ、そうだな。でも、どうやって出るんだ?」

…こいつ、私の話聞いてたの?さっき帰る方法言ってたのに。と思いながら、私は、

「私は電車に乗ってこの遊園地の近くの駅に着いたって、言ったでしょ」

と言った。

「そうか。また電車に乗って帰ればいいわけか」

「そういうこと」

二度目の帰り方の説明を避けることができた私は、海藤を連れてドリームアイランドを出て、夢島駅に向かった。


 私たちが駅のホームに着くと、丁度八時一九分発の電車がホームに入ってくるところだった。

「あのさ」

こちらを見ないようにしながら、海藤が私に話しかけた。

「何?」

何でここが変な場所か分かったのか聞きたいのだろうか。

「その…、手、繋がないか」

「はあ⁉何で」

予想外の台詞に素で驚いてしまった。

「いや、その、他意は無くて、ただ、また、どこか、変なところに、飛ばされないように、ほ、保険的な意味で」

海藤の方はへどもどしながら、こんなことを言った。ここまで慌てた声を聴くと、顔は見えずとも、「他意がある」と言っているようなものなのだが。ともあれ、私も無事に帰れるかどうかの不安もあったため、幼馴染の右手を十年ぶりに握った。途端に真っ赤な顔がこちらを向く。

「他意は無いんでしょ。私もちゃんと戻れるか、不安だし」

「お、おう」

いつの間にやら、私のそれとは比べ物にならないくらい大きくなった手に左手を委ね、私は海藤とともに、電車に乗り込んだ。手をつないだまま、角の席に並んで座ると強烈な眠気に襲われた。はっとして目を覚ますと、そこは見慣れた車内だった。七人掛けの赤紫色のロングシート。いつも通学に使っている路線の車両。

「戻ってきた、のか」

少々ぼんやりとした声が左隣りから聞こえる。戻ってきたんだ、良かった、と思っていると、左手を包んでいるぬくもりに気が付いた。

「そろそろ、手、放して」

とぽそりと言うと、

「え、あ、ご、ごめん」

とそこそこの音量で叫びながら、すごい勢いで手を振りほどかれた。またしても、顔が熟れた林檎のようだ。

 なんとなく、気まずい雰囲気の中、電車独特の軽快なリズムだけが耳に着く。その間隔が少しずつ広がり始め、

『次はー、鹿山ー鹿山ー、お出口はー…』

「あ、降りなきゃ」

いつの間にか、私たちの自宅の最寄り駅に電車は着こうとしていた。

「お、そ、そっか」

少々慌てたような声を聞きながら電車を降りる。改札を抜けた後、あれ、夢島駅で乗り降りしたのに、残金が変わってないような、と思った。が、さっきから固まっている海藤に、

「じゃ、じゃあな」

と、言われたため、その考えははるか彼方に飛んで行ってしまった。反射的に、

「う、うん。じゃあね。バイバイ」

と、ギクシャクと海藤に挨拶をし、海藤と別れた途端に、私は二つの忘れ物を思い出した。一つは海藤にこの超常現象にどうやって気が付いたのか説明すること。もう一つは、部活の稽古で使った浴衣を例の遊園地のコインロッカーに置き忘れてしまったことだ。

「はあ~」

 この時点でもう一つ、確定してしまったことがある。今この場に、というか、電車内に私の紙袋がないということは、超常現象は夢でもなんでもなく、実際に起こったことであるということである。まあ、海藤と例の遊園地から手をつなぎ、電車に乗った後、現実に帰ってきて、本人が私の手を握ったまま、そこにいるのだからその時点で夢ではなかったことがほぼ確定している。のだが、奴と手を握ったことを記憶から抹消したい私は慌てて、その考えを打ち消した。

海藤はただのクラスメイトであり、これっぽっちも意識していないとはいえ、異性と手をつないでいたということが、しかも公共の場で手をつないでいたということが、恥ずかしくてならない。意識する必要などないのに顔が熱を持っていく。「その…、手、繋がないか」と言った後、本当に手をつないだ時の、海藤の顔、手を放した後の海藤の顔。恥ずかしかったのか、照れていたのか、それとも…。考えなければならないことは山ほどあるのに浮かぶのは、別の事ばかり。

「ああー、もう」

何とか別の考え、例えば、今何月何日の何曜日の何時何分なのかとか、浴衣をなくしたことをどうやってごまかそうとか、文化祭はまだなのか、終わったのかとか、そんなことを考えるように仕向けながら、私は家路を急いだ。


 翌日、少々寝不足な私が教室に足を踏み入れると、人だかりができていた。「んなわけねぇだろ」「嘘言ってねぇよ」「ウソウソ」「ホントだって」「え~」という男子の声が聞こえる。なんとなく原因は分かった。そんなことを考えていると、

「あ!ことちゃん‼」

という声とともに、黒いものが私にぶつかってきた。私が来たことに気が付いた千尋が飛びついてきたのだ。

「あーもー、心配したよう。一か月も行方不明だなんてー」

千尋が泣きそうな声で言う。

そう、私(と海藤)はあの短時間で一か月を過ごしてしまったのだ。当然文化祭はとっくに終わってしまった。昨日家に帰ってから、覚悟していたはずなのにかなり驚いた。また、腕時計やスマートフォンは壊れてなどいなかった。むしろ正確に、現実世界の時を刻んでいたのだ。私と海藤は生き物であったから、異世界の時に順応してしまったのかもしれない。

