イドラス炎上(1)
先にベッドを抜けだしたキンゼイは、一部の隙もなく軍服を着なおして皇女の部屋を出る。香水の移り香が微かに鼻に届くが気づかれるほどではあるまい。
(少し情緒不安定になっているな)
思い通りにならない事態からの逃避にしては度を過ぎている。
(もっと冷静に物事を考える方だと思ったから選んだのだが買いかぶり過ぎか?)
「お眠りになられた。急を要する用でなければお休みさせるように」
「は! 承りました、ギュスター卿!」
衛士に告げて歩み去る。
(確かに武には思い入れを感じさせていたが。弱いエイドラをよく嘆いておられたからな。しかし、妙に好戦的になった)
あまり良くない傾向だ。
(標的にすえるつもりではあったが、別に皇家を根絶やしにする気などない。恨みを背負って、再び不自由な暮らしに戻っていただく程度ですむと考えていたのに)
死して責任を取るのは、あの憐れな皇女ではない。
待機室に戻る。コンソールを立ち上げると報告書がずらりと並んだ。ざっと斜め読みして重要なものを探っていく。なにかが引っ掛かり、一枚を指でスワイプして拡大する。
(事故死? 自殺の可能性あり?)
徴用された技術者のもの。その事故報告書だった。気になって添付データを解凍する。
「なんだよ! なんだってんだよ、あれ!」
報告書のプロフィール画像にあった男が叫んでいる動画。
「なにを作らされてんだよ! あんなの変じゃないか! まともじゃないって! 気が変になりそうだ! 誰かここから出してくれ!」
(連れていかれたのはジャンダ基地付設の工廠のはずだが何事だ? ロルドモネータイプの量産をさせられているのではないのか?)
彼とて詳しいわけではないが、それほど奇妙な構造をしたアームドスキンではないと思っている。
『あなたまで飲まれると
少年の言葉がリフレインする。
悪寒が背筋を駆けのぼる。しかし、その正体まではわからない。恐怖なのか怯懦なのか。
(飲まれた?)
彼の知らない事態が進行中なのであればそれは皇女の指示しかない。
(彼女の変化はその所為なのか? 調べさせねばならないな)
キンゼイは目を細めて報告書の向こう側を見つめた。
◇ ◇ ◇
首都イドラスは内圧を高めていた。市民の不満と不安は増大し、その矛先は皇室へと向かいつつある。
というのも、コリント基地に脱出した人々が自由を満喫する姿が伝わってくるからだ。ことさらに閉塞感を強める原因になっている。
「きゃー! 冷たーい!」
「おーい、こっちにもくれよ!」
「あー、気持ちいい」
フェニストラが手に持ったホースの先から大量の水
彼らは服が透けてしまうのもまったく気にすることなく臨時のシャワーを浴びる。中には脱いで下着になってしまう者も。それでさえ楽しんでいると映るだろう。
「こんなの流して大丈夫です?」
ステヴィアは頬を染めて目を逸らしている。
「んー? 首都の連中が仲間になりたそうにこっちを見るならいいんじゃない?」
「なんです、それ? 女性も混じってるのに」
「まあまあ、堅いこと言わないの。逃げだしたくなってくれれば問題なし」
(それはそれで効果的だけども、思ったとおりにはなんないんじゃない?)
リリエルはポルネたちが楽観的に過ぎると思っている。
見ればわかるようにコリント基地のキャパシティは限界が近い。食料がどうにかなっても居住スペースが圧倒的に足りない。その他、生活に必要な設備もまったく足りてないのだ。
(まだ皇室の支配力が強く及んでいない衛星都市とかに逃げだせばいいとか思ってるんでしょうね)
警察だけ黙らせれば自由になれると考えているっぽい。
(でもね、違うの。こう考えるのよ。どうして自分たちだけ不自由なの? 誰の所為? こんな場所に変えてしまったのは誰が悪いのってね)
政治に無関心だった自分の罪は棚に上げる。自己欺瞞の果てに敵愾心だけを募らせる。そして、いずれ爆発する。
(所詮この人たちは政治の専門家じゃないのよね。魅せるための理念を語るのは上手い。流行に合わせて人の心をつかむのも)
冷めた目で観察する。
(でも、その先になにが起こるかリスク分析はしない。将来をどうすべきか深く考察できないから刹那的な手法も厭わない)
少女には見える、イドラスが燃えあがる姿が。ジュネにも同じものが見えているはず。ただ、それをどう考えているかを教えてはくれない。
流れの中に悲劇を感じとれても積極的に回避させようとはしない。必要な手続きであるかのように静観する。
(きっと失敗しないと学ばないと思ってる。残酷だけど効果的な方法を是としてる)
そんなところが少年はキンゼイと似ている。
二人の相乗効果が生まれたときを思うとリリエルは怖ろしかった。
◇ ◇ ◇
不穏な空気にステヴィアの心はざわめいた。
コリント基地の様子を流して数日後の首都は戒厳令下の様相。破壊した両ゲートでは小競り合いが頻発する。発砲の報せまでちらほらと聞こえてくる。
転じて、宮殿周辺もものものしい状況。市民は訴えを表示させた携帯端末をかかげてシュプレヒコールをあげる。警戒ドローンが解散を命じたり、兵士が銃で脅して散らしたりもするが、圧倒的な数に功を奏していない。
「これ、暴動になっちゃいません?」
不安を口にする。
「なりそうね。ちょいと薬が効きすぎたかしら」
「ポルネさん、ちょっと楽しそうですよ?」
「いや、やっと目が覚めたのかと思うとね。でも、最悪死人がいっぱい出るようだと楽しくない。どうするの、リーダー?」
顎髭の壮年に問う。
「暴動になれば出撃するしかないだろう。我々には焚きつけた責任がある。可能なかぎり市民を守らんとな」
「だよね。届いたフェニストラ二十機は動くようにできた?」
「いける。なにせ人手は余るほどあった」
フェニストラの開発担当だったドワイト・リコランも合流している。指導できる人間がいれば調整は可能だそうだ。素人でも扱いやすい構造のアームドスキンに造られているという。
「これでフェニストラが七十、ブラッドバウまで含めると百になる。十分戦えるんじゃない?」
ポルネは景気のいいことを言う。
「そんな簡単じゃないんでは?」
「要は宮殿を降参させりゃいいのよ。全軍とやり合うわけじゃないんだから」
「上手くいけばいいんですけど」
軍が首都に常駐させている戦力はそれほどではないとブラッドバウも分析している。だからコリントやジャンダといった基地を近くに置いているのだ。
逆にいえば、無傷のジャンダから駆けつけてくる戦力がある。それと衝突してイドラスを戦場にするのは危険に思えてならない。
「あの……、大丈夫でしょうか?」
隣のリリエルにこっそりと訊く。
「大丈夫じゃない。このままいけばイドラスに少なくない被害が出るわね」
「駄目なんじゃ……」
「本当はジャンダを攻めて裸にしてしまうのが一番民間人に被害を出さなくてすむ方法。でも、あそこは宙港も備える大規模基地。攻略にはそれなりに時間が掛かる。その間に暴動が起きても放っといておける?」
どちらかを選ばないといけないと言われる。
「無理です。守ってあげないと」
「結局そういう結論になるの。覚悟決めなさい。あたしたちも動ける方法を考えてる。ジュネもそうでしょ?」
少年も頷いてくれる。多少の光は見えてきた。悲劇が映えるのは舞台の上だけでいいのだ。
(どうか無情なことはなさらないでください、キンゼイ様。あなたは人の恨みを買うような方ではないはずです)
しかし、ステヴィアの祈りは虚しいものであった。
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