単身赴任
連喜
第1話 単身赴任の男
夫婦っていうのは不思議なもんだ。佇まいがすごく似ていると思う。2人が夫婦だってことは、ぱっと見ただけでわかる。街を歩いていて、ずいぶん色の白い男だなと思って見ていると、後からやって来た奥さんも真っ白なんてことがある。旦那がイケメンだと、奥さんも美人。夫婦揃ってヤンキー、またはオタク。当たり前すぎるけど、夫婦というのは価値観の似た人間同士の寄せ集めなんだろう。それに、心理学的にも外見的な魅力度が釣り合っているそうだ。
例外があるとしたら、男に経済力がある場合や、コミュ力が長けている場合だろうか。
夫婦は一緒にいる間に似てくるのか、最初から自分に似た相手を好きになるのかはわからない。独身者からすると、夫婦になる人たちは、運命の糸で繋がってるんじゃという気がしてならない。離婚する人も増えてるけど、傍から見ると、実にお似合いだったりする。だから、離婚して再婚した相手が、元の配偶者と似たタイプだったりなんてことは珍しくない。
一方、よその夫婦と自分のところとは、全然違うからこそ、人の旦那や奥さんがよく見えるということはあるだろう。でも、所詮はよその人。一時的に拝借しても、やがては古巣に帰って行くもんじゃないかと思っている。
***
東北のある街に、東京から転勤でやって来た夫婦がいた。奥さんは東京出身。旦那は地方出身で、地元の公立高校から東京の大学に進学した、叩き上げタイプの人。子どもたちも東京生まれ。幼稚園までは地方で子どもを育てていたが、奥さんの希望で小学校からは有名私立小学校に入れて塾通いさせると言ってきかなかった。旦那は自分が地方から上り詰めた人だから、そんなの必要ないと言ったが、奥さんは聞かなかった。宣言通り、奥さんと子どもは東京に帰ってしまった。将来は官僚か医師にしたかったようだ。まるで旦那は種馬兼奴隷。実はこういう家族は珍しくない。
当然、旦那は納得がいかないし、寂しい。寂しいっていうのは心理的に寂しいのか、肉体的になのかは人による。人によっては、何十年も単身赴任なのに、浮気もせずに仕事に励んでいる。まるで聖人のようだ。片や浮気をして離婚というのも聞く。
家族で借りていた2LDKのマンションの隣には、別の夫婦が住んでいた。奥さん(A子さん)は東京から来たそのの旦那(Bさん)のことを素敵だと思っていた。都会的で洗練されているように見えた。AさんとBさんの奥さんとは同じ幼稚園のママ友だったから、二人は面識があり、Aさんはいつも機会を伺っていた。Aさんの旦那は田舎の出身で、給料もそれほどでもない。Bさんも地方出身だが、大学から東京だから訛りのない共通語を話す。給料は旦那の2倍近くあった。
AさんはBさんからみると、ちょっと野暮ったかった。ファッションもそれなりで、東京では着てる人がいないような服を着ていることもあった。化粧も眉が細すぎて微妙だった。しかし、顔自体はきれいな人で、スタイルもいい。心の片隅では惹かれていた。
A子さんは、こっそりおかずを作って持って行ったり、男やもめの部屋にせっせと通うようになった。人というのは、物理的に近くにいる人に好意を持ってしまうものだ。Bさんは次第にAさんを恋い慕うようになった。しかも、2人は隣同士。こっそり会話を交わすのは簡単だった。
例えばAさんが玄関にいる間に、お互いの気持ちを伝えるのは簡単だ。
「今度、お礼に僕が料理しますよ。うちに食べに来ませんか?僕、料理好きなんで」と、Bさんは遠回しに誘った。別に食事だけして、帰るとしたらおかしくはない。
「あら、いいんですか?」
「もちろん。いつも一人で作って、一人で寂しく食べてますから。たまには誰かに食べてもらった方が」
旦那も誘うかはAさん次第だ。
「いつがいいですか?」Aさんは、Bさんの目を意味ありげにじっと見つめながら尋ねた。
「平日、お休みを取ってゆっくり・・・できたらいいなって」
「いいですね」
「旦那さんと子ども抜きで」
「ええ」
その後、2人は初めてキスをして、密会の約束をした。Aさんはパートの仕事をしていたが、理由をつけて休み、Bさんも有休を取得した。Aさんの小学生の子どもが帰ってくるまで、2人は自由に過ごすことができることになった。AさんがBさんのマンションに行くと、Bさんは「夢みたいだ」と言って感激していた。Aさんもそんなに喜んでもらえるなんて、まるで若い頃に戻ったようだと嬉しくなった。
「昼まで時間があるから、ちょっとゆっくりしませんか?」
Bさんはせっかちに言う。
「そうね」
2人はためらうことなく寝室に向かって、ベッドに座った。最初なので遠慮しながら、見つめ合っていた。今まで、キスもしたことがないのに、2人はこれから深い仲になることに何のためらいもなかった。
すると、Aさんは誰かに見られている気がして目を上げた。
