第9話 清洲城でござる
翌日はいつもより早く起きて、いつもより早く店を出て買い出しに行った。だいぶ急いだので、帰ってくると11時前だった。約束の正午まではまだ余裕があった。
「緊張しますな。信長様にパンをご試食いただけるなんて....」
助丸さんは言った。彼も一緒に行くことになってから、ずっと同じことを言っている。緊張で夜も眠れなかったらしい。職人気質の彼にこういう一面があるとは、今まで気づかなかった。
「とっておきのパンを用意いたしましょう」
一段と気合が入っているのは権兵衛さんも同じだ。そんな彼はいつもより一段と力を込めて生地を練っている。
俺も少しは緊張した。織田信長はいつも戦争ばっかりやっていて、お世辞にもいい人だとは言えないが、それでも歴史に名を刻んだ人だ。そんな人に会って話ができるなんて、控えめに言って嬉しすぎる。握手とかできないかなぁ、とほのかに期待を抱いたりもしていた。
そんなことを考えていると、約束の正午はすぐにやってきた。時間通りにチョンマゲの役人がパン屋を訪れてきた。
「失礼する。綾殿でござるな」
役人はズカズカと店に入ると、強めの口調で綾さんに聞いた。
「はい」
「では、参るぞ」
俺と助丸さんはパンの入った袋を持った。「べーかりー綾」の命だ。みんなの熱い思いを持って、俺らは清洲城に足を向けた。
20分ほど黙って役人についていった。だんだん清洲城は大きくなっていき、やがて川の対岸にそれが現れた。
「すごいね.....」
綾さんはキョロキョロしながら、綺麗に装飾された橋を渡る。確かに彼女の言う通り、赤を基調とした橋は、思わず目を奪われるほど美しかった。
「うん」
その長い橋を渡りきると、とうとう目の前に清洲城が現れた。俺らはそこで立ち止まって城をまじまじと眺めた。積み上げられた石垣の高さは、俺の身長の何倍、いや何十倍もあるかもしれない。その上に立派な天守閣が乗っかっている。本物の城をこんなに近い距離で見れることはない。俺は美しい造形美を目に焼き付けようとした。
「こちらです!」
役人は急かすように門を入ったところから手招きして叫んでいる。もう少し見ていたいのだが、渋々俺はその門をくぐった。そこはもう城の敷地内とあって、いろんなものが置いてあった。そこを通り抜け、俺らはようやく城の建物の中に入った。
異様に長い廊下をしばらく歩いて、階段を上がる。そうすると、どこからか話し声が聞こえてくる。
「うわー、やっぱり緊張する」
俺は体がザワザワした。修学旅行の前日の夜のような感じだ。期待と不安が入り混じる。
「こちらです」
役人はまた歩き出した。俺らは大人しくついていく。
「パン、美味しいって言ってもらえるかな?」
綾さんは若干不安なようだった。
「何を申しておられるのですか。私達の最高傑作でございますぞ」
助丸さんは彼女を励ました。俺も助丸さんに同感だ。あのパンは令和のパン屋においても遜色のないほど、いや、それ以上に美味しいかもしれない。
歩いているうちに、だんだんと話し声は大きく聞こえるようになった。そして今、その声が横の部屋から聞こえる。
「ささ、お入りくだされ」
役人はそう言った。
「では、開けまするぞ」
助丸さんは落ち着いた声で言った。
「はい」「はい」
俺と綾さんがそう言うと、助丸さんは障子を勢いよく開け、部屋の中に入っていった。俺も後を続いた。綾さんは俺についてきた。俺らが入ってくると、部屋の中はシーンと静まりかえった。助丸さんは用意されたあった座布団をどかして床に正座し、
「坂上助丸でございます」
と言って頭を床につけた。
「安田健太でございます」
「佐藤綾でございます」
俺と綾さんは助丸さんの見よう見まねで、同じようにした。すると、一瞬静寂が広がった後、
「ああ。話は聞いておる。頭を上げよ」
と正面から声が聞こえた。俺らは恐る恐る顔を上げた。俺らがいたのは、とてつもなく縦に長い部屋だった。俺の10メートルほど前に、偉そうな人物が背もたれのある立派な座椅子に座っている。そして部屋のサイドには、15人ほど家臣のような人が座っている。正面に座っている一番偉そうなのが信長で、信長に近い方が偉くて重宝されている家臣なのだろう。そして俺は、すごいニコニコしている人を見つけた。藤吉郎さんだった。かなり信長に近いところに座っている。
俺はタケを探した。だが流石に彼はいなかった。そこまで昇進しているとも考えづらかった。
