王蜘蛛蛇3
父様が生きていた。
全てが変わってしまったあの日。
謁見の間に立て籠もった父は、逃げ延びる事を良しとしなかった。
捕虜にされたなんて話も無い以上、あのまま死んだものと思っていた。
だけど、違った。アイツらに、黒峰に操られていたんだ!
失われた家族との幸せな日々。
もしも父様だけでも助けられたら、全てが元に戻りそうな気がして……
……夢中になって手を伸ばした。
そんな事はあり得ないのに……
お陰で無様を晒した。
なにを微かな希望に縋っているのやら。
俺は田中みたいに戦う力も、木村みたに器用に現代知識で成り上がる力も無い。
俺に出来るのはたったひとつ。
立ち塞がる『敵』を残らず俺の『偶然』に巻き込んで、道連れに、殺す事!
「まずはコイツを倒す! ソレで良いだろ?」
精一杯に強がって、見上げる先には巨大な影。
うねうねと無数の触手が縦横無尽に周囲を切り裂いていた。
何しろ巨大だ、さっき倒した個体と比べても数倍のサイズがある。
伝説の魔獣。それがまるでバーゲンセールじゃないか!
コイツを倒せば英雄だ。とか言われるが、だったら子供の頃に妹と、そしてさっきも。二度もコイツを退治した俺は、さしずめ勇者ってトコか?
俺こそがお前の天敵だ! 来いよ、見せてみろお前の全力を!
「って! 全力で来すぎだろうが!! 」
超大量の触手に追いかけ回される。俺はぶかぶかの服で全力のトンズラ。
自慢の魔法はどうしたって? 今の魔力じゃロクな魔法が使えないし、なんなら触手が近づくだけで魔法なんて掻き消されてしまうので却って危険だ。
伸縮する触手がそれぞれ健康値を纏っているために、どうやっても魔法が掻き消されてしまう。
「コッチだ!」
木村が操る
俺は舞い上がり、世界は空転する。
「うぉぉぉぉ?」
旋回し反転する視界の中、俺を追いかける触手と
その一方で田中が触手をバスバスと斬りつける音まで聞こえてくる。
おーおーおー、勇者である俺を守る為にみんなして必死じゃネーの!
「全く! デコイとしちゃあ優秀だな」
「違いねぇ!」
……あ、ハイ。
デコイとかは前世でも良く言われていた。
同じように騒いでいても、何故か俺だけ先生に怒られるって言う理不尽。つまりアレだ、お馴染みの『偶然』の力だよ。
今回も何故か
コレで俺の防御力が高かったらデコイどころか優秀なタンクなんだが、残念ながら即死体質である。
「死んでも復活するんだから頼もしいぜ!」
「そう考えりゃ、滅茶苦茶優秀なタンクだな」
いや、二人して何言ってんの? あんな復活何度も出来ねーからな? 偶然が幾つも重なった奇跡。
ソレさっきから言ってるから!
――あ、言ってなかった!
やべぇ! やべぇよ! 俺、何度も死ねないよ? そもそも打ち所が悪けりゃ魂だって無事では済まないハズ。
そうじゃなくても俺の体を一から再構成するほどの薬が残っていない。
二人に文句を言おうにも、俺の体は空中を滅茶苦茶に振り回されている最中だ。
さっき食ったモノをゲロりそう。俺、何食ったっけ? 脳みそじゃん! 真性のホラー映像をお届けするハメになるよ? ソレでもいいの?
「しかし幾ら斬っても埒が明かねぇぞ!」
「俺の指も限界だ!」
……ダメみたいですね。
「無理だ! スマン逃げろ」
「ぐべっ! オロオロ」
振り回された末、二階層上のフロアへと投げ飛ばされる。デコイとしてはお役御免か。そんでまぁ結局ゲロりました。盛大に。
お姫様が脳みそゲロる光景ってどこかの
「ハァハァ……」
それでも息つく暇も無い、背後から無数の触手が迫ってくる。
「お助け!」
フロアの中を奥へ奥へと駆ける。
孤立してしまうがコレが最善。
何故って、あの
――ギョォォォ!
