反攻作戦

 血風舞う中に男が一人。

 戦場のただ中にして泰然自若。その足取りは散歩の様に気楽な物だ。


 それは、いっそ異様な光景であった。


 戦場と言っても帝国兵に対峙する男はたったの一人。

 一方で、倒れ伏すは無数の死体。全ては帝国兵のものである。たった一人の男が殺しに殺した結果であった。


 それでもなお、いまだ多くの帝国兵が男を取り囲んでいる。男にとって依然として生死の懸かった難局であるハズだ。

 それなのに、男が纏う空気はどこか気怠げだ。


「蒸し暑いなオイ」


 男は堂々と黒塗りの兜を脱いでしまう。

 眼前の敵から目を切ってみせる愚行だが、帝国兵達はこのチャンスに斬りかかる事が出来ずにいた。

 明らかな挑発。誘われている事は明らかだった。


 似たような誘いを受け、見事に第一陣が地べたに転がっているのだから、後に続ける訳は無い。


「んだよ、つまんねーな」


 脱ぎ捨てた黒塗りの兜の下から、黒髪黒目の男の顔が覗く。



 ――そう、田中であった。



 結局、彼はレジスタンスに加入し、霧の悪魔ギュルドスを捜し回収する任務をこなす事になった。

 ただ、帝国側も早々にレジスタンスの動きに気が付き、健康値の回収を諦め、霧の悪魔ギュルドスの撤収へと舵を切っている。

 当然、各地で帝国兵との戦闘が余儀なくされた。霧の悪魔ギュルドスから吐き出される魔力を奪う霧の中、まともに動けるのは人間である田中一人。

 多勢に無勢に思われたが、たった一人で圧倒的な戦果を叩き出していた。


「いい加減帰った方が良いぞ? こんな所に居りゃ黙ってたって長生きできねぇからな?」

「黙れ! 人類の裏切り者め!」


 余裕綽々と話し掛ける田中に、追い詰められた様子で怒鳴り返すのは、兵達を指揮する立場の帝国将校。

 彼は田中からたっぷりと距離をとり、後ろから大声で指揮を出す。それは指揮とは名ばかり、ただの罵倒でしか無かった。


「死ね! とっとと殺せ!」


 ヒステリックに叫ぶ。そんな言葉でも末端の兵は逆らう術を持たない。

 いや、しかし、繰り返すが、取り囲み無数の刃を突きつけているのは帝国兵達なのだ。だのに彼らには一切の余裕も無く、一方で田中はあくびでもしそうな有様。


 コレではあべこべだ。それは何故か?


 その答えの一つが、田中の持つ圧倒的な切れ味の『刀』に有るのは間違いないだろう。


「ほいよっ! とっ!」


 掛け声もどこか真剣味が欠ける。だが、それでも田中が刀を振るう度、腕が、足が、そして首が、小気味良い音さえ伴ってスパッと切断される様は、いっそコメディと思えてしまう程に現実味が薄い。


 だが、これは決してフィクションでは無い。


 斬られれば誰だって死ぬ世界。

 幾ら強力な剣を持とうと、無数の刃に身を晒せば、全てを躱す事など到底不可能。

 それだけに、田中の余裕は異様に映る。……その理由とは?


「貰った!」


 徴兵された一般人の中にだって、そこそこの腕自慢は混ざる。

 そんな腕自慢にとって『取り囲んだ状態で背後から』と言う好条件までが整えば、鋭い一撃を打ち込む幸運を掴む事に何の不思議もない。

 田中が如何に剣の達人であろうと、避けられないモノは避けられないのだ。


 ……だが。


 ――キンッ!


