第10話
夕食後、アイビーたちは応接間にいた。先ほど戻ったナシラから報告を受けるためでもあり、彼と共に離宮に訪れた客を迎えるためであった。
「あたしも一緒にいていいの?」
「構いませんよ。いくら続きの間にいるダビーがついているとはいえ、アイビー一人で部屋にいるところを兄上に見つかったら心配ですしね」
円形の応接間にはロウソクが何本も灯され、天井と壁の間や柱の縁に施された草花の金細工や、点々と設けられた丸鏡に明かりが反射して、ほの明るい落ち着いた雰囲気がある。何気なく見上げると、天井画の美しく勇ましい男性と目が合った。男性は薄い衣をまとい、松明と槍を持って鋭い眼差しを降らせている。その足元には、もろ手を挙げて喜ぶ人々と、反対に目が潰れて逃げ惑う異形の姿があった。
アイビーとトクスは並んで一人掛けのソファに座り、ナシラと客人を待った。
間もなくノックの音がした。最初に現れた青年が客人だろう。寝ぐせなのか元からなのか、琥珀色の髪があちこちに跳ねている。大きな荷物を抱えてひょこひょこと猫背気味に歩いてきた彼は、トクスの前でひざまずいた。
「このようなお時間に大変申し訳ありません」
「あなたが来るとは珍しい。緊急の用事だと聞いていますし、気にしないでください」
彼はトクスに促され、アイビーたちと向かい合うように二人掛けのソファに腰を下ろした。身なりから考えて庶民ではなさそうだが、貴族でもないように見える。
青年はアイビーに視線を向け、おや、というように目を瞬いた。
「殿下、こちらの女性は? 妹君ですか。あれ、でも王女さまに赤毛の方は……」
「あなたと同じ客人ですよ。事情があってこちらで保護しています。同席しても問題ありませんね?」
「殿下が問題なしと判断したのであれば、ぼく……じゃない、私はそれに従うまでです」
それぞれの前にナシラがティーカップを置いていく。鼻がすーっとする爽やかな香りと、かすかな甘みが大人っぽい茶だった。
「まずはナシラの報告から聞こう。女性の行方は?」
「隣の隣の隣町まで行って確認してみましたが、残念ながら」
ナシラは机のそばに起立したまま、ゆるゆると首を振った。
「ただ、上空を何かが通り過ぎて行ったのを見たというのは何人かから聞きました」
「何か……? シャガのドラゴンじゃない?」
「確かに『二日前にドラゴンを見た』と訴える者も多くいましたが、それとはまた別に『馬が飛んでいった』と」
「それは俺たちじゃないか?」
「お二人とも、どうして大人しく話を最後まで聞いていられないんです?」
苛立たしげにクマに似た顔を顰めるナシラに、アイビーとトクスは目を合わせて口を噤んだ。
「住人たちが見たのは『白い天馬』だそうです」
「えっ、白い天馬?」
驚いたように声を上げたのは青年だ。また話の腰を折られ、ナシラの顔が一層厳めしくなる。
「なにか問題が?」
「あ、いえ、すみません」
どうぞ話を続けてくださいと青年は申し訳なさそうに頭を下げた。
「誰が乗っていたかまでは分からないらしいです。飛び去ったのは聖都の方角で、一瞬で駆け抜けていったと」
はい、と小さく手を挙げ、アイビーはナシラを窺った。発言してもいいか目で尋ねると、どうぞと頷かれた。
「天馬って、トクスが乗ってるあれよね? 珍しい幻獣ではないの?」
「ああ、それなら身分、」
「身分の高い者なら、普通の馬より天馬を所有していることの方が多いですね」
問いに答えたのはトクス、ではなく、客人の青年だった。
「見た目も優雅ですし、何より空を飛んでいくので速い! 魔術師の全盛期には一家系につき一日二頭作られたとも言われていますから、決して数は少ない。ただやはり乱獲とか討伐とかで、年々数は減っています。無理やり血を奪って飲んだところで幻操師にはなれないのに!」
悔しげに唇を噛み、青年は目を潤ませた。どうやら幻獣や幻操師を知っているようで、特に幻獣のことになると熱くなるらしい。彼の素性が気になったが、訊ねるより先にナシラが話を続けた。
