★魔女、増殖する★

 魔女――もとい今朝、祖父の書斎に現れた、正体不明の変質者。

 

 それが今、人様のベッドの上で半笑いですぴーすぴーと寝息を立て――

あっ!つーかこいつ口からヨダレ垂らしてんじゃん!きったなっ!


 廊下からの灯りを受けて俺の枕に付着しているらしいヨダレがてらてらと光っている。シーツも枕カバーもついこの間、天気のよい週末に洗濯したばかりだった気がするんだけど!?


 いやそんなことはこの際どーでもいい。落ちつけ俺。

 俺はなんとかひとつ深呼吸して、その場から一歩さがりひとまず間合いをとった。


――うう……冗談だろ。なに?なにこれ?なんでコイツ、また現れたの!?


 目を擦り、開け、眼球が痛いほど目をかっぴらいて、再度薄闇のなか寝息を立てている女をまじまじと見詰めてみる。


 同じ顔、だと思う。たぶん今朝と同じ奴だと思う。まあこんなのが二人いても困るんだが。

 しかし――書斎は……さっき見た書斎は確かに……天井は、崩れていなかったのに!


 俺は棒立ちになったまま『夢ならどうか覚めてください。もう悪いことは致しませんから』と何かに向かって祈った。よくわからないが誰でもいいからとにかくこの状況をなんとかしてくれ。一体誰なんだ、こいつ?


 本人に確認するのが一番手っ取り早い。のだが――

 起こすのを一瞬躊躇ったのは、色んな意味で怖かったのと……何より……あまりに寝顔が幸せそうだったからだ。

 しかしこのままでは俺は寝るに寝られない。起こさなければ――いや、まずは110番、か?俺が混乱しつつも魔女娘に向かって手を伸べた。そのときだ。


「あのさ、」


 鼓膜を、音が揺らした。いや『音』ではない。意味の或る響き――声だ。もっと正確にいうならば呼びかけだ。『あ』と『の』と『さ』。つまり呼びかけ。

 『あのさ、』だと?誰が今、呼びかけると言うのだ?俺と睡眠中の女しかいないこの部屋の中で?

 俺はびたっ!と側の壁に素早くへばりついた。息を殺して周囲を窺うが、廊下にも人影はない。こちらが震えているのを余所に、謎の声はなおも続けた。


「ここだよ、ここ。おいは……箒だよ」


「…………。」


――ほうき?


「悪いけど、起こさないでやってほしいんだ。ルビーは、疲れてるから」


 声のする方を見遣ると確かに、部屋に見覚えのない箒が立てかけられている。いや、よくよく思い出してみると、あれは今朝書斎で見た奴だ。落ち葉掃き用の、竹箒。それには……箒には、漫画みたいな目が二つ付いていて、それがくりくりと暗闇で光っていた。 大きな白目の中に、ちっちゃい点みたいな黒目がある。バカみたいなマンガの目だ。それが、その眼が、どこからともなくやってくる声に合わせて、動いたり、瞬きしたり――していらっしゃる。こともあろうに、箒に目がついて――しゃべ――


「………………。」


「あんさんも、見たんでしょ?天井とシャンデリア。ルビーがあのばらばらになったカケラを、丸一日かかってどうにか元の状態に戻したんだ。すごい仕事だったよ。あんさんにも見せたかったな。ルビーはね、あんなに根気よくなにかを頑張るなんてことは普通、しないんだ。すぐに飽きちゃう子だから。でも今朝のことは、あんさんに悪かったって、ほんとに反省してたんだと思うよ、きっと」


 べらべらべらべらとこちらを置いてしゃべくりまくる箒。どうやら俺の頭は本格的におかしくなったらしい。明日、病院へ行ってこじあけてもらおう。


「ほ、ほほほ、ほほほっ!」


「な、なんだよ。なに笑ってんの??」


「ほ、う、き、が……!」


 ふるふる震えながら、俺は絶叫した。


「しゃべっとるーー!!なんじゃこりゃーーー!!」

 

 こちらが頭を抱えているのを眺めつつ、箒は目(?)をしぱしぱと瞬かせた。


「ああ……こっちの世界じゃ、箒はしゃべんないのかな?じゃあ――」


 ぽんっ、と箒の姿が消えた。そして変わりにそこに――黒猫がいた。そして猫はこちらをまっすぐに見ながら、ごく軽い調子で『言った』。


「どう、あんさん。これなら、大丈夫でしょ?」


「……………。」


 まったく大丈夫ではない。俺の知っている限り、世界中どこを探しても猫はしゃべんない。


「つ……っつーか、なに!?今、箒が猫になったの!?箒が猫に!?」


 慌てふためく俺を見つつ、猫は、はあ、と溜め息をつく。


「疲れるなあ……なんか……」


――こっちのセリフなんですけどおお!?


