死を誘う記憶

 薄っすらと発光する女の子が夜明けの草原を疾走する。


 客観的に自分を見たら、ちょっとしたホラーに違いない。現に俺を追いかけて来たシノニムさんの態度はかなり引き気味だった。


 少しづつ日は昇り、明かりの魔法はそろそろお役御免。

 分離した人格も統合するか?

 いや……いいか。


 コレは、コレだけは俺の復讐だ。


 精神の分離。


 ここに至るまで、俺は多くの人間の記憶と意識を吸収し融合して来た。それでもその主人格が『高橋敬一』だった事は間違いない。

 が、田中の死でその高橋敬一の人格が異常をきたし、影響を抑える為に切り離した。


 そんな所だろうか?


 これまでも精神的なショックを受ける事は多々有った、特に帝国に襲撃され家族を失った衝撃は計り知れない。


 あの時は、俺もユマ姫も共にショックを受けた。だけど今回殺されたのは俺の親友、田中だ。

 だから俺だけが深く傷つき、俺の人格が隔離された。でも、だからこそ、今回は俺が俺だけで決着を付けなきゃ納得出来ない。


 何十年経っても、俺を探してくれていた俺の親友。だからユマ姫よ、俺が高橋おれの為に体を使うことを許してくれ。


「我、望む、疾く我が身を風に運ばん、足運ぶ先に風の祝福を」


 俺は殆ど飛ぶように地面を跳ねる。常時魔法で背中側から送風し、前へ前へと押し出されるように移動する。


 地面に落ちる時には足元で空気を弾けさせ、自前の脚力も併せて高く飛び上がる。

 つまり、推進力は全て魔法。

 速度は出るが、魔力の燃費も健康値の減衰もキツイ。


 だが今は良い。今だけは良い。


「見えた」


 二日は掛かるとは何だったのか? 夜明けと同時に俺はスフィールに辿り着いた。


 普段なら夜明けと共に門は開かれ、夜の間に待機していた旅人や商人が雪崩れ込む時間。

 しかし、今は夜が明けたにも関わらず門は閉ざされ、人影も無い。


 まるで戦時中。いや正にそうなのか?

 門は開かない。何とか魔法を駆使してあの高い壁を越えるか?


 その必要は無い。


 ライル少年の記憶には、中への抜け道。地下水路への記憶があった。


 記憶の中、スフィールの地下は大人には入り込めない、少年の庭だった。


 スフィールの北側に回り込めば、フィーナス川から引き込んだ水路がある。

 水路が街へと引き込まれる場所に、少年の記憶と違わぬ水路管理用の通路が併設されていた。


 通路は金属柵で遮られ、扉は南京錠で封じられていた。関係者以外立ち入り禁止。

 ただし、金属柵の隙間は大きく、子供なら簡単に通り抜けられる。ライル少年はもちろん、体格も近いユマ姫だって問題ない。


 俺は薄暗い地下道へとその身を滑り込ませた。


 薄暗い地下道をテトテトと、強烈な光球を放ちながら進む。

 始めは両手が使え制御が楽な自発光の魔法を使っていたが、滅茶苦茶に虫にたかられ諦めた。


 今は大光量を遠くに放ち、虫を遠ざけている。


「臭いな」


 地下水道は上水道だけでなく、下水道もある。

 中世ヨーロッパには下水道が整備されておらず臭かったと聞いた事が有るが、スフィールでは下水道が整っている。


 スフィールの図書館で読んだ本の知識によれば、スフィールは元より帝国へ睨みを効かせる最前線の都市として設計されており、毒などの対策として、計画的な上下水道の整備から街作りが始まったと書いてあった。


 しかし、少年の記憶よりも現在の下水道は数段汚い。ゴミで堰き止められた水が脇の通路まで溢れる場所も多々あった。


 当時からずさんな管理だったが、今はまるで手付かずの様に見える。


「一体全体、どういう管理をしているんだか」


 地上に上がるには水路管理室の横を通らなくてはならない。ライル少年の姿ならともかく、ドレス姿の少女が下水道に一人。見つかってしまえばこれ以上ない程に怪しまれるだろう。


 そう考えると、ずさんな管理も悪くない。

 きっと管理室は無人。多くても一人。


 魔法で管理室の横を素早く駆け抜ければ……


「血の臭い?」


 下水の臭いにも負けない程の濃厚な錆臭さ。なんだこれは? 何人死んでる?