「お前達、パンとやらを売っている商売人だと聞いた」
信長が聞いた。
「左様でございます」
助丸さんが答えた。
「今日は、私達のパンをお持ちしました。是非食べてください」
「そうか。おい、サル!こっちに持ってこい」
サルって誰や、と思うとそれは藤吉郎さんのことだった。藤吉郎さんは立ち上がると、俺らが持ってきたパンの袋を助丸さんから受け取って、信長の前に差し出した。そして元の席に座った。
信長は袋をあさった。そして1つの紙袋を取り出した。それを破って中身を取り出すと、塩パンが入っていた。
「塩パンだ」
綾さんは俺に耳打ちした。うんうん、と俺は黙ってうなずいた。藤吉郎さんも興味深々に信長を見ている。
信長は、ゆっくりと塩パンを口に運んだ。そしてモグモグと噛み締め、飲み込んだ。その後、マジマジとパンを見つめた。
再度、部屋の中に静寂が生まれた。気まずい空気が流れる。果たして信長は俺らのパンをどう思ったのか。信長の表情を見てもわからなかった。
「どうなの?」
綾さんはまた俺に小声で聞いた。俺は首を傾げて見せた。彼女は微妙な顔をした。
「このパン....」
信長は少し時間を置いて、喋り出した。俺と綾さんは小声で喋っていたのをやめて、正面を向いた。
「このパンは美味だ。よくこのようなものを作った」
信長は無表情のまま、俺らにそう言った。静かに俺らの作ったパンを褒めてくれた。
「ありがとうございます!」
俺はもう一度頭を下げた。
「ありがとうございます!」「ありがたき幸せ!」
綾さんや助丸さんも、同じように礼を言って頭を下げた。俺は心の底から嬉しかった。自分がこのパンの製作に直接携わった訳ではないのだが、信長に褒められて喜ばずにはいられなかった。
俺は頭を上げた。信長は美味しそうに塩パンを頬張っていた。
「おい、お前らも食べて良いぞ」
と、信長は周りの家臣に言った。家臣達は立ち上がって、それぞれパンを取りに行った。席についてパンを口に運んだ。皆美味しそうに食べてくれた。
「では……」
パンを1つ食べ終わった後、信長は口を開いた。
「このパンを1ヶ月で1万個用意しろ」
信長ははっきりそう言った。
「え?」
俺は思わず声を出してしまった。綾さんも助丸さんも、困惑した表情をした。
「買ってくださるのはありがたいのですが、1ヶ月で1万個は作れないかと....」
信長は首を傾げた。
「何も買うとは言っていない」
信長は無表情のまま言った。
「どういうことですか?」
綾さんは聞いた。顔に若干、怒りが見える。
「パンを納めろ。それだけの話ではないか」
「納めるってことは.....タダ?」
俺は綾さんの方を向いた。彼女は大きくうなずいた。
「話が違います!信長様、お金を払って購入すると言っていたでございませんか」
藤吉郎さんは立ち上がって、信長に異議を訴えた。
「黙れ。気が変わったのだ。これからパンは戦場での兵士の食料とするのだ。兵糧だけだと、兵も飽きるであろう」
「それはいけませぬ、信長様!」
「座れ!」
信長は大声で藤吉郎さんに怒鳴った。藤吉郎さんは唖然とした顔のまま、その場に座った。そして、なす術なく頭を抱えた。
「いいか、1ヶ月後までに作れるだけ持ってこい。いいな?」
信長は俺らに一方的に言い切った。
俺はここに来たことをものすごく後悔した。信長は思った以上に最低な人間だ。俺らのような一般市民を人間として見ていない。要するに、俺らはパンを作る道具なのだ。
しかもそのパンをこいつは戦争に使おうとしている。綾さん達の努力の結晶であるパンを、戦場で争う人たちに食べてなんか欲しくなかった。間接的だとしても、俺は戦争に加担したくない。馬鹿げた話だ。俺はなんだか腹が立った。
「信長様、それはできませぬ」
助丸さんははっきり言った。
「なぜだ」
「パンを作るのにはお金がかかるのです。それを無償では渡せませぬ」
助丸さんも、随分と信長に腹を立てているような口調だった。
「命令だ。持ってこい」
信長はさらに言い方を強くした。
「できませぬ」
少し食い気味に助丸さんは断った。彼のことがすごく頼もしかった。男気が溢れ出している。
「近年、米が不作で足りておらん。兵士の数も多い。ならばパンは大事だとは思わぬか?お前は兵士を見殺しにするのか」
信長がそう言うと、流石の助丸さんでも困ってしまって黙り込んでしまった。
「戦争をやめればいいんじゃないですか?」
俺はボソッと呟いた。本音だ。
「おい、小僧。なんと言った」
