1-12 夜の訓練場(後)

「こっ…侯爵っ⁉︎」


 すわ、何事かと振り返ったヒューバートを、イオが慌てて制している。


「すみません、ヒューバート将軍! 悪いのは私です! デューイ様も落ち着いて下さい! 外政室の方は、キャロル様が解雇通知を発行して、宰相閣下が署名されて、既に決着をしていますので! 恐らく後ほど、ストライド侯爵家当主から正式な謝罪がある旨、キャロル様からもお話しがある筈ですので!」


「……ストライド侯爵家……」


 低い声で呟いたデューイは、視線をふと、イオから訓練場の方へと戻した。


「え? ストライド侯爵家が、どうか? あの手合わせ、中断させた方が?」


 今、訓練場で怒鳴り声を上げている内の一人は、確かにストライド侯爵家現当主の異母弟だ。


 何か話を聞く必要が生じたのかと、真面目にヒューバートは聞いたつもりだったが、うわ、詰んだ……と、イオが片手を額に当てた。


「キャロル!」


 そしてデューイは、ヒューバートの許可を取らずに、そのまま訓練場に、鋭い声を投げた。


「そこに立っている中の一人は、お前が外政室で馘首かくしゅしたと言う鹿と、同じ一族だそうだ! 手加減はいらん、私が許可する!」


「「はいっ⁉︎」」


 何の話だ、とこの場の大半の人間が、目を剥いていたが、当のキャロルは、父の後ろで平身低頭のイオを見て、大体の事情は察したらしい。


「……そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……」


 キャロルは微かに嘆息した。

 ただ、父への報告と、今日の〝迎賓館〟での宿泊を頼みに来ただけだったのだが。


「……ごめん、ヒュー。私、今日は本当に、そんな気分じゃないんだよね」

「お嬢ちゃん?」


「だから全部、一撃で沈めさせて貰う。教導するのは、後でそっちでやって? 4人以外も放り込んでくれて良いから、もう、まとめて」


「お、おう、分かった」


 言うが早いか、ヒューバートの言葉が終わらない内に、キャロルは訓練場の中へと、飛び込んでいた。


「全く、何故、由緒ある国軍所属の我々が、剣術の何たるかも知らぬ、令嬢のお遊びの相手――」


 訓練場にいた男の一人が、口に出来たのは、そこまでだった。

 は? と、声を上げたのは、果たして誰だったのか。


 剣を鞘ごと手にしたキャロルが、そのまま男の首筋に、鞘に収まったままの剣を叩き込んで、地に沈めた後、その背中を足がかりに、後ろにいた男の胸元に「突き」の要領で柄を叩き込んだ。


 更にそのままくるりと空中で身を翻すと、慌てて剣を構えようとする、隣の男の右胴にも、鞘を叩き込んで、頭から地面に突っ込む形で横転させた。


 その上、途中で突きを入れた男の背中を踏みつけるようにして、4人目の男の頭上よりも高い位置に、最後飛び上がり――首の後ろの位置に、最後まで鞘から抜かないまま、手加減なく剣を叩き込んだ。


「……剣術の何たるかも知らぬ、とか、誰か言った?」

「ひ、卑怯だろう! 皆がまだ、構えてもいないうちから!」


 誰一人動かなくなった光景に唖然としつつも、周りで見ていた中からはそんな声も聞こえたが、キャロルの冷ややかさは変わらなかった。


「戦場で、わざわざこっちが構えの姿勢をとるのを待っててくれるような敵なんて、いると思う? それを言い訳にしたいなら、ちゃんと正対して構えるのを待っててあげても良いけど。多分、大して変わらないよ? この程度じゃ」


「なっ……」


 言い出した男は、引っ込みがつかなくなったのか、一歩前に踏み出すと、キャロルに向けて、剣を構えた。


「……何故、構えない」

「ハンデ」


 左手に剣を下げた真顔のキャロルに、カッとなった男が剣を振り上げたが、その時には、キャロルは既に男の間合いに、飛び込んでいた。


「遅い」


 男の剣を、手からはたき落としたキャロルは、一瞬その場に踏み留まると、片足を振り上げて、男の後頭部に強烈な蹴りを入れる。


「しょ、将軍……」


 面と向かってキャロルを罵倒はしていなかったものの、やはり侯爵令嬢の剣を、お遊びの延長程度にしか捉えていなかった部隊長の何名かが、すっかり顔色を変えていた。


「何、お前らも手合わせしたいか? 今なら、漏れなく相手してくれるそうだが」

「こ、侯爵令嬢……ですよね……彼女……」


「皇妃は皇帝を守る最後の砦。少なくとも――玉座の間と寝所においては。皇妃はただ、陛下に護られるだけの存在であってはならない。誰がこの公国くにで最も貴いのか。そこをはき違えていては、公国も民も護れない。そんな事を、俺らに言ってのけるお嬢ちゃ……彼女の剣を、舐めるな。今のアイツは怪我をしているが、本気になったら、俺と陛下のすぐ次の位置にまで来れるだ」