そう思っていたら来ました。小さく千切った分体が。
「やばい! やばい!」
あの体積から考えれば百分の一位のサイズか? それでも俺にとっては十分な脅威だ。机が並ぶオフィスフロアみたいな場所をひたすら駆ける。
ポーネリアの記憶にもこの場所の思い出は少ない。それこそ大昔は大勢が働く場所だったらしいが、ポーネリアの時代には既に使われていなかった。
背後の敵をどう切り抜けるか考える俺の前、かつての脅威が立ち塞がる。
――ピュイーン! ブブブ……
球体ドローンのザカート! だが今は敵じゃ無い。それどころか救世主。
生体認証済みの俺を無視して、当然とばかり
――ギョォォォ!
しかし触手になぎ払われてしまう。自慢の電気ショックも効果はいまひとつ。流体である
しかし、意外な程に効果を発揮した物が有る。
名前はログラム。我らがスライムドローンだ!
――ギョォォ!
コレだ! スライムドローンを集合させて
いや、それでも足止めと、少しばかり体積を減らす事しか出来ないだろう。どうにかして燃やさないと……でも火薬が無い。あるのは木村が探してきた灯油だけ。
アルコールやガソリンならまだしも、灯油を爆発的に燃焼させるのは不可能だ。
――そうなの?
久しぶりに父様の顔を見たからだろうか? 頭の片隅でセレナの声がした。
だからだろうか? 俺は家族の事を思い出してしまった。
幸せな家族だったと思う。なのにみんな殺されて、生きていた父は洗脳されて敵に回った。
悔しさに噛みしめた奥歯がギリリと悲鳴を上げる。
くぅ! ダメだこんな所で泣いちゃダメだ!
――魔法のこと、教えて。
またセレナの声が聞こえた。魔法なんて
――あっ!
頭の中で色々なピースが嵌まっていく。
「そうだ! イケる!」
俺は壁に埋められた簡易コンソールに取りすがる! フロア内のドローンなら操作可能だ。
一カ所に集めれば……唯一の難題である足止めは、スライムドローンで出来るハズ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
古代遺跡の中。
壁も、床も、削り取られ出来上がった、吹き抜けの底。
地下深い場所にありながら、遙か上空からまっすぐに光が差し込む。
中天にある太陽が、外は昼間と告げていた。
その強い光で大きな影を落とすのは、
相手はエルフの中でも伝説の魔獣。
その中でもとびきりのサイズ。
立ち向かう長身の男が小人のように見える程。
しかし、立ち向かうのはエルフの王国を救った英雄である。
戦いは熾烈を極めていた。
「わかっちゃいたが、キリがねぇ」
田中は日本刀で触手を切り裂くが、少しずつしか敵の体積を減らせない。
それどころか切り落とした触手に足を取られる事も多くなってきた。
「スマン、俺に至っては何もできねー」
「くだらねーコト言うなよ」
木村は悔しそうだが、田中はここまで何度も木村が操る
しかし、それだけ。
二人にはどうしたって相手に纏まったダメージを与える術が無い。
木村は虎の子である灯油の回収に成功していたが、これだけでは決定打と言える程の火勢を得るには全く足りない。
木村はコレがガソリンだったらと思わずには居られない。それにしたって大規模な爆発を起こすにはひと手間必要なのだが……
なにか手は……そう考える木村の鼻腔をくすぐる灯油の匂い。
まさかと振り向くと、用意したステンレスタンクが無くなっているでは無いか。
嫌な予感に周囲を見回すと、化物を挟んで向こう側に少女が立っていた。それも抜群に狙われ易く、死にやすい少女がだ。
……なのに堂々と腕さえ組んでいる。
決死の思いで比較的安全な上層へと退避させたつもりがノコノコと戻って来てしまっていた。
「あンの馬鹿! 脳みそにオカラでも詰まってるのか!」
田中が叫ぶ、コレには木村も全くの同感。いや、脳みそはお腹に詰まっているのだがな、と先程の強烈な光景を思い出す。
しかし冗談を言える状況では無い、ココは危険地帯。正直言って自分の身ひとつ守るので精一杯の場所だ。戻ってこられるのありがたくなかった。
しかし、ユマ姫も本物の馬鹿じゃ無い。なにか手があって戻ったに違いないのだと思い直した。
まずは灯油で何かする気だろう、しかしそれだけと言うことはあり得ない。では何か?
「ドローンか!」
床に広がる大量のスライムに木村は快哉を叫ぶ。
確かにコレで足止めは可能に思える。しかし、足を止めたとして、そこに灯油をぶっかけても大したダメージは期待出来ない。
何度も言うが、灯油はそう簡単に燃えるモノじゃ無い。
(何をする気だ?)
