13 耀太 オセロ

「知らなかったよ、耀太が国立も視野に入れているなんて」


三者面談が終わると、正面玄関で靴ベラを革靴と踵の間に当てながら父親がそう言った。


「まあ、たまたま気になる学部があったから」


「それでも、十分目指せる範囲だと先生も仰っていたじゃないか。お前はやっぱり賢いな」


“やっぱり”という言葉には、“あの祖父の血を引き継いでいるだけあって”という接続助詞が隠れているような気がしてならなかった。

父親と母親が離婚してから母方の祖父母とは疎遠になったが、記憶にある祖父は、たまに会う幼い耀太にも厳しい人だった。


祖父は若い頃から頭が切れる人で、代々引き継いで来た土地のいくつかを運用して資産を何十倍にも増やしたのだと、耀太は大きくなってから噂で聞いた。

自身に一人娘しかいない祖父にとっては、神童とまで言われていた耀太を跡取りにと考えていたのかもしれない。


父親は普段あまり自分の感情を露わにしない穏やかな性格なのだが、祖父母や母の話となるとほんの少し瞳に影が落ちるのを、耀太はいつの頃からか感じるようになっていた。

それは、時代が時代なら明らかに身分が違ったであろう母方一族への劣等感のようなものが混ざった感情なのではないかと、耀太は推察していた。


耀太が曖昧に笑みを浮かべると、父親も眉尻を下げて静かに笑った。


「しかし、資料も事前に準備してくれて、先生の方がよっぽど耀太のことを理解して下さってたな」


息子の進路希望もろくに把握出来ていない父親で申し訳ない、とでも言いたげな表情をする。

しかし、息子の方は、そんなことは何一つ気にしていなかった。むしろ、システムエンジニアという多忙な仕事をこなしつつも、男手ひとつで育ててくれたことに感謝している。

それでも、それを素直に言葉にして伝えられるほど、まだ大人ではなかった。


「あー、安くんね。あの人、普段適当だけど意外とちゃんとしてるから。…でも、国立のことはまだ言ってなかったと思うんだけど、前に話したかな」


まあいっか、とカラッと笑う耀太とは対照的に、父親が気まずそうな顔をした。


「…ところで、その、安くんって呼び方は…」


「え?父さんってそういうの気にする人だっけ」


「いや、気にするわけではないんだが。失礼じゃないかと心配になって」


「なんで、ただのあだ名だよ。つーか、本人が良いなら、いんじゃね?父さんの時代とは違うんだよ」


正門を出たところで耀太は父親と別れた。

この後も会社に戻って仕事をしないといけないらしい。


空はすっかり暗くなり、少し肌寒い。

駅まで一人で歩き始めると、振動を感じてポケットから携帯を取り出した。中学時代からの友人、市川からだ。

開くと、返信する間もなく連続でメッセージが届く。全て謝罪の内容だった。


その必死さに笑みが溢れそうになるのを抑えて、返信しようとしたところへ、また届く。


『本当に何を言っても許されないと思うけど、直接謝りたい』


律儀な奴だな、と思いながら返信ではなく通話ボタンを押すと、たったのワンコールで市川が出た。


「…耀太…俺…俺…本当に…あの…」


なかなか本題まで踏み込めない市川を安心させようと、耀太はあえて明るい声を出す。


「うまくいったんでしょ?良かったじゃん」


「…良く…ないじゃん。だって俺…美咲ちゃんと…」


その先の言葉を市川は口に出すことが出来ないでいる。


「良いんだって。俺が望んだことだし。イッチーにはもっと喜んでほしかったんだけどな」


今日、耀太は美咲との約束をわざとドタキャンした。おいしいアイス屋さんに一緒に行くというデートの約束を。

そうすれば、今、美咲の目に一番印象に残っているはずの市川を、必ず遊びに誘うはずだと確信していた。プライドが高く一人ではいられない美咲なら必ず。市川は優しい性格だから、いつも通り、熱心に話を聞いてやるだけでいい。後は美咲が勝手に誘導するはずだ。


この間のカラオケで良い感じだったにも関わらず、家に送られるだけで終わったとあれば、美咲が落としにかからないはずはない。

恋愛対象に分類した男には、全員に好かれないと気が済まない。美咲はそういう類の人間だ。

市川みたいな純粋な男が、今回もただ遊んで家まで送るだけのつもりだったとしても、落とすモードに入った美咲は止められなかったはずだ。


まだうじうじしている市川に、自信を持たせる言葉を贈るつもりで、耀太は口を開いた。


「イッチー、俺さ、実は美咲とはキスもしてないんだ」


当然だった。あんな外側だけ清楚で固めた汚れた女となんて、耀太のプライドが許さない。

それをせずに、いかに相手を夢中にさせるかが本当の技量だと耀太は思っている。


「だからさ、そういうことだろ?美咲はイッチーを選んだんだ。自信持てって」

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