 響いたのは高い金属音。剣が折れる音だった。


「え?」

「ほい、残念賞」


 背後からまともに一閃されたハズの田中は全くの無傷。

 一方で、渾身の一撃が思いがけず固い手応えに阻まれた兵士には、無残な死が待っていた。

 田中の振り返りざまの一刀で、いっそ滑稽な程に首が飛び、血が舞った。


「嘘だろッ!」

「コイツ! 不死身か!?」

「人じゃねぇ! 怪物だ!」


 兵士達から悲鳴と絶叫が木霊する。

 勿論、田中が丈夫になったのではない。狙われているのが解った上で防具の固い部分で敢えて受けただけなのだが、その防具の性能こそが大きな問題であった。


 防具の正体は大牙猪ザルギルゴールの皮で作ったジャケット。そして肩当てや肘当てと言ったプロテクターの類だ。

 鎧と言わず、プロテクターと表現したのは当の田中だ。

 それ程に未来的なデザインの防具で、どうにも鎧と言うにはシックリ来ない。

 出来上がって来た装備の数々を見て、思わず呟いた田中の第一声は「カーボンか?」と言う呆然とした物。

 エルフ達は知らない事であったが、そのエルフ伝統の防具の数々は田中が知るカーボンファイバーと酷似していた。


 田中がハーフエルフの村でユマ姫と共闘した際に使っていた鋼の剣は決してナマクラではない。

 にも関わらず、大牙猪ザルギルゴールに殆ど刃が通らなかったのは、かの魔獣の毛皮がほぼ炭素繊維で構成されていたからに他ならない。

 そして、魔法と言うのは直接的な攻撃以上に、物質の加工や変化に特段の力を発揮する。

 炭素繊維たる大牙猪ザルギルゴールの毛皮を編み込み、樹液で固めた後に圧着する工程は、エルフにとっては難しいものではなかった。


 しかしエルフにとって簡単な技術でも、現代の最先端工場のみで行えるドライカーボンの高度な加工。それに匹敵、いや上回る性能の防具の数々をエルフ達は生み出していたのだ。


 肝心の材料となる大牙猪ザルギルゴールの素材が足りないのが唯一の懸念で有ったが、それだけに退治した田中に優先的に防具が提供されるのは当然。

 そして、黒ずくめの戦士を自称する田中にとって、カーボンファイバーで構成された漆黒の防具の数々に否やはない。

 それどころか貰った当初はそれはもうご満悦で、軽くて丈夫な防具にワクワクしていた。


 だが、それは何時しか退屈に変わってしまう。


 ――強過ぎちまうな。剣の腕もクソもねぇ。


 余りにスリルが抜けた戦場に、歯がゆさすら覚えると同時、相手を不憫にすら思ってしまう。

 だからと言って殺されてやる訳にもいかない。田中は呆然とする兵達に向かって踏み込み、一太刀。

 それだけの動作で、鉄の鎧ごと袈裟懸けに切断されてしまう。

 その鋭い断面は剣の腕に鈍りが無い証左で、田中としても満足のいく結果であった。そして、同時に帝国兵としては耐え難い悪夢であった。

 なにせ、下半身が直立するそのままに、上半身が斜めにいく様子など見せられては、正気を保てる方がどうかしている。


「うわっ! うわぁぁぁ」


 総崩れ。たった一人の男に対し、三十を上回る帝国兵がみっともなく潰走する。


「待て! 戻れ! クソッタレ!」


 残るのは先ほどに暴言紛いの指示を出した隊長一人。アレだけの惨状を見せられて、彼が逃げ出さないのには立場から来る責任感……ではなく、理由があった。


「ハッ! タネは割れてるんだよ! 俺の鎧も同じだ!」


 そう、隊長が身に付けていたのも死んだエルフの兵士から剥ぎ取った漆黒の防具だったのだ。


「そうかよ」

「あ゛っ?」


 しかし、田中は意に介さない。無造作に近づいて一閃。それだけで自慢のカーボンの鎧ごと隊長を切り裂いた。

 隊長は徴兵された一般人では無い。軍で訓練を受けた歴とした将校なのだが、それでも全く田中の相手になり得なかったのは、武器の差、腕の差、それだけではない。


 其れこそが、殺し合いの戦場すら田中が退屈に感じてしまう、最大にして最後の理由だ。


「あんな動きでどうするってんだ、無茶しやがって……」


 思わず田中は愚痴る。


 そう、隊長の動きは明らかに悪かった。他の帝国兵もだ。

 パラセル村での戦闘から薄々感じていたが、田中の中で、それは確信に変わっていた。

 この森の中、魔力が無い霧の中にあっても人間達の動きは悪い。


 それは何故か?


