第15話 本当の気持ちでござる

 俺はただただ涙した。傷口がいくら傷もうと、俺は泣き続けた。今更何をしても遅い。彼女はもう戻ってこないだろう。俺の頭の中で、数分前の彼女の言葉が永遠と繰り返された。そしてあの顔。いつもあの笑顔に癒されていたはずなのに、今となってはそれは辛い思い出として目の前に佇んでいる。

 俺はこの記憶もろとも消えてなくなりたかった。そして、体が思い通りに動かないことに余計に腹が立った。

 俺は一晩中、泣き続けた。見回りの医者が来ようと関係なく、俺は泣いた。

「はっはは。馬鹿みたいやな」

 ヤブ医者はそんな俺を見てあざ笑った。だが俺はこいつに何を言われようが本気でどうでもいい。つまらない挑発に乗る気はない。行き場のない怒りが込み上げてくる。一体何に腹が立っているかもわからない。気持ち悪かった。

 俺は布団の端っこを強く握りしめた。どうしようもない。何もできることがない。俺は八方塞がりのようだった。冷静になればなろうとするほど、訳が分からなくなって苦しむ。とめどなくそれを繰り返した。眠りにつくまで、ずっと。


 治療3日目を迎えた。この日は誰もお見舞いに来てくれなかった。ほのかに来てくれるんじゃないかと考えていた俺は、またもや寂しさのどん底に突き落とされた。

「あの子、もう見舞いにも来てくれへんねや」

 ヤブ医者は俺の背中を触りながら言う。

「このままだと、彼女は身売りの運命やなー。残念でござるなぁー」

 白々しくそのヤブ医者は言った。もう腹も立たない。徐々にこいつの嫌味に慣れてきた気がする。

「すいません。彼女じゃなくて、俺じゃ駄目なんですか?」

 ヤブ医者は笑った。

「怪我人だからねぇ。まあでも男なら高値で売れるかもな」

 ヤブ医者のその言葉を耳にすると、心臓が飛び出そうだった。彼女はこの感情をずっと抱えて過ごしているのか。

 俺はいろんなことを考えながらその日を過ごした。

 

 治療4日目。俺の背中の痛みの方はかなり良くなって、久しぶりに立ち上がることができた。だが残念なことに歩くことは叶わなかった。力を入れると傷口が開いてしまうのだ。

 俺はまた布団の上から、ぼーっと暗い天井を見つめた。彼らの助けがなくては、俺は生きていけない。俺は弱い人間だ。こんなことになってしまったのは、紛れもなく俺のせいだ。しかし図々しくも、俺はもう一人では何もできない。自分で金を稼ぐこともできない。奴隷になることもできない。彼らの足手まといにも程がある。

 だが、俺は知っていた。俺を助けようと彼らが頑張るほど、彼らに重圧がかかってしまう。いっそ彼らの前から姿を消そうか。そうすれば彼らは俺という重荷を背負わなくて済む。俺が生んだ問題だ。俺が責任を取らずして、誰が責任を取るんだ。

 俺が彼女の代わりになる。当然の筋だろう。

 俺は覚悟を決めた。彼らとはもう会わない。あとは自分で始末をつける。それが俺なりのやり方だ。

 

 そんなことを考えていたその瞬間、ガラッと部屋の扉が開いた。俺は目を凝らしてその人物を見た。秀吉さんだった。

「ヤス殿、調子は大丈夫でございますか」

「秀吉さん、来ないでください」

 秀吉さんの着物はかなり汚れていた。過酷な労働を強いられていたのだろう。彼は俺の言うことに、驚いた顔をした。

「ヤス殿、どうかなさったんですか?」

「皆さんがこんな目に遭うのは、全部俺のせいです」

「それは違いまする。皆、ヤス殿のせいだなんて思ってはおりませぬ」

「だから、もうお見舞いは結構です。これは俺が生んだ問題です。俺がなんとかします」

 俺は意固地になって彼に反抗した。

「何をもってそのようなことを言い出すのですか?ヤス殿らしくありませぬ」

「自分の責任は自分で取る。そういうことです。綾さんやあなたを巻き込みたくないんです」

 秀吉さんは俺に呆れた顔をした。

「そんな態度をとって、悲劇の英雄を演じようとでもお思いですか?」

「え?」

 俺にはそんなつもり、さらさらなかった。

「綾殿に変わって、自分が身代わりになろうとでも思っているんでしょう」

 確かに、それはそうだ。

「秀吉さん、よく考えてください。俺のせいなんです。ならば俺が罰を受けて当然なんです」

「なりませぬ!」

 秀吉さんの声は、小さな建物の中に響き渡った。彼の気迫は尋常ではなかった。俺は言葉を失った。

「ヤス殿を見殺しにするなど、某には出来ませぬ」

「……」

「某はヤス殿も綾殿も、二人ともお守りいたします。そう助丸殿とお約束したのです。自ら命を捨てるなど、言語道断でござる」

「秀吉さん……」

 俺は彼の言葉に心を動かされた。この状況で、彼は一番頼りになる男だった。

 でも、綾さんはもう見舞いにもきてくれない。俺のことはもう見捨てて、どこかに隠れているのだろうか。そんな風にまで考えてしまう。

「でも、綾さんはもう見舞いにもきてくれないし……」

「ヤス殿は女心をちっとも理解できておらぬな」

「え?」

 秀吉さんは俺の布団の横に座った。

「その言葉は、ヤス殿を思ってのことでござるよ」

「そ、そんな....」

 俺はそんなことを信じられなかった。

「綾殿は湿っぽい別れ方が嫌だったのでしょう。もし万が一、別れが来たとしても、ヤス殿が泣いて悲しまないように、顔を合わせないようにしていたのです。そうすれば、ヤス殿は潔く綾殿とお別れが出来ると、そうお思いになったのでしょう」

