第15話「十年前の真実」
――十年前、当初の予定では天技会に召集されたメンバーの中に天馬の名前は存在しなかった。
天馬が召集されることになったのは、楓の師匠でもある元世界ランク一位、真道武の強い推薦によるもの。
楓が天馬の存在を知ったのはその際に武から面白いものを見られると、半ば強引に連れて行かれたのが始まりだった。
当時十代ながらもADFの第一線で活躍する世界ランカーだった楓は、自分の時間を削ってまで子供のADFに足を運ぶことに不満を抱いていたのだが、天馬の試合を一目見て考えが一変した。
ADFには力がある。
見る者を楽しませ、見る者に感動を与え、見る者へ勇気を送る。
それは楓がADFを続ける原動力でもあり、ADFが世界的に愛される要因でもあった。
その世界のトップで活躍する楓に対してまだ小学生にもなっていない子供が大きな衝撃を与えたのだ。天馬の戦う姿には人を惹きつける何かがあった。
もっともっと見ていたい。ただ単純にそう思わせることができるのは簡単なようで途方もなく難しい。
天馬のADFは正に楓が理想とするものであり、その瞬間に楓は天馬のファンになっていた。
その年の天技会は何かの運命に導かれるように才能ある者が多く集まった。
楓から見ても将来が楽しみな者ばかりで、彼らが日の丸を背負って世界に羽ばたく日も遠くはないと確信すら抱くほどに。
そんな子供たちが集まる中でも天馬の才能は他を凌駕しており、圧倒的な強さを持って天技会を制して見せた。
しかしそんな天馬に待ち受けていたのは形容し難いほど残酷な現実。
ADF協会はその年の天技会に集まった才能ある者たちを黄金世代と称して大々的に世間に布告することになる。
停滞の一途を辿っていた日本のADF界にかつてない光明が指したのだと日本中が盛り上がりを見せた。
そして最も注目されるのが黄金世代と称される者たちの頂点に立った者になるのは必然だろう。
しかし世間に公表された栄光ある優勝者の名は、須王隼人という楓の知る事実とは異なるものだったのだ。
当然ながら楓は師匠の真道武と共にADF協会に異議を申し立てた。だがADF協会は当時世界ランカーだった楓と元世界ランク一位の武を前にしても、尊大な態度で最後まで事実を訂正することはなかった。
当時のADF協会の主張はこうだ。
『まるで堕天使を彷彿とするような彼の姿は表舞台に相応しくない』
『汚らわしい、呪い子のような者は日本のADF界に悪影響をもたらす』
『あの見た目では世間体が悪い、スポンサーの受けも良くはないだろう』
確かに天馬の天翼が普通とかけ離れた異質なものだということに否定はできなかった。
しかしそれでも楓にしてみれば些細な問題でしかない。楓はADF協会の重役たちを前に天馬の試合を見たことがあるのかと尋ねてみたのだが、その返答は楓を酷く落胆させるものだった。
当時のADF協会は体裁を気にするばかりでADFの本質を微塵も理解すらしておらず、金儲けのための道具の一つとしかADFに価値を見出していなかったのだ。
これまでにも楓は何度かADF協会に不信感を抱いていたが、その瞬間に生じていた溝が決定的なものとなる。
事はそれだけに留まらない。
ADF協会はその権力を以てありとあらゆる方面に圧力を掛け、天馬の存在が表に現れないように徹底的に情報統制を行い、時には実力行使に出ることもあった。
現代で誰しもに周知されている一代娯楽のADFは世間に対して強い影響力を持つため、ADF協会の意向には政治界とて無視できないものがある。
その結果、周囲からの悪意に晒され続けた天馬の母親は命を絶ち、天馬はその姿を目の当たりにしてしまう。
そして自らに罰を与えるようにその罪の象徴たる天翼を捨て去ってしまったのだ。
全てが取り返しのつかない事態になった後でその事実を知った楓は激しい憤りを覚え、同時に何か自分にできることはなかったのかと強い後悔に苛まれることになる。
人を楽しませるはずのADFが原因で不幸になってしまった者を知ってしまったが故に、自分が何のためにADFを続けているのか分からなくなった楓は、数年後に選手から指導者へと道を変えたのだった。
「それが私の知る全てだ」
時間にすれば十分程度の長いようで短い話にも関わらず、そのあまりにも根が深い内容はその場の面々に大きな衝撃を与えた。
「……酷い」
理帆は以前目にした天馬の様子から並大抵ではない出来事があったのだと予想はしていたが、その真実は想像を遥かに超えるものだった。
いったいどれだけ彼は傷つけられたのか。
いったいどれだけ彼は絶望したのか。
いったいどれだけ彼は苦しかったのか。
考えれば考えるほどに理帆の胸は強く強く締め付けられるのだった。
そんな理帆と同じ思いを感じているのか、隣に立つ風奈もまた理帆と同じように激しい痛みを堪えるようにぎゅっと胸を押さえていた。
「……なんだよそれ」
この中で龍一だけが楓の話にあったその原因を正確に知るが故、怒りのあまり自らの拳を机の上に叩きつけた。
打ち付けられた拳はビリビリと痛みを訴え掛けて来るが、それ以上の痛みが胸の奥に訴えかけてくる。
「愚かな……それほどまでにADF協会は腐り切っているのですか」
迅堂家に生まれた麗花は上に立つ者の在り方を幼い頃から教えられ、求められてきたからこそ憤りを隠すことなく顕わにした。
麗花の隣に立つ紗月は何も言葉にしなかったが、その表情を見れば並々ならぬ思いを抱いていることは容易に想像がつく。
生徒たちの反応を見た楓は少し訂正するように静かに口を開いた。
「勘違いするな、あくまで当時のADF協会の話だ。まだ完全とは言えんが、師匠が会長になってからはそういった膿は徹底的に排除されている」
楓の言葉が本当だとしても既に起った事は取り返しがつかないと分かっているからこそ、誰もその表情を変えることはない。
暗然たる空気がその場を漂う中、楓は独り言のように自分の胸の内を語りだす。
「怨み、妬み、怒り、それらを他者にぶつけることができればどれだけ楽だっただろうか。人であるのなら当たり前の行動だ、何せあいつは何も悪くないのだからな。悪いのは当時のADF協会であり、環境であり、周囲の人間たち。もしもあの時、あいつに一人でも手を差し伸べてくれる存在がいたのなら、結果は違っていたのだろうかと今でも考えずにはいられない」
僅かな沈黙の後に楓はまた言葉を続ける。
「今のあいつは自分の存在しない世界をさ迷っている抜け殻のようなものだ。本来その場所に立つべき者が立てずにいる、その現実がどうしても私には受け入れられない。これは私のエゴであり、ただの我が儘かもしれないが、私はあいつにもう一度チャンスを与えてやりたいんだよ」
楓の言葉を聞いた麗花はその場にいた者の中で唯一人、楓の言葉の真意に気が付いた。
「かつて星ヶ谷天馬はADFによって全てを失った。そして、全てを取り戻す手段もADFにある。水本先生はそう考えているのですか?」
「矛盾したことを言っている自覚はあるさ。だがそれでも、私はそう信じずにはいられない」
麗花はその言葉を聞いて考え込むように目を閉じる。
やがて自分の中で結論を出すと、真っ直ぐ楓へと視線を向けた。
「同情は致しますわ。ですが、わたくしにも為さねばならない悲願があります。わたくしが求める物はただ一つ、強さのみ。星ヶ谷天馬が相応しいか否か、いずれにしろこの眼で見極めなければなりません」
確固たる意思を示す麗花の隣で紗月は一人静かに強く拳を握りしめていた。
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