 俺はそっと管理室の扉を開ける。管理室と言っても、少年の知識ではただ寝床と掃除用具が有るだけのハズ。


 それがどうだ、乱雑に転がるのは手錠、剣、怪しげな薬、それに何より。


「ひでえ有様だな」


 斬殺された死体が三つ。皆、袈裟懸けに一斬りで終わらせている。良い腕してる、街のチンピラじゃこうは行かないだろう。


 ――!?


 その時ガタンと奥の部屋から物音がする。

 やはり居たか。俺の偶然が厄介事から逃してくれるハズが無い。下手したら後ろから斬りかかられる。


 だからもう逃げるのは辞めだ。怪しいと思ったら目につく限り殺しに行く。


 グチャグチャに、そう田中の死体より無残に切り刻んでやる。


「我、望む、この手より放たれたる光の奔流よ」

「我、望む、この手より放たれたる風の轟音よ」


 可愛らしいユマちゃんの声と、冷めた俺の声。参照権で二つの回路が呼び出される。


 左手と、右手。

 ユマ姫と、高橋敬一。

 それぞれが魔力を流し、それぞれに白と緑の魔法が発現する。


 左右二つの光球を、格子から扉の向こうへと投げ込んだ。


 ――バァン!

「グギャァ!」


 光と爆音のスタングレネード。

 光の魔法はあるし、爆音と衝撃は風の魔法で作れる。


 ずっと作りたいと思っていた魔法。

 だが、どうしても光と風が干渉し、一つの回路に収める事が出来なかった。


 それも魔法を二つ使えるなら解決だ。


 音も光も物理現象として発現すれば健康値で消される事も無い。じゃあ風の刃も物理現象と言われそうだが、あれは空気を圧縮する魔力が霧散すれば、スグにただのそよ風になってしまう。