「とりあえず、静かにして、おいの話を聞いてよ。ルビーは寝させてやって」


 猫は、ぺたし、ぺたし、と床に一定の頻度で尻尾を打ちつけながら、のんびりと言った。


「どっか落ち着いて話ができる場所あるかな?あ、下降りた方がいい?」


「…………。」


 言うが早いが猫はさっさと身を翻し、廊下に出て行く。魔女コス娘と二人、自室に取り残された俺は……他にどうしようもなく、慌てて猫の後に続いた。


――お、落ち着こう、とにかく。


 階下のリビングに降りた俺はちょっと考えて、このしゃべる猫にミルクを薄めたものを温めて出すことにした。自分もホットミルクを飲むことにしてハチミツも出す。

テーブルの上にちょこんと座った黒猫にミルクを注いだマグカップを差し出すと、

「ああ、ありがと。お構いなく」なぞと、のたまう。


 いや、こうして猫に礼を言われるというのもなんかいい……わけがない!気色悪っ!こわっ!


「とりあえず、自己紹介でもする?おいの名前は、ポラムってんだ。ルビーは『ポム』って呼ぶけどね。で、あんたは?」


「………………………。」


 そう振られてカップを手にした俺は目を見張る。


――俺、名前……なんだっけ。


「………………。」


「あんさん?訊いてる?名前は?」


「……わ……かり、ません……。」


「………………。」


「……………………。」


 その場に短い沈黙が落ちる。ややあって、ええと、と猫が前足で耳を掻いた。


「……あー、うん。混乱してるのは、よくわかるよ。おいも、実をいうととっても参ってんだ。だって、こんなところに出るなんて予定じゃなかったからさ。チチョ姐さんともはぐれちゃうし、ここがどこかもわかんないし。正直言って、今にも涙がこぼれそう」


 そう言って猫――『ポラム』は、ミルクを少し舐めて「ちょっ、ちっ、あち!」と首を振り、舌を鳴らした。まだ冷めていなかったようだ。


「ケホン、だけどさ、そうぐずぐずと落ち込んでも、いられないわけさ。うー、修行は始まってるんだ。あちゃちゃ……。これも修行の一環として考えて、前向きに行動しなきゃ――でしょ?」


「そうですね……」


「そう。たとえおいたちが降り立った場所にいた奴が、自己紹介さえおぼつかないような、煮えたぎったミルクをそのまま出してくるような無能だとしても、だ。ここでメゲちゃー、いけないわけだよね」


――あれ。今さりげに俺のことを誹謗中傷しなかったか、この猫?


「ま、いいや名前は後でいいとして……取り急ぎ、あんさんに頼みがあるの。おいたちを暫く、この家に泊めてほしいんだ」


「はああ!?」


 俺は思わず椅子を蹴飛ばして立ち上がった。


――な、なんつったコイツ!?


「まあ聞いてよ。さっきも言ったけど、おいはポラム。見てのとおり、箒で、猫。そんでもって、ルビーの使い魔さ。ほら、上で寝てるあの子がルビーだよ。それも見ればわかるけど、彼女は魔女。正確には魔女見習いで、こっちの世界に修行を受けに来たばっかりのひよっこ。しかも、正規のルートに入る前に途中で渦に呑まれちゃって、とんでもない所、あんさんちに落っこちちゃった、及第点ギリギリの、ね」


「…………?」


 渦だとか落ちたとか、朝も似たようなことをあの女――ルビー(?)が言ってた気がするけれど――


「まじょ?」


「あんさん、さすがに魔女はわかるでしょ?もしかして知らないの?こっちの世界ではあんまりメジャーじゃないって聞いたけど」


「メジャーもなにも……」


 魔女なんて空想の産物だ。もしも本気で信じている奴がいるとしたらそれは一部の頭のおかしな連中だけ。

 しかし実際にこうしてしゃべる猫を目の前にしていると俺も頭がおかしくなったのかそれとも――


「そういや、書斎……なあ、お前……あんたたち、『今朝落ちてきた』って……その部屋の天井の穴は、どーなったんだよ?それにシャンデリア!」


「だから、ルビーが頑張って直したんだよ。さっき言ったでしょ?あんさん、ちゃんと話聞いてた?」


「直したって……直るわけないだろあんな粉々になったものが!」


「直るさ。予約魔法かけてなくたって、根気よくやれば修復魔法でいけるよ。ほんっとに大変だったけど。あんさんが帰ってくる直前まで、やってたけどね」


 俺は呻いて目を瞑った。


「魔法とか……なんとか魔法とか、かんとか魔法とか言われても……俺わけわかんないんすけど――」


「うん、まあ――そうだろうね」


 猫が同意する。その声にはほんの少し憐れみがこもっていた。


「『こっち』に魔法が存在してないってのは知ってるよ。正確にいえば信じられてないって。存在はしているけど、変なインチキが横行してるせいでその存在が認められてないってことだよね。けどさ、現実にはこっちにもつつましやかな魔法はあるし、おいたちの世界には普通の魔法を使う魔女がわんさかいる。ルビーはまだ見習いだけど、いずれその中に加わるはずだよ」