「話を戻します。時間や方角的に考えて、リーニャに現れた女性がその天馬を繰っていた可能性は高いでしょう。天馬は庶民には手の届かない高級品ですし、身分の高い方かも知れませんね」
「聖都に送った兵から報告は? 女性がいないか捜しに行ったんだろう」
「ここに来る前にちょうど聞きましたが、聖都にそれらしき女性はいなかったそうです」
「一人も? じゃあ聖都以外の、別の場所に向かったんだろうか」
「それか、まだリーニャにいるとかじゃないかしら。天馬もたまたまその時間に通っただけかも知れないし」
「何にせよ、女性捜しは明日以降ですね」
次は青年だ。彼は荷物を包んでいた布を開き、中から木箱を取り出した。大きさはアイビーの顔くらいだろう。青年はさらに木箱のふたを開け、入っていたものを机の上に置いた。緊張しているのか、指先がかすかに震えている。
彼が置いたのはくびれのある乳白色のつぼだった。見ようによっては女性の体にも見える。艶やかな表面に花の浮彫があるが、ぐるりと横に一周するように入ったひびが痛々しい。
それを見た瞬間、トクスが訝しげに首を傾げた。
「見間違いでなければ、これは聖女のつぼでは?」
「ええ、そうです。今朝がた準備中に見つけた時には、もうこの状態でした。中身が無事なら良かったんですが……」
「まさか……」
「大変申し上げにくいのですが……無くなっているんです」
今にも泣きそうな青年の言葉を境に、空気がぴんと張り詰めた。
彼はさらに木箱の中から一回り小さな箱を出した。こっちにもないんです、と続けた声は緊張と悲しみで震えている。
「あ、あの、トクス。このつぼと箱は、なに?」
というか、この青年は誰なんだ。
アイビーがおずおずと聞くと、
「魔術師です」
「……へ?」
でも魔術師って処刑されたのでは。
いや違う。高名な家系が二つだけ残っているのだった。彼はそのどちらかの者ということか。
青年はずびずびと鼻をすすり、壊れた人形のように頭を下げた。
「紹介が遅れました。シェダルといいます。今日は当主代理でこちらに伺いました」
「二つある家系のうち、彼のエアスト家は幻獣の調査・記録・管理などを行っているんです。父上のところにはもう行ったんですか」
「ええ。本当は昼間に着く予定だったのですが……」
詳しく聞くと、シェダルは最初、王宮に行ったそうだ。だがそちらはドラゴンの出現で崩壊し、国王がいなかった。彼とエアスト家当主は瓦礫の撤去をしていた兵に聞き、まず国王がいるこことは別の離宮へ、その次にシェダルだけがトクスがいるここに来たという。
「じゃあ、このつぼは?」
「箱には聖女の遺骨が、つぼには灰がそれぞれ入れられていました」
「はい?」
素っ頓狂な声が出てしまって、アイビーは慌てて口を手で覆った。
「普通なら火刑……というか火葬後、残った骨や灰はすぐに聖都近くの山にばら撒くなり埋めるなりするんですが、聖女の場合は別なんです。還天祭の後に埋める予定なので、こうして保存してあったんですよ」
「えーっと、頭がこんがらがってきたから整理させて……」
一気に色々な情報が入ってきて見事に混乱した。気のせいか頭痛も感じる。その間、トクスは静かに待ってくれたし、シェダルは絶え間なく鼻をすすっていたし、ナシラは一人無言で茶を飲み続けていた。
「聖女の場合は別って、どういうこと?」
「聖女というか、還天祭が行われる人物は、ですね。祭では故人の棺桶を祭壇に持ってきて、神の元に還天したことを祝うんです。その後で地中に埋めるんですよ」
「じゃあ、それまではどこに棺桶を置いてるの」
「還天祭を行う聖堂の石室です。聖女も、魔術師だと告白しなければ遺骨等はそこで保管していたんですがね。魔術師は神を信仰する人々にとっては、神の真似ごとをした愚か者、要するに悪です。聖堂は神を信仰する場であり、そんなところに魔術師の骨を残すなと異を唱えるものが続出しまして」
