第24話 速度

「ルード様……申し訳ござらん!」


 ルードに近寄った人狼族は手にした刀を抜きつつそう言った。


「ちょっと! 何してんのシロ!」


 私は彼女へ駆け寄りながらそう叫ぶ。


「お許しくだされアリシア殿! それがしにはこれしか残されておらぬのです!」

「落ち着きなさい! アンタ何やろうとしてるのか分かってんの!」


 怒りをにじませた彼女の手にあるのは黒い刀。そう、事の発端となった餓狼牙だった。


「承知の上でござる。彼奴めを打倒する為にはこれ以外の方法はあり申さん」

「バカな真似は止めなさい。あいつは運よく無事だったけど、アンタもそうだとは限らないわ」


 シロがやろうとしているのはあの頭沸き男と同じこと、彼女はそうすることによって奴と同じ土台に立とうとしているのだ。

 だが、その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

 私がどうやって言いくるめようかと思っていると、私の隣に来た人物が声をかけて来た。


「わしからもお願いですじゃアリシア殿。どうかシロの好きなようにさせて頂けぬでござろうか」

「村長……」


 胸に巻いた包帯から血をにじませた村長は、そう言いつつ深々と頭を下げる。


「けど! だからと言って!」

『ふわぁあああ。何だか知らんが、わしは構わんぞアリシア』

「ちょ! 何言ってんのよバカルード!」

『んーん? あの若造を何とかしようというんじゃろ? あいつ如きわしが出る幕でもないという事じゃ』


 ルードはあくび交じりにそう言った。


「かっ! かたじけないでござるルード様!」


 ルードの言葉に、顔を上気させるシロ。だが、ルードはこう付け加える。


『じゃがな、心するがいい狼の娘よ。我が力、並みの覚悟では受け止められぬぞ?』

「承知の上!」

「ちょっ! 待ちなさい!」


 だが、私の制止の声など聞こえないかのように、シロは手にした刀をルードの足へと突き立てた。



 ★



「うっ、ぐっ、あっ……」


 膨大な力が自分の中に流れ込んでくるのをシロは感じていた。

 全身の血液が一瞬にして沸騰するような感覚。

 神経は雷を撃ち込まれたかのようにしびれを持ち、血管は張り裂けんばかりに熱く鼓動する。

 脳みそからは絶え間なくアラームが鳴り渡り、魂は血に飢えた餓狼の如き飢えにさいなまれる。


「あぐっ……」


 遠く、誰かが自分の名を呼ぶ声がする。

 名前、いや、名前とはなんだったか。

 荒ぶる力を前にしては、ちっぽけな個人を識別する記号など意味が――



 ★



「大概にしなさいよこのスカポンタン!」


 私は、ルードの足へと刀を突きたてたまま固まっているシロを張り飛ばす。


「が⁉」


 全力でぶん殴ったのが功を奏したのか、シロは刀から手を放し地面に倒れ伏した。

 

「う……ぐ……それがしは……」

「ふぅ、その様子なら何とか間に合ったみたいね」


 シロの視点は今だ定まってはいないが、まだ許容範囲と言ったところだ。


「それで? どう、感想は?」

「う……く……それがし……は……」


 シロはふらつく頭を押さえつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 どうだろう。シロがルードの力を吸収していた時間は、あの頭沸き男と比べれば半分程度。この程度ならまだ何とかコントロール可能かもしれない。


「力が、力がみなぎるでござる。これが、これがルード様のお力!」


 シロは自らの体を巡る力を確かめるように、ゆっくりと手を握りしめる。

 どうだろう、意識ははっきりとしているし、身体的変化もそれほどではない。あの頭沸き男と比べれば、まだ人狼族の範囲に収まっているように見える。

 だが、それは逆を言えば、あの頭沸き男に戦闘力と言う面では劣っているという事。しかし、どんなリスクがあるかわからない現状ではこれが限界という所だろう。


「後はまぁ、知恵と勇気で乗り越えるしかないか」


 私はやれやれとため息を吐く。

 まったく、ただの息抜きのつもりが、訳の分からない事態になったものだ。

 私はじろりとルードに視線を向ける。だが、我が愛犬はウトウトと舟をこいでいた。


「ったく、誰のせいでこんな面倒なことに」


 そもそもが、ルードがあの頭沸き男の刀を、むざむざと食らわなければ済んだ話である。 

 文句の一言でも言ってやろうかと、近づいた時だ。

 空から何かが降ってきた。


「くっ⁉」


 視界外からひとっ飛びで村の中央まで降り立ったもの。

 それが誰かなんて確かめる事もない。


「……アンタ」


 その両目はどす黒く赤に染まり、手足の爪は大ぶりのナイフの様、牙をむき出しにした口からはよだれがダラダラと流れ落ち、肥大した筋肉はさっき見たのより一回りも大きくなっていた。