 それでね、と猫は続けた。


「正式な魔女になるためには、異界へ旅立って、一年間、異界の生活や文化を学び暮らすのが慣わしなんだ。もちろん滞在先も決まった上で旅に出るんだけどさ、どっこいおいたち――」


 猫はそこでケタケタ、ともう冷めたらしいミルクを飲んだ。


「目的地と違う場所に降り立っちゃった。それでどこにもアテがないんだ。知り合いも何もいない中に放り出されちゃって、目下途方に暮れてるってワケ――。だから、しばらくここで寝泊まりさせてくれないかな。迷惑はかけないよ。食料の持ち合わせは少しあるし、あんさんは屋根のある場所を提供してくれるだけでいいんだ」


「………………。」


「多分そう長くはいないよ。チチョ姐さんもきっとすぐこっちを見つけてくれると思うし。昼間ざっとこの館を見させてもらったけどさ、使ってない部屋がたくさんあるよね?その中の一部屋くらい、貸してくれたってバチ当たらないよね?困ったときはお互いさま、だよね?」


「………………。」


 お互いさまっつーか……俺の方だけ、一方的に困らされている気がするのだが、気のせいかな?


「えーっと、その……それ……俺が『ダメ』って言ったら出て行ってくれるんですか?」


「それは……」


 猫は控えめに、ニャー、と申し訳なさそうに一つ鳴いた。


「出て行かないけど……」


「行かないんかい!」


 それなら俺に伺いを立てる意味ねえじゃん!


「あのな、俺の家は確かに広いし空き部屋も多いけど……なんか……しゃべる猫とか!?得体の知れないものを家におけるほど、俺の心は広くないんです!悪いけど、あの女の子まとめて、とっとと出てってください。じゃなきゃ警察呼びます」


 そんにゃあ!と今までのんびりしていた猫が一転、悲痛な声を上げる。


「頼むよ、あんさん!今おいたちがすがれるのって、あんさんの良心しかないんだよ。社会的機関に突き出されでもしたら、おいたち『試験失敗』ってことになっちゃう。そしたら強制送還されて再チャレンジは十年後だよ?ルビーは最低ランクのままゴレブの掃除でもして暮らすしかなくなっちゃうんだ!おいだって空も飛べずにずっとホコリとかの掃き掃除に使われることになるんだ!そんなのイヤだよ!」


「なんかよくわかんないけどそれはそっちの事情でしょ――あっ、寄らないで、怖い!触んないで!」


 額をぐりぐり押し付けてくる黒猫から身を仰け反らせつつ、叫ぶ。


「わ、わかりました!とりあえず一晩!今夜一晩だけ、泊めますから!」


 その言葉で俺によじ登ろうとしていた猫は袖に立てていた爪を引っ込め、涙目を瞬かせた。


「いいの?」


「う……。なんつーか、もうあの子寝てるし、起こすのもなんだし……。ただし、明日には出て行ってくださいよ、絶対!」


 猫は不服そうだったが、項垂れて小さく「わかったよぅ」と頷いた。

 

 どうも警察に突き出されると具合が悪いらしい……なんか萎れてるのを見ると可愛そうな気がしないでもないけど、いやでもさぁ!んなこと言ったって。


「つーかお前さ、俺が変な奴とかだったらどーすんだよ」


「変な奴?あんさんは、そりゃどっちかっていうと変なほうだけど」


「いやいや!違うし、しゃべる猫に言われたくないし……!じゃなく!俺がさ、悪い奴だったらどーすんだよって言ってるの!たとえばお前を捕獲して見世物にするとか、あの女の子にセクハラするとか!」


 猫はなんでもなさそうに首を傾げた。


「だってあんさん悪い人間には見えないよ。それにあんさんが何かしてきてもおいたち簡単に撃退できると思うし」


「…………。あっそーですか……」


 それはそれは。俺は米神を押さえた。なんか腹立つ言い方である。しかしこの化け猫、撃退できる力があるのに俺を脅して宿を確保したりしないってことは、それなりに『いい奴』なのか?いや、もうよくわかんない。