 原因は魔力だ。

 魔力が奪われる霧はエルフに取って猛毒。

 そして濃すぎる魔力もまた、人間には毒なのだ。


 霧の中では魔力は薄まるが、濃い魔力に晒されていた体がいきなり全快する訳では無い。

 霧が晴れてもエルフ達がいきなり元気になるわけでは無いのと同じ理屈だ。

 それに、霧だって人間に全くの無害と言うわけでは無い。


 霧の元は生命の健康値。それだけに霧を吸い込むと言う事は、満員電車の中に押し込められる様な不快感を体の内側からも味わうに等しい。いつも通りの動きが出来る方がどうかしている。


 その点、田中は圧倒的な健康値で魔力を意に介さないばかりか、特有の無神経さで霧の影響を殆ど受けない特異な人間と言えた。

 霧の中で、田中は誰にも負けない無敵の存在であったのだ。


「う……ぐぁ……」


 考え事すら始めた田中だが、上半身だけになった隊長はまだ死ねずに居た。

 楽にしてやろうと田中は刀を手に見下ろす。その時、血の泡を吹いていた隊長が一転、狂気の笑みさえ浮かべ思いがけずハッキリした声で唸った。


「道連れ、だ、動物園を、解放した……」

「……?」


 辞世の句にしては、意味が解らない。

 どうぶつえん? 田中は異世界の言語に自信が無く、他に意味が無いかと首を傾げた。

 隊長を問い質そうとも思ったが、既に物言わぬ骸と化している。

 頭を抱える田中に朗報だったのは、その言葉を聞いたのが一人では無かった事だ。

 詰問の声が飛ぶ。


「オイ! 動物園とはなんだ?」

「セーラちゃんか、大丈夫なのか?」


 現れたのはレジスタンスのリーダーである、セーラだった。田中とは対照的に白いプロテクターを身に纏っている。

 黒い防具はみやびでないと、強度を犠牲にしてでも白い樹液で固めるプロテクターがエルフの、特に女性の間では人気であったのだ。


「セーラちゃんとは何だ! セーラ様と呼べ!」

「わーったよ、セーラ様。体は大丈夫なのか?」

「ああ、霧の毒にも、もう慣れた」

「慣れるもんかよ……フラフラじゃねぇか」


 レジスタンスのリーダーであるセーラには、思い詰めたかの様に肩肘張った部分がある。

 女騎士みたいなもので、そう言う性格と割り切っていた田中であったが、役に立たないのを承知の上で、それでも命を削る現場まで顔を出すのはいささか病的に映った。


ざまに任せて私がのうのうとしている訳には……」

「そんなんじゃ却って邪魔だっての、引き上げるぞ」


 そう言って、田中はふらつくセーラを抱き上げる。


「待てっ! ふざけるな! 調子に乗るなよ! さっきの兵士が付けていた防具は大牙猪ザルギルゴールの鎧じゃ無い、ずっと格下の牙猪ギルゴールの毛皮を固めた物だ! あの程度斬ったぐらいで……このっ! 離せ!」


