一騎討ち5

 バーリアンは重奏する蹄の音をバックに、意気揚々と走り始めた。

 散発的に銃弾は飛んでくるが、少しも怖くない。

 鎧の前では豆鉄砲の様なモノ。

 そればかりか驚異的な動体視力を誇るバーリアンの目には、銃弾すらも見えていた。最低限、鎧に守られていない場所を防ぐ程度には。


 遂に彼は橋を渡りきり、対岸にたどり着く。

 彼の進路を妨害する者は、もう誰も居ない。


「よぉ、ゴキゲンじゃねぇか」


 いや、たった一人、居た。

 異常な速度で走り込んだ漆黒の機体が、橋の出口に堂々とすべり込んだ。


「俺も混ぜろよ」


 田中だった。


「テメェは?」


 バーリアンにはハッキリと予感があった。それでも敢えて名前を聞いた。


「田中だ」

「お前が! お前が親父を殺したんだな?」

「親父? お前、名前は?」

「ローグウッド! バーリアン・ローグウッドだ」


 勘当同然で追い出された生家だが、この名前には誇りがあった。

 そして、田中にとっても知らない名ではない。


「ああ、アイツか? 殺ったぜ? 悪いか?」

「悪かねぇよ! じゃあ兄を、テスタ兄をやったのもお前だな?」


 しかし、次の名前に覚えが無い。


「テスタ? 誰だ?」

「スフィールの騎士団の団長だ! 知らねぇとは言わせねぇ!」


 バーリアンには唯一尊敬する従兄弟が居た。自分より先に家を飛び出したその従兄弟こそ、テスタ。いや、スフィールの破戒騎士団のローグだった。

 テスタはローグウッドの名前を捨て、『ローグ』と名乗っていた。

 バーリアンが、まだほんの幼い頃の朧気な記憶だが、ローグにだけは自分と同レベルの才能を感じていた。

 スフィールで騎士団に入り、混乱の中で死んだと言うが、あの従兄弟が生半可に死ぬハズが無い。

 まして、事件に田中が絡んで居ると聞けば、バーリアンが犯人を確信するのは自明であった。


 しかし、実際はローグはユマ姫に、正確にはユマ姫の『偶然』に殺されている。

 その実力は、マトモに戦えば、刀も持たない当時の田中では相手にならなかっただろう。

 現に、地下室でローグと出会った田中は、実力を正しく見抜き、戦慄している。


 しかし、結局、立ち合っていないだけに、田中はスッカリ忘れていた。


「マジで知らねぇよ」

「嘘つけ! いや、お前を殺せば十分だ」


 そんな事は知らないバーリアンは気色けしきばむ。

 唯一尊敬していた従兄弟が、名も覚えられて居なかった事に激昂したのだ。


 だからこそ、宣言する。


「俺の名は、バーリアン・ローグウッド。天国まで覚えておけよ」

「自信ねぇな」


 田中は気が抜けたまま、ふらりとした足取りで槍の間合いに踏み込んだ。

 まだ剣を抜いてもいない。


「馬鹿かよ!」


 その無造作な隙だらけの踏み込みに、苛立ちながらもバーリアンは完璧な突きを合わせる。

 いや、合わせられた。


「もう一々覚えてらんねぇんだよ、あんまり頭は良くねーからよ」


 声がした。どこからだ?

 後ろからだ。何故だ?

 バーリアンは慌てて振り返った。


「あっ」


 自分の体が、視界が、世界の全てが、バラバラに崩れるのを自覚した。

 それが彼の最期だった。


「百人ぐらいが俺の覚えてられる限界なんだわ」


 ――チン。


 田中はどこで抜いたのか、静かに刀を納刀する。


 ……あまりにもあっけない。あまりにも一瞬の決着。


 特徴的な歩法で相手の間合いを狂わせ、すれ違いざまに勝負を決める。

 彼の剣技は遠い異界の島国で、何百年もの時を経て、ひたすら人間同士の殺し合いを続けた時代の遺物だ。

 魔獣との戦闘ではなく対人戦だけに研ぎ澄まされた、彼らにとっては異質の剣だ。


 突然変異で生まれた剣の天才の家系から、その天才すらも手を焼く、更に突然変異で生まてしまった鬼才であったとしても、狂気の歴史に裏打ちされた異界の剣術を見切る術などあるはずが無かった。


「馬鹿はお前だよ、クソッ! 鎧の性能に溺れやがって」


 更に言えば、鎧など魔剣同士の戦いではただの重りだ。

 まるで過去の自分を見せつけられた様で、田中は盛大に毒づいた。


 今回、田中は甚平みたいな簡素な上着だけを纏った姿。ユマ姫の父、エリプス王との死闘を越えて、速度こそが最も重要と剣士の本質を思い出したのだ。


 一方で立派な鎧を着たバーリアンは、無防備な田中の姿にどこか油断をしていたに違いない。


「おおおおぉぉぉぉ!」


 勿論ソレは、後続に続く騎士達も同じだ。


 相手はたった一人、装備も簡素。圧倒的な質量で踏み潰せば終わりと信じて疑わなかった。

 勢いに任せて、愚直なまでに突進する。


 ――??