 今回の魔法も、投げ込んだ発動体が人間に余りに近いと、健康値で消されてしまっただろう。

 それならそれで中に人間が居る証拠。踏み込んで殺せば良い。


 今回は思った通りにスタングレネードが効果を発揮してくれた。


 一気に扉を開け放ち、中へと滑り込む。

 片手には拾った剣、不慣れな武器だ。王宮を脱出する際には使ったが、あんなのはただ雑に振り回しただけ。


 もしあの悲鳴がブラフで、斬り殺した犯人がまだ潜んでいるのなら、俺なんぞ相手にもならないだろう。


 しかしその心配も杞憂で、部屋の中、開け放たれた檻の向こうで男が一人、のた打ち回るだけだった。


「目がぁ! 痛てぇぇぇぇぇ」


 檻の向こうに踏み込み、転げる相手の背中を踏みつけ首筋に剣を突き付ける。


「お前らは何だ? 何があった」


「知らねぇ! 俺は何も見てねぇ! ……え? あ? 子供の声?」


「何があった? 言えっ!」


 高橋敬一の気持でも体は少女、努めて冷たく低い声を出すも、所詮は少女の声。脅しには全く向かないのだ。


「いえ、あの、 昨日、ようやっとグプロス卿の騎士が迎えに来たと思ったら……全員殺して行きやがった、です」


「そうか、それでお前らは何だ? ここで何をしている」


「俺らは奴隷商だ、でも、でもよ俺らは領主様の許可を受け、誠実に商売してるって聞いて。なのにあいつら関係者は消すって」


「へぇ」


「俺は怖くて、ずっと檻の中に閉じこもっていたんだ、そしたら悲鳴が聞こえて……それからずっと隠れて……」


「ちっ!」


 コイツらは宿屋で俺を襲ったやつの仲間だ。


 グプロス卿は裏社会との繋がりをのこらず清算し、どこかに引き籠るつもりだ。


 聞けばここは攫った人間をほとぼりが冷めるまで隠しておく場所らしい。

 奴隷商と言うがコイツ等の実態は人攫い。押しも押されぬ犯罪者。こんなヤツらと仲良しのまま領主の座を失えば今までの悪事が露見して、揃って縛り首になると判断された。

 そしてそっくり『精算』することに決めたのだ。華麗なトカゲの尻尾切り。


 そしてこいつだけは檻の中で身を隠し、難を逃れたに違いない。


「外で三人死んでるが、お前を合わせて四人、これで全員か?」


「うぐっ、そうだ、おっさんに同僚の二人、全員だ」


 そうか、精々が四、五人の組織だった訳か。拍子抜けだな。


「肝心の奴隷は居ないのか?」


「居たけど持ってかれちまったよ」


「そりゃそうか」


 奴隷を解放するにしても、利用するにしても、そのままにするハズが無い。


 いや、ここから運び出された後で口封じに殺された可能性も有るか?


「なあ嬢ちゃん、この事を衛兵達に知らせてくれよ。俺はもうスッカリ改心したんだ。それにこのままじゃ、持って行かれた奴隷だってどうなるか解らねぇ」


「人攫いが売られる奴隷の心配か? 笑えるな」


 スタングレネードで目も見えていないだろうに、踏まれたままの人攫いの男がそんな事を頼んでくるのが意外に思えた。


「笑えよ! でもよ、仲良くなっちまったから仕方ねぇだろ。そうだ! 北門の衛兵隊長は堅物だって聞くぜ、アイツに助けを求めてくれ」


 ……北門の、ヤッガランさんか。


 死んだよ。堅物でいい人だからな、ライル少年への贖罪の思いを抱えて死んだ。

 他人に入れ込む人間は死ぬ様に出来ている、奴隷を心配するコイツもきっと死が近い。


「お前……奴隷商には向いて無いな」


「そうだよ! 人攫いだけどよ、表向きは下水の掃除業者って看板なんだ。俺はそっちの方の人員なんだよ! なのに人手不足だとコッチの仕事に駆り出しやがって、あげくこのザマだ!」


 なるほど、この男は組織の下っ端。お掃除要因って訳だ。だからヤッガランさんが死んじまった事すら知らねぇのか。


 それにしても、人攫いにここまで同情される奴隷って何なんだ? 『偶然』から生き延びる為にも知りたいもんだね。


「お前の頼みのヤッガラン隊長は平原で死んでいる、残念だったな」


「え? そうなのか? じゃあズーラーさんが殺したってのがそうか? じゃあ北門の奴ら、余計にグプロスの野郎に怒り心頭のハズだぜ、北門の奴らは結束が固いんだ」


「そうか……」


 北門の衛兵に話してみるのもありか? 上手くすればあの騒ぎでも生き残ったヤツらがいるはずだ。


 ……いや、やめよう。

 コレは俺の復讐だ。


 おれは、グプロス卿を殺す。

 たった一人で!


 スフィール城に単身飛び込むなんて自殺行為だろうが、いっそそれでも良いと思ってしまう。


 ユマ姫には悪いが俺がこのまま生きていても、助けに来てくれた周りを巻き込み殺すだけ。いっそここで当たって砕けたって良いんじゃないか?


 そんな風に思った時だ。


「――うぐっ」


 頭に鈍痛。

 これは無理に人格を分離させた副作用か? それともユマ姫の抵抗か?


 ユマにしてみれば自分の体だ、高橋の勝手で自棄になって自殺するなら抵抗するのも当然だ。


 無茶はよくても死にたがりは許せないって事だろう。だとすれば、やはり北門に助けを求めるか?


 いやいや、北門の人間はそれこそ、俺さえ居なければヤッガランさんが死ななかったと恨んでいるに違いない。


 でも、ダメ元でグプロス卿の動向ぐらいは聞いてみるか? コイツらを片づけたって事は、とっくに雲隠れしていてもおかしくない。


 クソッ考えが纏まらない。


 そうして頭を抱える俺に、ようやく視力が回復した男が、足の下から声を掛けて来る。


「オイ、ひょっとしてお前、あのユマ姫って森に棲む者ザバか? なぜこんな所にいる?」


 そうだ、どっちにしろコイツは始末しないと、こんな所で変な足がついたら笑えない。


「オイ! なんだ!? 止めろ!」


 必死に叫ぶが、俺には何の感情も無い。

 ただ作業の様に剣を振りかざし……


「グッ!」



 また頭痛。しかも今度は大きい。

 ――ふざけるな! 邪魔するんじゃない!


