変わったのは、何か?

 ――駄目だ、とても正気が保てない。


 目の前のユマ姫はウェディングドレス風の衣装で大胆に肌を晒し、身の丈を越える大剣を振り回す。


 艶めかしい肌には、返り血で彩られたた赤い線条が走り、見る者の狂気を加速する。


 困惑する木村は、田中に目線で助けを求めるが、その田中にして困惑に頭を抑える。


「おい!」

「なぁに?」


 ユマ姫は身を屈め、上目遣いで田中を見つめた。

 その姿が可愛くて、なにより恐ろしい。


「お前は、何だ?」

「あ! その前に」


 ユマ姫は取り合わず、巨大なバックパックから、またも何かを取り出した。


 木村は、再び嫌な予感に苛まれる。

 田中に至ってはガリガリと頭を掻きむしった。


「じゃーん」


 取り出したのは、手足をもがれた女神像。


 いや、生きている女性だ。


 瞑った目がパチリと開くと、辺りを見回し、ムスっくれて頬を膨らませた。


「こんな風に連れ回されても困るわ」


 シャリアちゃんだった。


 もはや意味が解らない。


 ココに来て、木村の理解力はすり切れた。


「待ってくれ、もう限界だ、何で? 何なのコレ? 何で手足が無いの?」

「食べちゃった……」


 ユマ姫はテヘヘと可愛らしく笑ってみせる。

 でも、言ってる事は少しも可愛く無い。


「何で食べちゃったの……」

「勢いで」


 もう、狂気が渦巻いて意味が解らない。


「去年、星獣を殺し、足がもげて帰り道。私はシノニムさんに殺された。心臓を刺されたの」

「ええっ……」


 驚きながらも、思い詰めたシノニムさんの様子を思えば、ありそうな事に思われた。


 木村は己の不明を恥じる。

 だが、だったらどうするべきだったのかは、もう解らない。


「私は、失った心臓をシノニムさんの心臓で補った」

「で、足はシャリアちゃんのを千切って奪ったと?」

「それはただ勢いで食べちゃった」

「ええっ……」


 聞いているだけで、正気を削る。ユマ姫の言葉。


「それで、ココにはポーションの在庫を探しに来たのです。アレをポッドに満たさないと欠損は治らないから」

「ああ、ソレで連れて来たのね、ふむふむ」


 ようやく話が繋がった。思ったよりも真っ当な理由だ。


 木村は何故だか安心した。

 それはそうだろう。


 肉塊になった皇帝を見せびらかしに持ってきたユマ姫だ。

 手足がなくなったシャリアちゃんを新しい枕です! とか宣言しても不思議じゃない。


「…………」


 木村は頭痛を堪える。

 いや、冷静に考えると、まるで繋がっていないのだ。


 あまりにも滅茶苦茶。


 それに、なんで今、そんな事を言い出した??


