恐ろしいモノ

 豪華な部屋だ。高い天井にはシャンデリア、落ち着かないほど華美な調度品に、壁紙までが輝きを放って主張してくる。

 そんな部屋の中央で、優雅にティータイムを楽しむお嬢様と、後ろに控える老執事。


「気に入りませんな」

「あら? どうして?」


 老執事の諫言に耳を貸さないお嬢様。派手なドレスに身を包み、縦ロールを揺らして笑っている。


 高橋敬一が見たならば悪役令嬢まんまだと笑っただろう。

 だが、このお嬢様と老執事、悪役などと言う生やさしい言葉では収まらない。


 シャルティアだ。このお嬢様こそ、シャルティア・フォン・ダックラム。

 ここはユマ姫が到着する前のビルダール王都。このお嬢様と老執事が意見を交えるならば、話題となるのは次のお茶会の予定などではありえない。


 殺人組織の運営方針だった。


「適正のない素人を取り込み過ぎです。目指すべきは少数精鋭。完璧な仕事には、完璧な人間が必要かと」

「完璧な人間なんて存在しえないわ」

「私が知る限り、あなたこそがソレに近い。私の理想を体現出来る」

「あなたの理想に興味はないの。コレから私の戦争が始まるんだもの」

「お嬢様の、戦争?」

「そう」


 眉を顰めた老執事に、シャルティアはティーカップを下ろす事で答える。カチリと音がいやに固く響いた。

 老執事は尚も食い下がる。


「お聞かせ願えますか?」

「そうね」


 シャルティアは片目を瞑って、イタズラっ気のある顔を覗かせた。


「情報戦よ」

「情報戦?」

「帝国が森に棲む者ザバの都を落としたのは知ってるわね?」

「無論です」

「なのに私達は帝国が森に棲む者ザバを攻略した方法を知らないし、もっと言えば何故、帝国は長年森に棲む者ザバを敵視していたのか、ソレすら知らないのよ? そんなのってあるかしら?」

「ふむ……」

「手が要るの。もっと多く、もっと長く、もっともっと。情報こそが全てを征する」

「あまり、そそられませんな」

「あら? コレを見てもソレが言える?」


 シャルティアが取り出したのは豪華なティータイムにそぐわない鉄の武器。

 小型のクロスボウだった。


「この大きさで、威力はロングボウと同じなの」

「信じられませんな」

「見た方が早いわ」


 言うなりシャルティアはティーカップの下からソーサーを引き抜いた。そのままカードを投げる気軽さで放り投げる。一見するとお嬢様が見せるティータイムでのイタズラ。

 しかし、結果はイタズラとは程遠い。ソーサーは奇妙なほど良く飛んだ。空気を切り裂き、部屋を横切り、そのまま壁に突き刺さる。


 暗器だ。


 薄く鋭い鉄で作らせたソーサーは、お茶会に持ち込めるシャルティアの隠し武器。


 ――ダンッ!


 そして放たれたクロスボウのボルトは、鉄のソーサーをぶち抜いてそのまま壁へと縫い付けた。


「何と言う威力!」

「このサイズで、発射は引き金を引くだけ。誰でも使える。誰でも殺せる。これこそが帝国の武力、侮れないわ」

「…………」


 執事は黙った。この武器がにどれだけの革命を起こすか計り知れないからだ。


「話には聞いた事あるでしょう? 『ボウガン』と言うんですって、聞かない響きよね?」

「何が言いたいのですかな?」

「帝国はどこからか、未知の技術を手に入れた。古代文明とも恐らく違うわ。魔力が無くても再現出来る。そして、そんなモノをサンプルにどうぞと、敵性国家である我々にポンと譲ってくれたのよ? コレがどう言う事か解る?」

「舐められている? ですか?」

「違うわ、こんなの何の価値も無いのよ、もっと危険なモノを作っている」


 実際、張力を得るために木より固い鉄で弓を作る程度の事は誰だって考える。


 だが、威力のあるクロスボウを作るには、まず粘り気のある、しなやかな鉄が必要だ。堅くても折れてしまえば意味がない。良質な鉄がなければ威力が出ない。

 そして、トリガーの発射機構にはそれなりの工作精度を必要とする。技術がなければマトモに飛びはしない。


 それだけの工業力を身に付けた上で、このボウガンは前座に過ぎないとばかり、いよいよ本当に作りたいモノに辿り着いたとしたらどうなる?


