ヒーローの居る風景

明日朝

第1話 授業中にて

「怪物が出現しました。危険度はB-。区内にいるヒーローは直ちに出動してください」

 

 甲高いサイレンの音と共に、機械的なアナウンスが響き渡る。

 二時間目の授業の最中だった。


「じゃあ皆さん、教科書の二十八ページを開いて」


 サイレンの音に動じる様子もなく、先生がチョークを片手に教科書を捲る。

 私は教科書を立てた状態で、ちらりと窓辺に視線を向けた。


「わ、すごい」

 ぎょっと目を見開き、感嘆の声を漏らす。


 だだっ広い校庭に、それはいた。

 ビルほどにもなる巨大な影が、低い唸り声と共に首をもたげている。

 人型の、目のない灰色の怪物だった。それは校舎を破壊するつもりなのか、のそりと起き上がり、巨木のような腕を振り上げる。

 

「あっ、やばい」

 思わず息を呑む。危険が間近に迫っているはずなのに、教室はパニックになるどころか誰も声すら上げない。というか、窓の外に一瞥もくれない。


 灰色の、鉛のような体をうねらせて、怪物が腕を振り下ろす。ぶうん、という空気を切る音。拳が校舎に突き刺さらんと迫った直後だ。

 巨木のようなその腕が、見えない力に弾かれたようにドッと吹っ飛んだ。怪物が、悲鳴に近い叫び声を上げる。


「あれは……あっ、鬼神!」

 私はがたっと席を立つ。

 空から真っ直ぐ降って現われたのは、細長い一つの影。いとも容易く怪物の巨腕を粉砕する。

 影は校庭に降り立つと、身長程にもなる大太刀を片手で構えた。ニメートル近い、大柄な青年だ。

 その出で立ちは、異国で伝えられる鬼、と呼ばれる存在によく似ていた。額から映えた赤い角、和装と呼ばれる独特の衣装に身を包んだ彼は、自分の何倍と巨大な怪物に臆することなく立ち向かっていく。


 その姿はまさにヒーロー。彼らは、この国では英雄ヒーローと呼ばれていた。異形の怪物を討つ、特異な力を持った人々のことを。


 私は、教室のすぐ外で繰り広げられる戦いに夢中になっていた。まるで映画のような風景が目の前にある。それも現実のものとして、すぐ傍に。

 

 自然と気分が高揚する。けれど先生の呼ぶ声で、私は現実に――教室という空間に、無理やり引き戻された。


「そこ! よそ見してないで、授業に集中しなさい」

 先生が鋭い声で叱咤する。私はハッと我に返り、苦笑しながら頬をかいた。


 この学校は――いや、この町は、異形の襲来を日常のものとしている。

 怪物は英雄が処理する。住民は彼らに感謝しながら、普段通りの日々を送る。


 この町は、英雄を軸として成り立っているのだ。


(でも、なあ……)

 教科書を読むふりをして、私は外を盗み見る。


 大太刀を振りまわす、鬼神と呼ばれる英雄ヒーロー

 けたたましい咆哮を上げる怪物。


 英雄がいる限り、この町は安泰だ。

 けれど、なんだか罪悪感が湧いてくる。


(英雄がいる日常。でも、それが当然だって思うのは、良くないと思う……)


 ヒーローのいる日常。

 私たちは、ヒーローのすぐ傍で日常を過ごす。

 彼らという盾に守られながら。

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