第6話
桐子と文哉の実家である
父も母も家筋がそのまま生きる理由と言ってもいいほど誇りに思っていて、それを子供たちにも要求した。
身なりや立ち居振る舞い、学業が優秀であることはもちろん、学校が終われば数々の習い事。どんなクラスメイトと友人になるか、その親はどんな人なのか、父親の職業や学歴まで口出しをした。
当然、二人にはほとんど友人らしい友人はいなかった。外交的な文哉はそれでも幾人か親しい友人を作ったが、人と関わることが得意ではなかった桐子には無理だった。
自然、桐子にとって何でも話せる気の置ける相手は、文哉しかいなかった。
学校でいじめられたときも、賞を取って学校で褒められた時も、相談したり泣きついたり報告する相手はいつも文哉だった。
『すごいな、桐子!』
『そうか、悔しいな。でも一人で頑張ったんだな』
『そうだな、そういう時俺だったら……』
四つ上の兄は、桐子から見れば何でも出来て何でも知っているスーパーマンで、桐子の世界は自分と文哉だけで完結していた。
しかし、その世界は、ある日突然破壊された。
◇◆◇
放課後、委員会が終わった桐子が学校を出ると、既に辺りは真っ暗だった。しかし学校から家までは歩いて十分ほどの距離だったので、多少の肌寒さを感じつついつもと同じ足取りで家路を辿っていた時。
「静かにしろ! 返事は?!」
突然後ろから目と口を塞がれた。
桐子は驚きで体がすくんだ。声も出せず、気が付けば人が通らない裏路地に引きずり込まれていた。
全てが終わって、半裸で放置されていた桐子を見つけたのは、蒼白になって妹を探し回っていた文哉だった。
「この恥知らず! 千堂家の恥!」
「やめなさい、もういいだろう」
「いいえ、いいえ! お前という子は、なんてことを!」
パトカーに送られ、ボロボロになって帰ってきた桐子を出迎えたのは、半狂乱で怒り狂った泣き顔の母だった。
母を止めに入る父も半ば呆れ顔で、桐子を庇うというよりも、騒動を面倒くさがっているようにしか見えなかった。
この時も身を挺して桐子をかばってくれたのは文哉だけだった。
「お母さんやめてよ! 桐子は被害者だろ、何も悪くないよ!」
「おだまりなさい! 桐子が悪いに決まっているでしょ! せ、千堂家の娘が、強姦されるなんてっ……! いっそ、そのまま死んでしまえばよかったのにっ……」
まだ掴みかかってきそうな勢いの母を抑える文哉の制服は、母の涙でぐちゃぐちゃだった。
桐子は、母に言い訳することも、責めることも、謝ることも出来なかった。
声が出なくなってしまっていた。
その後、母は実兄の家に引き取られ、桐子は中学卒業まで病院で過ごした。文哉は毎日見舞いに来て、看護師に声をかけられるまで病室で過ごした。
何も話すことが出来なくなった桐子に、学校であったこと、部活のこと、どの大学を受験しようとしているか、将来はどうしようか、など、思いつくまま色んな話をする。しかしただの一度も、父と母の話は出てこなかった。
結局、それから一度も桐子と母は会うことがないまま、両親は交通事故で亡くなった。
高校卒業と同時に家を継いだ文哉と一緒に、桐子は自宅へ帰った。
両親の位牌を見た時、桐子は約二年ぶりに声を発した。
「お母さん、お父さん……」
唐突に声を発した妹に驚いた文哉が振り返ると、桐子はぼろぼろと涙を流していた。
文哉はそっと抱きしめた。泣き止むまでずっと。桐子は兄にしがみついて、泣きつかれて眠ってしまうまでずっとそのままでいた。
それでも、桐子は泣いた理由を言えなかった。
もうあの二人に会わずに済む、という安堵と、これからは文哉と二人きりで生活できる喜びの涙だった、ということは。
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