ハムスターライフ

岡山ユカ

第1話 弟との出会いの思い出

「私達に新たな家族が訪れる」。その報告は、私達を有頂天にした。これから四人で、幸せに暮らしていこうって、そう思うことが出来た。だから、私達は出産を楽しみに待った。

 そして、出産の日になった。いつもは酔ってしまう車でも、気分がいいおかげで酔うことなく、病院に到着することが出来た。車の小さな揺れでも、私みたいな三半規管が弱い人では、酔う要因に十分なり得た。

 病院に到着して、お母さんとお父さんは看護師に案内された。私は一人で、全体的に白色で味気のない病院のロビーで待つことになった。いつもはゲームをして、暇をつぶしていたが今回は違った。ゲームする気にはなれず、早く下の子が生まれてほしいと願っていた。

 私は新たな家族を祝福しようと、首を長くして待っていた。お母さんとお父さんを待っていた。一人、ソファーに座って、足をバタバタさせていた。まだかな、まだかなと心のなかで思っていた。

 お父さんとお母さんが入った部屋のドアが開いた。そこで、ようやく子供が生まれたとの報告を受けて、私は目をキラキラさせながら、お母さんとお父さんの元へ、走って向かっていた。だけど、その時の二人の目は、子供が生まれたというのに悲しげだった。もしかして、死んじゃったの? とその時は思っていたけど、違った。子供の出産は成功した。だけどその後が、問題だった。

 私は部屋に入ると、医者がとても哀れんでいるような目をしていた。お母さんとお父さんも、絶望した顔で座っていた。二人共腰が曲がって、舌を向いていた。当時、何も知らなかった私にとっては、訳が分からなかった。新しい家族が生まれるのだから、笑顔で迎えないといけない。当時の私はそう思っていた。

 話を聞くため、余っている一つの椅子に座ることになった。当時の私が座るには、少々高い椅子に苦戦していた。腕の力だけで何とか乗ろうとするが、足をバタバタさせるだけで一向に座ることが出来なかった。最終的に、悲しそうな目をしているお父さんに体を持ち上げてもらって、何とか座ることが出来た。

 私が座るのを待っていたかのように、医者は幼かった私にこういった。幼かった私には、理解できない事を言った。

 「君の弟は3年後に死ぬ」

 当時の私は7歳。まだ「死」という単語に向き合うべきではない年齢だった。幼いのだから、「死」というものに向き合わず無邪気に生きるのが使命のような子供だった。

 当然、当時の私は「死」という単語を知らない。きょとんとした顔で首を傾げていた。だけど後ろでお父さんとお母さんは泣いていた。小声で「ごめんなさい」と何回も言いながら。小さく泣いていたお父さんとお母さんを見て、増々私は訳が分からなかった。「死」の悲しさも「命」の尊さも、幼かった私にはまだ教えられていない事だった。

 「え? なになに?」

 回る椅子で私は何回も、医者と両親を繰り返し見ていた。何回も続けていたから、その後首が痛くなってしまった。結構な勢いで首を動かすため、首を動かすと同時に、回る椅子も少しだけ動いていた。

 「パパ、ママ。どうしてないてるの?」

 首をふるのに疲れてしまった私は、お父さんとお母さんに直接聞くことにした。お父さんは言いにくそうな顔して、お母さんはまだ泣いていた。実際、とても悲しかっただろう。幼い私に言いにくかったのだろう。お父さんは必死に考えるように、目を強くつむり腕を組んだ。何かを決意したかのように、ゆっくりと目を開けた。その後、お父さんは「死」の事について話してくれた。

 「死というのは終わりだ」

 「おわり?」

 「今、さちは生きているだろう? 動いたり、泣いたり、笑ったり出来ているだろう?」

 「うん! さち、いきてる!」

 「……死ぬとね、それが出来なくなる。会話することも、遊ぶことも出来ない。一生のお別れだ。それはさちにもある。だけど、さちは長い時間生きていられる。80年くらい生きていられる。……弟は三年しか生きることが出来ない」

 「え……」

 私は固まった。氷漬けになったかのように、身体の一つも動かなかったし、何一つ表情も変わらなかった。回る椅子も、同時刻に停止した。動かしていた私が止まったのだから当然のことだった。私も、お父さんとお母さんと同じ様になった。

 幼かった私にとって、動物の最期を知るのはとても苦しかった。いつか私も死ぬという事を知るのも辛かったけど、それ以上に初めて出来た弟が三年で死んでしまうことが辛かった。妊娠が発覚した後、当時の私は一緒に遊べる相手ができるって、はしゃいでいたというのに。一緒に遊べても、三年が限界という事実を知った時は、絶望した。