 俺は全ての疑問を溜め息に託して吐き出し、頭を切り替えた。


「その、ルビー?さん?は起こさないから、俺の部屋にパジャマ取り行っていいか。フロ入って、寝るわ……」


「いいよ。あ、おいもあんさんのベッド使っていい?」


「もう好きにしてくれ」


 どの道ベッドは魔女に占領されているので、俺は一階のソファーで寝るしかないだろう。これがタチの幻覚ならば、一晩寝て目覚めれば治っているのではなかろうか。俺はそれを期待しつつ眠ることにして、まだミルクを飲んでいる猫を置いてパジャマを取りに二階の自室へと上がっていった。


――上がっていったのだが――


「なかなかいい物件ですね」


「いや、だから、お前誰えええええ!?」


 自室に戻った俺は、本日これで何回目かわからない悲鳴を上げることとなった。


「増えとる!コスプレ不法侵入者が!増えとるぅ!?」


 そう。

 扉を開けた先にいたのは、俺の悲鳴をものともせずさっきと同じ姿勢で眠りこけている魔女その一、『ルビー』。

 そして――


 その傍らに、あろうことかもう一つの人影があった。


 胸元の開いたシンプルなデザインの黒いドレスに、これまた黒いハイヒール。やたらと白い顔の両側からは二本の三つ編みを垂らし、黒いトンガリ帽子をかぶっている――。格好からして、同類の二人目の魔女コス女であることは間違いない。

 このだだっぴろい館の中で、ピンポイントに俺の部屋で、変態女が二人もいる……かつてない異常事態発生だ。


「ぬごおおおお!!」


 頭を抱えて呻く俺を余所に、不法侵入コスプレ三つ編み女は腕組みをしたまま涼しい顔をこちらへ向けた。


「月山、驟人」


 と、仁王立ちのソイツが言って、俺の頭の中で何かが閃く。


「……あ……!ああー!!それ!それ、それっ!!」


「……は?」


 俺に指さされて、女は、眉を顰めた。


「それだよ、俺の名前!!」


「………………………………。」


 その場に奇妙な沈黙が落ちる。ややあって、コスプレ三つ編みが無表情のまま、口を開く。


「大丈夫ですか、あなた?」


「……いや、えっと……」


「訊かないでやって、姐さん。この人自分の名前もわかんなくなるくらいパニクってるから」


 足元でいつの間に上がってきたのか、ポラムが俺の代わりに弁明してくれた。


 『姐さん』と呼ばれた女は少し眉を顰めた。俺に同情している、というより面倒くさがっているのだろうことは、その軽蔑しきった眼差しを見れば明らかだ。


「では――細かいことは置いておきましょう」


 いや、細かくないから俺の名前。


「とにかく、あなたの元でルビーがお世話になりました。あれだけの災難に見舞われたわりに、大した怪我もしていないようで安心しました」


 三つ編みは、相も変わらず俺のベッドで眠りこけている『ルビー』の方を眺めつつ淡々と言う。


「随分魔力を消費しているようですが、まあこの調子で休めば明日の朝までには回復するでしょう」


 あ、と気付いた俺はしゃがんでそそくさと猫に耳打ちする。


「これ、もしかしてお前らをあの三つ編みが連れて帰ってくれる流れ?お迎え来た、みたいな感じ?」


「……まあ、お迎えといえば、お迎えみたいなことかな」


 と、なぜか若干、明後日の方向を見つつ、黒猫。


「あ~、助かったわ。俺はてっきりこれからわけのわかんないものに関わる羽目になるのかと……どーぞどーぞ、さっさとそれ、その変な女連れて、出て行っちゃってくださーい」


 ひらひらと手を振る俺を、三つ編みは無感動に見遣る。


「言われずとも」


 その前に、と三つ編みは続けた。


「月山驟人――」


「あ!そう、俺の名前、それです!」


 「もういいって……」と足元で猫がぼやき、「あなたを始末します」と三つ編みが言い放つのは、同時だった。


「ん…………?」


 ややあって、俺は首を傾げる。それから、三つ編みが素早く腕をふるって、手品のようにその手の中に現われたもの――窓から差し込む月明かりに照らされた、なんか――なんか、馬鹿でっかいもの――を見て、俺はさらに首を傾げる羽目になった。


 『それ』は三日月のように、鋭く、冷たく、細い曲線を描き、無機質に月光を反射して輝いている――。


 魔女が振りかざした『それ』が大ぶりの鎌だということを認識した瞬間、俺の思考は自動的に停止した。



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