 セーラは戦場へ頑張って顔を出す物の、霧の中での戦闘に参加は出来ず、見守るのみ。

 全てが終わった後になってフラフラになって現れるセーラを、田中はお姫様抱っこで運んでいく。

 これが最近、毎度の事と化していて、最早抱っこされたいだけじゃないかと田中もあきれていた。


「お? 香水付けたのか?」

「あぅ、いや……汗臭いかと思って……」


 こりゃ、完全に抱っこされに来てるな。とは思ったが、口にはしない。

 田中としても金髪碧眼のエルフの美女とイチャイチャ出来るのは、悪いものでも無かったからだ。

 だが、今回ばかりは美女を腕に抱いて凱旋、とは行かなかった。


「マズいな、囲まれてる」

「まだ居たのか?」


 帝国兵の残党? しかし既に霧の悪魔ギュルドスは確保し、霧は晴れている。

 この魔力下では、人間達は霧を吸い込んでしまったセーラ以下の動きしか出来ないはずだ。

 しかし、田中の気配感知に引っかかるのは人間のそれではない。樹上の其れを見上げ、小声で尋ねた。


「何だあれ? 虫か?」

「馬鹿な!? 大土蜘蛛ザルアブギュリだと!」


 田中の腕の中、セーラは叫ぶ。大土蜘蛛ザルアブギュリは蜘蛛型の強力な魔獣。しかし思わず叫んだ理由はここが生息域とは異なる事。なにより奇襲と待ち伏せを得意とする蜘蛛型の魔獣が、あろう事か群れで姿を現した事だ。

 魔獣と戦う事を仕事とするエルフの戦士。そのセーラにとってあり得ぬ事態。

 だが、現実に眼前には四匹の大土蜘蛛ザルアブギュリが姿を見せていた。


「お前は逃げ……いや、無理だな。取り敢えず降ろすぜ?」

「無理だ……大土蜘蛛ザルアブギュリが四体など、どんな戦士だって勝てっこない」

「やってみなくちゃわかんねーだろ?」


 軽い調子で答えるが、田中とて流石に余裕は無い。セーラをその場に降ろすと、脱いだ兜をゆっくりと付け直す。

 今回は挑発でも何でも無い、相手が魔獣ならば防御はどれだけ厚くても、厚過ぎと言う事は無いからだ。そして一瞬だけ視線を切っても、それを隙と捉えて突っ込んで来る知能は無いだろうと言う賭けだった。


「ふぅーーー」


 賭けには勝った。ただ兜を被る、只それだけに異様な緊張を強いられ、息を吐く。

 だが、ふらつくセーラを守りながら戦わねばならない問題は残った。


「私を置いて逃げろ! それしかない」

「嫌だね」


 言うだろうと思っていたが、田中としては譲る気は無い。そもそも退屈とばかり勝負を長引かせたのが原因の一端。そう言う意味では刺激的で丁度良いとすら思った。


「弱点は?」

「目だ! 目を狙え!」


 田中の問いにセーラが叫ぶ。

 瞬間、殺到する蜘蛛。田中はセーラを片手で庇いながら下がるが、無数の足が降り注ぐ。

 その全てを避けきるのは不可能。田中は急所だけは避け、刀で弾き、或いは防具で受ける。刀を持っていてもリーチは相手の脚が上、人外の怪力を受けてふらつきながらも、田中はその脚の下へと距離を詰めた。


