3-4 侍女の日記

「宰相としての側面しか知らなければ、今回の事は到底為人ひととなりにそぐわないんだがな。だがまぁ、あの日記が本物かつ真実であるならば――私ほどには、陛下に丸投げはしてしまえないだろうな」


「お父様、それは……」


 デューイはやや苦い表情で、キャロルやロータスの視線を避けるように、窓の外を見やった。


「即位式典の直前、エイダル公爵宛に一冊の日記が送られてきたそうだ。日記のぬしは、ナタリー妃の輿入れに併せて、エイダル家から付けられた侍女。自分が死んだら公爵閣下に渡して欲しいと、娘に託していた物らしい。中にはナタリー妃が亡くなるまでの経緯が事細かに書かれていた――と、謁見室ではおもむろに話を始めた」


 ……やはり即位式典前の、公爵邸滞在中、途中からエイダルの態度が微妙に変わっていたのは気のせいではなかったのだろう。


 真実、エイダルの手元には侍女の日記が届いたのだ。


「輿入れ直後の謁見で、ナタリー妃に一目惚れしたのか、自分よりも優秀とされる弟にたかったのか、先々代アズワン陛下は、公爵領没収をチラつかせながら、ナタリー妃を弟から奪い取った。もちろん、婚約者を寄越せなどと言われても、公爵オヤジが黙って頷く筈もないが、公爵こうしゃく自身の安全を楯にされたナタリー妃の方が、公爵が公務で不在にしていた間に、黙ってそれを了承してしまったんだそうだ」


「…………」


 最低クズ、とキャロルの小さな呟きがデューイの耳にもロータスの耳にも届いたが、両名共にその不敬罪発言は無視スルーした。


「この直後から、公爵は一度公都ザーフィアを離れ、あわや皇籍返上すれすれまで権利を放棄して、先代オルガノ帝が、不作による冬の飢餓に直面して、土下座して公爵に国政復帰をうまで、領地から一歩も出なくなった。ナタリー妃は後宮で、穏やかとは言わないまでも、最低限の生活を保証されていれば――と思っていた矢先に妃の死を聞いたのが、間違いなくのトドメになったんだろう」


 明らかにデューイは、自分が引きこもり呼ばわりされた事に、含みがある話し方をしているが、今はそれを気にしている場合ではない。


 もはやは、完全なる天才の飼い殺しだった。


 先代オルガノ帝が先々代アズワン帝に似なかった事は、不幸中の幸いと言うより他なかった。


「だがナタリー妃も、大人しく頷いた訳ではなかったらしい。最初の一週間は『月のモノ』を楯に皇帝の御渡おわたりを拒絶、その間に食事を全て絶った妃は、その後は本当の体調不良に陥る事で、皇帝を拒否し続けたんだそうだ」


「なっ……⁉︎」


「ひと月もすれば、皇帝は自分に見向きもしなくなる。それ以上は、皇妃や側室からの、皇帝への風当たりもキツくなってくるだろうから、と言うのがナタリー妃の読みだったらしい。それで『役立たずの側室』と見做みなされれば、宮殿を出され、エイダル公爵領へ戻れるのではないか、と」


 一週間近い絶食の後は、亡くなった侍女が、エイダル家伝承のスープを、こっそりと作って差し入れる事で、しのいでいたらしい。


「ナタリー妃も……エイダル公爵を、政略じゃなく愛してらしたんですね……」


「そうだろうな。だが、ナタリー妃の思いとは裏腹に、皇帝の御渡りもないが、後宮からも出されないと言う、言わば、見放された時期が、ここから続く事になった。元々、才ある弟への嫉妬から妃を奪い取ったアズワン帝にしてみれば、エイダル公爵邸に差し戻すと言う選択肢だけは、死んでも取るつもりはなかったからだ」


 あくまで侍女の日記から読み取れる想像だとデューイは言うが、一つ一つがあまりにも克明過ぎると、キャロルは息を呑んだ。


「そして4か月が経ち、ナタリー妃は、自身の体調不良が、決して食事を拒否したせいだけではない事に気が付いた。だがそれまでの経緯を考えれば、どんな手を使ってでも流産させられるだろうとも、さすがに想像がついた。だから手持ちのドレスや宝石を売り、医者を買収して、周りの侍女はディレクトアから付き従って来た者と、エイダル公爵邸から付き従ってきた信頼のおける者のみとして、妊娠を隠し通した。同時に、生まれた子を受け入れてくれる夫婦を、侍女を介して探し始め――白羽の矢が立ったのがローレンス夫妻だった」


 侍女と同郷で、宮殿内でも親しくしていたメリル・ローレンスは、結婚後も子宝に恵まれずに悩んでいたとの事で、あくまで実子として押し通す事も含めて、一も二もなく承知したと言う。


「ナタリー妃自身には、もはや出産を乗り切れるだけの体力もなかった。男の子ならリカード、女の子ならカレル――公爵の名や、自身の祖母の名にかけた、子供の名前だけを決めて、女の子と知った我が子に僅かに触れた後……そのまま息を引き取ったそうだ。貴族のしがらみとは無縁に、普通の女性としての幸せを手にして欲しい。それが遺言だったと。公爵への遺言メッセージとて、別にあったかも知れんが、そこは本人は語らなかったな、さすがに」


 そして夜の内に、子供は密かに後宮の外へと運び出され、侍女宅で待機していたローレンス夫妻が、実子として連れ帰った。


 当時3歳だったデューイの記憶にはなかったが、実際にメリル・ローレンスはその前後に、里帰り出産と称しレアール侯爵領を離れていたため、メリルのお腹がと言う不自然さに気付く者がいなかったのだ。


 ロータスは、メリルが一時期侯爵領を離れていた事を覚えていたため、その事をエイダルに告げたのだと言う。


 少なくともロータスが、43歳のデューイよりも、もう少し年上だと言う事はハッキリした訳だが、キャロルの方はそんな事に気付く余裕はすっかりなくなっていた。


 無言のまま、ひとすじの涙をこぼしていた。




 その日記が真実であるならば、ナタリー妃は死ぬまでエイダルを想い続けた事になり、生まれた子供は――間違まごうことなき、二人の子供だ。

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