 既に王国は何周も遅れている。このままでは滅びるのも時間の問題。


 もはや情報こそが王国の存亡を決定づける。コレはそう言う戦争だと、シャルティアは直感していた。


「カディナール様はなんと?」

「私の婚約者様は、もう帝国と秘密同盟を結ぶつもりよ」


 お茶を飲み干したシャルティアの瞳が爬虫類みたいに細まった。


「一足飛びに同盟なんて、王子はどんなモノを見せられたのかしらね?」

「それが新兵器だと?」

「名前だけは知ってるわ。ジュウと言うんですって……」

「ジュウ……」

「小さな鉄の弾を飛ばす兵器だそうよ、方法は不明。そろそろ見せてくれるかしらね?」

「それが、人間を増やす理由ですか?」


 そう問われると、シャルティアは人差し指に顎を乗せ、小首を傾げて苦笑した。


「それもあるけど、一番は心細いから、ね」

「お嬢様が、心細い? 何かの冗談ですか?」


 あんまりな物言い。コレにはシャルティアも肩を竦めた。


「だって、たった一人で帝国と戦うなんて怖いじゃない?」

「……話が、見えてきませんな」

「わからない? 力を付けた帝国と同盟なんて、平等なモノにはならないわ。王国は何を差し出すハメになるのかしらね?」

「まさか!」

「同盟に人質はつきものよ。その点、王妃になった私はピッタリじゃない?」


 乙女の様にウットリと語る。しかし目だけは邪悪な爬虫類。


「ねぇ? 王妃サマが国一番の殺し屋なんて、一体誰が信じられるかしら?」

「ひょっとして、皇帝を?」

「それも、いいかもね」


 気のない素振りは嘘。

 シャルティアは、現人神と呼ばれる皇帝の首筋を斬り裂いて、人間である事を証明したくてたまらなかった。

 可愛いぬいぐるみの中身。残らず引き裂いて綿を抜き出し、両親を困らせたのが幼少のシャルティアだ。その本質は少しも変わって居なかった。

 剥製作りもその一環。全ての謎を解き明かし、全ての中身をぶちまけたいのがシャルティアなのだ。


 まして帝都で情報収集にあたり、秘密の全てを白日に晒せば、表と裏がひっくり返る。戦争の主役が暗部に変わる。自分の手で戦争を決められる。ソレだけの力を欲していた。


「やはり、気にくわないですな。我々はあくまで裏方。暗部の領分をわきまえない限り、破滅はすぐに訪れます」

「何言ってるの? ベイター。 弁え過ぎてダックラム家が滅びかけてたじゃない」

「…………」


 その通りだった。

 老執事の名はベイター。彼こそが暗殺で名を売ったダックラム家の本丸。その技術を受け継ぐ最後の一人だった。

 しかし、彼と彼の先人達には仕事の美学があり過ぎた。仁義なき仕事はしないと、プライドが邪魔をした。平和な世にあって、次第にダックラム家は没落していく。

 極めつけに、当代ダックラム公は愛する妻との間で子宝に恵まれず、ダックラム家が消滅するのは時間の問題。このまま暗殺技術も途絶えると思った矢先、ようやく一人娘を授かった。


 娘が可愛くて仕方が無いダックラム公は、あろう事か悲劇の美姫オルティナから名前をとって、シャルティアと名付けてしまう。

 そして、シャルティアの誕生に嬉しくなったのは、執事であるベイターもだ。

 そうしてダックラム家はシャルティアを中心に回り始める。


 しかし、生まれてきたシャルティアは滅多に笑わない子供だったのだ。


 両親も、ベイターも、何とかシャルティアの笑顔が見たい。そうして、ベイターは手品代わりに暗殺技術の一旦を見せてしまった。

 音も無く歩く技、高い壁を越える跳躍、闇に紛れる呼吸法。シャルティアは、どんな玩具よりベイターの技に興味を示した。



 ソレが全ての始まりだった。


 いや、全ての終わりだったのかも知れない。


 はじめから間違いだった。暗部は執事が取り仕切り、当主は隠れ蓑に徹して裏の仕事に決して関わらない。これこそがダックラム家の基本理念だったはず。

 間違っても、当主の一人娘、お嬢様に教えて良いモノではない。いや、実際の所、本当に覚えてしまうなんて、ベイターは夢にも思っていなかったのだ。ちょっとした大道芸として、消えゆく技を誰かに見せたかっただけ。


