だから僕は紙飛行機を飛ばす。

穏水

空に向かって、飛んだ

 ──飛んだ。


 入道雲を越えて、青空の向こうへと。


 空高く、手の届かないところに。


 紙飛行機が、僕の折った紙飛行機が、静かに飛んで行った。


 校舎にいる、僕らを見渡すように。今までの想いが、あの人に届くように。



 ◇



 僕が毎日紙飛行機を折るようになったのはいつからだっただろうか。


 もう、数えてみればかれこれ五年は経つ。高校一年生になった今でも、この日課は変えられなくなってしまった。


 毎日一機、僕は紙飛行機を折る。正直正しい折り方なんてよくわからない。自分で見つけ出した折り方で、僕は毎日、紙飛行機を折るのだ。




 ある日、学校での事だった。


 国語の授業。聞いていても、何も頭に入らない嫌いな授業だ。聞いていなくても、テストでは良い点取れるし、別に聞く必要もないと思っていた。


 そんな国語の授業は僕にとって退屈だったので、僕はいつも教室の窓の向こうにある青空を眺めている。


 今日は久しく、空に入道雲が昇っていた。その上には、綺麗な澄んだ青空。僕も、あまりここまで綺麗な空は見たことがない。今日は良いことがあるかもな、て思っていた。


 昼休み。昼食を済ませてから、いつもの行動に取り掛かる。


 僕は机の中から、縦横五寸程の白い紙を取り出した。綺麗な、真っ白な紙だ。


 そのまま机の上に広げて、紙を半分に、折り目を付ける。


 この作業をしているときは、何故か周りの音も何も聞こえなくなる。身体の中から、不純物を取り除いているような感覚になるのだ。自分を取り巻く外界とを切り離されたその感覚は、これからも永遠に辞められないだろう。


「よし、出来た」


 ほんの一分、それだけあれば紙飛行機は綺麗に作れる。今回も、完璧に折れたと思う。無駄な折り目もなく、一切のズレもない僕の紙飛行機は、職人技と化していた。


 出来上がった紙飛行機を机の中に入れようとすると、横から声が掛けられた。


「あ、直さないで」


 僕は手を止めた。


「どうしたの?」


 右隣を見る。声をかけてきたのは、隣の席の白空はくあさんだ。


 ショートの髪をして、まん丸な目をした小動物的な、可愛らしい女の子。みんなからの評判も良く、クラスの目を引く存在の白空さんが、僕に何か用だろうか。


「ちょっとその紙飛行機、私も近くで見たいかも」


「良いよ」


 意外なお願いだ。僕は素直に折った紙飛行機を白空さんの手に渡した。


「やっぱり、青羽あおば君の紙飛行機は綺麗だなぁ」


 白空さんは、意外にも目を輝かせて、僕の紙飛行機をじっくり眺めだした。色々な方向から、壊さないように優しく眺めた。


「ありがとう。ずっと折ってきたからね」


「うん、ずっと見てたよ」


「ずっと?」


「そう。昼休み、私ずっと横から見てたの知らない?」


「え、知らなかった……」


 飛行機を折ってるとき、周りなんて絶対に意識しないから、気付かなかった。なんだか、考えたら恥ずかしくなってくる。毎日僕が紙飛行機折ってるとこ、白空さんに見られていたとは……どういう風に写ってたのだろう。


 変な顔して折ってないよね、僕……。


「どうしたの? 頬がちょっと赤いよ?」


「え!? あ、いや気にしないで。大丈夫だから」


「ならいいけど」


「そ、そういえばなんでそんなに毎日僕の事見てたの?」


「あ、いや~。なんか、青羽君が紙飛行機折ってるときだけ、顔が楽しそうで。そんな生き生きとした青羽君の顔を見るのが好きになっちゃってさ」


 す、好き!? いや勘違いしてはいけない。僕の顔が好きなだけで、僕自身の事は好きじゃないと思うから。いや僕の顔が好きっていうのも何かおかしい気もするけど……。


「ありがとう……」


「でさ、なんで青羽君って毎日紙飛行機折るの? 折らない日とか見たことないけど」


 僕が、紙飛行機を折る理由か。


 久しく忘れていたけど、確かにそれは存在する。


 数えると……お、ちょうど五年前か。確かに、最初もこんな天気だったな。懐かしくも、忘れたい記憶だけど、ね。


「それは……」




 僕が小学六年生だったころ。


 母親が死んだ。


 前から、医師から余命宣告は告げられていたので、何も驚きはなかった。


 母親は元から身体が弱く、僕が小学生に上がったころには、段々と身体が衰弱していく一方だった。小学五年生に上がったころには、ずっと、入院状態だった。意識はあるものの、身体を動かすのに手一杯の状態だった。