「結局ポーションは在庫切れ。でも、代わりがあるじゃない?」


 嫌な予感がする。

 ユマ姫が見つめた先には、黒峰の死体があった。


 話は繋がらない。繋がるのは、別のモノだ。

 ソファーから飛び出した田中が、ユマ姫の前に立ち塞がる。


「お前!」

「ねぇ、それ、くれない? くっつけるから」


 プラモデルみたいにねだってみせる。狂気が加速する。

 田中は泣きそうな顔で訴えた。


「俺は、ソイツをお前から守ると約束したんだ」

「でも、死んでるでしょ? 約束は守れなかった」


 木村は舌打つ。気が付いてしまったから。

 ユマ姫は、もっと前からココに居たのだ。二人の会話も、聞いていた。


 だから「私も混ざって良い?」と聞いたのだ。

 戦闘が膠着するまで、待っていた。


 観戦を決め込むぐらい、余裕がある。


「クソッ」


 田中が泣きながら、ユマ姫に刀を突き付ける。


「クソッ、クソッ」

「私を斬るの? 斬っても良いけど、ソレって自己満足じゃない?」

「グッ」


 泣きそうな田中に、笑顔のユマ姫。

 田中がここまで打ちのめされているのを木村は初めて見た。


 それだけ、田中は本気で黒峰を守る気だったのだ。

 でも、その約束は守れない。

 死んだ者は生き返らない。


 一部の例外を除いて。


 クローンでしか無い彼女は、その例外ではない。


 項垂れる田中を無視し、ユマ姫はアッサリと黒峰クローンの手足を千切っていく。

 いたたまれない、でもシャリアちゃんの手足になると言われると、誰も駄目だとは言えなかった。


 何と言うべきか悩んだ木村は、根本的な疑問をぶつける。


「ねぇ、その黒峰さんって、一体なんだったの?」

「私にも、解りません。でも魔力の波長から、予想はつきます」


 そう前置いて、ユマ姫は語る。

 黒峰さんの洗脳は、相手の中に、思い描いた自分を作る力。

 だけど、星獣と言うキャンバスは大きすぎて、星獣の中に描いた自分の姿が本当の自分より大きくなって飲み込まれた。


 星獣と一体化した黒峰さん。その魔石で起動したソルスティスは、当たり前のように黒峰さんの『更新権』を持っていた。

 そして、ソルスティスは幼児として生まれた黒峰クローンに、理想の黒峰を上書きしてしまった。


 理知的で、可愛くて、不条理に人を嫉んだりしない黒峰だ。

 まさに、キレイな黒峰。


 だからこそ、ソルンにも田中にも愛された。

 だからこそ、本物の黒峰は、嫉妬した。


 星獣と溶け合い、機械になり果てた黒峰だが、嫉妬こそが黒峰の本質だ。

 その強い感情がソルスティスに本当の自分を思い出させた。


「彼女は自分の本質に気が付くのが遅すぎました。破滅そのもの楽しんでいる自分にもっと早く気がつけていれば、結果は違ったかも知れない」


 歌うようにユマ姫は言葉を継ぐ。


 それは……自分に言い聞かせている様でも有った。

 破滅を楽しむ自分を肯定するように。


 語りながらも、ユマ姫は切り取った黒峰の手足をシャリアちゃんに宛がった。あんまりなやり方だ、当のシャリアちゃんも複雑な顔をしている。


「死にますよ?」

「なんでです?」

「わたくしが、人間の体をくっつけた事が無いとでも? そんな事をしても両方が腐るだけです」

「普通ならね」

「違うの?」

「うん、この体は、プレーンだから適合するはず」


 シャリアちゃんは疑わしげに、ユマ姫を見つめる。


「どうしてそんな事が解るの? 信じられないわ」

「食べたから。そんな味がしました」

「……たとえ自分の手足でも、繋げたって動く様にはならないわ」

「大丈夫、神経も、血管も全部繋げる。今の私なら、ソレが出来る」


 そう言って、回復魔法で細胞を活性化させながら、繋いでいく。

 既に肉が丸まって、手足が無い事を受け入れているシャリアちゃんの肉体を削り、こじ開け、無理矢理に繋いでいく。

 流石の彼女と言えども、強烈な処置に呻きをあげた。


「グッ、あっ!」

「ふふっ、苦しい?」

「痛いのに! どうして? どうしてこんなに気持ちが良いの?」


 シャリアちゃんにして、耐えられず、困惑する。


 玩具みたいに手足を繋げられる不愉快を不愉快として感じられない恐ろしさ。

 殺し屋としての資本である、自分の体を好きな様に弄られて、それでもまるで抵抗出来ない。奇妙な感覚。


「はい、くっついた」

「……そうね、動くわ」


 すぐに手足はくっついた。それが、人体を知り尽くした殺戮令嬢にして、あまりに不気味であった。


「新鮮なのが良かったみたい。早く処置しないと間に合わなかった」


 ユマ姫は自分の仕事に満足していた。


 だけど彼女以外は、皆がもうボロボロだ、精神に傷を負っていた。

 ただ一人元気なユマ姫は、くるりと回って微笑んだ。


「それで、田中さん?」

「んだよ?」

「私の用事は終わったけど、どうするの? 私を、殺すの?」

「クソッ」


 田中はガリガリと頭を掻きむしる。


「お前は、なんだ?」

「私はユマ姫だけど?」

「違う! お前はユマ姫とも、『高橋敬一』とも、何かが違うんだ」

「ふぅん?」


 ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、ユマ姫はソファーにへたり込む田中に正面から覆い被さった。


