一騎討ち2

 長大な石橋を挟んで睨み合う帝国と王国。兵達の熱気は夏の暑さを上回り、人いきれは立ちこめていた夏草の芳香を打ち消した。

 橋の上には両軍の英雄。無数の軍旗が川辺で翻り、兵士達は声を嗄らして檄を飛ばす。


 いよいよ、両国の代表者三人ずつ、勝ち抜き形式での一騎打ちが始まろうとしていた。

 そんな光景を見て、名将テムザン将軍は屋形テントで息を吐く。


「茶番だの」


 勇ましい兵達と裏腹に、老将の口から出たのは気炎ではなく愚痴だった。


 一騎打ちなど、テムザンにとっても全くの予定外。

 そうは言っても、この光景は二国間の戦争では長年お馴染みとなっている。

 戦争がこうして、ある種のスポーツとなって久しい。言わば、何百年も続く腐れ縁。


 だがテムザンにしてみれば、そんな関係を終わりにするつもりの開戦だっただけに、忸怩たる思いでこの光景を見つめていた。

 気の抜けた老将のひと言に、参謀の一人が眉を顰める。


「ならば何故? 一騎打ちなど?」

「だって、埒が明かないんじゃもの」


 テムザンの回答はシンプルだった。拗ねた様子で髭を撫でる。


 そもそも、橋を挟んだ地形は銃を揃える帝国に有利。去年は橋に殺到した王国兵を鴨撃ちにしている。

 だからこそ、相手が後退した際もあえて本陣は向こう岸まで移動させなかったのだ。

 相手を引き込んで倒す策を残した格好。


 しかし、開戦時こそ良かったものの、敵はどこからか大量の銃と、馬も無く走る固い馬車までも調達してきた。

 強烈な威力を誇る爆薬もだ。


 こうなれば、他の隠し球だってあるやも知れぬ。

 現に大砲と大量の銃で占領した砦は、アッサリと奪還されてしまった。


 様子見で正解だったとテムザンは思う。


 射程兵器と展開速度が合わさり、もはやどこからも渡河が出来なくなった。なにしろ火薬は湿気に弱い、無理な渡河など論外だった。


 それは王国側とて同じ事。帝国が誇る圧倒的な量の鉄砲隊と大砲が、無謀な渡河を許さない。


「このままでは、攻めた方ばかりが損をするじゃろ?」

「では、敵を引き込んでから勝負を決すると言うのは?」

「乗ってこんじゃろうな、盛り返した時点で捕虜交換を持ちかける相手じゃぞ? 好戦的とは言えんわな」

「ならば、多少の犠牲を覚悟してでも押し切るべきでは?」


 参謀が提案したのは、早い話が農奴を死兵として送り込み、使い潰す戦略だ。

 あまりに危険な策である。


 参謀の男がこうも前のめりに献策するのには理由があった。

 テムザンはここ数日、部屋に籠もりきりで作戦会議にも顔を出さない。帝国中枢から派遣され、最近になって戦場へ到着した彼は、なによりアピールの機会を欲していた。


 その鼻息に、テムザンは鼻白む。


「多少で済めば良いがのぉ?」


 馬鹿にしたようなテムザンの言葉に、今度は参謀が青筋を浮かべる。

 参謀に言わせれば、農奴など戦場で使い潰すモノ。大っぴらには言わないが、むしろ農奴の口減らしに戦争を仕掛ける事すらあるのだから、この世界ではありふれた考え方である。