木村の心配を余所に、ユマ姫はステンレスタンクを抱え、スライムの前に陣取るだけ。
(冗談だろ?)
まさか本当にスライムで足止めして灯油で燃やすだけ? そんなんでどうにか出来る怪物では無い。
せめて前回見せた火薬と混ぜるなどの隠し球が無くては……しかし少女は建物のドコにも火薬は無いと言っていた。
「畜生! 行くぞ!」
田中は駆ける、驚くべき速度、そして脚力。
だが木村の方はとても間に合いそうに無い。
なのに、あろう事か当のユマ姫が
「来いよ! デカブツ! 俺はココだぜ?」
両手を広げ、堂々と宣言する。浮かべるは凶悪な笑顔。
麗しの姫の仮面を脱ぎ捨てたソレは、明らかに高橋敬一のモノに見えた。先程見せた、悲劇のヒロインの泣き顔がどこにも無い事に、木村はどこかホッとする。
(しかし、どうなる?)
無防備なユマ姫へと
――ギョォ? ギョォォォ!
狙い通り
――ギョォォォ!
だが、この化物には触手がある。遠距離からでも一直線に伸ばされる触手。コイツをどう防ぐつもりなのか?
「ヤベッ!」
(ヤベッって言ったか? 今!)
木村は耳を疑う。しかし両手を広げたまま仰け反るユマ姫の顔色は悪い。
(マジで何も考えてねーじゃねーの!)
木村は焦る。だがこんな時、頼れる男が一人居た。
「オラァ!」
田中だ。
駆け抜けざまの一閃だが、図太い触手がアッサリと千切れた。ユマ姫へと届く寸前に紙一重で間に合った形。
しかし、それに終わらない。
足を置き去りに胴体がどちゃりと落下して、大きく、平たく、地面に広がる。
――ソレこそがユマ姫の狙いとも知らずにだ。
「爆ぜろ! 気味の悪い軟体生物め!」
――ブブブブ
ユマ姫が叫ぶと同時、お馴染みの放電音と共に現れたのは球体ドローン。
確かに電気はどんな生物だって身を竦ませる。ただし、それは相手の体積に見合った電流を流した時だけ。
ユマ姫は無数のスライムドローンと違い、球体ドローンはたった一体だけしか用意していない。
木村には、それがいかにも力不足に思われた。
……しかし! 球体ドローンは途轍もない火力を生み出す。
体当たりなどもせず、ただ近づくだけでソレは起きた。
――ドオオオオオォォォォォォォォォォォォン!
――ギョォォォォォォォオオオオォォォオ!
巻き起こったのは信じられぬ程の大爆発。そして化物の絶叫。
燃えさかる異形を前に、木村には何が起こったのかサッパリ解らなかった。実は火薬がどこかにあったのかと
「ハハハ、ヒャアアアハハハ!」
真相を知るのは狂った様に
煌々と輝くオレンジの光焔が少女のイカレた笑顔を照らし、その背後には化物よりなお巨大な影が浮かんだ。
ユマ姫は狂った笑いの中、劫火にのたうつ化物を見て、ふと寂しげに笑った。
「ありがとう、セレナ」
それは今は亡き、幼い彼女の妹が褒めてくれた魔法だった。
蒸し暑い馬車の中、ユマは空気中の水蒸気を集めた後、再び霧状に散布した。それだけで随分と涼しくなったもの。
けれども今回散布したのは水では無い。
灯油だ。
灯油を霧状に吹けば、ちょっとした電気でも爆発的に燃えるのは当然。
とは言え魔力は健康値に掻き消されるため、直接に
散布した場所に敵をおびき寄せ、留まらせる事が肝要だった。
しかし一番の問題となるおびき寄せにはユマ姫の『偶然』があり、そして足止めにはスライムが有効だった。
燃えさかる火の中、化物の悲鳴が木霊する。
――ギョォォォォォォォ!
「ゲッ! ゴホッ!」
ユマ姫が咳き込む。
「ぐぇッ!」
「ハァッ……なん……だ?」
田中と木村も不調を訴える。田中は爆発の余波もある至近であったので当然であるが、十分に距離を離したユマ姫と木村すらも膝をつく。
何故か?
