10月14日(木)

23 ゆい子 持て余すほどの熱

「ていうか、それなら、椿ちゃんもじゃね?」


窓を背もたれにして椅子に腰掛ける山崎を、三人が一斉に見た。

他に人がいない空き教室では、声がいつも以上に響く。

発言した本人は、弁当箱いっぱいに詰まったミートソースのパスタをおいしそうにすすっている。視線に気づくと、口元のソースをティッシュで拭った。


「オレ、変なこと言った?あ、まだ付いてる?」


唇を尖らせながら顔面を隣に差し出すと、耀太は、いや、と小さく首を横に振った。すると安心したように、山崎は話を続ける。


「けど椿ちゃんは手紙もらってないわけだから、受け取り側のイニシャルっていうのは偶然じゃね?」


ゆい子が、今度は椿の方に静かに視線をずらし、落ち着いた声色で尋ねる。


「椿ちゃん、どうなの?」


どうなのって何が?と、椿ではなく山崎がこっそり尋ねたが、耀太はそれには答えずに、教室の中央で向かい合って座る女子二人の様子をじっと観察している。


「あのね、私、差出人って女なんじゃないかなって思ってるの」


ゆい子が、淡々とうっすら笑みを浮かべて椿に言った。


「は?なんで女が女にラブレター送るんだよ」


山崎が呆れながら割り込んだが、誰も何も反応しないでいると、何かに気付いたように慌ててもう一度口を開く。


「…あ!すまん、こういうのを偏見って言うんだよな。そういうの否定してるわけじゃなくて…。別に全然、良いと思う。でも、そっか、それは考えてなかったわ」


珍しく自分で自分を律すると、そこからすっかり大人しくなった。

それを見て微笑むと、ゆい子は、柳井から聞いた歌詞の話を説明した。


「耀太くん、今までのラブレターって名取光一の歌詞に似てるんでしょ?」


「確かに、そう言われてみれば引用してるのかも。気づかなかったよ」


耀太は気まずそうに笑った。

ゆい子は、耀太に微笑み返すと、椿の方へ向き直った。


「だからね、このままだと椿ちゃんが疑われちゃうけどいいの?同じイニシャルの女の子はみんな手紙もらってて、椿ちゃんだけもらってないんだとしたらさ。全部椿ちゃんが仕組んだんじゃないかって思ってもおかしくないよね」


「何言ってんだよ!椿ちゃんなわけねーじゃん!」


山崎が抗議する中、椿はゆい子に哀れみを含んだ瞳を向けて一呼吸置いた。

それから、徐に机の横に掛けていたカバンを手に取り、クリアファイルに挟まった1枚の紙を取り出した。

それを、ゆっくりと机の上に差し出す。


ゆい子は手紙に視線を向けたまま俯く椿の瞳を睨むように見つめながら、三つに折られたその紙を手繰り寄せて開く。

その瞬間、ふわっと甘くて爽やかな香りがわずかに漂った。普段、椿から香るシャンプーの類ではない匂い。


思い起こせば、他の女子に見せてもらった手紙からも似た香りがしたような気がした。ここまでしっかりとした匂いではなかったとはいえ、なぜ今まで気付かなかったのだろう。ゆい子は少し自分を責めた。


しかし、それ以外でもどこかで嗅いだことがあるような気がして、匂いの記憶を辿っていると、ゆい子の頭頂部を目掛けて椿が静かに声を発した。


「黙っててごめん。実は私も、もらってたの。ゆい子より前に」


「えぇ!?椿ちゃんも!?マジで!?え、それ、その手紙?」


山崎が窓際の席から大袈裟に立ち上がって、慌ててドスドスと手紙を持つゆい子の背後に駆け寄る。


「はー?誰だよマジで。あ、椿ちゃんは何もされてない?脅迫とかされて――ない!良かったー!けど、マジでなんなん、コイツ。こうなったら、ぜってー見つけよう!ね、椿ちゃん!」