 気が付けば、たおやかな貴族のお嬢様はベイターを遙かに超える暗殺者へと変貌していた。

 決してあり得てはいけない事だった。だが、もはやこのお嬢様を止められるのはベイターしか居ないのだ。


「行き過ぎを諫めるのも臣下の勤め」

「やるき、なのね?」


 二人の間で殺意が渦巻き、空気が軋んだ。

 煌びやかな貴族のティータイム。お茶の香りに混ざるのは、肌が粟立つ死の気配。


「失礼します」


 そこへ新たに、若い執事が飛び込んだ。


「ウィルター、どうしたの?」

「それが、一週間後には森に棲む者ザバの姫が到着すると」

「へぇ?」


 情報を広く集めるダックラム家は、王宮よりも耳が早い。ネルダリア領の人間を除くと、もっとも早くユマ姫の情報を手に入れていた。


「どうなさいます?」

「……そうね」


 ユマ姫はネルダリアのオーズド伯の紐付き。主戦派の急先鋒だ。

 秘密同盟は勿論、王妃を帝国へ人質に出すなど、看過するはずがない。シャルティアにとって邪魔な連中だった。

 ユマ姫に帝国の非道を喧伝させれば、主戦派が勢いづくのは間違いない。

 一転、戦争の悲惨さを語らせる事に成功すれば、厭戦ムードが際立つだろう。まして帝国に対してもカードになる。


 そうして思いついたのは、ベイターとの決着の付け方だ。


「ユマ姫を攫った方が主導権を握るってのは、どう?」

「ほう? それは随分と私に不利なルールですな」


 難色を示すのも当然。シャルティアは組織の多くを動員出来る。対してベイターは表向き一介の執事に過ぎない。


「安心して、今回、私もウィルターも動かないわ」

「それは?」

「あなたが有象無象と切って捨てた連中だけ使うって事よ。それでベイター、あなたを出し抜いてみせる。そうで無ければ意味がないでしょう?」

「なるほど、良いでしょう」


 そして、ベイターとシャルティアの戦いが始まった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ユマ姫が王都に辿り着く前、既に動き出したシャルティア。

 早くもと大きく筋書きが変わろうとしている。


 これは何故か?


 それには、以前のユマ姫が王国に至るまでを説明する必要がある。

 、ユマ姫は田中の死を目の当たりにして憔悴しきっていた。毎日毎日体調を崩し、青い顔で馬車の揺れと戦った。

 それでも狂気的な復讐心に突き動かされ、行き先々の村々で帝国の非道を語って見せると、鬼気迫る迫力に人々は魅了されていった。


 その間、たっぷり一ヶ月。


 ネルダリアの情報部は王都でユマ姫の噂話に花を咲かせ、結果、王都に辿り着いたユマ姫は大歓声で迎えられる事になる。


 今回は、どうか?

 元気一杯のユマ姫は、順調に馬車の旅を続け、半月と少しで王都に辿り着こうとしていた。

 だからこそ、シャルティアとベイターの戦いに間に合ってしまった。

 あの時のシャルティアはベイター派の粛正に手を取られ、ユマ姫歓迎の舞踏会にも顔を出せないありさまだったのだ。


 ならば、今回は?

 まだ旅の空の下に居るユマ姫の下、シャルティアの部下が到着してしまう。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 寂れた村で一時の休憩をとっているユマ姫に、冴えない男達が語り掛けた。