灯油を霧状に散布する。それは燃えにくい灯油で火力を生み出す必要条件であるが、それだけでは先程のような大爆発が発生する理由としては弱い。
もうひとつ、タネも仕掛けも必要だった。
そのタネは? ――酸素である。
コレもまた、いや、これこそがセレナとユマ姫の思い出の魔法。
セレナの誕生は、この魔法無くしてありえない。
二人で学んだ魔法はこの魔法無くして語れない。
セレナは酸素を集めレーザーの様な熱線を放ったが、ユマ姫自身も幼少のみぎり酸素の力で
魔法は対象の質量が重いほどにその魔力を要する。
その特性から、霧状に灯油を撒くことも、酸素を一カ所に集めることも、僅かな魔力で事足りる。
復活したばかりで魔力の無いユマ姫を、幼いあの時の経験が支えていた。
魔力は僅かで良い。
引き換えに必要となるのは、広範囲へ薄く、広く、魔力を制御する圧倒的な制御能力。
ソレに関してユマ姫は天性のモノを持っていた。
――それこそエルフの歴史の中で並ぶ者が無い程に。
魔力値や健康値と違い、制御力と言う存在を示す解りやすい指標が無かったのは彼女にとって不幸だったのか、それとも幸いだったのか?
今となっては知る由も無いが、エルフの中では落ちこぼれの様にも語られるハーフエルフの姫はある意味で度を超した天才であったのだ。
そして、これはいまだ本人すらも知り得ない事であるが、ユマ姫の体に取り込まれたセレナの秘宝。
それが酸素の収集と灯油の散布と言う、極めて複雑且つ真逆とも言える二つの魔法の多重制御を可能にしていた。
セレナは姉の様な優れた魔法制御にずっと憧れ続けていた。
それ故に願ったのは訓練用の秘宝。それが今、ユマ姫の中で生き、彼女の命を繋いでいる。
「やった、やったよセレナ」
ふらつきながらも笑う。爆発的な猛火を彩る為に、ユマ姫は危険なまでに周囲の酸素を集めてしまったから。
だが、施設の換気装置は生きている。それが
程なくして皆も復調する、ユマ姫がそう思った時だった。
――ギョォォォォ!
燃えさかる炎の中、
一歩、また一歩と炎の中を歩み、いよいよ炎の外へと足を掛ける。
「そんな! 効かないの?」
違う、効いてはいるのだ。
だが田中と木村が必死に削った前回と違い、今回は
熱に弱いとは言え、その内部まで熱が伝わり切らない。燃え盛るに構わず
一方でユマ姫を守る者はもう誰も居ない。
田中は位置が
もちろん近衛兵は全滅済み。頼みの侍女は魔力酔いにつき戦力外と地上へと帰してしまっている。
「い、嫌ッ!」
だから、少女を守る盾は無い。火がついたままの触手がゆっくりと迫る。
「ひっ!」
か細い悲鳴。熱で焼かれ鈍重な動きの触手だが、酸欠に陥る少女の動きはそれ以上に遅い。
あっという間に壁際まで追い詰められた。
少女はギリリと歯噛みして
ゆっくりと伸ばされた触手はグツグツと煮えており、ユマ姫を撫でるだけでその美しい
……それでも。
誰も、少女を、守れない。
「うぉぉぉぉぉ!」
いや、居た!
少女を守る命知らずがたった一人。
ソレもまた、あの日の光景の再現となった。
弓の修行をしていた幼少の日。
酸素で爆発を起こして尚、それでも向かってくる
「兄様ッ!」
ユマ姫はそこに兄の姿を幻視した。
無理もない、
それは王家に伝わる魔剣にして、王子の為の秘宝。
双聖剣ファルファリッサ!
――ただし、使い手だけが、かつての光景と異なっていた。
「マーロゥ! あなたなの!?」
見上げたユマ姫が叫ぶ。そう、紅顔の美少年、マーロゥだ。
彼は大怪我と魔力を打ち消す霧に追い立てられ、既に上層に逃れていた。
だが階下に広がる猛火を見て、再び虚空にその身を躍らせたのだ。
「姫は! 守る! 俺が、今度こそ!」
ユマ姫を救う為に。
それは今回も自殺同然のダイブであった。しかし柔らかい
上層からの着地の衝撃が容赦なく
ソレばかりか、着地の勢いすら使い、少年は双剣を深く、深く、
「おおおぉぉぉぉぉ!」
ここからも、また、あの日の再現となる。
少年がファルファリッサを起動すると同時。はさみを広げる様にして
少年の背に、羽の様に広がった双剣に光焔が反射する。
「アレは! ファルファリッサ! 兄様の剣!」
ユマは今度こそハッキリと兄の形見を視認する。
なぜ、かの聖剣がこの場に存在するのか?