国王は悩んだ。長い歴史の中で魔術師は悪だとされてきたが、聖女はその力を用いて人々を癒した救世主とも言えたし、還天祭の実行を願う声も多かった。
そこで、還天祭の時だけ聖堂に遺骨を運び込むと決めた。それまでは埋めておいて、時が来たら掘り起こそうと。
しかし、
「埋めてから一日と経たず、盗まれたんです」
「……もしかして、神力目的で?」
魔術師の血に宿る神力を得ようとする者がいるという昨日の話を思い出して聞くと、トクスが仏頂面で首肯した。
「幸い取り返せましたが、同じような盗人が続いたので、還天祭までの間、エアスト家に管理を頼んだんです」
「我が家の敷地には門番代わりの幻獣があちこちに何十匹といますから、軽々しく入れないだろうと殿下が提案されたんです。私たちも管理の厳重さには自信を持っていました。なのに……」
シェダルは慎重な手つきでつぼと箱を開けた。
アイビーたちは揃って中を覗き込む。どれだけ目を凝らしても、遺骨も灰も見当たらない。欠片すらもだ。
「盗まれたの?」
「恐らく。中身だけ移し替えたのかも知れません」
「しかし、一体いつ? 管理場所を見たことがありますが、そう易々と盗みに入れるような所ではないでしょう」
遺骨や灰の入った木箱は、エアスト邸の最奥部にある幻獣や魔術師の資料を保管する部屋に安置されていたという。部屋の前には幻獣が立ちふさがっているし、中に入れたとしても、いたる所に張り巡らされた罠にはまれば、最悪命を落とすらしい。
「いつから空だったかは?」
「一日に最低一度は誰かが部屋に入りますが、箱の中までは確認していませんでした」
「なるほど……部屋の前の幻獣は、例えエアスト家の人間であろうと手懐けられなければ、中に通してくれないと聞きますが。幻獣を殺してまで入ったとか」
「いいえ、今も元気に門番を務めていますよ! なので多分、手懐け方を知っていたんだと思います。そうとしか考えられません」
どうしようと繰り返し呟きながら、シェダルは頭を抱えて俯いた。
「還天祭にはたくさん人が来ますよね? みんな聖女の遺骨を見に来ますよね? どうしようどうしよう!」
「お、落ち着いて。ね?」
「うう、ありがとうお嬢さん……」
エアスト家は親族やもう一つの魔術師家系にも協力を頼み、総動員して中身を探しているという。また門番の幻獣の手懐け方を知っている可能性があることから、内部犯も視野に入れて片端から話を聞いているそうだ。
何としても還天祭までに見つけなくては台無しになり、人々が還天を祝えない。ただでさえドラゴンの出現で国内が不安定になりつつあるのだ。打てる手は打っておかねばならない。
国王はすでにこの話を聞いているのだから、明日からは倍以上の人数で消えた聖女の骨と灰を探すことになるだろう。シャガ捜しと聖女の遺骨捜し。そのどちらも任される兵たちが大変そうだ。
「ああ、そうだ! 忘れるところだった」
「? これは?」
シェダルが差し出したのは紙の束だった。トクスはすぐに中を確認し、アイビーも横から覗き込む。
「ヒュドラについての調査が終了しましたので、そのご報告です。本来であれば詳しくご説明させていただくのですが」
「時間も時間ですし、捜索に戻らなければいけないんでしょう? 勝手に確認しておきますから、お構いなく」
「申し訳ない……」
シェダルは荷物をまとめ、道案内役のナシラと部屋を出て行った。
トクスが紙の束を一枚ずつ机の上に広げていく。合計で六枚あった。そのうちの一枚に、ぼってりと重々しい胴体と、蛇に似ているがかなり凶悪な顔の生物が描かれている。しかも首が七つある。手足はなく、胴の二倍ほどの大きさがある尾が渦を巻く様子も記されていた。
「これがヒュドラ?」
「ええ。報告によると、ヒュドラは三百年前にとある魔術師が作り上げた幻獣だそうです。胴が巨大すぎるあまり進む先のものを破壊してしまうことと、毒の息をまき散らす危険性から処分が決定されたけれど出来なくて、封印されていたと書かれていますね」