「ユマ姫様であらせられますか?」

「はい、そうですが?」


 シャルティアの命を受けたのは、余りにも平凡な町民が六人。全員がニコニコと笑みを浮かべている。以前はケチな詐欺師だった連中だ。


「本日から特製の馬車に変わります。王都までの道のり、今までよりずっと快適な旅をお約束しますよ」

「本当ですか!?」


 ユマ姫は、内心ネルダリアの揺れる馬車にウンザリしていた。これでも最高級の馬車なのだが、ユマ姫の基準は殆ど揺れないエルフの車だ。


『ユマ姫はネルダリアの馬車に不満を持っている』


 そこまでの調査が済んでいるシャルティアにとって、こんなのは簡単な仕事だった。

 凄腕の人攫いなど全く不要なのである。


「どうぞ、こちらに」

「ええ、ありがとう」


 ユマ姫にしてみれば、お姫様をエスコートするのに、侍女と行者一人ずつでは少なすぎた。小型で早い馬車を用意したシノニムの苦労など知る由も無い。


 四頭立ての大型馬車にお供が六人の旅こそがお姫様には相応しいと、嬉しく思ってしまったワケだ。

 そうして乗り込んだ馬車の中、ふと、ユマ姫は思い至った。


「そうだ、シノニムさんにひと言伝えなければダメですね」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 完璧にハマったシャルティアの策。しかし、シャルティアとてまだまだ十九の小娘。彼女の頭では測りきれぬモノがあった。

 普通の人間は、どこまでも怠惰で、間抜けなのだと言う事を。


 夜の闇の中、煌々と輝く焚き火を前にして、車座に六人の男達が仕事の成果を祝っている。


「簡単な仕事だなオイ」

「こんな上手く行くかね?」

「違いねぇ、婆さん相手にケチな詐欺してたのが馬鹿らしいぜ」

「俺達が森に棲む者ザバのお姫様を誘拐なんて、信じられるか?」

「俺達は、信じられねぇ大仕事を成し遂げた!」

「俺達の将来に!」

「俺達の栄光に!」


 男達は木のカップを掲げ、ぬるいビールを一息に煽った。

 たき火を囲んでのちょっとした打ち上げ。馬車にユマ姫を閉じ込めたまま、街道脇に馬車を停めて、城門が開くまでと盛大に祝っている。

 勿論、シャルティアはこんな事を命じていない。作戦終了までは一斉に食事をとらず、交代で見張りに付けと口を酸っぱく言っていた。ましてや酒など論外である。


「あれ、何か急に眠く……」

「俺も……」


 次々と男達が倒れていく。

 そこで闇から姿を現したのが、ベイターだ。


「無様な、コレだから素人は。やはりお嬢様は間違っている。素人なんて存外に間抜けで、言われた事も出来ぬのだ。そのくせ行動は読みづらい、盤面から排除するに限る」


 酒を飲めば細かい味など解らない。判断力も落ちて、食事に睡眠薬を混ぜ込むなどベイターには何でも無い。


「鍵は……コレか」


 そうして、豪華な馬車の扉を開けた。後は姫の身柄を確認し、王都まで運べば勝負に勝てる。


「卑怯とは言いますまいな」


 想像するのは悔しがるお嬢様の姿。

 その笑みがかき消えたのは、馬車の扉を開けた時だった。


「なんだと!」


 馬車の中はがらんどう。ユマ姫はどこにも居なかったのだ。


「やられた!!」


 まんまとハメられた。素人丸出しの六人は囮。本物は既に王都に移送されている。

 敗北を悟ったベイターは失意のままに王都に帰還する。

 だが、驚いたのはシャルティアの方だ。


「ユマ姫が居なかった?」

「さよう、まさかシャルティア様ではなかった?」


 予想外の事態にシャルティアは爪を噛む。


森に棲む者ザバの魔法、侮れないみたいね」

「と、言うと?」

「あなたも見たでしょう? あの馬車は特別製。鍵も簡単には開かないし、トイレもある。何より、誰にも見咎められずに抜け出すなんて出来ないわ」

「それが、魔法だと?」

「偶然、誰も見ていないタイミングで外に出た。と考えるよりは自然よね」


 偶然なのだが、シャルティアには解るハズが無い。


「コレはもう、私達が争っている場合ではないのかしら?」

「そのようですな。一度、ユマ姫の人となりを確認する必要があるでしょう」

「そうね、まずは舞踏会。未来の王妃として、森に棲む者ザバの姫君を見極めてみようかしら」


 そうして、シャルティアはユマ姫の歓迎舞踏会に参加する事にする。


 そこで、真に恐ろしいモノを目の当たりにするとは、夢にも思っていなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 何事もなく、ユマ姫は王都に到着した。