あのまま、あそこで三日間過ごしたら、本当に三百年たってしまっていたかもしれない。「まさに」というよりも、「そのまんま」浦島太郎になっていたかもしれない。早く気が付いてよかったと思う反面、そのままホームにいればよかったのかとか、いや、でもあの遊園地に行ったから海藤と会えて、一緒に帰れたわけだしこのほうが良かったのか、とか。また、私があの遊園地に行かなかったら、海藤とは永遠に会えなくなっていたかもしれない。それは嫌だ。でも、なんで嫌なんだろう、とか、思考の迷路に迷い込みそうになっていた。

閑話休題。

ともあれ、私が今やるべきことは、私に引っ付いて離れない千尋を引き剥がすことだった。

「ことちゃんがいない間、…ってことがあってぇ」

どうやら、回想中にこの一か月の間に起こったことを語ってくれたらしい。まったく聞いていなかったことが申し訳なく思えてくる。

「千尋、気持ちはありがたいんだけど、まだ本調子じゃなくて…」

「そ、そうなの⁉ごめんね。うるさかったよね…」

「あ、いや、そういうんじゃなくて。ちゃんと話聞けないかもしれないから、後で聞かせてくれると…」

「うん、分かった。後で話すね」

あっさりとマシンガントークと身体拘束を終了させた千尋は

「そうそう、行方不明だった海藤君がやっと帰ってきたらしいよ」

と既に知っている情報を付け足すように教えてくれた。

「当の本人はあの人だかりに埋もれているけどね」

 私は昨日伝え忘れたことをさっさと話してしまいたかったが、この人だかりに入っていくのも気が進まなかった。海藤が男子の輪から解放されたのは、この日の放課後だった。


 放課後、海藤と私はあまり人が通らない廊下に移動した。私が海藤に「ちょっと話あるから、こっち来て」と話しかけ、教室を連れ立って出ていく際、何やら教室内がざわついたことは記憶から抹消したい。とりあえず、さっさと説明をしてさっさと帰るために、私は本題にすぐ入った。

「で、昨日、何で超常現象に気づいたかなんだけど」

「え、そのこと?」

何か驚くことでもあっただろうか。

「何が?」

「いや、何でもない」

海藤が何の話を期待していたのかは置いておいて、話を進めることにした。

「まあいいや。まず謝らなければいけないことが一つあってね。私達さ、海藤がコールド・パークのミステリー・ボックス内で行方不明になったとき、そのミステリー・ボックスにいたんだよね」

「へ」

私が何を言わんとしているのか、全く分かっていない顔が、こちらを向いていた。

「あのさ。海藤達が三月二九日にコールド・パークに行こうって二年四組(前のクラス)で話してたでしょ?」

「そういえば、そうだったな。でもなんでそれが…」

「で」

私は質問を遮って話を進める。

「私、それを聞いちゃって、部活の時に、千尋と紗代に『三人を観察するの面白そうだから、ワザと同じ日に行かない?』って、話をしてさ…」

本当は、先に、千尋に海藤と古浦君と水島君が、三月二九日にコールド・パークに行くらしいという話をした。そして、紗代と古浦君を会わせるために、二人で同日に同じ場所に行こうと持ち掛けたのだった。でも、このことは、二人の名誉のためにも、話せない。

「じゃ、あの日、同じ遊園地内にいたのか?」

「うん。三人とも見かけた。声は掛けなかったけど」

どういう反応されるのか。ツケてたのかと怒鳴られるだろうか、と思った。が、

「そうだったのか。いや、気付かなかったなあ」

怒るどころか、気付かなかったことの方が不思議に思ったらしい。

「お、こら、ない、の?」

「何で?」

「いや、うん、怒ってないなら、別に…」

天然というか、能天気というか。身構えていたのに拍子抜けしてしまった。

「あー、えっと…。話し戻すね。で、三人とも見かけてたから、なんとなく、服装を覚えてたの。あのドリームアイランドとかいう遊園地で海藤を見た時に、その時の格好そのままだったから、嫌な予感してたんだよね」

「嫌な予感って、時間が止まってる的な?」

何で察しが悪いのに、感情の原因は大体言い当てられるのか。

「まあ、時間が止まっているとまでは、思わなかったけど。それで、海藤の話を聞いて、海藤の主観で一日経ってないってことは、現実よりも時間経過が極端に遅い場所なんだってわかったの。それと、その場に居続けるとやばいってことも」

海藤は私の説明を聞いて、得心したような顔で、

「なるほどな。じゃ、田町が、気付かなかったら、いや、それ以前に、田町があの遊園に来なければ、俺、帰れなかったのかもしれないのか」

と言った。私はそれを聞いて、

「そうね。その分、私も一か月使ったけど」

と、少々皮肉を込めて言った。

「いや、ありがとな。田町のおかげで帰って来れたわ」

私の皮肉が、まったく通じてない海藤は、今回の件を通して、一番いい笑顔でお礼を言った。私はなんとなく目が合わせづらくなって、顔をそむけたまま、

「どーいたまして」

と、小声で返した。


帰り道、そのまま一緒に帰ってしまったが、海藤が会話中に何気なく、昔のように、「琴美」と下の名前を呼んだ声が耳に残って仕方がない。夕日で火照った顔が紛れていてほしいと思ったが、そもそも鈍感な奴なので、気が付いてもいないかもしれない。なんとなく腹がたったので、今度は、「淕」と仕返しで呼んでやろうかと思ったが、こちらにダメージが来そうなのでやめておく。

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夢の国 星河未途 @hoshikawa_mito

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