『青の瞬き』 ※140字小説の連載です

葉暮 実

第1話(第一回〜第十二回)※改訂済

 いまでも目を閉じると、咲希がくすぐったそうに笑う。

 俊くんが忘れちゃったら、誰が思い出してくれるの?と、笑いながら彼女は言った。

 あの時、彼女が翌日にはいなくなるとどうして想像できただろう。恐いほどに青い空を一緒に仰いでいたように思っていたのに、彼女が見つめていたものは違っていた。

 大学二年の夏に咲希が見つめていたものは、いつしか僕の心の陰となっていた。僕は時折それに苛まれた。そして、時を経る中で消し難い諦念を覚えるようになった。大学を出た僕はどこにでもいる会社員になり、とにかく働くことで過去を忘れようとした。でも、心の陰はいつまで経っても消えないままだ。


 大学時代の旧友に久々に会わないかと誘われた。大学を出てから同窓会やその類の集りを僕は避けてきた。彼らに会えば過去が戻ってしまう。咲希のことも──。だから断るつもりで連絡した。すると、お前、咲希ちゃんのこと、まだひきずってんの?と、神妙な声で訊いてきた。僕は笑って否定したが図星だった。


 大学時代の仲間は各々の人生に皆忙しそうだった。結婚を決めた者もいたし、海外留学するという者もいた。自分だけが足踏みしたまま人生が止まっている気がした。人生って何だろう? どうしてこんなに楽しそうにしていられるのだろう? そんなことを思いながら、周囲に合わせて笑っている自分がいた。僕は上手に笑えているのか? 心から笑えない日々を過ごしていた僕は、自分がどう見えるのか不安だった。


 会がお開きとなって、最寄りの駅への道すがら、今回誘ってくれた宮内に声をかけられた。どうやらこの機会を待っていたようだった。「咲希ちゃんのお墓参り行かないか? もうじき七回忌だろ」


七回忌──僕らは二十六歳になっていた。

宮内と斎藤という旧友が駅で待っていた。僕らは電車を乗り継いて、咲希の実家がある北関東にある駅まで向った。告別式以来だから、彼此六年近く来ていない。

 駅を出ると暑気が肌を炙った。東京よりもさらに暑い。人のないロータリーで咲希の母親が待っていた。

 「遠いところをわざわざ」と、頭を下げる母親は、咲希に似た涼しい目元をしている。咲希も生きていれば、母親のような面差しになっていただろうか。そんなことを思った。

 僕らは線香をあげて合掌した。遺影の中の咲希は笑っている。日向に咲く屈託ない笑顔だ。僕は久しぶりに彼女に会った気がした。


 墓参してからそのまま帰ってもよかったのだが、暑さでのぼせたようになった体を冷まそうと上野で降りた。もし宮内が引き留めないで、そのまま東京まで電車に揺られていたなら、僕は咲希の死の真相について何一つ疑うことなく、くすぐったそうな笑顔をそのまま安らかに胸にしまっておけたのかもしれない。


 僕らはコの字カウンターに横並びになって飲んだ。たわいないことを話していたが、トイレに立った斎藤の後ろ姿を目で追いながら、宮内がこちらに身を寄せてこんなことを言った。

「俊介、この後時間あるか? 話したいことがある。咲希のことだ」

 僕はこの場では話せない何かを感じ二つ返事で応じた。

 

 斎藤と別れた後で、僕らは電車に乗るフリをして公園口の方へ抜けて小さなカフェに入った。酒場はどこも混んでいたし、宮内は静かな場所で話したいようだった。席についてアイスコーヒーを注文すると、それまで黙っていた彼が口を開いた。お前、おかしいと思わないか? と、彼は僕の目をじっと見る。彼が意図するものがわからず応えあぐねていると、咲希の死のことだよと彼は付け加えた。

 咲希は六年前にビルから飛び降りて自殺した。疑念を差し挟む余地はない。それを今更掘り起こそうとするのは、見方によっては死者への冒涜だろう。

 宮内は言うべきかまだ迷うふうだったが、決したように話し出した。

「お前だから、それに今だから言うけど、俺、見たんだよ。あの日、咲希が斎藤と一緒にいるところ」

「あの日って……」

「咲希が亡くなった日だよ」

宮内の目から一切の微笑が消えた。

「咲希の亡くなったあの日、俺は寝坊して大学に遅刻したんだ。駅から向う道で咲希とあいつがいるのを見たんだよ」



※続きはツイッターにて毎日19時に更新・連載中です)Twitter: @hagureminoru)




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