 あの騒動で一時、行方不明になったものの、シノニムはユマ姫が迷子になっただけとしか思っていない。

 豪華な馬車が迎えに来たと言うが、現場に行ってみればもぬけの空。村人だって誰も知らないと言うのだから、白昼夢でも見たのだろうと判断されるのも無理はなかった。


 そうして辿り着いた王都では、ユマ姫の宣伝はまだ行き渡っておらず、熱狂的な歓迎とはならなかった。

 馬車から眺める目抜き通りには、ポカンと見つめる町民が目立った。誰が乗っているかも解っていないのだ。


「ちょっと、不安ですね」

「ユマ様が姫君と言う証拠もない訳ですからね」

「ううっ……」


 グリフォンに秘宝を盗られ、今のユマ姫はお姫様と言う証拠もない。

 何だかんだ、のユマ姫は派手な秘宝に助けられていた。思い詰めた様子とその頭上に輝く王冠は、誰がどう見てもお姫様であると主張していた。


 今回のユマ姫にはどちらもない。

 何せ生来の楽天家。セレナを救えたのだから、それ以上は考えても仕方が無いと思っている。


 そんなお姫様が憧れるモノは何だと言えば、当然に宮廷ロマンスと言う事になる。


「ビルダールの王子様は素敵な方ですか?」

「ユマ様とは歳が違いますよ、相手にされないと存じます」

「そんなぁ……」


 王子と言っても若いとは限らない。王が存命ならオッサンになっても王子である。


「うう、でも、素敵なオジサマなら、多少は……」


 それでも諦めきれないユマ姫は、華やかな宮廷でのパーティーに期待していた。

 なにしろ成人した瞬間に国を追われ、一度もパーティーなぞ経験のないままなのだ。

 そんな事を知らないシノニムは、胡散臭げにユマ姫を眺めるばかり。


 そうして、ユマ姫の顔見せである、宮廷舞踏会が始まった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ううっ、場違いではないでしょうか?」

「そうですか? とてもお似合いですよ」


 派手なドレスを着せてみると、ユマ姫には思った以上に華があった。

 着替えを手伝ったシノニムは、なんだかんだお姫様なのだと感心もする。


 それに動作も洗練されている。


 無駄にドタバタと動かない。扉一つ開けるのもシノニムや従者に任せる。中々出来る事ではない。


「いえ、あの……私、扉を開けるのが苦手で」

「え?」

「あんまり力がないから開けられないんです」

「…………」


 シノニムが思った以上に、ユマ姫は虚弱だった。


「でも、最近は私だって力が付いてきたんですよ!」

「そうですか……」


 実際、ユマ姫は食欲も旺盛で以前よりもふっくらと健康的になってきた。それが却って悲劇のお姫様らしさを失わせて居るのだが、シノニムとしてはダメとは言い辛い。

 今もユマ姫は子リスの様にビスケットを美味しそうに囓っていた。


「コレ、凄く美味しいです」


 その様子をシノニムは微笑ましく見つめる。

 本当は舞踏会で用意される軽食は飾りで、食べるのははしたないのだが、そんな事を言うのは野暮に思われた。


「エルフの国にはビスケットはないのですか?」

「いえ、蜂蜜とナッツをたっぷり使った美味しいビスケットがあったのですけど、コレは何も入ってないのにずっと美味しいのです。ほらっシノニムも!」

「はいはい」


 差し出されたビスケットを口に含むと、実際、恐ろしく美味だった。


「癖のない牛の乳で出来たバターをふんだんに使ってますね」

「牛のバターですか……」


 ビスケットが美味しいのはユマ姫としては嬉しい反面、複雑だった。外の文明など未開と侮っていただけに、嗜好品がここまで美味しいならば、文明の高さが窺えてしまう。


 コレは勿論、木村の商会が図抜けているだけだ。

 だが、そんな事はユマ姫の知る由では無い。


「これはこれは、気に入って頂けたようで」


 その機を逃さず、木村が現れる。

 コレは勿論狙ったモノ。あの時みたいに広場で派手にやる手は使えないが、ビスケットは今回も狙い目だった。この国の舞踏会では貴族はお菓子に手を付けない。だから、どこの業者も納入に本気にならないし、味だって気にしない。


