人ひとり分の空間

ミドリ

第1話 ささやかな余白

 僕の周りには、いつもちょっとした空間がある。


 どこにいても例外はない。電車の座席に座れば両隣が空くし、高校の教室の席は僕の周りだけ綺麗に避けられて、まるで虐められているっぽい状態になる。


 子供の時は、こんなことはなかった。だけど僕が中学校に上がって暫くした頃から、気が付けば僕の隣から人がいなくなってしまった。


 どうしたのと聞いても、みんな苦笑いするだけで教えてくれない。


 初めは、こんなのささやかな余白に過ぎないなんて高を括ってた。


 だけど、これが何年も続けば話は別だ。


 もしかして、僕ってすごく臭い?


 そう思って臭いを嗅いでみたけど、自分じゃ分からない。臭いはそういうものだって聞いた僕は、自分は臭いと納得した。とんでもない悪臭がするなら、そりゃあ離れていくに決まってる。


 みんな、人ひとり分の距離を空けさえすれば話してくれるし、密室で臭いがきついだろうカラオケだって誘ってくれる。


 だけど、僕は自分が臭いって分かったから、誘いはすべて断った。


 母さんに聞いても、何のこと? としか言わない。だけど母さんも僕には触れない。高校生にもなって親とべたべたするなんてあり得ないから、暫く気づかなかったけど。


「ねえ、僕ってそんなに臭い? こういうのって病院に行ったら治るのかな」


 僕だって、人並みに彼女も欲しい。だけどこんな状態じゃ、一生彼女なんて出来やしない。


 僕の人生、お先真っ暗。悲しいけど、これをどうにかしない限り僕に明るい未来はない。


「臭くないわよ」


 母さんが、いつもと同じ返事をする。


 でも、今日の僕は粘った。


「母さん、本当のことを教えてよ!」


 一体どんな臭いなんだろう。世界一臭い花と言われているラフレシア? それとも目まで染みちゃうドリアンか。臭い缶詰で有名なシュールストレングスみたいなのかも。


 どれにしてもろくな臭いじゃない。


 段々悲しくなってきて、溢れた涙を腕で拭う。


 すると、母さんは意を決した様に立ち上がり、どこかに電話をかけ始めた。なんで? どうして今このタイミングで?


 歩きながら廊下へと消えた母さんの後を静かにつけて、ドアの影に隠れながら盗み聞きする。


「――はい、そうなんです。はい、はい。そろそろ本人にも事情を――」


 事情? どういうこと? 影で首を傾げていると、母さんが電話を切る声が聞こえたので慌てて席に戻る。


 沈痛な面持ちの母さんが戻ってくると、唐突に切り出した。


「洋介。実は貴方は、神様に捧げられることが決まっているの」

「はい?」


 大分斜め左な答えが返ってきて、僕は母さんの脳みそを心配する。


「母さん? だ、大丈夫?」

「先方たっての願いで、その時が来るまで洋介にはのびのびと過ごして欲しいからって秘密にしてたの。ごめんね」


 その時って何? ていうか神様なんて非科学的なもの。


 母さんは瞳を潤ませながらあくまで真剣に続ける。


「人に触っちゃいけないみそぎの期間は丸三年。もうすぐ終わりが来るの」

「ちょっと待って、揶揄からかうのはやめてよ。そもそも神様なんて、ていうか学校のみんなもそんなこと何も」


 無茶苦茶だ。僕が反論すると、母さんは小さく息を吐きながら母さんのスマホを見せてくれた。


 スマホ画面に書いてあったのは、『神の花嫁山村洋介様本日のご様子』だ。


「……は?」


 そこには、僕の行動が詳細に書かれていた。ご丁寧に動画まで付いている。


「え? は?」


 自分のスマホを出して調べてみたけど、そんなのは出てこない。


「洋介のは秘匿バージョンなの」

「冗談でしょ?」


 母さんは、涙ながらに語り始めた。


「神様は相当洋介を気に入っていらっしゃって、禊期間に他人が触れると怒って触った人間を溶かしちゃうの」

「溶かす」


 母さんの説明によると、僕が神様の花嫁とやらに選ばれてすぐ、まだ僕の存在が周知徹底されていなかった時に触れた何人かがでろでろに溶けてしまった。それで急遽僕専用チャンネルが作られ、僕の行動パターンや癖なども報道される様になったらしい。


 ただし、神様の出した条件は僕がのびのびと過ごせる様に、だったので、苦肉の策が人ひとり分のささやかな余白対策なんだそうだ。


 花嫁ってなんだ。僕は男だし、なんで僕が選ばれたんだよ。


 母さんに疑問をぶつけると、母さんは答えた。


「神様がひとめ惚れしたんですって。洋介、美人だもの」

「は? ひとめ惚れ?」


 母さんが続ける。


「花嫁に選ばれた人間は、三年の禊の間に両性具有に変化していくの。最近、お胸も出てきたでしょ?」

「これ……太ったからかと」


 身体が丸みを帯びてきているので鍛えないとなんて思ってたら、そんなことだったとは。


 ピンポーンとチャイムが鳴る。


「あ、お迎えに来たみたい」


 母さんが涙を拭きながら立ち上がった。ちょっと待って、お迎えって何。


 呆然と座っていると、玄関から眩い光が差し込む。やがて、後光を背負った人が入ってきた。


 顔、眩しくて見えないし。


「洋介」


 性別不詳の声の持ち主が手を伸ばす。


 僕に選択肢なんてないことを、その瞬間悟った。

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