それは田中がエルフの暫定政府から預けられ、ここまで持ち込んだものである。
実は田中は遺跡に侵入した際、倒れていたマーロゥ少年と遭遇していた。
ユマ姫を救う為に壁を削り、虎の子の魔剣をダメにしたと意気消沈の少年に秘かに魔剣を託していた。
その切れ味、今更語るまでも無い。
「ハァ! たぁ!」
一振り毎に
「グッ! ゲェッ!」
彼もまた、炎の中で焼かれているのだ。酸素も無ければ肺を焼く黒煙すらも周囲に充満している。
「がぁぁぁーーー!」
しかし、彼は斬る事を止めない。半ば消えかけた意識を奮わせ、姫のため、ただそれだけを思って斬り続ける。
だからこそ、
「グガッ!」
「マーロゥ!」
ユマ姫の見つめる先、
足場としていた
伝説の魔獣とは言え、予兆無しにそんな事は不可能のハズだった。
「あ、ああ! 誰か! 誰か助けて!」
灼けて行く無惨な姿にユマ姫はかつての妹をダブらせてしまう。
これもあの日の再現なのか、燃えさかる炎を前に泣くことしか叶わない。
燃えさかる炎の中へと助けに行くことなど誰にも不可能、
「まかせろ!」
いや、違う! 今回はソレが可能な者が居た。
木村だ! 射程一杯に
「クソッ!」
しかし助け出したものの、その容体を看た木村は唇を噛むしか無い。
大穴が空いた腹はもちろん、全身の火傷だけでも十分に致命傷。
出血も激しく、手の施しようも無かったからだ。
「マーロゥ! あなたは!」
そこにユマ姫が滑り込んだが、少年の余りの姿にハッと息を飲む。
「姫サマ……俺、今度は守れたかな?」
「ええ! もちろんです」
伸ばされた手をユマ姫は必死に握ったが、濁った瞳には既にその姿も映っていない。
「良かった……おれ、今度こそ、ずっとそれだけを思って……」
伝説の魔獣に挑み、大怪我を負った英雄。それもまた、いつかの再現だった。
劇の中、エリプス王を演じた少年は、その役を全う出来なかった。しかし、今度はどうだ?
後悔に押され、天才子役だった少年は、少女を守る為だけに、戦士への道を志す。
その道がどんなに困難だったかを知る者は少ない。
だが少年はやっとその目的を遂げたのだ。
もう誰も、彼を実力不足と笑わない。
「ふふ、大丈夫です。今度は忘れてませんから」
いや、笑う者が一人。ユマ姫だ。彼女だけは笑うのだ。
あの日、無様なミスをしたのは少年だけではない。
むしろユマ姫こそが真っ先にやらかしているのを忘れてはならない。
少女はあの時、あの場所で、劇中の大切な小道具を持っていなかった。だが今回は?
「
取り出したのはポーション。奇跡の小瓶だ。
「なに……を?」
少年は解らない、思い至らない。
まさかエリプス王の伝説は掛け値無しに本当だったなど、夢想だにしていない。
エリプス王はゼナの秘術と、その詳細を黙して語らなかった。だからむしろゼナ自身がセレナの母、パルメになんとなく漏らした言葉が伝説の由来。
「まさ……か?」
古代人の残した薬は、腹に開いた大穴の応急処置のみならず、失われた血液すらも補った。
魔法では不可能な事である。
マーロゥの傷口はみるみる塞がり、血色すら戻っていく。
ココにエリプス王の伝説が再現された瞬間だった。
「ああ……」
「良かった。間に合いましたね」
奇跡は成った。少年は一命を取り留め、少女は笑う。
その様子に木村もホッと息を吐いた。
しかし、一命を取り留めたハズの少年に悪意が迫っていた。
――シュッ!
しかしたったの一太刀でその野望は潰える。
「オイオイ、俺の事、忘れてねーか?」
爆発の衝撃から身を起こした田中は、虫でも潰すような何気ない一振りで、最後の悲劇を回避したのだが……
「田中サン? 今頃どうしたの? もう終わっちまったぞ?」
「
だが、それを知る者は誰も居なかった。
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