 しかし、テムザンは戦争が変わったことの本質を正しく理解していた。

 すなわち、質より量。銃は引き金を引けば真っ直ぐ飛ぶし、弾速が速く偏差射撃も不要なので、弓のような長い訓練を必要としない。

 なにより、従来の武器より遙かに強力だ。


 恐るべき事に、テムザンは銃撃戦における逐次投入の愚かさを、直感的に理解していた。

 地球人にとっては常識でも、精強な騎士団が数倍の農兵を蹴散らすこの世界では、並外れた戦術センスと言うべきだろう。

 だからこそ、攻め手が橋しか無いこの地形は最悪だった。

 一騎討ちでもした方がマシな程。


「ですが、一騎打ちに勝ったとして、何か変わる訳では無いでしょう?」


 しかし、苛立つ参謀のこの言葉こそ、まさしく居並ぶ参謀や文官達の共通の思いだった。

 これまでは一騎打ちで勝った陣営が、意気揚々と相手の領土へと乗り込んで行くのが通例。


 だが、今回ばかりは勝ったとしても、鉄砲隊が待ち受ける対岸に乗り込んでいけるのかが問題だった。


 従来、一騎討ちで負けた陣営は士気が落ち、逃げ腰になる。

 だが、へっぴり腰で撃ったとしても、銃の威力は変わらない。

 生身の人間を斬りつける罪悪感が消えた戦場は、以前ほどに士気は重要で無いのだ。


 一騎討ちの重要性は大きく減じたハズだった。

 ソコをどうするつもりか、テムザンは答えを出していない。


 だと言うのに、その疑問をテムザンは投げやりな言葉ではぐらかす。


「何も変わらんかもしれんが、何か変わるかもしれんじゃろ? ほれほれ、試合がはじまるぞい。退屈な戦場じゃ、せめて皆で楽しもうではないか」

「なにを!」


 命懸けの決闘を試合とは、いよいよ参謀が怒りに顔を紅潮させた。


「ッ!」


 しかし、すぐさま言葉を失う。向けられたテムザンの眼光が余りにも冷たかったからだ。


 実際、テムザンはこのまま男が喋り続けるならば、処分するつもりでいた。


 噂と違い好々爺然とした姿を見せるテムザンだが、やはりこの目こそが本性なのだと瞬時に参謀は理解した。

 冷や汗を垂れ流す参謀が見つめる先、いよいよ一騎打ちが始まろうとしていた。


 黙った参謀の代わりに、侍従の男が尋ねる。


「伝統の一騎打ちですが、今回は三人での勝ち抜き戦としたのはどうしてです?」


 見つめる先には帝国側が用意した三人の男達。

 まさしく、一騎打ちが試合の様になってしまった理由であった。


「はぁー、大人の世界には色々あるんじゃよ」


 ため息混じりにテムザンが先方の大男を指差す。


「例えばアレは魔女の推薦じゃ、ゴリ押しとも言うの」


 身の丈二メートルは達しようかという大男は、魔女に連れて来られたと言うのも納得の異様な雰囲気を纏っていた。


 一方で王国側はどうか?


「相手は森に棲む者ザバの小僧か、同盟と言うだけあって、相手にも色々あるようじゃの」


 望遠鏡で覗いた先、テムザンには橋の向こうから走ってくるマーロゥが見えていた。


「初戦が色物対決とはのぅ」

「色物ですか?」


 侍従が不思議がったのは、魔女が推薦した大男は屈強な戦士に見える事。

 どこにも色物要素は無いからだ。長大なランスをかちで扱うのは異色だが、アレだけの体格なら納得もいく。


「じゃが、アレは騎士では無い」

「では、どこかの傭兵でしょうか?」

「違うの、恐らくアレはもう、自分がナニかも解っとらん」

「???」


 侍従の男は首を傾げるが、テムザンの言葉はそのままの意味だった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 橋の上、マーロゥの姿を認めた大男は、それまでのゆったりした動きが嘘の様に、途轍もない速度で突進した。


「オ゛ォォォォォ!!」


 獣染みた方向が響く。


 いや、男は正に獣だった。


 男はロクに話す事すら出来ない。筋力増強剤の投与により手に入れた肥大化した筋肉と引き換えに、男は正気を失っていた。

 鎧に見えるのは男の新たな皮膚だ。肥大化した筋肉がそれまでの表皮を突き破り、代わりに金属片を貼り付けている。


 絶え間ない苦痛を麻薬で押さえ込み、失った精神は洗脳で上書きした。

 そうして手に入れた膂力は、常識を遙かに超える暴威を誇る。


「グォォォォ!!」


 馬よりも尚速く、身の丈が二メートルを超える筋肉の塊がランスを構えて突進する。

 人の身でコレを止める術など存在しない。


 ――シュルン。


 だから、マーロゥは止めようとしなかった。

 鋭い突き込みをヒラリと躱すと、そのまま橋の欄干に着地する。


 ――カラン。


 同時に響いたのは、バラバラに斬り裂かれたランスが橋に落ちる音。


 ――ドチャリ!