 心の中で叫ぶがどうにもならない。


「うわっ! うわああぁぁぁ」


 その隙に男が足元から抜け出し、叫びながら外へと逃げて行く。


 クソッ、なんだってんだ! 尋常じゃ無い痛み。制御出来ない人格が、殺しに抵抗してるのか?

 おかしいだろ! 今までだって平気で殺して来たじゃないか。今更なんだってんだ?


 人格が分離して、却って制御が効かないのか?

 だとしたらマズイ。俺はグプロスもその部下も、帝国の連中も、全部この手でぶっ殺したいのだ。


 樽に入った短槍を一本抜き取り、構え、俺は想像する。

 グプロス卿をぶっ殺し槍で串刺しにする様を。そしてその部下や帝国の奴らも妄想の中でどんどん突き殺す。


 ……何の嫌悪感も抱かない。


 参照権で過去の殺人の記憶を見ても同じ、さっきの頭痛は何だったんだ?


 訳が解らない思いを抱えながらも、槍を片手に逃げた男の後を追い地下道を抜ける。


 地下道を抜けた先は北門の内側、初めて来た時にライル少年の記憶を得たあのゲイル広場。その端っこだ。


「どうする? 北門か? 真っ直ぐ城に行くか?」


 俺の呟きは風に消える。人通りが多かった広場に、今は誰も居ない。店も家も戸を閉め切って正に戦時中の様相だ。


 となれば城は守りを固められている。

 流石に一人では侵入すらままならない可能性が高いだろう。


「北門か……」


 危険な賭けだ。

 逃げた男の行動によっては衛兵達まで敵に回っているだろう。

 それでも、俺はゲイル広場を速足で突っ切る。


 ……その時だ。


 ガラガラと音がする。

 馬車の音だ。


 静かな街並みにあって、車輪の音だけが徐々に大きく迫って来ていた。


 しかし、既に北門は閉め切られている。

 包囲されたスフィールから逃げるにしても遅すぎる。


 俺は、どんな間抜けか振り向こうとした。

 なのに……


「えっ?」


 体が……動かない。

 その間に馬車の音は間近に迫り、地響きすらも感じる距離。


 その音で思い出す。

 ライル少年の最期の記憶。時刻こそもっと早い時間だが、人通りの無いゲイル広場の景色がピタリと重なる。


 ガタガタと体が震える、血の気が引く。

 なんで? これは?


 ……恐怖だ!


 今の俺なら馬車なんぞ怖くない、魔法でどうとでもなる。なのに体が動かない。

 俺の中から切り離されたライル少年が、恐怖で体を硬直させている。


「ママ……」


 何処からか少年の声が聞こえる。


 いや、喋っているのは俺だ。口が勝手に少年の言葉を発していた。


 不味い! 思えば俺は記憶に引っ張られ、何度も死に掛けている。平和な街の中、ライル少年の記憶だけは無害だったが、この重要な場面で体が言う事を聞いてくれない。


 ライル少年の恐怖が体を支配する、角を曲がりいよいよ馬車が姿を現す。


「あっああ!」


 ライル少年の恐怖が俺に伝わり口をつく。現れたその馬車は、あの日と全く同じ姿で広場に姿を現した。


 そう、グプロス卿の馬車だ。緑地に派手な彫金が施された大型馬車、見間違うハズが無い。体は益々硬直する。


 広場の真ん中で呆然と陣取る俺へ、迫り来る馬車から御者が大声を張り上げる。


「どけ! どかねぇと轢き殺すぞ!」


 それでも体が動かない。


「ヤッガラン兄ちゃん……」


 何時も助けてくれる頼れる兄貴分。

 少年は死ぬ間際にその名前を呼んでいた、そして今回も。


 でも、助けは来ないのだ。

 彼はゼスリード平原で死んでいる。


 死を誘う記憶が、呪いの様に体を支配していた。

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