森新児の読書感想文
森新児
第1話 藤本タツキ ファイアパンチ
どうも。森新児です。
これから自分が読んだ小説や漫画の感想を書きます。
不定期連載で間が空くかもしれませんが悪しからず。
記念すべき第一回に読んだのは藤本タツキの『ファイアパンチ』。
現在少年ジャンププラスで『チェンソーマン第二部』を連載中で、今や世界的注目を集めるタツキ氏の長編第一作です。
ではお楽しみください。
藤本タツキの実質的デビュー作『ファイアパンチ』全八巻を読んだ。
これはこの数年間でもっとも刺激的で衝撃的な読書体験だった。
読んで思ったことを以下に書く。
物語の前半は新約聖書的で、後半は旧約聖書的だった。
キャラでいうとベヘムドルグの兵で祝福者(超能力者)ドマの消えない炎に妹ルナを殺され、自身も八年間(!)炎に焼かれ、文字通り復讐に燃えるファイアパンチと化した主人公アグニがイエスである。
ルナにそっくりなベヘムドルグの預言者ユダはマグダラのマリア+書記官マタイ。
アグニを主人公に映画を撮ろうとする謎の女トガタは洗礼者ヨハネ+イエスを誘惑した悪魔。
アグニを熱烈に慕う少年サンがユダ。
という感じである。
が物語が進むにつれてキャラの人格は刻々と変わり、名前も変わる。
近代的な自我が溶け、背景である世界に個が吸収されてゆく。
聖書の構成とは逆に新約→旧約という感じの世界観である。
アグニがイエスだと連想させるエピソードはたくさんある。
たとえば再生者であるアグニは自分の顔をトガタに切らせ、その肉を飢えた村人に与える。作者はこの話を「アンパンマンから思いついた」というが、それに加えてイエスが最後の晩餐で弟子たちにパンを与え「取って食べよ、これはわたしのからだである」といった有名な故事も頭にあったと思う。
カトリックは今でも聖体の日にホスチアと呼ばれるパンを食べる習わしがある。
藤本タツキが映画好きなのは明らか。
アグニを主人公にして強引に映画を撮ろうとするクレイジーな女トガタは九十年代オランダの暴力モキュメンタリー映画『ありふれた事件』のいかれた殺し屋がモデルなのはまちがいない。
またファイアパンチのキャラはよくタバコを吸うが、その姿がどれも色っぽい。
それは何が色っぽいのかというと「手」が色っぽいのだ。
フランス映画の巨匠ロベール・ブレッソンは手をクローズアップで撮るのが特徴だがたぶん藤本はそれを意識している。ベヘムドルグ兵の顔立ちはフランス人ぽいし、地下鉄でトガタと戦う英雄サイモンの顔はブレッソンの傑作『抵抗』の主人公であるレジスタンス学生の顔にそっくりだ。
物語の時代は未来で世界は氷の魔女によって冷えきり、文明は後退している。
寒い土地の話だからなんとなく今のロシアや東欧が舞台と思っていたらいきなりピラミッドが出てきて驚いた。
舞台はアフリカなのだ。しかし黒人はひとりも出てこない。
キャラのほとんどは白人だが、アグニとトガタだけ黒髪に黒い瞳の東洋的な風貌をしている。
物語の前半のテーマは古い神話(ベヘムドルグ)と新しい神話(アグニ)の戦いにあると思う。そこも古代ユダヤ教と新興宗教キリスト教の相克が裏のテーマである新約聖書的だと思う。
藤本タツキがすごいのはまだ若いのに「必ずしも新しいものが古いものよりいいとは限らない」ことをよく知っている点だ。
前半のクライマックス、ベヘムドルグに乗り込んだアグニと三人の凶悪な死刑囚の戦いの絵はすごかった。緻密な絵だが動きがあって音も聞こえる。
吹っ飛んだアグニによって建物群が崩壊する見開き絵を見たときは、大友克洋の『童夢』を思い出した。
【ここからネタバレ】
最後の八巻でユダ(ルナ)は宇宙をつらぬく地球樹と一体化し、わずか一ページで数千万年の時が流れる。あまりのスケールにとまどう読者も多いようだが、この時間感覚はインド神話を参考にしていると思う。
インドの神様は数千万年ぐらい平気で昼寝する。
ここいらへんのアジア的感覚が、ファイアパンチを特異な漫画にしている。
最後の八巻で物語の全貌が明らかになる。
人類の始まりの神話を描いたのが旧約聖書の創世記だが、藤本タツキはこの驚異的な漫画で「人類の終わりの神話」を描こうとしたのだ。
創世記のアダムとイヴに相当するのがアグニとユダだ。
最後に樹の中でアグニ(サン)とユダ(ルナ)は出会う。
二人はサンとルナと名乗り、少し話したあと手を取り合って静かに眠る。数千万年を超えるファイアパンチとユダの仮面を脱ぐ長い旅が、ここで遂に終わった。
サン(太陽)とルナ(月)が眠り、人類の歴史もここでようやく幕を閉じる。
最後にアグニがサンと名乗ったのは過去の自分を忘れたからだが、兄妹ではなく男女として二人に愛し合ってほしいと作者が願ったからでもあると思う。
そこにシャイな作者の優しさを見た。
藤本タツキに万雷の拍手を贈りたい。
すばらしい、いや、偉大な漫画を読ませてもらった。
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