慟哭

宮内多聞

永遠

帰り道だった、煙草を切らしたので駅の反対側にある小さな煙草屋に寄ろうと思い、

少し遠回りをした。途中で雨が降ってきたのでこれは堪らんと思い本屋で傘を借りた。

『ご自由にお持ちください。』と張り紙がされた青いポリバケツの中には小さな折り畳みの傘が一本だけ入っていた。


女性物と思われる薄水色の傘は金色の柄と白いレースが雅やかで存外男が持つには似つかわしくない代物であったが、濡れるよりかは幾分ましであったので構わなかった。



踏切を渡り路地に入る。昭和の忘れ物とでも言うべき集合住宅が軒を連ねている、

その隙間を縫うように歩く。

玄関先から道を侵食しつつある鉢植えが雨に濡れてぎらぎら鈍く光って見えた。

ふと気付く。パンジー。歩調を速めてゆき過ぎたが、背中越しに『無視するなよ。』と聞こえた。


人一人がかろうじてすれ違える程の細い路地をどんつきまで進むと空地がある。

空地は銀杏広場と呼ばれているらしく、その名の通り大きな銀杏の木が、群生するセピア色の平屋を見下ろしている。


空地は四方を住宅に囲まれているので綺麗な長方形をしていて、煙草屋は丁度向こう正面に位置している。


途切れることなくトタンの屋根がせり出しているから、長屋の脇をぐるりと回れば雨に濡れずに空地の向こう側まで行けるのである。

私は傘を畳み軒下へ入った。


空き缶で作られた水車が雨どいから流れ落ちる水を受けてぐるぐると勢いよく回っていた。

トタン屋根を雨粒が打つ。

タントントン。タンタントン。

その時、踏切がカンカンと鳴き出し、遠くから列車が地響きを上げて近づいてくる。

ゴオオオという音で一瞬全ての音が消え、遠ざかるとともにまた世界に音が帰ってくる。

タントントン。タンタントン。


ひらひらと落ちてゆく銀杏の葉を目で追っていると何故か人の命の揺らめきか、または人生の道程の様に思えた。

枝から離れて地面に到達するまでを一生と捉えるなら、私は今どこへ揺られているのだろう。

風に遊ばれ、雨に濡れ、何処を舞っているのだろう。



煙草屋の軒先には錆び切ったステンレス製の灰皿がある。

店の窓を叩くと見慣れない若い女性が奥の居間から顔を出した。

マイルドセブンを一つと言うと、少し困ったような顔で

『すみません。私良く分からなくて、教えて頂けますか?』と言うので、指をさして、そうそれそれ。と代金を払い煙草を受け取った。


店主は体調でも悪いのかと聞くと

病気の経過が芳しくなく、つい最近また入院したらしい。

孫娘と思しきその女性は家の整理をしながら、暫く煙草屋を続けるそうだ。

貴方に任せられるならおばあさんも安心じゃあないか。と声をかけると。

有難うございますと言って、

ヒビの入った綺麗なビー玉をくれた。


私が、煎珠だね。と言うと、ご存じですか?と少々驚いた様子だった。

ヒビが入ったそのビー玉は煎珠(いりたま)と言ってお守りや願掛けに使うものだ。ガラスの玉を火にかけて炒り、ヒビが入っても完全に割れなかった物が煎珠と呼ばれる。割れないように日々持ち歩くことで怪我や病気から守ってくれると昔聞いた覚えがある。何で私にと聞くと、沢山作り過ぎてしまって来てくれたお客さんにも持っていて欲しいんです。と言った。

有難うと言って、私は半日ぶりの煙草に火をつけた。


水気の多い空気とともに肺の奥まで一気に吸いこむ。吐き出した煙は秋の雨に溶けながら,くゆりくゆりと上っていく。

喉の奥が熱くなり自分の体の重さを感じた。



煙草を吸い終わると丁度雨が上がった。

外へ出て来た彼女が雨、止んで良かったですね。と言うので私も軒下から出て空を見上げた。水彩画の様に緩やかにたなびく雲が空一面に広がっていた。


おもむろに上着のポケットに手を入れると折り畳み傘のせいで少し濡れている。

あっ、冷たい。と言うと彼女もあっと言った。

私のポケットからはみ出している傘の柄を指さして、それ私の傘です。何処で?と言った。


本屋で借りて来たんだと説明すると、その傘の柄の部分を見るように言われた。

小さい文字で『とわ』と書いてある。


とわ?と聞くと、

とわ。私の名前です。漢字で書くととても恥ずかしいから、と言って小さく笑った。


ご自由にどうぞと書いてあったのだから持ち主に返しても良いだろうと傘を彼女に渡して、それではまた。と言った。


ええ。またきっと。と彼女も返した。


空地を横切り、路地に入る手前で少し振り返ると、彼女は嬉しそうに傘を開きながらこちらを見ていた。


水溜まりの路地裏を歩く。


『いつになくニヤニヤと。何か良いことでも。』とパンジーが言う。


『見つけたよ。』


『何を?』


永遠えいえん。』


パンジーは皆目見当がつかないといった表情で訝しげに私を見ていた。が暫くして合点がいった様子で、あの娘がそうか。まさか人の姿とは。これからは見識を拡げなくては。と言った。


私は彼女から貰ったひび割れたビー玉をパンジーの植木鉢にそっと置いた。

「永遠からの贈り物だよ。」

「これは・・・。」

「ん?」

パンジーはぽつりと呟いた。

「コレは、孤独だな。」


私ははっとして空き地に目をやった。

しかし、彼女の姿はもうそこにはなく、

ただ銀杏の葉がヒラヒラと舞い落ちるのが見えるだけだった。


足元の水溜まりには真っ青な空が映っている。

私はいつものように水溜まりに聞いた。

『次は何を探せばいい。』



煙草に火を着けかけた私を水溜まりがとぷんと飲み込みながら言った。


「憧れ。」

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