 常の軽さが抜けたヒューバートを、デューイも興味深げに見やる。


〝皇妃は皇帝を守る最後の砦〟

 娘の考え方を、赤の他人越しに聞くのも、やや不本意ではあったが。


「アイツがいれば、公都で何か起きても、心おきなく陛下をお守り出来るし、陛下を任せて、逆に打って出る事も出来る。皇妃の地位を、驕奢きょうしゃの頂点と捉えているようなおめでたい姫では、陛下ではなく、その姫にまず、戦力を割かなくちゃならん。有事にこの差は大きい。後宮ではなく、皇族に連なろうとするアイツの覚悟は、お前らが束になったって、敵うまいよ」


「……皇族に……連なる覚悟……」


「まぁ、今のお前らよりよっぽど、陛下に殉じる覚悟があるってこった。3ヶ月前に、あわや片腕を失くしかけてなお、あそこまで回復させてきたんだ。少なくとも俺は、目に見えない、由緒正しき血筋やら品位やらよりも、目の前のアイツを、この先も皇妃として仰ぐ。俺だけじゃない。それが、軍上層部の総意だ。だから、誰をどう取り込もうとしても無駄だと、お前らの派閥の主には周知しておく事だな」


「――――」


 ヒューバートが話す間にも、2人3人……と、訓練場内で兵が地に沈められていく。


 もはや途中からは、ヒューバートやルスランの、第一皇子直属部隊時代からの部下が、どこからともなく現れて、やんやとキャロルに声援を投げている状態だ。


「キャロルちゃん、全快したら、オレらとも手合わせ頼むなー!」


 戦慣れした者の目からは、キャロルがまだ右肩を気にして、反応が鈍っているのが、垣間見えるのだろう。


 だが戦経験のほとんどない、コネ入隊の貴族の子息達からすれば、これで彼女の十全ではないと言われるのは、驚愕以外の何者でもない。


「……フランツ、そろそろキャロルを止めてやれ」


 それまで、黙って様子を窺っていた、ルスラン・ソユーズが、眼鏡の縁に手をかけながら、やんわりと、ヒューバートに声をかけた。


「うん? あの程度に苦戦する、お嬢ちゃんじゃないだろ? それとも、の方に配慮しろってか?」


「そんな事を言ってるんじゃない。そもそも、今日はそんな気分じゃないと言ってただろう。確実に、何かが身の回りに起きてるぞ。見せしめなら、もう充分だろう。そろそろ話を聞いてやれ」


「……相変わらず、細かいところまで目が届くヤツだな」


 ヒューバートの舌打ちは、ルスランにではなく、そこに思い至らなかった自分に向けられたものだ。


「――ほい、そこまで。悪かったな、お嬢ちゃん。そもそも、話があって来たんだったよな」


 そしていつの間にか、誰にも止められないタイミングで訓練場の中に入っていたヒューバートが、気付けばキャロルの剣の鞘を右手で掴み、対戦相手の剣を足で弾き飛ばしていた。


「……相変わらず……」

「うん?」

「ヒューには、まるっきり勝てる気がしない。実際、1度も勝った事ないけど」

「そうか。まあ、おいおい頑張れ」


 空いていた左手で、ポンポンと、軽くキャロルの頭を叩いたヒューバートが「行くか」と、身を翻した。


「とりあえず、今日はここまでだ! 途中、色々と聞き捨てならん暴言があった部分は、お咎めなしで通ると思うなよ! 揉み消せない数の証人がいると思って、首洗って待っとけ!」


 ヒューバート自身は、子爵家の屋号しか持たないが、軍トップたる〝東将オストル〟の地位は、侯爵相当として、軍の規律を統括出来る。


 ましてやその上の、大臣であるデューイもいるのだから、いくらストライド侯爵家が、当主異母弟の暴言、その後の手合わせを揉み消そうとしたとしても、この時点で事実上不可能となっていた。


 現ストライド侯爵家当主は、一晩で複数の不祥事――皇帝とその婚約者への不敬罪相当の暴言――を、いきなり突きつけられた格好となり、最終的にはその日、ファヴィル・ソユーズの二度に渡るを受ける羽目に陥った。


 二度目の時点では、その場で激昂して、執務室の木の机を使い物にならなくしたらしい。


 既に昼間の内に、レアール家令嬢への謝罪訪問の約束を取り付けてはいたものの、キャロルとデューイが訓練場から下がって、話を始めた夜になって、デューイにも時間をとって貰いたいとの、追加の手紙が届いた。


 いずれも、処分そのものに否やはなく、ただ、一族の非礼を詫びさせて貰いたいと言うものだった。

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