 だが、騎馬の群れは田中を踏み潰す事無く、全てが素通りしてしまう。


「躱しおったか! 運が良い」


 確実に踏み潰すコースであったが、何の衝撃も無く通り過ぎてしまった。


 だが、稀にそう言う事もある。

 しかし、後続の馬全てが、か? 天文学的な確率で? 騎士達は顔を見合わせるが、そう言う事もあるかと納得するしかなかった。

 手綱を引いて、毒づきながらも方向転換を試みる。


 ――ドチャリ。


 そして、その姿勢のまま落馬した。


「なっ、え?」


 軍馬の足が、ワイヤーカッターに飛び込んだようにスッパリと斬られていた。

 違う、斬られていたのは馬の脚だけでは無い。人間の足も、田中の目線にぶら下がっていたモノは、全て、等しく、切断されていた。


「馬鹿、馬鹿なぁぁぁ!」


 足を斬られた騎士達が、揃ってパニックを起こし這い回る地獄。ソレを見た田中は焦った様子で踵を返し、そのままの勢いで踏み荒らす。


「ヤベェヤベェ、バイクが壊れるトコだった。馬に踏み潰されちゃ堪らねぇよ」


 田中は人を殺しすぎて、既に何処か壊れていた。

 ある意味ではユマ姫以上に。


「グッ、がああぁぁぁ!」


 騎士達の悲鳴が聞こえるが、田中はまるで気にしない。

 血のカーペットを踏み荒らしバイクの元に戻った田中は、そのままバイクに跨がり、帝国に向け、堂々橋を渡っていく。倒れ伏す騎士を轢きながら。



 そんな悍ましい光景を、呆然と眺めるテムザン将軍。

 川縁まで乗り出し、勝利の瞬間を待っていたのだ。

 ……それが、このありさま。


「これほどの化け物とは……」


 正に言葉が無い。虎の子の騎士団を壊滅させられ、ガックリと膝をつく。

 それがテムザンの命を救った。


 ――ピシュン


 風切り音と共に、テムザンの後ろに控えていた参謀の頭部に弾丸がめり込んだ。


「なんだ?」

「銃撃?」

「将軍の御身を守れ!」


 テムザンはこれでも人望がある。部下達が身を挺して射線を塞ぐ中、揉みくちゃにされながらもテムザンは対岸を睨んだ。

 信じられない距離。だが、確実にあそこから撃たれたのだ。


「貴様かぁぁぁ!!」


 対岸では銃を構える木村が居た。

 しかし、テムザンは狂った様な笑顔を見せる。


「手が届くのが、自分だけだと思うなよ」


 それだけ呟き、揉みくちゃにされながらもテムザンは撤退の指示を出していく。

 息を吹き返した王国軍が、田中を先頭に突撃してくるのが見えたからだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「失敗か」


 一方で対岸。

 スコープを見つめる木村は、あと一歩の所で外したと地団駄を踏んでいた。


 テムザンが前のめりに対岸のギリギリまで寄って来た、絶好の狙撃タイミング。

 田中に台無しにされてしまったと、内心で八つ当たり。


 木村もまた、田中の剣技に見惚れ、数瞬反応が遅れてしまったのだ。


 今回は諦めるほか無い。

 コレこそが、一騎討ちから戦局を打開するべく用意した木村の切り札だったのだ。


 ため息と共にライフルを手に、振り返った木村の前に。

 おかしな雰囲気の兵士がいた。


「…………」


 何かが、おかしい。


 装備は徴兵された一般兵と同じモノ。

 だけどどこか違和感がある。


 一般兵ならば、徴兵された農夫のハズ。

 その癖、何やら雰囲気があるのだ。


 いや、何よりおかしいのは、コレだけの一騎討ちを見て浮かれた様子が無い。

 殺しに、慣れている。


 こんな奇妙な人間を木村はどこかで知っていた。


 一人の女性の顔がチラついた瞬間、躊躇無く拳銃を抜く。


 ――ギィン


 ナイフが右手の拳銃を弾いた。左手に持つライフルには次弾を装填していない。銃を拾うより、男がナイフを投げる方がきっと速い。外れようのない距離。


 詰み。木村の顔が歪んだ瞬間。


「油断し過ぎよね」


 思い描いた女性の声がした。

 どこから? 倒れ伏す男の向こうからだ。

 小型ボウガンを構えるシャルティアが姿を見せた。


 うつ伏せに倒れた男の延髄には、深々とボルトが突き刺さっている。


「どうしてここに?」


 木村が掠れた声でシャルティアに聞けば、ユマ姫に命じられたと答えがあった。


「嫌な予感がするからって、あの子の勘って嫌な予感だけは当たるわね」


 肩を竦めるシャルティアだが、木村には更に別の嫌な予感があった。

 何の為の一騎打ちか? 全軍の目を橋に集めて、裏から暗殺者を送り込む為の策ではないのか?


「それで? 姫は!」

「さぁ? 本陣へ帰ったみたいだけど?」

「チッ!」


 舌打ちをひとつ、木村は装甲車を全開で走らせる。

 シャフトの歪みで速度が出ないのが恨めしい。


 オーズドには何も言わずに出てしまった。今頃は田中の後に続いて帝国を追っているだろう、進撃する兵の流れに逆らって、木村は自陣へととって返す。


 ユマ姫は親衛隊に護衛されながら、例の白馬に乗って帰還した。


 しかし、どうにも嫌な予感がする。


 その予感を裏打ちするように、伝令の騎馬が平原の向こうから大急ぎで駆けてくる。


「何があった!」


 柄にも無く、精一杯の大声で尋ねれば、最悪の言葉が返る。


「捕虜が脱走! ユマ姫が誘拐されました!」

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