 それがエルフのお姫様なら手を出すだろうし、味が良ければ、顔を売るチャンス。今回も木村の読みは当たったのだ。


 いよいよユマ姫と対面する。


「いや、噂に違わぬ美しさ!」

「えぇ? 大袈裟ですよ!」


 実際、可愛らしくも美しいので本心から褒めてみれば、ユマ姫は子供らしく照れてみせる。


 あの時のように、何もかも投げ捨てて尽くしたいと思える病的な美しさのないユマ姫ではあるのだが、素直に応援したい可愛らしさを備えていた。


「もっと食べたくなりましたら、我がキィムラ商会にいらして下さい。ユマ様になら幾らでも提供しますよ」

「あ、ありがとうございます」


 これは木村の商人としての打算を越えた本心だった。

 お菓子を頬張るユマ姫は可愛くて、萌え系四コマの女の子みたいだなと木村は秘かに癒やされていた。国を追われた悲劇のお姫様とは思えない。


 と、その時、背後から緊迫した声が響いた。


「まぁ? どうされたの?」

「早く! お医者様を!」


 俄に会場が騒がしくなる。何かトラブルがあったようだ。


「失礼! 少し様子を見てきます」


 新進気鋭の商人である木村にとって騒動こそ商機。踵を返すと、人混みに紛れて消えてしまった。


「……嵐の様な方でしたね」

「機に聡い商人とはそう言うモノです。このビスケットも私が知っているビスケットとはかけ離れたおいしさでした。決してエルフの技術が劣っている訳では無いでしょう。キィムラ商会が異常なのです」

「そうなのですね、少し安心しました」

「あの様な方が、ユマ姫のバックアップについてくれれば私も楽になるのですが……」

「無理ですよぉ」


 シノニムとそんな事を話して居ると、ユマ姫の耳にも騒動が聞こえて来た。


「どうやら、シャルティア様が倒れたらしいぞ?」

「王子と結婚に至らず、心労が祟っているというのは本当か?」


 バタバタと落ち着かず、誰もが主賓であるユマ姫を素通りである。


「あの……シャルティア様って?」

「第一王子カディナール様の婚約者であらせられますね」

「まぁ! それは大変ですね」


 そう言いながらも、気持ちが籠もっていない言葉だ。知らない人を心配する余裕はユマ姫にはない。


 そうして、舞踏会は終わってしまう。何事もなく。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あの殺戮令嬢が倒れた??


 舞踏会に出たシャルティアは、一体どうしてしまったのか?


「みなさま、ご機嫌よう」


 そのちょっと前までは、取り巻きを引き連れて元気に挨拶を交えていた。


「おおっ! お久しぶりです」

「なんてお美しいの! 華やかだわ!」


 表舞台にあまり姿をみせないシャルティアが現れた事で、舞踏会は盛り上がりをみせていた。


 なにせ、シャルティアは第一王子の婚約者であるだけでなく、派手な容姿に、煌びやかな装いをしている。舞踏会となれば耳目を集めるのは当然だ。


 だが、彼女が探すのは森に棲む者ザバの姫君、ユマ姫ひとり。


「あら、今日の主役はユマ姫でしょう? 私より彼女の所に行かずにいいの?」

「でも、彼女はダンスも踊れませんから……」

「そう、そうよね……」


 だから、休憩室で壁の花になっているユマ姫を迎えに行った。その後ろには、シャルティアに媚びを売ろうとゾロゾロとお供が付いてくる。

 ちょっとした大名行列だ。これでは、どちらが主役か解らない。



 だが、ソレもひと目ユマ姫を見るまでだった。



 それは丁度、ユマ姫がビスケットを囓っているところ。うしろのお供たちは、その様子を見て田舎のお嬢様と鼻で笑って馬鹿にした。



 しかし、当のシャルティアは、どうだ?



「ヒッ!」


 顔を蒼くしたシャルティアが、ぺたりと床にへたり込む。


「なんっ! なんなの!? アレは!」


 そして、みっともなく取り乱した。

 髪を振り回し、腰が抜けたまま逃げようとする。


 シャルティアが、ここまで慌てるなどあり得ない。


 世界が明日終わるとしても、怯えとは無縁に過ごすのがシャルティアなのだ。


「どうされたの?」

「早く! お医者様を!」


 いつも泰然としたシャルティアを知っているだけに、周囲は騒然とした。こんなのは、らしくない。

 そうして、取り巻きに支えられ、シャルティアは舞踏場を後にする。


 噂はシャルティアの体調不良として王宮を駆け巡る。

 しかし、本人にしてみればそんなモノでは済まないのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「早く! 早く運び出すのよ!」