「戦争をやめればいいんじゃないですか?」
俺は信長にも聞こえるように、大きな声で言った。俺の発言を聞くと、信長は急に顔が曇った。家臣達も同様に、俺に不機嫌な顔を向けた。ただの庶民が何言ってんだ?とそいつらの目は語っている。
俺はなんだか無性にイライラした。
「戦争をやめる? 馬鹿なことを言うな」
「どこが馬鹿なんですか」
「馬鹿と言ったら馬鹿なんだ」
「意味がわかりません。理由を教えてください。なぜそんなに戦いたいんですか?」
俺は信長とかなり言い合った。
「やめて、ヤスくん」
綾さんは俺を止めようとしたのだが、俺の耳には入らなかった。信長は大きくため息をついた。そして怒り狂ったその眼差しを俺に向けた。
「天下を統一するためだ」
「なぜ天下を統一したいんですか?」
「それが夢だからだ」
「では兵士の皆さんの夢は知っているのですか?」
「俺と共に天下を統一することだ」
「本当ですか?もっと長く幸せに生きたいと考えている人もいると思うのですが」
「それがどうした。戦って血を流すのが兵の仕事なのだ」
腐ってやがる。こいつの性根は腐ってやがる。人の命をなんだと思ってるんだ。
「なぜあなたの夢を叶えるために、たくさんの人が犠牲にならないといけないのですか?自分勝手でしょ、そんなの」
「自分勝手?笑わせるな。俺の言うことを聞かねば、この国の民は生きていけないのだ」
「お前みたいな馬鹿がいなくなれば、みんな平和に暮らせんだよ!」
俺は信長に怒鳴った。
「私もそう思います」
綾さんは俺に賛同した。彼女は真っ直ぐ信長を見つめている。
「人を殺して天下取って、何が楽しいの?」
綾さんはかなり芯を食ったことを言った。信長は大きく息を吸った。
「おい、サル。こやつらを斬れ。お前が連れてきたのだから、お前がやれ」
俺はハッと我に戻った。これはまずい。殺される。俺のせいなのだから俺はいいとしても、関係のない2人も殺されてしまう。俺は自責の念に強く駆られた。
「はっ」
藤吉郎さんはスッと立ち上がると、下を向いたまま俺らの前に歩いてきた。俺は体が動かなかった。逃げようにも逃げれなかった。それは2人も同様で、体が固まって動けない様子だった。
「ごめん....ごめん....」
俺は2人に謝った。
「俺のせいで....」
「大丈夫でございます。私はあなたと同じ意見でございます。正しいことをして死ぬのは、何も悔しくありませぬ」
助丸さんはそう言ってくれた。目からは涙が出ていた。
「うん、私も」
そして綾さんも、そう言った。俺は驚いた。複雑な気持ちだった。巻き込んでしまった、罪悪感が芽生える。
「後ろを向け」
藤吉郎さんは言った。手には刀を握っている。俺は命の恩人である、彼に殺されるのか。変な気持ちだった。俺は黙ったまま後ろを向き、目を閉じた。心を決めた。その時だった。
「皆様、今すぐお逃げくだされ」
藤吉郎さんの囁く声が聞こえた。俺はびっくりした。俺は思わず振り返ってしまった。
「いいんですか?」
「もちろんでござる。こうなったのも某のせいでござる。申し訳ない」
「でも、そうしたら藤吉郎さんが……」
「大丈夫でござる。あとはお任せくだされ」
「ありがとうございます……」
俺は小さい声で礼を言った。俺の目からは涙が溢れ出ていた。ありがとうございます。ありがとうございます。俺の心で何度も唱えた。
「おい、早く斬れ!」
信長は大きな声で叫んだ。
「ささ、早くお逃げくだされ!」
「はい。ありがとうございます、藤吉郎さん」
俺らは逃げるために立ち上がった。
「それと、私はもう木下藤吉郎ではござらぬ」
俺らが逃げようとすると、藤吉郎さんは言った。俺らは一瞬立ち止まった。
「おい!サル!早く斬れ!」
信長の声が部屋中にこだまする。
「某の新しい名は.....」
「もう良い!誰でも良いからさっさと斬れ!」
信長がそう言った途端、周りの家臣達は待っていましたとばかりに俺らに向かってくる。
「某の新しい名はは、羽柴秀吉でござる」
俺は度肝を抜かれた。木下藤吉郎さんの新しい名が、羽柴秀吉!?あの有名な秀吉!?
ズバッ!!!
助丸さんを斬ろうとした1人の家臣を、秀吉さんは持っていた刀で斬った。血が飛び散った。その家臣はバタッとその場に倒れた。
「早く!お逃げくだされ!」
俺らは驚きと恐怖を抱えて、部屋を逃げ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます