動物園

【二人の兵士の会話:大森林中央部 王都エンディアン 王宮前広場】

 

「なぁ知ってるか? 黒衣の剣士タナカの噂」

「ん? ああ、聞いた事有るぜ。強い魔獣を倒して叙勲されたんだったか?」

「その様子じゃなんも知らねぇのか、そのタナカが森に棲む者ザバについたってもちきりだぜ? たった一人に百人以上がやられたってのは、流石に尾ひれが付きすぎだろうがな」

「はぁ? そもそもタナカって実在するのかよ?」

「そっからかよ、居るに決まってるだろうが」

「でもよぉ、そんな英雄。国が大々的に宣伝しない訳が……」

「馬鹿か! その英雄を叙勲しようとして袖にされたとあっちゃ、英雄が一転。鼻つまみ者よ」

「ははぁ、お貴族様の面子って奴か、おっかないね」

「それどころじゃないぜ? 貴族にしてみりゃ自慢の爵位を馬鹿にされた様なモンだ。色々悪い噂も流れたが、今となっちゃホントに化け物だったのかもな」

「でもよぉ、タナカが森に棲む者ザバにつくのも解るぜ。……見たかよ? この広場に積み上げられた死体の山。霧で動けない市民まで生きたまま燃やしちまった。俺はいまだにあの光景、夢に見るぜ」

「オ、オイ! 滅多な事は言うなよ。お前も動物園の餌にされちまうぞ」

「どうぶつえん?」

「それも知らねぇのか? 森に棲む者ザバに対抗して俺らも魔獣を操ろうって研究をしているらしいぜ、何十匹もの魔獣が檻に収まってるのを見た奴も居るとか」

「マジかよ?」

「大マジよ。で、な。タナカにやられて逃げ帰った連中は、見せしめに餌にされているってもっぱらの噂だ」

「嘘くせー、何もかも嘘くせー。オカルト好きも大概にしろよ」

「たった一人に何十人もの帝国兵がやられたってのは面白く無いだろうぜ? 口止めしたいと思っても不思議じゃ無い」

「んな訳あるかよ、大体、餌にするなら俺達じゃなくて森に棲む者ザバを餌にするだろうが、あんなに『余って』いるんだからよ」

「…………」

「どうした? なんで黙んだよ?」

「いや、最近、森に棲む者ザバの数が減ったと思わないか? 身の回りにも、もっと下働きの女が居たと思うんだが……」

「……おい」

「冗談だ、本気にするなよ」

「洒落にならないんだよ」

「悪ぃ悪ぃ。ま、タチの悪いジョークだよな」

「決まってるだろ」

「この森の所為だ。どうにも頭がボーッとしてオカシクなってくる、檻に入った魔獣を見たって奴も、数日後には消えちまったって言うんだから、とっくにおかしくなっていたんだろうぜ」

「脱走かよ、国に帰ってもお尋ねモンだろうにな」

「ああ……それに、地下にそんな場所があるならちょっと見てくれば良いんだよ。どうせ噂だ」

「オイ止めとけって」

「大丈夫だっての、このままじゃ寝付きが悪くて仕方が無ぇ、お前と話してたら、やっぱ確かめないと駄目だって思ってな」

「俺は知らねぇぞぉ?」

「いいさ、明日もどうせ二人でココの警備だろ? 結果を教えるぜ?」

「言ったな? 頼むぜ?」

「任せとけ」


 そう言って二人はその日の警備を終えた。

 だが次の日、地下を調べに行った兵士は姿を見せず。上官に問い合わせても梨の礫。

 脱走したと聞かされたのは、それから数日後の出来事だった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 大森林のただ中に忌み地として恐れられる場所があった。

 苔むした丘。朽ちた倒木が幾重にも折り重なり、昼間でも淡い光しか差し込まない。

 大気の湿度が高く、じっとりと肌に纏わり付く。訪れた者はただ呼吸をするだけで、張り詰めた圧迫感に押しつぶされそうになるだろう。


 ここは巨人の墓所とエルフ達に恐れられる、呪われた土地だった。


 そんな場所に好き好んで近づく者は居ない。

 ソコに目を付けたのがかつてのエルフの王族だった。


 人が寄りつかない事を利用し、数代前のエルフの王はココに秘密基地を築いたのだ。

 数百年は昔の事である。

 大森林のど真ん中。一体、何に備えて作り始めたた物なのか? もはや誰にも解らない。


 一説には、神話に語られる終末の刻に備えたと言われている。

 そんな、何に備えたかも判然としない秘密基地が、今ではレジスタンスの本拠地として、立派に役に立っていると言うのだから、世の中何が起こるか解らないモノだ。


 そんな基地の最奥。魔道具の光が煌々と輝く会議室で、一際態度が大きい男が一人。

 頭の後ろで手を組み、脚は机の上に投げ出している。

 態度だけでなく、その体もデカい。人間より長身で知られるエルフの男達がまるで子供のよう。


 もちろん、田中であった。


「貴様! 神聖なる戦いに挑む、我らを愚弄する気か!」


 吠えたのはセーラだ。彼女がご機嫌ナナメな理由は田中の態度だけが原因ではない。


「そうは言っても、もう街に霧の悪魔ギュルドスは無いんだろ? 俺はお役御免でいいじゃねぇか」


 めんどくさそうに田中が耳をほじる。

 田中が言うとおり、主要な街での霧の悪魔ギュルドスの回収任務は終わりを迎えつつあった。

 ここまでグリフォンの情報はゼロ。ここらが潮時と感じていた田中は一縷の望みを託して遙か北。果ての山脈にまで脚を伸ばす計画を立てていた。

 だが、セーラにしてみれば霧の悪魔ギュルドスの回収は敵の力を削ぐ策でしかない。

 王都奪還には道半ば、動物園と言う不気味な事象までちらついているのに、ココで田中に離脱されては堪らないと言う思いであったのだ。

 ……多少は私情があるやも知れないが、其れを指摘する程野暮な人間はこの場に居なかった。


「其れを言うなら、霧の悪魔ギュルドスは王都にもあるだろうが!」

「そりゃあな、でも占領部隊の本拠地だろう? 流石に俺一人で戦争するってのは無理だぜ? 放っておいても霧の悪魔ギュルドスが無けりゃアチラさんはジリ貧だ。わざわざコッチから突っかかってやる必要は無いさ」

「いや、しかしだな…………」


 セーラは口ごもる。

 実際、霧の悪魔ギュルドスを起動されたら戦力としてアテになるのは田中だけ。まさか敵の本拠地に一人で乗り込めとは言えない。

 まして霧の悪魔ギュルドスのエネルギー源は健康値、ならばその在庫は早晩尽きる筈。待てば被害を抑えられると言うのに突っ込んでやる馬鹿はいない。


「それに、俺の目的はグリフォンなンだよ、霧の悪魔ギュルドスはついで、王都ってのは強力な魔獣避けがあるんだろ? 俺が行く意味は無いね」

「…………」


 セーラには言い返す材料が無い。

 一方で、彼女は田中の強さに憧れと尊敬、或いはそれ以上の感情を抱いて居た。


 しかし、だからと言ってそんな自分の感情で田中を引き留める事が出来る程、彼女は素直でもわがままでも無かった。

 ……まだココが田中にとって過ごしやすい場所ならば引き留めやすかったのだが。


「セーラ様、出て行くと言うなら良いでは無いですか。這いつくばる者ボズを討つのに這いつくばる者ボズの手を借りていては示しが付きません」

「王都の奪還は我らの手で行わなくては」

霧の悪魔ギュルドスの力が尽きた時こそ奴らの終わりです。この世の地獄を見せてやりましょう」


 エルフの男達は鼻息も荒く、セーラに進言する。

 中には優しく諭す様な口調も混じるが、年若いセーラを子供扱いしているだけだ。実際のところ、諭しているのだか、言いくるめようとしているのか、怪しいモノだとセーラは感じていた。

 セーラは漏れそうになるため息を抑え、まなじりを決して睨みつける。


「お前ら! その物言いはユマ様を愚弄する物だぞ! 理解しているのか!」

「そ、そんなつもりは……」


 狼狽え言い淀む彼ら。どうもその自覚が無かった様で、セーラとしては頭の作りを疑うしかない。

 帝国を討つために敵対する王国へと助けを求めたのはユマ姫だし、這いつくばる者ボズを人間とし、我らをエルフと名付け、差別的な言葉を禁じたのもユマ姫だ。


 彼らを見ていると、セーラはエルフの誇りが揺らぐ。


 這いつくばる者ボズと馬鹿にして知能に劣ると思っていた人間の方が、よほど知的に感じてしまう。

 実際に小柄で虚弱と思っていた人間の中に、例を見ないほどに強く大きい田中が居る。彼女の中の常識は揺れていた。

 なにより、これほど人間にしてやられていると言うのに、いまだに人間を下に見る者が後を絶たない。


「ふふふ、どうやら我らのお嬢様は随分とあの黒いのに入れ込んでいる様ですな」

「セーラ様も女だったと言う事でしょう」

「しかし、これ以上奴に手柄を挙げさせる訳には……」

「左様、それに這いつくばる者ボズを追い出しても、次期王が這いつくばる者ボズの子供では士気も上がりますまい」

「ククッ、同感です」


 聞こえぬように、小声でクスクスと笑い合う。

 彼らはセーラが集音の魔法を使える事を知らない。セーラは弓を持って戦う事しか興味が無い脳筋女と思われているからだ。

 だが、威力ばかりが話題に上がるセーラの弓魔法だが、その精度こそが本当の自慢。

 そして、風魔法の制御に長ける彼女が、音を拾う魔法を得意中の得意とするのは当然であった。

 その程度の事が解らずに、ニヤニヤと笑う彼らの顔の醜さたるや。まるで知性を感じとれない。


「しかし、我らに残った王族の血を引く者が、野蛮で間抜けなお嬢様とはな」


 その一言にセーラはギリリと音が出るほど奥歯を噛みしめる。

 嘲るような目でチラリとこちらを見るのは、元老院唯一の生き残りのベルデグ卿だ。

 無能であるが故に、式典の日付も忘れて釣りに出かけていたが故に助かった老人である。

 どちらが間抜けなのかとセーラは怒鳴り散らしたくなる。

 だが、一方で自分も間抜けなのは疑いようが無い。セーラが助かった理由は有る意味でもっと間抜け。


 成人の儀。ユマとセレナの二人は試練の洞窟に入り、伝説の魔獣である王蜘蛛蛇バウギュリヴァルを討伐する。

 洞窟の中には他にも超危険な魔獣のオンパレードで、後から洞窟に入ったセーラ達は顔を蒼くして魔獣の死体の山の中から王女二人を探そうとしたほど。

 普通に考えて子供二人で倒せる様な魔獣じゃ無い。

 旧王都付近は魔力が濃く。魔獣がはびこる危険地帯と化しているが、それでも子供にお使いに行かせる程度には安全でなければならない。


 そう、セーラ率いる部隊は二人が訪れる前に魔獣を間引きする任務を帯びていた。

 だから二人が旅立つずっと前に王都を出て、旧都に向かっていたのだが、誤算だったのはセレナが空を飛んだ事だ。

 下手をすれば一日掛かりの道程を、二人は一瞬で飛び越えた。

 セーラは頭上を飛び越した二人に気が付かず、洞窟で魔獣の死体の山と遭遇した。


 (もし、セレナ様が居なかったら最初に洞窟に入ったのは私だった)