「駄目だ! 剣では届かない!」


 セーラは悲痛な声を上げる。

 その通り。大土蜘蛛ザルアブギュリの甲殻は金属さながらの硬度を誇る。鋼では通常どうやっても歯が立たない。

 だからこそ魔力で制御した矢で、その目を狙うのが絶対の攻略法。しかし、眼前に迫る魔獣はさながら小さなやぐらのようだった。


 剣ではリーチが足りず、後を考え無いイチかバチかの特攻で目の一つを潰せるかどうか。

 それすらも王国最強の騎士と謳われるゼクトールが、腕の一本を犠牲にして何とかと言うレベル。


 しかし、田中の剣の冴えは尋常では無かった。


 ――ギィィィィン


 硬質な音。そして大土蜘蛛ザルアブギュリの胴体が綺麗に二つに別れる。


「嘘っ!?」


 思わずセーラは叫んだ。

 示されたのは完全に助言を無視した解答。それでいて満点の答え。


 田中のカタナは不可能を可能にした。

 田中はすれ違い様に大土蜘蛛ザルアブギュリの前脚を切断。バランスを崩して前のめりになった胴体を一太刀で真横に両断して見せた。

 頭上から青みがかった体液と臓物がこぼれる。田中は転げる様に躱すと、すぐさま二体目に取りかかった。


 剣を正眼に構えたまま、一気に距離を詰める。その歩法は変幻自在。

 迎え打つ様に振り下ろされた蜘蛛の右前脚に対し、スッと剣を引き急制動でやり過ごす。

 空を切った脚は田中の眼前の大地をザクリと切り裂き、地に埋まる。

 その突き刺さった右脚を盾に回り込めば、次に振るわれた蜘蛛の左脚は、右脚と交差する様に不格好に地面に突き刺さるしかなかった。

 地面を切り裂く音を置き去りに、田中は一気に大土蜘蛛ザルアブギュリの懐にまで飛び込む。

 脚が交差し、前のめりに迫った蜘蛛の土手っ腹を、先ほどと同じく切り裂く算段であったのだ。


 ――ギャギャッ!


 しかし其処に待ち構えていたのは蜘蛛の顎。ギチリと開かれ、田中を食い潰さんと自ら高度を下げて迎え撃つ構えをとっていた。


 ――顎ごと叩ききるか? いや、それじゃ相打ちが精々だ。


 田中は反転し、跳んだ。目指すは突き刺さった蜘蛛の両脚が交差する一点。脚を掛け、そこから背面跳びの要領で空を駆る。

 蜘蛛が脚を引き抜く勢いも加わり、田中の大きな体が宙を舞う。

 ムーンサルトプレスの要領で上空から降り注ぐ田中。その姿は蜘蛛の四つの瞳すべてに反射し、映り込んでいた。


 ――ザシュッ!

 ――ギュオォォン!


 大土蜘蛛ザルアブギュリの背中に落ちるのと同時、田中はその四つの目を一太刀で同時に切り裂いた。


「コレで二匹! 次は? クソッ」


 自分こそが唯一の敵と言わんばかり、派手に立ち回ったつもりだったが一匹の蜘蛛がセーラを狙う。

 しかし、セーラも伊達にエルフの戦士として生きてはいない。腰から二本のナイフを抜き放ち、無数の脚を捌いていく。

 だが、悲しいかな。霧による体調不良に加え、女の膂力では大土蜘蛛ザルアブギュリの怪力には抗しきれない。

 なのでセーラは相手の力に逆らわず自分から弾かれ、あえて大地を転がる。それは咄嗟の機転であったが、思いがけず妙手となった。

 長すぎる大土蜘蛛ザルアブギュリの脚は、泥にまみれ地面を転がるセーラを捉えられずにいた。

 だが、セーラにも余裕など無い。転がり避けるすぐ横で、猛烈に地面を削る音が連続する。


 ――ザク、ザクザクザク


 無数の脚が今居た大地を貫いていく。そのひとつひとつが容易く自分の命を奪う事をセーラは知っていた。

 それでも、叫び出したい気持ちを抑え、蒼い顔でゴロゴロと転がり続ける。それこそが生き延びる唯一の方法。

 だが、必死の逃亡は程なく終わりを迎えた。


 ガンッ!


 回転する先で、ぶつかったのは蜘蛛の脚。

 魔獣とは言え底なしの間抜けでは無い。転がる先に一本の脚を置いていた。


 サァッ――っと血の気が引くのをセーラは感じていた。転がった先、思いがけずぶつかれば、人間は咄嗟に動ける物では無い。

 そこにゆっくりと、一本の鋭い脚が狙いを定め、自分へと向き直るのをハッキリ目視した。


「キャァァァァ!」


 目は瞑らなかったが、悲鳴までは耐えきれず漏れてしまった。

 戦士らしい死に様では無いなと、脳の片隅では妙に冷静な思考が滑る。

 だが、飛び込んで来たのは蜘蛛の脚では無かった。


「あんまり可愛い悲鳴上げんなよ」


 田中だった。彼はもう一匹の蜘蛛を振り切り、地面に転がるセーラに覆い被さる様に滑り込んだ。

 だが、その代償は安くは無い。


「おまっ! 腹が」

「……流石にコレは防げないか」


 脚は背中から腹へと貫通。田中の腹から蜘蛛の足先が生えていた。

 プロテクターの固い部分で受けたが、鋭い脚先は滑り、硬化していないジャケットを切り裂いて、柔らかな胴を貫いた。

 編み込まれたジャケットも炭素繊維だが、硬化したプロテクター部分とは異なり『刺せば刺さる』

 そして、一度貫いた獲物を大土蜘蛛ザルアブギュリは逃がさない。


「ヤベェ!」


 田中の体は軽々と持ち上げられる。

 迫るのは何でも噛み潰す蜘蛛の顎。


「チッ! マズ過ぎるぜ!」


 しかも、背後から貫かれ持ち上げられた状態では十分に刀を振るえない。

 刀を振り回し抵抗するも、食われるのは時間の問題であった。


「舐めるな化け物!」


 その時、セーラが叫んだ。

 その手には弓。セーラは王族ゆかりの貴婦人でありながら、ユマ姫を始め多くのエルフに弓を教える程の名手。


 ――ギィィ!


 苦しげな魔獣の鳴き声。セーラの放った魔法の載った矢は大土蜘蛛ザルアブギュリの目を一つ、潰した。


「助かった!」


 田中にとっては其れで十分。顎との戦いから瞬間、解放された田中は、胴から脚を引き抜き、逆に顎を足場に頭へと駆け上がる。


 ――ギィィ! ギョォォォォ


 そして残った目へと素早く三連撃。目にも留まらぬ速度で突きを繰り出すと、それだけで大土蜘蛛ザルアブギュリは活動を停止した。

 しかし田中も既に満身創痍。体中に裂傷、そして腹からは血だけでなく、内臓すら零れる程。


 ――ギィィィィィ

「危ないっ!」


 セーラの叫びを聞くまでも無く、田中はその存在に気が付いていた。

 残った最後の大土蜘蛛ザルアブギュリが迫る。

 セーラのピンチを見て取った田中に置き去りにされた個体が、怒りを露わに突撃してきたのだ。


「ったく、しつけぇな! モテる男は辛いぜ」


 この男は本当のピンチであろうと軽口を忘れない。


 そこに最後の 大土蜘蛛ザルアブギュリが飛びかかる。

 目を潰され、活動を停止した蜘蛛の上。田中は腹から流れ出す血にも構わずに跳んだ。

 飛び掛かる蜘蛛の、その更に上で田中が舞う。

 空中での目にも留まらぬ一閃。そして着地。


 ――ギョォォォォ!


 両断された蜘蛛の死骸が地面に落ち、ぐしゃりと潰れた。


「ふぃー流石にしんどいぜ」


 とうとう田中は四匹の大土蜘蛛ザルアブギュリ屠ってしまった。

 その様子をへたり込み、信じられない思いでポカンと見ていたのがセーラだ。


大土蜘蛛ザルアブギュリを真っ二つとは、夢か? これは」


 セーラにしてみれば人間技では無い。甲殻はあまりに固く、目を狙う以外に倒せる筈の無い相手。其れを細枝の様に気持ちよく切断するのを見せられては無理も無かった。


 レジスタンスには「人間を幾らか斬った程度でデカい口を!」と田中を罵るエルフの戦士も存在していた。

 だが、そんな奴らもこの蜘蛛の死骸を見れば黙るに違いない。エルフの戦士は魔獣との戦いが日常。それだけに大土蜘蛛ザルアブギュリ四体を相手に立ち回る無謀を知らない者は居ないのだ。

 そんなセーラに田中はあっけらかんと話し掛ける。


「おう、あんがとよ。助かったぜ」


 そう言われてもセーラにとっては喜べる物では無い。


「馬鹿な! 助けられたのは私だ」

「ま、そうだけどよ。助けて貰うのはココからよ」

「なっ?」


 田中はへたり込んでいたセーラ目がけ、のし掛かる様に覆い被さった。


「馬鹿ッ! 止めろ! こんな所で……どうした?」


 突然に襲われ、真っ赤になってセーラは叫んだ。初対面の印象から彼女の中で、田中は野獣の様な男と誤解していたからだ。

 だが、覆い被さる田中の表情は青白く、珠のような汗が浮かんでいた。


「思ったよりヤベェトコをやられたらしい、血が止まらねぇ、治してくれ」

「あ、ああ……すぐに血を止める!」


 セーラは拙い回復魔法で田中の出血を止める事に成功。

 かくして二人は脚を引きずる様にして、二人で支え合いながらレジスタンスの本拠地まで帰る事になった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あ、余りくっつくな!」

「そうは言ってもよ、俺だってツレーのよ」

「そうは言ってもだな……」


 今回はいつもと真逆。倒れそうな田中を支えるセーラがゆっくりと歩を進める。

 と言っても、長身かつ大柄な田中がセーラにしがみつくと、どうしても後ろから抱きしめる様な格好になってしまい、セーラとしては落ち着かなかった。

 遅々として進まない歩みも手伝って、二人は何時になく言葉を交わしていった。

 日も暮れ始めた森の小道で二人の会話だけが響く。


「でもよぉ、アイツの魔法だったらあっという間に怪我なんざ治ったぜ?」

「アイツと言うのは……ユマ様か。不敬とは言うまい。お前に取っては普通の女の子と言っていたしな」

「いや、普通では無かったがな」

「違いない、ユマ様はあらゆる魔法を使いこなす天才だった。魔力値こそ王族としては物足りない数字だったが、ハーフエルフと言う事を考えれば、森の外では無敵であっただろう」

「やっぱ、アイツの魔法はまともじゃ無かったか……。強すぎるとは思ったぜ」

「無論だ、ユマ様は専門医でしか扱えぬ様な超級の魔法すら当然の様に使って見せた。例えば……我々の中では医者は非常に高い社会的地位を与えられているのだが……」

「コッチもだ、専門知識と技術が必要なんだから当然だろ?」

「フン、どうせ傷口を焼いたり、骨を接いだりが精々だろう?」

「まぁ……な」

「こちらの医者は高度な専門教育を受けた魔法使いだ。時として死体を分解して体の構造を学ぶ事も有る」

「へぇ……だが、その程度はコッチでもするぜ?」

「結果が違うさ、そこから分析した知識でもって彼らは内臓すらも再生してみせる」

「そりゃあ凄いが、俺の土手っ腹に穴が開いたのは初めてじゃ無い。アイツの魔法で一度綺麗に治った事もあるんだぜ?」

「だろうな、姫様の魔法はそんな専門家すら上回っていた。勿論彼女はそんな経験は一切無い。にも関わらず、姫様は人体の神秘を知り尽くしていた」

「ああ……だろうな」

「何か知っているのか?」

「俺が言うわけには行かねぇよ、本人に聞いてくれ」

「聞ければ良いのだがな」

「聞けるさ」

「解った……とにかく、姫様の回復魔法は異常だった、シミだらけで悩んでいた侍女の一人を看た時なぞ、王宮がパニックになりかけた」

「まさか?」

「ああ、治した。それもナイフで削って再生させると言う猟奇的なやり方だ」

「そりゃあ、他の医者には出来ないのか?」

「……言い忘れたが、回復魔法でも全てが元通りとはいかない、傷跡は残るんだ」

「……言われてみりゃ、確かにアイツに治された場所は禄に跡も残ってねぇ」

「それが異常なのだ。シミと傷跡ならシミの方がマシに決まっている。だがその侍女はシミだらけで生きるぐらいなら、姫様に傷物にされた方がマシと、半ば投げやりに、半ば好奇心旺盛な姫様を騙すように顔を削らせた」

「で、綺麗になっちまったって訳か」

「そうだ。言っておくがエルフの女性は私みたいな男勝りばかりじゃ無いぞ? もっとお淑やかで美しい。一方で美に対する探求は私から見ても尋常では無いものだ」

「つまり、殺到した訳だな?」

「顔を削る様な手術にだ、正気では無いが、美を求める婦人にとっては障害にはならなかったらしい」

「さもありなん、おっかないぜ」

「お偉い元老院の婦人までが殺到し、結果ハーフのユマ姫を排斥する運動が収まったのは良かったが、健康に不安があるユマ姫が高度な魔法を何度も使うのは問題だった」

「でも、収まらないって訳か」

「ああ、普通は諫める立場の侍女達が、こぞって列を成すのでは止めようが無い。問題の意外な深刻さに誰もが音を上げそうになったが、その解決策も姫様が考えた。顔を酸で溶かし回復魔法で回復させる狂気的な方法を提案した。そしてこの方法なら他の医者でも同様の効果があったのだ」

「ピーリング……か?」

「? なんだ? いや、いい。とにかく姫様は天才だ。対して私は弓が少々得意なだけで、他者回復魔法は止血が良いところだ。しかし、それでも普通はエリートなのだぞ? 重傷患者を治せる使い手は、王都にだってそれ程は居なかった」

「オイオイ、レジスタンスには居るんだろうな? 内臓が飛び出しっぱなしはゴメンだ」

「無論だ。傷跡は残るが、違和感が無い程には治る」

「頼むぜ? それに欲を言えばセレナって妹の秘宝、其れに近い魔道具が欲しい所だがな」

「それはどう言う意味だ? セレナ様のは魔法を登録出来る魔道具だが、言うほど実用的な物では無いぞ?」

「…………マジかよ」

「どうした?」

「さっき言った、土手っ腹に穴って奴、そのセレナ様の秘宝で治したんだぜ?」

「馬鹿なッ! あり得ない! アレはそもそも、ちょっとずつ魔力を注ぐ事で、セレナ様の魔力制御を向上させる為だけの秘宝だぞ? 巨大な秘石を使用しているから溜められる魔力は多いが、其れで実用的な魔法が組める訳では無い」

「そりゃ、アイツも近い事は言っていたが現に俺の穴は塞がったぜ?」

「解っていないな、魔力の注ぎ口が小さいと言う事は、その中でか細い糸を編むように魔法を組み立てるしかないのだ。例えるなら瓶の口から材料を入れて、中で小さな城を作るような物、出来るはずが……」

「…………出来たんだろうな」

「う……あり得ないのだが。だが、ユマ様なら……不可能では無いのかも知れないな……」

「こりゃ、今度アイツの魔法について摺り合わせが必要だな」

「確かに、この話が広まれば士気も上がる。未だにあの方を出来損ないのあいのこと罵り、私に玉座をそそのかす者が後を絶たないのだ」

「アイツはそんな事に興味はないさ、あーそれでも完全に縁を切るのもマズいぜ? アイツは人質として王都に居るんだろうからな」

「人質など! 其れこそ、許される事では、無い!」

「ま、そりゃあ良いや、とにかくもっとアイツの話をしよう」

「あ、ああ。それにお前の事もな」

「んだよ?」

「あの大土蜘蛛ザルアブギュリの死体を見れば、馬鹿な奴らの態度も変わる」

「別にどうでも良いがな」

「そうは行くか! 回復も、装備も、それに食べ物だって待遇が変わってくるぞ?」

「あーそうか? じゃあ、頼めるか?」

「任せておけ、ただし姫様の話はキッチリ聞かせて貰うぞ」

「わーってるって」

「それに、動物園と言う言葉も気になる、その後の大土蜘蛛ザルアブギュリの群れと無関係ではあるまい」

「だろうな」

「だからこそ作戦会議が重要なのだ、これからは私の話も聞いて貰うからな。田中には常識がなさ過ぎる」

「うへぇ……」


 彼らは休み休み歩き続け、やっと本拠地に帰った時には既に夜は明けていたという。

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