「何のつもりだ?」

「私のこと、好きになりましたか?」

「いや、素直に怖いが?」


 田中はのけぞり、心底おののいている。


「またまたぁ、私が『高橋敬一』だから、俺がアイツなんか好きになる訳が無いって、そう言い聞かせてるのでしょう?」

「いや、素直に怖いってば」

「好きだとは思いたくない。だから、私が『高橋敬一』じゃないって、別の何かだと思おうとしている、違いますか?」

「違いますよ?」

「ふぅーん」


 妖しくもじゃれついて、今度は田中の前に立って、クルクルと回ってみせる。

 そして、急に狂暴な顔で笑うのだ。


『安心しろよ、俺だって、自分で自分の可愛さにおかしくなりそうなんだ、俺に欲情したって、別におかしなことじゃない』

『話聞け! ほんとチゲーって、マジで怖いから』

『えー?』


 心底納得いかないと、ユマ姫は田中と顔を突き合わせ、抱きかかえる。


 ガッチリと押さえられ、田中は顔を逸らす事も出来ない。


『この顔、可愛いと思わない? 思わないなら、不能だろ!』

『いや、顔は可愛いと思う、思うっての! でも怖いだろ! 普通に!』

『怖いってのと、可愛いってのは、両立するさ、お前は俺を可愛いって思うのが怖いんだよ』

『そう言う事じゃねーんだけどなぁ……』


 困り果てた田中を見るのは珍しい。それだけ追い詰められていた。


『お前に欲情できるのは、ソコに居る奴だろ』

『アレは変態だからノーカウント』

『酷くない?』


 散々な言われように、木村は拗ねた。

 無視して田中は言い募る。


『いや、別に俺がお前に惚れたっておかしかねぇよ? でも、それにしたって惚れ方がある』

『惚れ方ってなんだよ』


 ユマ姫にジト目で聞かれ、田中は柄にもなく照れた。


『俺はな、どっちかって言うと、気が強いお姉さんが好きなの!』

「解っています、だからこうして迫っているのでしょう?」


 ええ~?