 僕も毎日、母親のお見舞いに病室に通っていた。


 いつも母親は笑顔で僕を迎え入れてくれた。だけど、永遠に一緒に入れるわけではなかった。


 その病室には、他の患者さんもいて、見舞いに制限時間が課せられていた。長くて一時間。僕にとって一時間は足りなかった。


 だから、いつも追い出されたとき、僕は一日のお別れの挨拶として、ある日から空に紙飛行機を飛ばし始めた。病室の窓から見えるように。


 お見舞いに行く前に、折り紙で紙飛行機を折って、お見舞い後に紙飛行機を飛ばす。意外にも母親はそれを喜んでくれた。毎日、飛ばした次の日に、「良い紙飛行機だったね」と言われるのが楽しみで楽しみでしょうがなかった。


 昼休みに紙飛行機を折って、学校が終わった瞬間に母親がいる病院に行って、紙飛行機を飛ばして……。あの頃は幸せな日々だった。


 親が亡くなった時の感情はもう何も覚えていない。辛かったのか、悲しかったのか、それさえも全て忘れてしまった。ただ、絶望に落とされた時の、ぽっかりとした穴のような暗闇がそこに存在するだけだった。




「──それから、毎日紙飛行機を折ることが辞められなくなっちゃって」


 いつの間にか、五分以上僕はひとりでに語っていた。


 白空さんは、目に涙を浮かべて、真剣に僕の話を聞いてくれている。うんうん、と頷いて。


「どこか、僕も願っているんだろうな。紙飛行機を折っていれば、また母親に会えるんだって」


 でも、それも無理だとわかっている。有り得ないことだと、僕の心は理解しているはずなんだ。親の遺体も、この目で見た。


 だけど、やっぱり心の遠い中で、そう信じてしまっている。紙飛行機を折っていれば、いつかまた会えると。


「会えるよ! 絶対。だって、会えなかったら今までの青羽君の努力は無駄になるもん!」


 白空さんは、そう必死に僕の心を肯定してくれた。


 でも、違うんだ。


「努力なんかじゃないよ。これは僕のために、やってるだけなんだ。何の努力でもない。遊びといってもおかしくはない」


「ううん、違う。君は母親のためにやり始めたことなんでしょ? そして現に母親は喜んでいたじゃん。じゃあそれは立派な、母親に対する努力なんだよ! 毎日、欠かさず続けてきたんでしょ……」


「でも……」


「私がこう言っているんだから。青羽君、私嘘なんて吐いたことないでしょ?」


 確かに、白空さんが嘘を吐いたことなんて見たことも聞いたこともない。学校で愛されている、白空さんが言ってくれているんだ。そうなのだとしたら……。


「僕、白空さんの言葉を信じていいのかな」  


「うん! 信じて」


 はっきりと、意志の詰まった言葉で白空さんは返事をしてくれた。


 その返事を聞いた時から、一気に何かが報われたような気がした。


 今まで、何のために折っていなかったのかもわからない僕の紙飛行機が、意味を成したような気がした。


「ありがとう……白空さん。僕、君のおかげで、吹っ切れたような気がするよ」


「ふふ、いいのよ。いつでも、私に頼ってくれて構わないんだからね?」


「うん……わかった。また、何かあったら僕の話を聞いてほしい」


「ぜーんぜん、いつでも聞いてあげるよ!」


「本当に、本当にありがとう」



 ◇



 放課後、学校の最上階の窓で。


「じゃあ、飛ばそっか!」


「うん、行くよ」


 僕は白空さんの言葉にうなずき、昼休みに折った紙飛行機を思い切り振りかざした。


 僕の今までの想いを全て乗せて、紙飛行機を手放す。


 窓の向こうへ、風に乗って、その紙飛行機は空高くへと──

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