第288話

 ステージのようなエリアの手前には、人数分の大きな座布団が置かれている。好きな場所に座るよう言われて、家族同士で集まりながら、一花と伊織は隣同士に腰を下ろした。


「本日はようこそお越しくださいました。私、本日の興行を執り行います、川又と申します」


 司会者のように口上を述べる裕之に、誰もが怪訝な視線を送る。


「本日の演目は二つでございます。まずは第一部、愛されなかった令嬢・千堂桐子、から、お楽しみください」


 桐子は心の中で悲鳴を上げる。文哉も血の気が引いた。だが、二人とも抗議したり席を立つ様子はなかった。


 しばし待つと、厳しい表情をした友梨が現れた。


<なんてことをしてくれたの! あなたは千堂の家に恥をかかせるために生まれてきたの?!>

<ああ本当にこんなことなら産むんじゃなかったっ……。文哉だけなら、こんな思いをすることも無かったのに>

<自分が産んだからなんだというの? あの子を可愛いと思ったことなんて、ただの一度も無いわ。ええ、この先だってきっとずっとね>

<お義母様、あの子はあなたにそっくりですわ。卑屈な目、媚びるような声、弱弱しく装った態度。ああ、ああ……何もかもが腹立たしい!>

<まだこんなところにいたの? あっちへお行き! 目障りだと言ったでしょう!>


 金属的で冷たく鋭い刃物のような金切り声と、額に浮かんだ青筋が、普段の友梨とは別人に見えて広瀬は呆気にとられる。

 友梨を知らない者たちも、その迫力に気圧されているようだった。


 しかし桐子は、湧き上がる吐き気と恐怖で、頭がどうにかなりそうだった。

 友梨が演じているのは紛れもなく母の志津子、そしてそのセリフの全てに聞き覚えがあった。

 本当の母の声まで聞こえてくる。同時に、打ち払われたときの母の手の痛み、指輪の石に引っかかれた時の熱さまで甦るような気がした。


 文哉は目を閉じて、背を伸ばし、ただじっと聞いていた。

 川又兄妹は、桐子の傷を晒し上げることで自分たちへの意趣返しをするつもりなのだろう。

 だとしたら、この程度で終わるはずはない。まだこれは序の口なのだ。

 ただ、当の桐子の心境を想像すると、いっそ自分の身を切り裂いてほしいくらいだった。


 友梨はくるりと客席に背を向ける。次に振り返ったときには、愛らしい少女そのもののような表情に変わっていた。


<お兄ちゃん、見て、可愛いでしょ>

<お兄ちゃん、お勉強、終わった? ご本読んでくれる?>

<お兄ちゃん、大好き。ずっと桐子と一緒にいてね>


 桐子は、今度は自分自身の内側から刃物が突き出るような感覚に襲われた。それは紛れもなく、自分自身だった。友梨は、どうやってこんな桐子自身を再現したのだろう。これほど実力のある役者なのだろうか。友梨を登用したのは坂井の提案だった。整った容姿と経歴で配役を決めたが、とんだ勘違いだったかもしれない。


「……これ、おばちゃん?」


 ぺたりとステージの上に座り込んで、人形遊びをしているようなパントマイムを続ける友梨を見つめながら、一花は隣にいる文哉へ問うた。

 しかし文哉は固く目を閉じ、頷きも否定もしなかった。


 桐子を演じる友梨は、急に顔をこわばらせる。


<お兄ちゃん、お兄ちゃん、私……どうしてここにいるの……? 病院? どうして?>

<お兄ちゃん、声が出ないよ……どうして?>

<お兄ちゃん、お兄ちゃん……いやああ!!>


 桐子はたまらず口を押えて廊下へ駆けだした。そして縁側から外へ何かを吐き出した。朝食は食べられなかったから、少しの水分と胃液が出るだけだった。


 思わず駆け寄ろうと腰を上げかけた剣を、松岡が抑え込む。振り返れば、動くな、というより、桐子に手を貸すな、と、その目が言っていた。


 代わりに裕之が桐子へ近づく。そして無理やり片腕をつかんで引っ張り上げた。


「逃げてんじゃねえよ。ちゃんと見ろ。全部、お前自身なんだからな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る