3-8 達観する護衛

「……てっきり、をされるのかと」


 キャロルが部屋を出たのを確認してから、意外そうにロータスが問いかければ、デューイは皮肉っぽく口元を歪めた。


「手を繋いで、街でデートをするところから始めてみたかった――と言われて、動揺して壁だか彫像だかを蹴飛ばしたらしい、が愉快だったからな。とどめは刺さずにいてやった」


「さっきの――」


「迎えに来たつもりが、いらぬ事を聞かされて慌てて引き返して行ったな。存外、この〝迎賓館〟の応接間の壁は薄いらしい」


 そのまま来れば、会話を聞いてしまったのが丸分かりな上に、とっくに手を繋いで、街でデートをする段階をいる分、尚更父親デューイを前に、いたたまれなかったのだろう。


 実際、婚姻の儀はまだ先だと言うのに、毎晩のように娘を、一度くらいは殴り飛ばしてもバチは当たるまいとデューイは思うが、彼も彼で、最愛の妻カレルに『貴方だけはを責められない』と言われて、地味に落ち込んでいるのもまた確かだった。


「……何と言いますか……」

「うん?」


「デューイ様が、陛下のお気持ちが一番良く分かるのが、恐らく自分だと……仰ったのが、理解出来た気がします」


 たった一言で、無自覚に相手を振り回すなど――まさにカレルそのままだ。


「だから言っているだろう。――死ぬまで飽きない、と」


 ロータスの揶揄やゆをしれっと受け流しながら、デューイは新しい紅茶を飲み干した。




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「……あれ、エーレ?」


 宮殿内〝迎賓館〟から〝綵雲別邸〟へ続く廊下を歩いていたキャロルは、いくつかの角を曲がった時に、前を歩いていたエーレの背中を視界に認めた。


 今、廊下には二人と、双方の護衛としてイオとルスランしかいない為、キャロルは小走りに、エーレの隣に並ぶ。


「お疲れ様。今、公務終わったの?やっぱり謁見の分、色々押してたんだ」

「……ああ……まあ、そう……かな……」


 右手で自分の顔を覆っているエーレは、何だか妙に歯切れが悪い。


 公務が押して、遅くなったのは確かだが、その後〝迎賓館〟に寄ろうとして、応接室の入口横の壁に、突然額をぶつけていたのは、ルスランもイオも、皇帝の名誉の為、口にしない。


 もちろん、しばらくしゃがみ込んで自己嫌悪に陥っていたらしい事も、である。


 エーレは空いている左手で、キャロルの右手を掬い上げて、指を絡ませた。


「エーレ?」

「うん。何か……色々ごめん」

「え、何? 何の話?」

「いや、良いんだ。ちょっと今は……こうやって歩きたいだけだから」

「あ、うん……」


 そのまま〝綵雲別邸〟のダイニングの方へと向かう2人をイオが半目で追っていると、いつの間にか隣に来ていたルスランに、脇腹を小突かれた。


「その、残念なモノを見る目は、何とかならないのか、ラン」


 ラーソンとランセットの間を取ってか、ルスランを始め〝黒の森〟シュヴァルツの面々は、昨今〝ラン〟と、イオを呼び始めている。


 少し認めて貰えた気がして、イオもそれを心地良く受け入れている。


「すみません、根が正直なもので」


 キャロルがまだカーヴィアル帝国で現役の近衛隊長だった頃から、キャロルの剣の腕に惚れ込み、レアール家で専属護衛となる機会を窺って研鑚し続けたと言う点からも、もう1人の元専属護衛、ベオーク・ヘクター、現ベオーク・レクタードと共に、軍や〝黒の森〟シュヴァルツからは、好意的に受け入れられている。


 特に、あるじと言えど堂々と苦言を呈する事が出来るのは理想的だ。


 一度死にかけたせいか、肝が据わっているのかも知れない。


 もし自分が結婚をしないまま命を落とすようなら、後継にしても良いと考える程には、ルスランは彼を評価している。


「ヒューバート将軍からの至言を教えておこうか」

「……至言、ですか」


「ああ。曰く『長年の恋心をこじらせていたがようやく恋を実らせて、は感激だ。多少の浮かれっぷりには、この際目を瞑るとも――と、言う気分でいたら平和で楽しいぞ』だ、そうだ」