何だろう・・・。部屋の隅に誰かいる。
Aさんがその方を見ると、Bさんの奥さんが、座っていてこちらを見ていた。まるで美術館の部屋の片隅に、人が座っているような感じだった。
Aさんはびっくりして声を上げた。
「あれ、小枝子さんじゃない!」
Aさんはそれが、本人でないことはわかっていた。
今東京にいるからだ。
ちょっと前に連絡を取った時は、こっちに来るなんて言っていなかった。
「え?」BさんはAさんを触っていた手を止めた。
「どうしてここにいるの?」
「まさか、いるわけないって。今東京だし」
「いるよ。あそこの角に・・・」
Bさんの奥さんが、背もたれのない椅子に座って、身じろぎしないしないでこちらを見ていた。実態のある生生しい姿だった。
ストレートのワンレングスで、色白の美人だった。
いかにもエリートサラリーマンの賢い妻という雰囲気だった。
しかし、旦那が振り返っても、そこには誰もいなかった。
「奥さん、いつも見てるのね・・・豊さんのこと」
「くそ、まったくあの女!自分のことばっかり。心配なら、一緒に残ってくれればいいのに、子供の受験だとか言って帰りやがって!そのくせに、俺が浮気してないかいつも責めるんだ」
Bさんはそれが見えていないのに、いると言われるとそんな気がするのだった。奥さんが幽霊みたいに消えてしまうならよかったのだが、その女はずっとその場に座っていた。そして、表情一つ変えずに佇んでいる。
「私、帰るわ・・・気持ち悪い」
Aさんは、服を着て帰ってしまった。Bさんには見えなかったが、ただ、その角に何かいるような気がして、Aさんを諦めることにした。
Bさんは、その日から寝室を使わなくなってしまった。寝室以外には妻は現れないだろうと思っていた。
奥さんは毎日、夜8時くらいに、スカイプで連絡して来る。子どもたちと話をさせるためだった。Bさんは疲れているし、夕飯を食べるか食べないくらいの時間に、そうやって連絡して来られるのがストレスだった。気晴らしに飲みに行くこともできない。もちろん、浮気は無理だ。
奥さんは一人で子育てして、苦労していると思っている。
Bさんは、理由をつけて東京に戻らなくなっていた。
奥さんが月に1回、Bさんのマンションにやってくるのだが、それも苦痛でたまらなかった。子どもは疲れるからと実家に預けて連れて来なかった。子どもには多少会いたい気持ちはあるが、奥さんはどうでもよかった。
奥さんがAさんの部屋に来ると、すぐにリビングの掃除を始めた。
旦那も座っていると怒られるから、ソファーの上にある物などを片付けた。
「あなた、どうして寝室で寝てないの?」
奥さんが責めるように言った。
「え?」Bさんはぞっとした。
まるで、俺の生活を見ているみたいだ。
「いつも、どこで寝てるの?」
「ソファーだけど、何で知ってんの?」
「・・・女の人連れ込んでたでしょ」
「そんなことないよ」
Bさんはしらばっくれた。
「やっぱり、浮気してんでしょ!」奥さんは怒鳴った。
「いやぁ・・・お前みたいな怖い女が、始終見てたら浮気なんかできないよ」
「何よ!浮気してたくせに」
「してないって!」
「もう帰る!」
「わかったよ。もう、来なくていいから。交通費もったいないし!」
Bさんはかっとなって言った。
しかし、それは本心だった。妻子に会いたいという気持ちはなくなっていた。子どもも父親が不在なのが当たり前で、”お父様に会いたい”なんて全然言ってくれないからだ。
奥さんは来たばっかりなのに、ボストンバッグを持って本当に帰ってしまった。
Bさんはほっとしたような気分だった。
もう、離婚してもいいや・・・。俺は養育費を払わされて、ワーキングプアでもあいつの監視から逃れられるなら、その方がましだ。
Bさんはまだ3時だったけど寝室に行った。せっかくの休日だから、シモンズの高品質なベッドでゆっくり寝たい。その部屋で寝るのは久しぶりだった。
「俺は浮気なんかしてない!」Bさんはイライラして言った。
電気を消して寝ようと思い、リモコンを手に取ると、部屋の片隅に人がいるのに気が付いた。さっき出て行ったばかりの奥さんが、座っていた。すっと姿勢よく、責めるような目でBさんを見つめていた。
「お前、帰ったんじゃ」
奥さんは何も答えない。ただ、マネキンのようにじっとしていた。
それから、毎日奥さんは家にいるようになった。家に帰るとダイニングにいる。リビングのソファーに座っている。黙ってBさんを見つめているだけ。
Bさんが引っ越しても変わらなかった。
Bさんはそのうち心を病んでしまったそうだ。今は休職中だか、離婚はしていない。
単身赴任 連喜 @toushikibu
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