「カタナ……オレ……ノ……カタ……ナ」


 その化け物は、ふらふらと定まらない視線でゆっくりと周囲を見渡していた。


「ったく、言わんこっちゃない。その分なら頭沸き男から頭飛び男に改名しなきゃね」


 奴は、ルードの力を取り込むことに失敗した。

 理性は野生に押しつぶされて、正気などほとんどのこっちゃいない。

 かろうじて餓狼牙の事は覚えているようだが、それもいつまで持つかは分からない。


「見てられんでござる」

「……シロ」


 シロは餓狼牙を両手で構え、すらりと私の前に立つ。


「ゲッコウ、そなたがこの村に不満を持つことは知っていた。だが人狼族は変わらねばならぬのだ」

「カタ……カタナ……、オレノ……カタナァアアアアア!」


 頭飛び男は、まさしく目にもとまらぬ速さで突進してくる。

 その目標は言うまでもなく、餓狼牙を持つシロに向かってだ。


「くっ!」


 ギンと硬質の物質がぶつかり合い音が響く。

 速い、とてつもなく速い。

 その速度は、離れてみている私でも何が起きているのが分からないほどだった。



 ★



 縦横無尽に振るわれる奴の双爪。それに技巧などは存在しない、戦う術を知らない幼子が、やみくもに爪を振るうに等しい所業だ。


(だがッ!)


 その稚拙極まる攻撃が、埒外の膂力を持って振るわれるとなれば話は違う。


(動きが読めないッ!)


 武術を修めているものの攻撃ならある程度の型があり予想もできる、だが、この攻撃にそんなものは存在しない。

 しかも振るわれるのは、どれも一撃必殺たる威力を秘めている。


(かろうじて見えてはいるがッ!)


 ルード様のお力を得たおかげで、五感は平時に比べ物にならないほどに研ぎ澄まされている。今ならば、村一番の弓名人が放つ矢でもあっさりと掴むことが出来るだろう。

 だが、その域にあってさえ尚、敵の爪を捕らえるのは至難の技。今まで培ってきた経験による先読みと、頼りにならない運で何とか致命傷を避けているに過ぎない状況だ。


(反撃の――糸口が見えない!)


 立ちふさがるは、基礎的能力の差。

 己の限界を超えて、ホワイトフェンリルの力を身に宿した者と、そうでない自分。その差が顕著に表れていた。


(この……ままではッ!)


 1分にも満たない攻防で、自分は圧倒的な劣勢に追い込まれていた。全身至る所から血は流れ落ち、体の芯に食らっていないことは奇跡以外の何物でもない。刀を持つ手は痺れを持ち始め、食いしばる口の端からも血が流れる。


(くっ! ここまでとはッ!)


 このままでは、遠くない先に、奴の双爪によって切り捨てられる。

 それは予感を超えた確信。誰が見ても瞭然な確定された未来。


(だが! せめて一太刀だけでも!)


 奴の力とて無限ではない。

 腕の一本、いや指の一本でも切り落とし、残る皆に希望を託す!


(申し訳ござらんアリシア殿! それがしはここまでです!)


 覚悟を決める、奴の爪をこの身で受け止め、その隙に一矢報いる。

 そう思った時だった。


「ルード、吠えなさい」

「⁉」


 研ぎ澄まされた聴覚は、剣戟が奏でる騒音の最中でもその声を捕らえ――


「ーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「がッ⁉」


 鼓膜を、否、全身を震わせる大音量が直ぐ傍より発せられる。

 平時より鋭敏な聴覚は、その攻撃を受け一撃で機能不全に陥った。


「ぐっ……」


 揺れる意識と視界では、今自分が立っているのか、倒れているのかすらわからない。

 そんな私にかけられる声があった。


「いやー。囮ご苦労!

 アンタが頭飛び男を釘づけにしてくれたおかげであっさりと方が付いたわー」

「ア……アリシア……殿?」


 揺れる意識の中では彼女が何を言っているのか良く分からない。


「はいはーい。みんなー、そこで泡吹いている頭飛び男をふん縛っちゃってー」


 ぞろぞろと大勢の気配が近づいてくる。

 それとは別に、ひとつの気配が自分のそばに近寄ってきた。


「いやー、どーしよっかと思ったんだけどねー。

 頭飛び男の速度にはルードはついていけない。けど声なら話は別でしょ? いくら奴が素早くても音の速度は超えれない。

 問題は、その効果範囲にどうやってアイツを捕捉していくかってことだったんだけど、アンタがアイツを封じてくれたんで助かったわー。

 大手柄よ、シロ! アンタの犠牲は無駄じゃなかったわ!」


 私は消えゆく意識の端で、彼女の笑い声を聞いていたのだった。

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