「………」


「ちなみ俺は、一途過ぎてあそこまでこじれた弟などと、怖さしか覚えないから、アレンジして、キャロルをだと思う事にした。アレを重いと思っていない間はそれで良いし、本人が幸せなら言う事はない。ただ、だからこそ逃げ場くらい用意してやるのが『兄』の役目だとな」


「………」


「どっちの立ち位置でも良いぞ。ちなみに〝黒の森〟シュヴァルツ内では、弟2割妹8割だ。それくらいでないと見ていられないと言うのが、全員一致の心境ではあるな」


「………」


 答えの代わりに、イオは深い溜め息を吐き出した。


「多分逃げられないから、諦めて大人しく捕まって下さい――とは確かに言いましたが。まさかここまでとは……」


「……誰に何を言ったと?」


「家族を飛び越して〝死の国ゲーシェル〟の入口から呼び戻せる時点で、そのの程は知れますよ。ただキャロル様の立場からすれば、いくらでも不安要素が出てきてしまう。ですから、そんな要素に振り回されるのは無駄で

しかないと言う事を、なるべく噛み砕いて説明したまでです」


「……エーレ様が、お前を妙に信用する理由が何となく分かってきた……」


 婚約者がいるせいなのか、元がレアール家にいて、妻が地雷とエイダルに言わしめるデューイ・レアールを見ていたせいなのか、彼はほぼ達観、あるいは諦観の境地にある。


「私の立ち位置は……そうですね、妹と言うよりは、生徒――的な感じでしょうね。卒業後も、思う未来みちを進んで貰いたい生徒、と言うか……」


「生徒? それはまた斬新だな」


「レアール邸に入る前、教師をしていた時期があるもので」

「……ほう」


「もちろん、この剣を捧げるべきあるじとしての敬慕の念は、変わらずあります。ですが有難くも近い立ち位置に置いて頂くと、色々見えてくるものもありますし……」


「ああ、我々とエーレ様のようなものか。遠慮斟酌しんしゃくが吹っ飛ぶだろう。尊敬とは別次元の話になるしな。だが主君とて聖人君子ではないのだから、狂信的な傾倒はむしろ危険だ。程良い立ち位置でこの先もいられたら――とは、思っている」


「それは……分かります」


 繋いでいた手をキャロルの肩に回して、ダイニングに入るエーレとキャロルを、苦笑しながら2人は見送る。


「しかし明日以降、大分面倒な事になりそうだな」


 ルスランは、護衛として謁見の間の様子はつぶさに見ていたし、イオの方は、デューイが後で話すようキャロルに言っていたが、応接間の護衛用の控室に待機していれば、話はイヤでも耳にする。


「そうですね……デューイ様は、元から大臣としての護衛が付いていますが、カレル様やデュシェル様は本来、婚姻の儀の後に皇妃の肉親として護衛される筈だった。それが一気に、正統な皇族として名を連ねる事になりますから――なるべく早急さっきゅうに、護衛の人員を割く必要が出て来ますね」


「ディレクトア王国のスフェノス公爵家についても、もう少し詳しく調べる必要はあるだろうな」


「当然、話の真偽を確かめようとはするでしょうが、堂々と訪問してきてくれる事を願いますよ。キャロル様はもうすぐワイアード辺境伯領とリューゲ自治領に向かわなくてはならないのに、過重労働も良いところだ」


 やはりこの男は頭の回転が早い……と、ルスランは思った。


 明日から面倒だ、とルスランが呟いただけで、その先を察しているし、何故スフェノス公爵家を、そして何を調べるのかも、彼は聞かない。


 自分がエーレに付いて出るのであれば、代理として、公都ザーフィアに残すのは――彼だ。


 デューイ・レアール自身には、例の謎の執事長ロータスが付いているから良いだろうが、当面侯爵夫人カレル令息デュシェルの保護には、見知った顔の方が、彼らも安心な筈だ。


 どのみち、現在いまの立場上、ヒューバートも、公都ザーフィアの外には出られない。


 レクタードを連れて出るあたりで、戦力のバランスを取る。

 それぞれに不満はあるだろうが、そのあたりが落としどころだ。


 ルスランは、内心で密かに、父であり〝黒の森〟シュバルツの長である、ファヴィル・ソユーズにそう提言しようと、決めた。

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