 木村と田中は内心で悲鳴をあげた。

 そういうつもりで迫っていたのか? と。


『お前の中の「気が強いお姉さん」ってドコ基準? 貞子?』

「失礼な! 可愛いでしょう?」

『まぁ、良いや、そうだな、覚えてるか? 遺跡から脱出する時、俺はお前に囓られた』

『なんか、噛み付いてペロペロしたんだっけ? 覚えてないけど』

『そう! それ! うなされるお前に囓られて、俺は、興奮した』

『ドMじゃん』

『それなら、まだ解るんだが……なっ!』


 一転攻勢。田中は、のし掛かるユマ姫のか細い首を掴んだ。そのまま締め上げ、引っぺがす。

 すかさず体を入れ替えると、今度は田中がユマ姫をソファーに押し倒した。

 背中の羽が潰れる程にソファーに押し付けて、首を絞め、馬乗りにのし掛かる。


『俺は、あれから、お前の歯を一本一本へし折って泣かせてやりたい衝動に駆られる事がある』

「まぁ! そう言う性癖だったのですね!」


 押し倒されて、とんでもない告白をされたにも関わらず、ユマ姫は嬉しそうに笑ってみせる。


 その程度、なんでも無いと思っているのだ。

 それが、田中の正気をガリガリと削った。


『チゲーよ、さっきも言ったが、俺が好きなのは、強気なお姉さんとか、ツンデレヒロインだ。お前が高橋なら、知ってるハズだろ?』


 確かに、そうだった。


 田中だって、木村と高橋、二人の友達である。こう見えて、そこそこオタクアニメを履修していた。

 そして、田中が好きになったのは、悉くその手のキャラだった。


『殴られるならともかく、俺に女をぶん殴る趣味はねぇんだよ! まして歯を折るなんてあり得ねぇ。なのに、お前と居るとおかしくなる』

「そんな事を言われましても、隠れた性癖があったのでは?」

『断じて、無い! お前のリョナ趣味に影響されたんだ』

「とんだ言いがかりです」

『お前、人の性癖歪ませる特殊能力とか持ってるだろ! オカシイんだよ! 黒峰の洗脳能力と同等のヤベェ力がある、絶対!』

「ふふっ解りました、新しい性癖の扉が開くのは誰しも怖いモノですからね」


 そう言って、ユマ姫は聖母のように微笑んで、田中を押し退け立ち上がる。


「貸してください」

「え、ええ……」


 そして、木村から自在金腕ルー・デルオンを奪い、バックパックからは無骨なペンチを取り出した。


 ペンチは血に塗れ、錆まで浮いている。

 ……極めて不穏な気配を放っていた。


 そうして、へたりこむ田中をソファーからどかすと、代わりにちょこんと座り込む。

 そして、魔力で自在金腕ルー・デルオンを操って、自分の両手両足をグルグルと縛りはじめた。


 雁字搦めにソファーに縛られて、トドメとばかりに首にはベルトを巻き付け、固定してしまう。

 そうやって、自分で自分を拘束し、ソファーに固定したのだ。


 そこまでやって、あーんと口を開け、可愛い歯を見せつけて、田中にねだった。


「ほら、ソコのペンチで一本ずつ引き抜いて良いですよ」

「するか、ボケッ!」


 田中がキレた。ペンチを地面に叩きつける。


「大丈夫ですよ、多少暴れますが、縛ってますから」

「だから、何だっての!」

「あ、歯なんて、すぐに生えてきますから。抜くだけじゃなく、潰したり、抉ったりして、のたうち回るのを楽しんでも良いですよ」

『だから! そんな趣味はねぇよ!』


 ユマ姫の口から覗く歯は、可愛くて丸っこい。

 端から見ている木村まで、何故だか引き抜き、潰し、苛めたい衝動に駆られてしまう。


 狂気が満ちた空間で、ユマ姫の表情が変わる。

 キッと鋭い視線で田中を睨みつけ、それでいて、目には涙を溜めている。


「アンタが私を疑うからでしょ! 好きなだけ尋問して、嬲ればいいじゃない!」

『はぁ……』

「のたうち回るあたしを見て、楽しめば良いじゃない! アンタはあたしを何度も救ってくれた、この位なら我慢するわ」

『タイム! ちょい待ち、無理!』


 ココで田中、たまらずタイムを要求。


『オカシイだろ、なんだよその、ツンデレ系ヒロインの口調。行動と一致しねぇぞ」

『趣味じゃ無かった?』

『いや、興奮した』

『あ、良かった』

『良くねぇよ! ソレが異常だって言ってんだろ!』


 田中は無防備に晒された、ユマ姫の鼻を摘まんだ。


『んぐ、これまた特殊な趣味だね』

『なぁ、お前、まさか自分がもう死なないとでも思ってないか?』


 安易に命を晒してみせる、その姿が田中には不快だった。


 こんな風に、自傷を厭わないのが不快だった。

 いつ死んでもおかしくない癖に。


 これでは今まで何の為に守って来たのか解らなくなる。


 だけど、ユマ姫はもう自分の命を大切にしていない。

 一転、狂暴な顔で歯を剥き、牙を鳴らし、吠える。


『じゃあ、お前に、俺を殺せるのか?』


 実のところ、ユマ姫は、すっかり化け物になった自分を自覚していた。

 だからこそ、田中に別人と言われるのが辛かった。

 お前は『高橋敬一』だと言って欲しかった。


 その一方で、化け物と断じられ、すぐさま殺されたいと願ってもいた。


 その矛盾、どちらでも良いと言う思いが、ユマ姫を捨て鉢にさせている。


 ユマ姫には時間がなかった。

 もう十六歳の誕生日は目前に迫っている。


 隕石でも殺せないなら、『偶然』はどうやって自分を殺すのか?

