第9話 むぬぬ
窓から差し込む陽光に刺激され、俺の意識は覚醒した。
長年の労働の対価だろうか、俺の寝起きはずいぶんといい方だ。なんなら、起きてゼロ秒で仕事ができるぐらいにはいい方だ。
……どうしてこうなっちまったんだろうなぁ、おい。
ま、そんな元凶は昨日おさらばしたばかりだ。これから俺は、新天地にて新たなる人生を始める――!!
「…ふあ……あにぃ……」
「……ん?」
俺の寝ていた布団の下から、何やらもぞもぞと動く影が一つ。ああそういえば、昨日はミィとずっと話してたな……
「……ってミィ!?」
「むぬぬぅ……なにぃ…?」
「いや、なんで自分の部屋に帰ってないんだよ!?」
「ナオが先寝ちゃったからぁ……布団に入れてあげてぇ……ぐぅ」
「ね、寝たぁああ!?」
同じ布団にて同衾してしまったことに、己の中のモラル的な何かが崩れ落ちていく音ばかりが響く。
と、とりあえず落ち着け俺……ここは日本ではなぁいぃ……。よって、その日に出会ったばかりの年下で異性の同僚と同じ布団で寝てしまっても問題はないは――いや問題大有りだよっ!!
とにかく! いったん布団から出て――
「……あにい……」
そこで、俺は身動きが取れないことに気づいた。俺の寝間着を鬼の怪力でつかまれていたのだ!
「ちょ、おい。起きろミィ!」
「……やっ」
「いやじゃない! 起きろって!」
「いやぁ……」
「ああもう、鬼で吸血鬼ってのは本当みたいだな!」
鬼の怪力に吸血鬼の夜行性。どうやら、日の光に弱いというのは事実に基づいた噂であるらしく、半分が吸血鬼である彼女はとんでもなく朝に弱かった。
寝ぼけたままに俺の服の裾をつかんでは、絶対に起きないという決意表明を行動で示し続けるミィ。
そんなわがままなミィの拘束から逃れるため、あれやこれやと抵抗して見せる最中、この格闘の
「ナオさーん! 朝です……よ?」
「あ……おはようございます?」
それは、俺の腹あたりに顔をうずめて眠るミィを見て、笑顔のまま固まったアイリがそこにはいた。
「ふ、不潔ですぅ!!!!!」
びたーん、とあまりにも鮮やかなびんたが決まるまであと数秒。
あまりにも気まずいこの空気の中で、ミィがくうくうと気持ちよさそうに眠っていたのが、俺の眼には小憎らしく見えた。
◇~~~◇
「どうしたナオ。朝っぱらから顔なんか腫らして」
「寝ぼけて階段で転んだんだよ」
「なるほどね。ま、そういうことにしておくよ」
整える気のないであろう無精ひげをなでながら、サトヤはくっきりと俺の頬についた手形を見てひひひと笑っていた。
朝食を食べるために訪れた食堂で、遠巻きに俺を見つけたサトヤに案内されて、混んでいる食堂の中から並んで朝飯を食べられるスペースを見つける。
特に何か事情がなければ、こうして朝昼晩と食事を用意してくれるというのだから、随分と好待遇の会社である。
さて、そんなわけで白米に鶏卵、それにきゅうりと大根の漬物に味噌汁といった献立に舌鼓をうっていると、随分と聞き覚えのある女子たちの声がどこからともなく聞こえてきた。
「どうしたのよアイリ。機嫌が悪そうじゃない」
「それがね、ルル姉。ナオさんが――」
「……おぉー。随分と手の早い子じゃない。奥手そうに見えたけど、間違ってたのは私の眼だったってわけね。それにしても、ミィはそこらへんどうなのよ」
「……何の話?」
「何も知らないミィを連れ込んだんだよ! 不潔だよ! 主様に任された手前、教育係は続けるけど……私、あの人嫌い」
「まあまあ、落ち着きなってアイリ」
随分と耳に痛い話に、俺の胃が今食べたものを戻しそうになっていた。
俺の横で飯を食っているサトヤが、どこか愉快そうにしているのもまた腹が立ってくる。……このままでは業務に支障が出てしまう。なんとかして、ミィとともにアイリの誤解を解かねばならないだろう……。
「にしても、珍しくアイリちゃん荒れてるな」
「そうなのか?」
「そうだよ。うまいもん食えなくてへこたれてたり、ルルの奴に隠してた甘露を食われて怒ってたりするところはよく見るが、人を指して嫌いっていうことだけはなかった」
「あー……」
サトヤの言い分に、俺は過去の愛理を思い出す。確かに、あいつは人を嫌うような
「しかし、あっしにはナオが嫌われるような人間には見えねぇんだ。なあ、ナオ。お前、何者なんだ?」
「……んー……そういうのって、タブーとか言われないのか」
「あるにはあるが、気になったことは素直に聞くもんだぜ。それに、ナオは脛に傷がある人間じゃないだろう?」
「それもそうか」
俺もそうだが、かの龍は俺が何者であるかを問うことすらもせずに、この旅館の従業員として迎え入れた。つまり、ここで働くことに過去は問われないということだ。
となれば、聞かれたくない過去を持つものも多いだろう。この世界にとどまるとなれば、元の世界に遺恨がある奴がいて当然だ。
ただ、サトヤの言う通り俺は脛に傷があるようなわけでもなければ、思い出したくもないようなトラウマがあるわけでもない。
社会人としての記憶も、あの日の辞表で蹴りをつけたからそこまでだ。
そんなこともあって、俺はサトヤに、アイリとの関係を語ることにしたのだった。
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