すると、椿は吹き出して笑った。


「たっくん、うるさい」


ゆい子が冷たく吐き捨てると、山崎は不満そうに、へーい、と口を尖らせて手紙を覗き込んだ。


椿のもらった手紙はこれまでと同じ形式で、中身の文章は、やはりゆい子の物とも他の女子の物とも違っていた。


『君の秘密を知っていル

 誰にも言えないその気持ちも

 きっと分かッてあげられる

 だカラどうか応えてホシい


          Y.T.』


「なんだ…これ」


山崎が椿を心配そうに見つめる。

その視線をぶった斬るようにゆい子が椿に尋ねる。


「秘密って?これはちょっと、ラブレターっぽくないね?」


「私も最初は違うと思ってたよ。でも、ゆい子が、あの手紙をラブレターだって言ってて、もしかしたらこれもそうなのかなって」


「これは違うんじゃない?どっちかっていうと、脅迫文?」


「私は、それはどっちでもいいんだけど」


ゆい子は少しムッとした表情を見せたが、椿は気にせず続ける。


「それより、何かを知られてるっていう方が気持ち悪くて。そんなに大きな秘密なんて抱えてないはずなんだけど」


「分かる。誰でも秘密のひとつやふたつあるだろうし。この子はそう言っとけば揺らぐとでも思ってるんじゃないかな」


耀太は優しい口調に反して、険しい表情をした。


「でもさー、こいつ何がしたくてそんなことすんの?応えるって何を?」


山崎は首を傾げるが、耀太も肩をすくめて、お手上げというジェスチャーをした。


「あのさ、その前に一個確認していい?椿ちゃんは、なんでこの手紙のこと言ってくれなかったの?」


ゆい子はずっと椿の方だけを見つめている。


「…それは…ずっと言おうと思ってたんだけど、言い出すタイミングを失っちゃって」


「それだけ?」


「うん、それだけ。最初、ゆい子があまりにも嬉しそうだったから」


椿が眉尻を下げてにっこりと微笑む。


「…そっか」


お腹の中で、ぐつぐつと何かが煮えているが、ゆい子は必死にそれに蓋をした。







放課後、ゆい子が正面玄関から外を覗くと、雨がしとしとと降っていた。

止まないかな。そう考えていると、三年生の校舎から、パーカーのフードを被った男の先輩が、青いラインの入った上履きでパシャパシャと水を弾いて一人駆けてくる。

屋根のある玄関の入口まで来ると、服に付いた雫をバサバサと払いながらフードを脱いだ。


「あ。芦屋先輩!」


「あれ、ゆい子ちゃんじゃん!いま帰りー?もしかして、傘持って来てないの?」


「ないんですよー。予報出てましたっけ?」


芦屋は、さー?というあいまいな返事をしたかと思えば、急に何かを思い付いたようで、ちょっと待って、とすぐそばの自分の下駄箱を開けた。


「これ、貸したげるよ。ビニ傘だけど」


「えー、いいんですか!?あ、でも先輩は――」


「ゆい子、お待たせー。なんか、雨降ってるみたいだけど――」


ゆい子が振り返ると、椿が驚いた表情で芦屋を見つめていた。

芦屋も同じように椿を見て固まったが、ぎこちなくゆい子に視線を戻した。


「あ、俺はほら、もう一本置き傘してっから。そっちは遠慮せず使って。その…良かったらオトモダチと」


そう言って慌ただしく上履きから靴へ履き替える。


「えー先輩、だいすきぃー」


すると、芦屋はゆい子に向かってにっこりと笑って、じゃ、と足早に去って行く。


「見て、椿ちゃん、ラッキー!」


ビニール傘を少し持ち上げて小声で話しかけるが、椿はゆい子の方など見ていなかった。遠ざかっていく芦屋の後姿に透き通るような声を投げる。


「あ、あの!…ありがとうございます」


「……いーえー」


芦屋は一瞬歩みを止めたが、椿の方を振り向かずに素気なく宙に返事をした。しかし、遠目でも分かるほどに芦屋の耳は真っ赤に染まっていた。



ゆい子が大きめの透明なビニール傘を開くと、すぐに、背の高い椿が柄を持った。相合傘で玄関を出る。


「…ごめん、ゆい子の言う通りだった。あの先輩、そんなに悪い人じゃなさそうだね」


そう言われて隣を見上げると、雨の中で微笑む椿の横顔は一層愁いを帯びて美しかった。

その弾みで、お腹の中にある蓋が開いた感覚がゆい子にはあった。


「…椿ちゃんはさ…ずっと心の中で笑ってたんでしょ?」


自分の声が僅かに震えているのを感じる。


「え?」


「自分だけがラブレターもらってるって、勘違いしてる私を見てさ」


いつも笑ってやり過ごしてばかりいたからか、言いたいことを言おうとすると、なぜだか泣きそうになる。それでも、口をつぐもうとは思わなかった。


「何?いきなり」


傘を持つ椿が足を止めて、ゆい子を正面に見た。


「そうじゃなかったら自分の手紙のことも話すはずじゃん。そうした方が、手掛かりが増えて探しやすくなるのに。だけど、そうしなかったのは、あの手紙の宛先は私じゃなくて椿ちゃんだって最初から思い込んでたからじゃないの?私宛の差出人を探すフリして、ずっと自分宛の差出人を探してたんでしょ?」


「…なにそれ?言うタイミング失っちゃっただけだって」


「湯川先輩」


「え?」


「思い出したの。湯川先輩、前に椿ちゃんに告白して振られてたよね。湯川先輩は差出人じゃないって言ったのは、椿ちゃんに告白してきた人間が私を好きになるはずないって思ったからでしょ。それなのに湯川先輩のことこっそり探ったのは、まだ自分のこと好きなのかもしれないっていう過信でしょ」


椿が何かを言おうとしたが、ゆい子は強い口調で話し続ける。


「椿ちゃんはさ、いつも私のことを見下してるよね。私だけじゃない、みんなのこと、見下してる。自分が一番じゃないと嫌なんだよ。そういう人間なんだよ」


ゆい子が言い切っても、椿はそのまま黙っていた。

しかし、パッと顔を上げて見た椿は、ゆい子を文字通り見下ろして睨んでいた。


「何がいけないの?私より下の人を下に見て何が悪いの。私が一番努力してるんだから一番で当然でしょ。ゆい子なんて何も頑張ってないくせに」


いつもより低い声で、冷静さを失わないように自分を抑え込むように椿はそう言った。


「は?してるし。何も知らないくせに。むしろ椿ちゃんの方でしょ。見た目がたまたま良かっただけで全部手に入れて」


「何言ってんの。小さい時から、私がどれだけ努力してきたかなんて、知らないでしょ。ゆい子の方が、大してかわいくもないのにみんなに好かれて、意味わかんないんだけど」


「私、かわいいだろーが。つーか、好かれてんのは自分じゃん!…って、あーもー!そう言わせるために言ってんの?性格悪すぎ。結局、男は顔しか見てないんだよね」


雨はすっかり、本降りになっていた。

二人は校門を出ないうちに、せきを切ったように罵り合い出した。

一つの傘の下という、外部から遮断されたある種のプライベート空間で生まれた火種は、もはや大きくなるばかりで消すことは不可能かと思われた。


しかし、それは突然やって来た。

道路側から校門を抜けて、水溜まりになりかけのアスファルトを青いラインの上履きがゆっくりと進んでくる。

その華奢な足は、二人の傘の目の前で止まった。


「ねえ、あなた達、耀太の友達でしょ?」


そのひとは不敵に笑った。

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