 そこに一つだけ、心当たりがあるからだ。


 凶化の暴走。


 グリフォンがそうであったように、膨らんだ魔力が制御出来なくなり、意識がなくなる。殺戮を求めて暴れ回る。


 既に、ずっと一緒にいたシノニムさんを殺し、シャリアちゃんまであと一歩で食い殺す所だった。

 ユマ姫の意識は、本能に食われ始めている。


 もう、生きているのが怖かった。


 このままでは、田中も木村も、全てを殺して、最後には弾けて死ぬ。


 それが何より怖かった。

 だから、殺して欲しかった。


 でも、もう、自分は人間に殺される事はない、そんな脆弱な生き物では無い。

 ユマ姫は、そう思っていた。

 だから、自分の命を危険に晒す。殺してくれとばかり、暴力を求める。


 だが……


『今のお前なら、俺でも殺せるぜ?』

『え?』

『今のお前は、変わっちまった。脆くなった』


 田中は全く逆の事を言う。


『あり得ないだろ! 俺は、ちょっとやそっとじゃもう死なない』

『そうでもない、逆だ、今なら、斬れる。斬れちまうんだよ!』

『やってみろよ』

『よし』


 そう言って、田中は腰に手をやり、刀を抜いた。


「え?」


 ユマ姫の体に剣閃が走る。


 命の核。ユマ姫のど真ん中を壊されて。意識が遠のく。



 そして、死んだ。



 意識が暗転する。

 もう、どうやっても戻らない、確実な死。


「ハァ! ハァ!」


 幻覚だ。

 田中は刀を抜いてもいない。


「今のは? なに?」


 口が渇く、余裕ぶった笑顔が固まり。冷や汗が止まらない。

 いま、本当に死んでいた。


 田中は肩を竦めて鼻を鳴らした。


「ふん、見えたのか?」

「何なのかと聞いています!」


 今度はユマ姫の余裕が無くなる番だった。


「俺は、刀を振る前に、斬れるかどうか解っちまう」

「…………」

「そうじゃなきゃ、刀を駄目にしちまうからな」

「それで?」

「実は、今までも、何度かお前を斬ってきた、何度も何度も」

「え?」

「だけど、お前は死ななかった。お前は運命に守られていた」

「ええっ?」

「だが、今のお前なら、俺でも殺せる。お前は脆くなった。何かが、変わった」


 ユマ姫にして、全く意味が解らない。

 だけど、ひとつだけ、わかった。


「そっか、私、死ねるんだ」

「なんで、笑う」


 田中が殺せるなら、まだ自分で死ななくて良い。

 それがユマ姫には嬉しかった。救いだった。


 一方で、田中には今のユマ姫が、刹那的で、とても脆く見える。


 何かが変わってしまった。でも、ソレが何か解らない。


「あの……」


 悲しくも、不気味な空気が漂う中、田中の肩をちょんちょんと突く者が居た。


「やらないなら、私が! わたくしが! 代わりにやってもいい? いえ、よろしいですか?」


 シャリアちゃんだ。

 ペンチを手に、興奮でおぼつかない敬語。

 ワクワクとユマ姫の歯から目を離さない。


 そう言えば、元よりそう言うリョナ趣味の人間がココに居た。


「あの、今大事な話してるからよ。ちょっと待ってて貰っていいか?」

「ええっ? 私抜きたいのだけど? 我慢出来ない!」


 田中は騒ぐシャリアちゃんを押し戻すと、再び拘束されているユマ姫に向き直る。


「やっぱり、お前が周りの性癖を歪めてるだろ!」

『アレは前からだ!』


 言い争いながら、田中はユマ姫の丸っこい歯をツンツンと突いた。


『なんだよ!』

「だからさ、俺だってお前が、自分こそ『高橋敬一』だと信じている事を疑っている訳じゃねぇ」

「どういう? 事です?」

「自分が信じているモノが、記憶が、全部正しいとは限らねぇんだ。魔女のクローンを見ただろう?」


 そう言われてしまうと、ユマ姫には反論する術が無い。

 転生した自分が『高橋敬一』であると言うのは、自我と記憶だけの問題だ。

 証拠など何処にもありはしないのだ。


「そんな事、言われても」

「何か違和感が無いか? 違いに思い当たる所はないか? 俺に言わせれば、いつの間にか、お前の本質が変わっちまっている」

『違和感しかねえよ! 女の子になっちまってるんだぞ?』

『そうじゃねぇ、その後だ、もっと根本的に変わっちまった』


 それ以上に根本と言われても、ユマ姫は困った。


『俺が知っているお前は、空っぽの奴だった。他人なんてどうでもいいと思ってた』

「それはそうでしょう? 私は家族も国も何もかも失って、復讐のために全てを投げ打つ覚悟を……」

「いーや、前世からお前はそうだった。それがどうだよ? 姿は人間辞めたくせに、どこか人間らしくなっちまった」

「ええっ?」


 ユマ姫はビックリした。

 コレで! この有様で! 人間らしくなったと責められるのは、何か違う。


 朝起きたら巨大な毒虫になっていたのに、今日は顔色いいねと褒められる様なモノ。


 でも、そう言えば、かつてよりも人間を憎んでいない。

 家族を殺された後は、人間を根こそぎ殺して回りたいと願っていた。


 自分に『偶然』がある事が、むしろ嬉しくて堪らなかった。

 全てを巻き込んで、人類全部を、エルフさえも、世界の全てを殺して回りたかった。


 だけど、今は違う。悪魔みたいな天使派を見て、ホラー映画みたいな聖女派を見て、帝都の人に無駄に死んで欲しいとは思わなくなった。

 あんなに殺したかった帝国の人間を、これまで何人も救ってきた。

 ……それは、何故だ?


