愛を隠すなら恋の中

せかしお

プロローグ

プロローグ 担任安田の想い

『E組の立花たちばなゆい子がラブレターをもらったらしい』

 

そんな噂を耳にしたのは、季節が夏と秋の間を優柔不断に行ったり来たりしている頃、職員室だった。

演劇部の生徒が、話のついでに面白半分に聞かせてくれたのがそれだった。





「立花さんって、安田やすだ先生のクラスでしたよね?」


演劇部の生徒が職員室を出て行くのを見計らって、隣の席に座るC組の担任教師から話かけられた。

先程は、仕事に没頭しているふりをして、噂話を横で聞いていたのだろう。


「そうですね」


「なんだか、生徒達の間でかなり話題になっているようですね。うちのクラスの子達も騒いでましたよ。…ラブレターって最近じゃ、そんなに珍しいものなんですかねぇ」


「さあ、どうでしょう。ラブレターというより、立花がもらったというのが注目を集めているのかもしれませんね」


「というと?」


「立花は、見た目は平凡ですが、妙に愛嬌があって男女共に人気があるのは確かです。ですが、恋愛対象かというとそうでもない。どちらかと言うと、みんなの妹…マスコット…そのような存在に見受けられます」


「なるほど。あの子、素直で純粋そうですし、教師ウケも良いですもんね。そんな子に初めてのスキャンダルとなれば、周りの生徒は心配になる。黙っていないかもしれませんね」


「…まあ、その可能性もあるでしょうが……実際のところはどうなんでしょうね」


C組の担任は、どういうことですか?と尋ねたが、その声は予鈴にほぼかき消された。


「おっと、もうこんな時間か。あれ、安田先生はホームルーム行かないんですか?」


「もう少し準備してから行きます。1限目もE組でそのまま授業なので」


他の教員が次々と席を離れ、人が少なくなった職員室内には静寂が流れる。

ワイヤレスイヤホンを耳に突っ込み、パソコンを開いて、いつも通り作業を始める。

この朝の数分間が、一番集中することが出来て、とても好きな時間だ。


すっかり冷めたコーヒーを一口飲んでから、『二年E組_生徒情報』という名前のファイルをクリックし、パスワードを入力する。

エクセル画面が開くと、昨日内容を更新したばかりの『中村耀太なかむらようた』のシートが表示された。


このクラスの担任を受け持った時から、全員の情報を常にこのエクセルファイルに記録してきた。

生徒ごとにシートを分けて、名前や生年月日、血液型、出身中学、部活動などの基本的な事項から、性格や成績、進路希望などの詳細な事項まで、生徒の将来を共に考える上でのあらゆる情報を網羅している。そう自負している。

さらに、その生徒に特別な出来事があった際に、特記事項欄にメモをすることも忘れない。

通知表のコメントにそれをそのまま反映することもあるので、些細なことでも記入するようにしている。


中村は、成績優秀でサッカー部での活躍も目覚ましく、その端正な顔立ちも相まって、とても目立つ生徒だ。

一見すると、順風満帆な高校生活を送っているように思えるが、精神的に脆いところがあるので、気をつけて見てあげる必要がある。

昨夜も、中学の同級生と繁華街で遅くまで遊んでいたようだ。後で、それとなく声を掛けなくては。


——カチ。

マウスのクリック音が静寂を数ミリだけ鋭く切る。


椿つばきも、非常に目立つ生徒だ。成績優秀というのもあるが、中村同様に見目が良すぎる。

しかし、見た目の華やかさとは裏腹に、かなりの努力家でストイックな面がある。

その真面目さと外見の儚さから同世代の子達は近寄り難いのか、あまり友達は多くない。

唯一、タイプが正反対の立花とだけは仲良くしているように見えるが…。

まあ今のところ、特に問題はなさそうだが、もう少し積極性も欲しいところだ。


——カチ。


山崎やまざき。E組のムードメーカーで常に明るい。

中村とは部活も同じで大体いつも一緒にいる。と言うより、山崎が一方的に絡んでいると言う方が正しいか。

こいつは、進む方向も明確であまり悩んだりしない性格なのでひとまず放置で良し。


——カチ。


はな。E組のトラブルメーカー。

気の強い性格で、本人は悪気がなくとも他の女子を萎縮させる能力者。今まで何度かヒヤッとさせられる出来事があったので、引き続き注意深く観察する必要がある。


奈緒子なおこも同様に注意。一人でいる分には何の問題もない生徒だが、華とつるむと良くない方向に向かう。


——カチ。


片岡かたおかは、真面目で心優しい優等生。

悩み事は遠慮なく相談してくれるタイプなので基本的に心配はない。昨日のイメチェンも無事に成功したようで、なにより。



——カチ。


さて、立花ゆい子のことはどうするか。


立花が手紙を受け取ったこと自体は、知っていた。

なぜなら、昨日、その手紙が下駄箱に入れられる瞬間を目撃したからだ。

 

最初は少し驚いたが、差出人の心境を考えると、それは必然とも思えた。

それが理解出来たので、その時は、踏み込むような問題ではないと思った。

当人同士で解決すべきことで、教師はただの部外者だ。


しかし、今は少し状況が変わった。

こうも多くの生徒に知られたとあらば、大きな問題に発展する可能性もある。

なんせ、この位の歳の子達は不安定だから。

口を挟むことではないにせよ、しばらく様子を見る必要はありそうだ。



ふう、今朝はこんな所か。

イヤホンを耳から外して、大きく伸びをした。

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