 深夜のダックラム公爵家。一人叫び続けるシャルティアが、家中の資料を燃やし、金目の物だけを屋敷の外へと運び出していた。


 まるで、夜逃げ。


 いや、夜逃げそのものだ。公爵家が夜逃げ。まるであり得ない。


「一体、どう言う事か教えて貰えんかな?」


 その横で厳めしい顔をしょげさせて、気の弱い当主ダックラム公が実の娘に汗顔で訊ねる。

 余りに意味が解らないからだ。舞踏会から青い顔で引き上げて来たと思ったら、狂った様に荷を纏め、どこかに消えようとしている。公爵家ごと。


「ユマ姫よ」

「ユマ姫? 森に棲む者ザバの魔法とはそんなに恐ろしいモノだったのかい?」

「違うわ」


 シャルティアは魔法など見ていない。魔法など知らない。

 そして、知らないモノを恐れる程に初心でもない。


「あんなのは、魔法じゃないわ」

「じゃあ、一体何を見たんだい?」


 知っているのは、殺人技術。頼れるのは、自分の目利き。

 人に会ったとき、その中身は何か? どうやったら殺せるか? イメージしてしまうのがシャルティアだ。

 ぬいぐるみも、人間も、変わらず中身をぶち撒けてきたシャルティアにだけ許された鑑定眼と言って良い。


 そんな彼女から見て、ユマ姫は?


「アレは、化け物よ?」

「バケモノ? 森に棲む者ザバはそんなに恐ろしい民族だったのか……」

「民族? 違う!」


 青い顔で、シャルティアはブンブンと首を振る。


「首を切っても死なないなら、人間とは言えないわ!」

「なにを、馬鹿な」

「なによりも!」


 血走った目でシャルティアは言う。


「中に何も入っていなければ、生き物とは言えないわ。アレは動く剥製よ」

「…………」


 もう、ダックラム公には言葉もなかった。


「このままでは終わらせ無いわ。いつか必ず、空っぽの中身を引き摺り出してあげる」


 書類を燃やす火を見つめ、シャルティアの目は燃えていた。

 暴きたい、本当の不思議を見つけてしまったから。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 シャルティアが狂乱するのを見て、納得出来ないのがベイターだ。


 ベイターから見て、ユマ姫は普通の少女。恐ろしいバケモノだとは夢にも思わない。


「お嬢さまもヤキが回ったか。果たして心労か」


 既にオーズド伯の屋敷に侵入して、ユマ姫を襲うチャンスを窺っていた。なんだかんだ可愛いシャルティアお嬢様の心労のタネを潰そうとしているのだ。


 そして、今のユマ姫は騒動の中にあって、王宮に泊まる事が出来ずに居た。婚約者の攪乱に、カディナールは賓客に気を遣う余裕がまるでなかった。

 そうしてユマ姫は、主人の居ないオーズド伯のお屋敷で、宙ぶらりんの扱いを受ける事になる。


 そんな状況だから、暗殺技術を知り尽くしたベイターにとって潜り込むなど朝飯前。


「ふわぁ、歯を磨かないと」


 なにより、馬車での誘拐未遂の予備調査で知られた事だが、このお姫様はどうにもガードが緩い。就寝前にたった一人で洗面所に現れた。

 コレだけは、と本国から持って来た歯ブラシで、せっせと歯を磨く。その姿はどこまでも隙だらけ。


 その首筋に、ワイヤーが絡まった。


 ベイターは両手のワイヤーを一息に引っ張る。

 これこそが、ベイターの鉄糸殺と呼ばれる技。


 それは絞殺ではなく斬殺。刃の様に鋭い線が、少女の首程度なら抵抗も無く斬り裂いてしまうのだ。


 ――む??