 そして、男の両腕が落ちる湿った音だ。


「つまんねーの」


 双聖剣ファルファリッサの切れ味は魔剣の中でも群を抜いている。マーロゥには手応えすらもなかった筈だ。

 欄干から橋上に降り立ったマーロゥは、速やかにトドメを刺すべく、大男の前に進み出る。


「オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォ」

「ぐあっ!」


 そこに強烈な蹴りが突き刺さった。

 大男が蹴ったのだ。


 切り落とされたのは両腕。足は無事。だから蹴れる。

 当然に思うなら、あまりに人体を馬鹿にしている。両腕を切断されて、即座に蹴りをくり出せる人間など正気では無い。

 しかし、男はまさしく正気では無かったのだ。

 失った両腕のバランスすら考慮しない不格好な蹴り。蹴った方も一緒に転がる無様な蹴り。


「ガッ、ハァ!」


 しかし、それでもマーロゥは肋骨が折れる程の怪我を負った。男の脚力は常識の外にあったからだ。

 そして、男は殺戮の本能だけで生かされている存在だ。


「グアァガァァ!!」


 声にならない咆哮と共に立ち上がり、真っ直ぐにマーロゥへと突っ込んでいく。


 ――シュルン。


 そこに再び、ファルファリッサが金属を引き裂く音がした。マーロゥは慮外の攻撃で這いつくばりながらも、剣の冴えにはいささかも曇りが無かった。


 ――ベチャ。


 今度こそ男の首が飛び、胴体は輪切りになった。

 しかし、いや、だからこそ、飛び込んで来た肉の質量は減衰なしにマーロゥへとぶつかった。


 まるで肉塊の散弾である。


「グベッ! い、痛ぇ!」


 再び橋上を転がり、全身を返り血に汚しながら、マーロゥはそれでも立ち上がろうとする。


 しかし、立ち上がる直前、恐るべきモノを見てしまう。


 ソレは何か?


 今まさに、眼前に突き込まれる槍だった。

 避けようがない、死。

 ……だが。


 ――ギィン!


 マーロゥの顔面に槍が突き刺さる直前、割り込んだもう一本の槍が弾いた。


「邪魔をするな! 神聖な一騎打ちだぞ!」


 叫んだのはマーロゥへ突き込んだ老騎士。帝国側の次鋒だった。


「名乗りを上げてから戦うのが一騎打ちでしょう」


 マーロゥを守ったのは王国側の次鋒。

 訳も解らずマーロゥはその男を見上げる。


「あ、あんたは?」

「ゼクトールだ。一戦目は両者相討ち、それで良いですね?」


 マーロゥを救ったのは、ゼクトール。今でこそユマ姫親衛隊などと言う、ふざけた職に就いてしまっているが、彼は元々王族を守る近衛兵として知らぬ者は居ない存在なのだ。

 今回も大将として出る予定だったのだが、ユマ姫と同族であるマーロゥのピンチに、堪らず割って入った格好だ。


 一方でマーロゥは人間の戦士など、モノの数にも無いと名前すら把握していなかった。


 当然の様に一人で三人を片付ける腹づもり。しかし、もはや肋骨の痛みは強く。立ち上がるのも難儀する有様。次鋒のゼクトールに託す他ないと歯噛みする。


「す、すいません、お願いします」

「あなたもそれで良いですね? タリオン殿」


 答えたのは、帝国側の次鋒。その姿は?

 ……五十過ぎの老騎士だった。


「フン、森に棲む者ザバを庇うなど落ちたなゼクトール」


 異様な雰囲気の老兵。彼こそが、ロアンヌの領主であった。

 そう、ユマ姫が殺した開戦の使者ミニエールの父である。


 娘を殺され、虎の子の騎士団を捕虜に取られた老兵が怒りを武器に、牙を剥く。

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