 馬鹿みたいな話だと、俺はそう思った。彼女がそこまで考えていたなんて、俺は信じられなかった。

「そ、そんなわけ....」

「そんなわけあるんです、ヤス殿。現に彼女はパン屋の創業資金をもヤス殿の治療費に当てようとしていらっしゃるのです」

 俺は今更ながら、涙が頬を濡らしているのに気がついた。どうして、みんなはそこまでして俺のことを....。

「綾さん……」

 俺は彼女の名をぼんやりと呟いた。そして彼女のことを思った。

 俺は勘違いしていた自分を戒めた。俺はもうすぐで大きな間違いを犯すところだった。俺は心を入れ替えた。

「いいですか、ヤス殿。次はヤス殿が綾殿を助ける番でございます」

 秀吉さんはもう一度俺の前に座り直した。

「はい。助けます、必ず」

 俺は心に誓った。図々しくも、俺は彼女を救いたい。また会いたい。

「申し訳ありませんが、某がこうやって毎日働いても、お金は足りませぬ。何か手はあるでしょうか?」

 簡単に助けると言ったのだが、現状は思っていたより厳しい。俺はまだ歩けない。俺が加勢しても何も変わらないだろう。力になれないのが辛い。と、ここまで考えた俺は大事なことを思い出した。

「助丸さん達は?彼らはお金を稼いでいましたよね?あのお金があればなんとかなるかもしれません」

 秀吉さんは肩を落とした。

「某も同じことを考えたのじゃ。それで彼らに文を送ったのでござるが、こちらに向かっても間に合う可能性はほぼないかと……」

 確かにそうかもしれない。手紙が届くのに何日もかかるのに、さらにそこからこっちまで向かうとなると、かなり時間がかかる。

「こういう場合、未来ではどうするのでございますか?」

「未来には身売りなどありませんから、よくわかりません」

 秀吉さんは頭を抱えた。

「ならば、治療費が払えない時、どうなさりますか?」

 俺は現代のことを思い出した。正直、それほど病院にお世話になるような体ではなかったので、記憶を取り戻すのに時間がかかった。

「健康保険があったんで、診察や簡単な治療ならお金の心配はなかったですね」

 秀吉さんは首を捻らせた。

「ケンコウホケン?それは一体何でしょうか?」

「俺もよくは知らないんです。ただ簡単に言うと、国にあらかじめ国民がお金を定期的に納める代わりに、もし医者にかかる時は国がお金を出してくれる、みたいな制度のことです」

 正しく説明できたかは、正直なところ自信はない。だが秀吉さんは俺の話を聞くと、すっかり考え込んでしまった。健康保険が何か、彼のヒントになったのか。

「それかもしれませぬ」

 すごい作戦が閃いたのか、秀吉さんは立ち上がった。

「会合衆の者に話を持ちかけてみてはいかがかな?」

「え、えごうしゅう?」

「ああ、会合衆じゃ。堺を自治してる商人達でござる」

「商人?商人が堺を治めているんですか?戦国武将ではなくて?」

「左様じゃ。会合衆に頼みいれば、その保険というやつを政策に取り入れてくれるやもしれぬ」

「可能なんですか?それでお金は数日のうちに間に合うのですか?」

 秀吉さんは天井を見上げた。

「これ以外に方法はありませぬ」

 正直、これが最善策だとは全く思えない。彼がやろうとしていることはつまり、堺の政治に介入するということだ。そこまで大きな機関を動かすことは可能なのか。疑問は残る。

 だがしかし、これ以外に手はないということも事実としてある。ここは秀吉さんの言う通り、保険にかけてみるしかないのかもしれない。迷いどころだ。ここで選択を間違えれば、綾さんが危険な目に遭ってしまう。

「某にお任せくだされ」

 秀吉さんは胸を張った。

「わかりました」

 俺は彼に託してみることにした。俺はここから動けない。あとは秀吉さんにかかっている。俺と綾さんの運命は、彼が握っていると言っても過言ではない。

「ここでお待ちくだされ。某は出来るだけ急ぎまする」

 秀吉さんは急いで荷物を肩に担いだ。

「秀吉さん、もう行ってしまうんですか?」

 秀吉さんは黙ってうなずいた。そして彼は足早に行ってしまった。あと数日で、彼は堺の医療体制を変えることができるのか。俺は固唾を飲んで見守るほかなかった。

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