 「医療で何とかならないのですか……!?」

 お母さんが泣きながら縋るように医者に言った。お母さんだって、弟と一緒に過ごしたかっただろう。彼を産んだ張本人だから。でも、医者は申し訳無さそうに頭を下げた。

 「すいません……今の医療ではどうにも……」

 「うぅ……!」

 お母さんはその言葉を聞いて、さらに泣いた。溢れ出る涙を両手で何とか止めようとしていたが、指と指の隙間から涙が漏れ出ていた。漏れ出た涙は手を伝って、腕を濡らしていく。雫となって、お母さんの黒いスカートをさらに鮮明な黒にした。

 「……とりあえず、出産した赤ちゃんのところに行きましょう」

 医者は私達を出産した赤ちゃんのところに案内するために、疲れ果てたかのように弱々しく立った。お父さんは片方の腕で泣き崩れるお母さんを抱きかかえて、もう片方の腕で私と手を繋いでくれた。私達はよろよろした足取りで赤ちゃんがいる部屋へ向かった。

 当時、歩いているときに、周りから視線を感じていた。よろよろした家族を心配しているのか、周りは悲しそうな顔でこちらを見ていた。明らかに悪いニュースを聞かされたという雰囲気が出ていたせいだろう。私は周りの同情なんて一切いらなかった。

 部屋に到着した後、私は保育器に入っている小さな人間を見つけた。その子が弟になる赤ちゃんだった。弟のことを、小さくて、弱そうで、守ってあげなくてはと思わず思ってしまうような存在だと思ったことを鮮明に覚えている。当時の私でもそう思うくらいに、弟の存在は私にとって可愛い存在だった。

 保育機の中ですぅすぅと気持ちよく寝息をしている弟の姿は、今でも三年後に死ぬなんて思えなかった。両親は弟を前にすると泣いた。さっきまで泣いていなかったお父さんも、お母さんからもらい泣きしたかのように、泣き始めた。そんな両親を横目に、私は初めて見る赤ちゃんの元へ歩み寄っていた。こんな可愛い存在がすぐに死んでしまう事を想像すると、涙が溢れそうだったが、子供特有の好奇心が悲しさに打ち勝った。そのおかげで、私は辛くても弟の元へ歩み寄ることが出来たのだろう。

 好奇心から、私は弟が入っている保育機の穴から人差し指を突っ込んだ。試しに、弟の手に触れてみようと思って、幼い私よりも断然小さい手に触れた。すると、弟は私の人差し指を握りしめてくれた。握りしめた後、私は泣きそうになった。だけど、泣くのを何故か我慢していた。この時は、別に泣くのを我慢する必要はなかったと思う。

 握りしめた小さな手には確かな暖かさがあった。「生きている」という証明になるような暖かさだった。しかし、いつかはその暖かさも失うという事を自覚すると、もらい泣きではない、自分の心で泣きそうになった。

 「……どうしますか」

 医者がお父さんとお母さんに言った。この子をどうするのかと。お母さんは泣いて、こう言った。

 「育てます……! 三年しか生きられなくても……育てます!」

 その時のお母さんは、幸せにしてみせるという強い決意が満ち溢れた顔をしていた。泣いていて、顔が赤くなっていて、何も知らない人達から見たらみっともない顔だと言われるかもしれないが、それでもお母さんは強い決意を言葉にした。それは私の憧れだった。

 「分かりました……。それでは名前をお願いします」

 名前を決める時、両親は思い悩んでいた。何が一番良い名前なのか、きっと悩んでいたのだろう。短命であることを名前にしてしまうと不吉以外の何物でもなかった。悩んだ末に両親が出した結論はまさかなものだった。

 「……さち、いい名前あるか?」

 お父さんが私に振ってきた。幼かった私には、言葉のレパートリーなんてないのに、当時何故か私に振ってきた。だけど、私は必死に考え、出てきた名前というのがどこにでもあるような名前だった。

 「……あずき」

 「……いい名前だね。さち」

 名前を考え終わると、お父さんは私の頭を優しく撫でた。大きな力で当時の私を撫でてしまうと、大きく揺れてしまうからきっと加減をしてくれていたのだろう。

 なんで、あずきという名前にしたのか、今でもよくわからない。たまたま思いついたのが、あずきという言葉だった。別に当時の私も、今の私もあずきが特別好きなわけではない。あんこも特別好きというわけではない。それなのに、何故「あずき」が出てきたのか。その事はもう考えるのをやめた。

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