「私は、人間も、エルフも、全てが嫌いでした。こんな目に遭ったなら、全部殺してやりたかった」

「程度問題だけどさ、前世からお前はそんな所があったぜ? 不幸なのに助けてくれない、だから人間が嫌いだったろ?」

「なのに、何時からか、私はあんまり人間が嫌いじゃなくなった。どちらかと言えば、もう、好きかも知れない。……それが違いです」


 思い当たった自分の変化。気が付けばとても大きなモノに思える。

 何時からだ? 何時から変わってしまった?

 ユマ姫はジッと手を見る。変わってしまった?

 だからこそ、化け物に近づいた? いや、人間に近くなった?


「オマエが、人間嫌いじゃ無くなった?」


 そして田中はユマ姫の言葉を反芻する。人間が嫌い、確かに以前からそうだった。


 普通の人間でありたいくせに、人間が好きじゃない。

 そんな矛盾を抱えているのが『高橋敬一』だったから。

 そこに違和感の正体がある。


 俯いて、考えて

 ……突然、笑った。


「そうか! そう言う事かよ」

「何が解ったのですか?」

「やっぱり、お前は『高橋敬一』だ! 変わっちまったが無理もない」

「え?」


 勝手に疑って、あげく勝手に納得した田中。ユマ姫は苛立ちを隠せない。

 拘束をほどき、田中に詰め寄る。


「結論を言いなさい!」

『俺は、前世でグリンピースが大嫌いだった』

「は?」

『それで、給食の炒飯から丁寧により分けて、残した。高橋は勿体ないってソレを食ったんだ』

「それが何か? 私は豆は嫌いではないのですから、当たり前でしょう?」

「じゃあ、お前は、何が嫌いなんだ?」

「それは……」

「その時の俺も聞いたんだ。『お前、嫌いなモノは無いのか』って」

「だから何です? 全然関係無いでしょう?」


『お前は言ったよ、食べられない物が嫌いだってな』


「……言いましたね、まさか?」

「そうだ、でも、お前は人間を喰った。食えるなら、お前はもう、嫌えない」

「そんな事で? そんな事で私が変わったと言うのです?」

「お前は人間を食って、怪物になった。だからこそ、人間らしくなった」

「なんですか、それは?」


 ユマ姫はあきれて、拗ねた。

 無理もなかった、化け物扱いされて、意味不明な理屈で納得された。

 だけど、田中は自信満々。自分で自分の理屈に納得している。


『だから、お前は安全になった。何故なら、食えるモノを無駄に殺せない、捨てられない。お前は、そう言う奴だ』

「そ、そんな事で? 馬鹿にしているのですか!」


 散々田中に振り回された格好だ。田中に怒るのは無理もない。

 でも、結局、田中はユマ姫を『高橋敬一』だと断言し、殺せる事まで証明した。

 またも田中はユマ姫を救ってみせた。


 だから本心では嬉しいのだが、笑顔を見せるのも癪がさわる。


「なら、私は帝都に帰ります。良いですね?」

「え?」

「おいおい、待てよ」

「なんなの?」


 呆然とする三人を残して、ユマ姫は昇降路から飛び上がる。


「さよなら」

「嘘だろ?」


 昇降路は、地上まで繋がっていた。見上げても、もうユマ姫の陰も見えない。


「はぁ、本当に行っちゃったよ」

「なんなんだろな……」

「…………」


 木村と田中、そしてシャリアちゃん。残された三人はげっそりと俯く。

 シャリアちゃんは、動く手足の調子を確かめ尋ねる。


「私は歩いて帰るべきかしら?」

「……バイクで送る。木村は馬で帰ってな」

「乗馬、苦手だし、俺はしばらくココを調べるよ」

「そっか」

「でもさ……」


 納得が行かないのは木村も同じだった。

 ここまで田中に振り回されてきたのだから。


「お前が、ユマ姫からトカゲの気配がするって言うから、俺、色々考えて、悩んだんだけど、アレはなんなんだよ?」

「そうだな……」


 田中は、ガリガリと頭を掻く。


「でもよ、良く考えたら、昔からアイツはトカゲなんだよ」

「は?」

「アイツは『ウーパールーパー』だからな」

「ハァ」


 木村に呆れられながら、田中には確信があった。


 やはり、アイツは『高橋敬一』だ。ならばアイツの『偶然』はもうすぐ動き出す。

 何かが、起こる。終わりは、近い。

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