「出来ない? どうして」
「普通は幻獣一体につき〈核〉は一つです。しかしヒュドラには七つあった」
トクスが首の下を指で叩く。ヒュドラの〈核〉はこのあたりにあったと言いたいようだ。
「傷つけようが神力が作用して一瞬で回復してしまい、運よく首を切り落とせたとしても次の瞬間には新しい首が生えている。俺も一度戦いましたが、鱗がかなり分厚くて強靭でしたし、昔の刃物ではすぐに刃こぼれしていたでしょうね」
「だからヒュドラを完全に倒せる時代になるまで、封じていたってことね。でもどうやって?」
「封じていた場所は判明しているんですが、ヒュドラが現れた際に崩壊してしまったので、詳しい手段はまだ突き止めきれていないと書いてありますね。しかも現場にはまだヒュドラの毒が残っていて、長時間の滞在は難しい、と」
死してなお厄介さを残していくとは。過去の魔術師はなぜそんな幻獣を作り出したのだろう。
さらに読み進めていくと、ヒュドラを倒すには七つある〈核〉を同時に破壊するか、取り出すしか方法が無かったとある。少しでも早かったり遅かったりすれば、体内に溜め込まれていた神力が新たな〈核〉を作り出していたようだ。
ということは六年前、トクスたちは同時破壊、あるいは摘出に成功したわけだ。ヒュドラの体は崩壊し、砂の城がくずおれるように死んだという。
「その時、三つは破壊、四つは摘出したんです。エアスト家が魔術師の特定やヒュドラの生態を解明するために保管したのは、摘出したうちの三つだったんですが……」
「じゃあ、あとの一つは?」
「……それが」
トクスの表情がにわかに暗くなった。
なにやら良くないことが書かれているらしい。アイビーは〈核〉について記した部分に目を通していった。そこには、
「行方不明? って、紛失?」
「エアスト家が回収するより先に消えていたと」
「実は破壊されていたって可能性は」
「破壊が確認されたのは三つ。それは確かです。討伐現場で埋もれているなんてこともあり得なくはないですが」
討伐された場所も同様に、ヒュドラが撒いた毒が今もなお滞っていて迂闊に立ち入れない。少なくとも、三年先までは土を踏めないだろうとトクスは言う。
シェダルの報告書にはひとまずその旨と、ヒュドラの別個体は確認されていないこと、生態などが記されていた。
ナシラが戻ってきたところで明日の予定を確認し合い、アイビーは部屋に戻った。明日は朝からリーニャを救ってくれた女性捜しだ。ダビーに着替えさせてもらい、いそいそとベッドにもぐりこんで眠りの訪れを待つ。さすがに疲れているだろうと判断したのか、ダビーは一言二言話しただけで退室していった。
還天祭まで間もなく一週間だ。シャガの居場所も詳しい目的も分かっていないのに、果たして全て無事に解決するのだろうか。新たな問題まで加わって、ますます不安になるばかりだ。
――何もかも解決したら、あたしはまた孤児院に戻るのよね。
ふと沸き起こった疑問に、アイビーは目を瞬いた。
――じゃあ、そのあとは。
――トクスにはもう会えなくなるのかしら。
今は保護という名目で彼のそばや、離宮にいられる。全ての問題が片付いた時、アイビーは当然ここにはいられないし、トクスとも簡単に話せなくなるだろう。
それはなんだか悲しいと思うのは、我がままに違いない。ユノには相談できるかもしれないが、いくら彼女でも怒りそうな願いだ。
これ以上トクスのそばにいると、浅はかな願いまで抱いてしまいそうだ。
――これからもずっと一緒にいたい、とか。
アイビーは枕に顔を押し付け、バカなことを考えるなと自分を律した。
早く眠ろう、そうしよう。その決意に反し、アイビーが夢に落ちたのはそれから一時間後だった。
シャガの側近の部屋から幻獣作成の資料が見つかったと報告があったのは、翌朝のことだ。
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