 しかし、ベイターは首を傾げる。

 幾らなんでも抵抗がなさ過ぎた。


 絡まった鉄糸が、ユマ姫の首筋を通り抜け、ピンと伸びて張り詰めた。


 だから、首は斬り裂かれたハズなのに、そこに達成感はなく、ただひたすらに空しい。

 まるで空気を斬ったよう。


 いや? しかし?? コレでユマ姫の首が落ちるなら……。


 斬ったハズ。

 斬れたハズ。


 糸は首を通り抜け、手元にある。

 結果は斬った事を物語る。ただし、手応えと確信が得られない。


 例えるならば、家の鍵をかけ忘れた気がして、不安が拭えない感覚に近い。確かに鍵を掛けた記憶はあるのだが、それが今日の記憶かまでは確信が持てないあの感じ。

 ベイターは、ユマ姫の首にワイヤーを引っ掛けた記憶が、どうにも現実感なく思えてしまう。


 そんな事はあり得ないのに。


 と、ベイターが見る前で、ようやくユマ姫の首がぐるりと回った。


「え? どなた?」


 違う! ただユマ姫は振り返っただけ。傷ひとつ負っていない。


「ば、馬鹿な!」


 ベイターはジッと手を見る。斬り裂いたハズだ。鉄糸は首を通ったはず、しかしその確証が持てない。手に実感がない。全てが夢に思えてしまう。


「く、曲者ーッ!」

「くっ!」


 ユマ姫は大声で人を呼ぶ。しかし、当主も居ないオーズド伯の館に、それほどの警備は詰めていない。


「あっ、なんですか、あなた!」


 だから、出て来たのはネルネがたった一人。これでは、どうとでもなってしまう。

 ましてベイターは凄腕の暗殺者、まるで慌てていなかった。じっくりと観察しつつ、じわり後ろに下がる。


「えいっ!」


 それも、ネルネが包丁を投げつけるまでだった。ベイターは完全に虚を突かれる。まさかいきなり武器を投げるとは。


「むっ!?」


 こんなもの普通なら、軽く弾いて終わり。

 しかし包丁は、どうやっても防げない角度で飛んで来た。


 関節の可動域や重心から、ちょうどそこだけは防げない絶妙なタイミング。


 見えているのに、防げない。

 ネルネが夜食に剥いていたギットの実の果汁が滴る様までベイターには見えているのに。それでも、体が動かない。

 強い力で弾いたら指を切断してしまう。軽くいなせば却って急所に刺さる。


 だから包丁は真っ直ぐに飛び、深々とベイターの肩に突き刺さった。


「がっ!」

「あ、当たった!」


 コレには投げた本人もビックリした。

 しかし、ベイターはそうは思わない。完全に虚を衝くタイミングを狙った、それなりの腕の護衛だと、排除すべしと目標を変えた。


「引き際を弁えない者は二流ですよ」


 そこを横合いからシノニムのレイピアで串刺しにされる。流石にここまで騒げば彼女も駆けつける、これでもシノニムはネルダリア情報部の腕利きなのだ。


 ベイターは腹を刺され、コレではもう逃げられない。シノニムは引き抜いたレイピアを喉に突き付ける。


「どこの者だ! 言え」

「……ぐっ!」


 訓練された暗殺者が敵の手に落ちた時どうするか? 諸説あるが、独特の美学で生きて来たベイターが選ぶ道はひとつだ。


 すぐさま自ら喉を斬り裂いた。


「そんな!」


 迷いのない判断。その素早さにシノニムは戦慄する。

 それほどの組織が動いている証明だからだ。そして、それだけの暗殺者に襲われて無傷で切り抜けたユマ姫、やはりただ者ではないのでは?


 思わず、顧みる。


「ふわぁ、ビックリしました。ドキドキして今夜は寝られないかも」


 のんびりとそんな事を言うユマ姫に、シノニムは気が抜けてしまう。

 このお姫様はこんな目にあって、まだ眠るつもりで居るのだ。あまりにも図太い、図太すぎる。いっそ鈍いと言った方が良い。


 シノニムには、全て『偶然』のような気がしてしまうのだ。


 いや、実際に『偶然』なのだ。

 しかし、それは尋常な『偶然』ではない。それをシノニムの知るのは、ずっと後の事になる。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、姿を消したダックラム家に王都は騒然とする。

 婚約者に逃げられたと、カディナール王子の評判に傷が付いたのを切掛に、王子は急速に求心力を失っていくのだが……。


「王都は美味しいモノが一杯で良いですね」


 ユマ姫はそんな事、知った事ではないのであった。

 今日もキィムラ商会にお邪魔して、ユマ姫はビスケットを囓っていた。

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