 セーラは思い出す度に情けなさに涙が滲む。自分達ではアレだけの魔獣に立ち向かえたとは思えない。

 そして、セーラが救われたのはセレナの存在にだけではない。彼女はその前にも大きな失敗をしている。


 (もし、ユマ様が居なかったら、私は大牙猪ザルギルゴールに訳も解らず殺されていた)


 弓の訓練での失態は、今も強烈にセーラの心に爪跡を残す。

 当時の何の力も無かったユマ姫にすら、自分は劣っているのだと思わざるを得なかった。

 成人の儀はその挽回の機会だった。そこに恥の上塗りをしてしまう格好となったのだ。


 王家の傍系ながら魔法の実力は直系の方々に勝ると思ってきた。だからこそ、いざと言う時には自分こそが王女や王子を守るのだと。

 ところが現実は、自分が守られる側。

 セーラは堪らず修行の旅へ出る許可を貰い、危険極まる果ての山脈に一人旅立った。


 ――それが三度目の後悔となる。


 一番居なくてはならぬ時に呑気に修行の旅に出て。異変を感じて慌てて戻ってくれば既に王都は占領されていた。

 その理由が彼らを守る為の旅に出ていたからと言うのだから、笑い話にしかならない。


 思い出すだけで、羞恥と後悔で顔が歪む。そんな彼女を気の毒そうに眺めるのは田中だった。


「言わせときゃ良いのに、全く、思い詰めちゃってまぁ」


 驚くべき事に、この男は魔法の補助も無しに男達の小声を耳で拾っていた。恐るべき聴力と言えるだろう。


「ほんとにのう、もうちょっと力を抜いた方がいいと思うんじゃが」


 しみじみと呟くのは魔法使いらしい、とんがり帽子の老人だ。

 見た目通りこの老人は魔法使い。それもエルフの中でも指折りの実力者で、宮廷魔術師として王族に魔法を教える役割を担ってきた。


 もちろんユマ姫にも魔法を教えていた。とりわけ幼少期は二人で魔法を研究していた。

 それ故、だれよりも早く、ユマ姫の異常性に気が付いた人物だった。


 因みに、田中の腹の穴を治したのもこの老人で、田中は恩を感じていた。

 だが、田中が恩を感じるのはこの老人だけではない。


「旨いモノでも食べてゆっくりするべきじゃな」

「いや、熱い風呂にでも入って、一杯やるのが一番じゃろう」


 頷き合うのはファーモス爺とモルガン爺の二人だ。

 田中は三人並んだ爺達を見て「こっち側は老人ホームみたいだな」と思うが、それぞれに恩があるので口にはしない。


「ご隠居さん方が集まってなんの相談だ? これ以上、介護士のセーラに迷惑掛けるんじゃねーぞ?」


 いや、全く気にせず言ってしまうのが、田中と言う男であった。


「迷惑なんぞ掛けとりゃせんわ」

「左様、こちらが面倒をみてやってるぐらいだ」

「お主のカタナもだぞ!」


 老人達は老人達で、気にした風も無く言い返してくる。

 其れを見て、田中は元気な老人達だと苦笑するしかない。

 そればかりか、当のセーラも半笑いで乗っかってくる。


「田中よ、流石の私も果ての山脈までは介護について行けないからな」

「あのなぁ……」


 今までおんぶに抱っこで介護してたのはコッチだろうがと田中は笑う。だがセーラが笑ったのは田中にとっても救いだった。

 思い浮かぶのがあんな顔では寝覚めが悪い。これでスッキリと旅に出られると思った、その時だった。


 一人の少年が会議室に転がり込んだ。

 途轍もない情報を携えて。


「失礼します! ビルダールの王都に偵察に向かっていたガイラス様が、今、戻られました!」

「なんだと? すぐ通せ!」


 弛緩した空気の流れていた会議室に緊張が走る。

 いまだにエルフ達は人間界で何が起こっているか、多くを知らなかった。


 そして、ガイラスによってもたらされた情報は一方で予想通り、もう一方で予想外のものだった。

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