ゼスリード平原騒乱5

――ザシュッ


「なっ!」


 ズーラーが突然ヤッガランさんを刺殺した。

 想定した最悪の更に下。

 あまりに突飛で考えもしなかった。


 ズーラーは確かに冷静で無かった。苛立ちでおかしくなっていた。


 だから俺は祈ってしまった。


 その凶刃をひけらかして周囲を脅すだけだろうと思い込み、停滞した事態を動かしてくれれば何でも良いとばかり、願ってしまった。


 良く考えれば、訳が解らないと言うほどの行動では無い。


 ヤッガランさんは堅物で、俺に協力してくれると約束したこともあって。この機会に何としてでもギデムッド商会の馬車をあらためるつもりが見て取れた。


 だが、中に入っているのは恐らく危険な兵器。検閲など決して帝国は許さない事もズーラーには解ったに違いない。その中身をも知っていても不思議じゃない。


 だとしたら、帝国軍か衛兵達か、どちらかが暴力に訴えるその前に、自分の手で衛兵の隊長であるヤッガランさんを殺して収めてしまおうと考えた。


 ……そんな所だろう。


 そんな短慮で、刃はヤッガランさんの心臓に滑り込み、そして死んだ。


「ヤッガランさん!」


 慌てて駆け寄るが無駄だ。どう見ても即死。

 現にパニックをおこす俺の体とは裏腹に、自分の冷静な部分が回復魔法の無駄な行使を諦め、冷めた目で死体を見下ろしているのを感じる。


 一方で、狂乱し、涙を流して縋り付く自分が居る。


 彼との思い出、一緒に齧った屋台の肉、辛いミートパイ、頭をクシャクシャに撫でられた事、槍の筋が良いと褒められた事。


 これはそう、ライル少年の記憶だ。


 だが、記憶が潜り込んだだけと言う意味では『高橋敬一』もライル少年も、何の違いもありはしない。俺と彼は対等な関係だ。


 会ったばかりの自分が、こんな風にヤッガランさんに涙を流す。異常な事だ。だが流れる涙を止められない。迸る意思を止められない。


 これは、俺も家族を目の前で殺されたばかりと言う事と、無関係では無いだろう。


 復讐の意思は、俺にとって何より優先される感情だ。


 ヤッガランさんが持っていた槍を握る。構える。思ったよりは様になっている。きっとライル少年の記憶のお陰だ。

 だが、非力な少女の体では、鍛えられた大人のヤッガランさんが持っていた槍を振り回す事など不可能だ。


 かと言って弓は使えない、これはライル少年の復讐だ。ライル少年は弓を使えない、使えるのはヤッガランさんに教わった槍だけ、槍だからこそ意味が有る。


 だから俺に、『高橋敬一』に出来る事は、その少年の背中をそっと押すだけ。それも魔法でだ。


「我、望む、足運ぶ先に風の祝福を」


 移動の魔法。風吹きすさぶ草原に、呪文が流れる。

 ぼんやりとした意識の中、ズーラーを目で追えば、異常なこちらの様子に気が付いて、慌てふためき馬に跨るところだった。完全に逃げる気でいる。敵ながら判断が早い。


 なるほど、ヤツは俺が人間をトマトにするところを見ている。


 だけど、まさか衛兵一人殺しただけで、こんなに激昂するなどと、夢にも思っていなかったのだろう。


 正直、俺も思っていなかった。


「無駄だよ」


 少年の様に一人呟くと、口角が吊り上がるのを感じた。馬なんかじゃ逃げられはしないのだ。


 風の魔法での高速移動。

 一歩、二歩、たった三歩目で追いついて、四歩目で馬上へと槍を突き上げた。


 ――ドシュッ!


 その姿勢、突きの鋭さ。非力なお姫様のそれではない。ライル少年が習った槍術は、子供の手習いと馬鹿に出来る様なモノでは無かった。

 少女の力はか弱くとも、移動の魔法で恐ろしい程に勢いが乗っている。その勢いは滞る事無く、全て馬上のズーラーへと叩き込まれた。


 おかげでズーラーは馬から転げ落ち、そのまま地面に縫い付けられた。


「あっぐ、ゲェ」


 急所を外してしまったので即死ではない。

 だがその口からは醜い断末魔と血が漏れるのみ、助かる傷では無いだろう。


 そして再び平原に漂う錆び臭い血の匂い。湧き出す狂乱の気配。


「クソッ! やはり化け物! 人間らしい説得など無意味だったのだ! 武器を抜け! 化け物狩りだ、無傷でとは言わん! だが絶対に殺すなと上からのお達しだ、かかれ!」


 マルムークの絶叫が聞こえる。当然だろう、戦闘は避けられそうに無い。


 ……あーあ、やっちまった。


 いまだ謎の木箱は相手の手の内。一体全体あそこから何が飛び出てくるか全く解らない。


 しかも、ズーラーを殺し、ヤッガランさんも居ないとあっては、衛兵達も味方になってくれるとは限らない状況だ。


 だが後悔は無い。俺はセレナの、家族の復讐をしたくて旅をしている。そして今やライル少年は俺の一部、彼の復讐もまた俺の復讐なのだ。軽んじて良い筈が無い。


 しかし田中には悪い事をした、俺の暴挙でここが死地に成るかも知れないし、敵に囲まれたら使えない魔法の弱点を考えれば、田中に頼る部分が大き過ぎる。


 だが田中は既に剣を抜き構えている。

 既にやる気。頼もしい事この上ない。



 ……いや?

 だが奴は、田中は帝国兵を見ていなかった。



 何だ? そんなところには何も無いぞ? なんのを感じている?

 上? 空を見ている?


「オイ! アイツが来るぞ!」


 田中が俺に向けて叫ぶ。

 アイツ? アイツとは? 空?


 ――ビィィィィィ


 低い低い、笛の音。

 いや笛じゃない。参照権で調べるまでも無くこの音は覚えている。


 耳を澄ませば、他の音も次々と聞こえて来る。


――ドッドードッドー、ギィギィー


「……まさか? ……恐鳥リコイの群れ?」


 呆然と呟く。

 俺は、最低最悪を想定していたつもりだった。


 だが現実は最悪の下の、その更に下。


 一度襲われたら二度目は無いと、無意識に思ってしまっていた。


 だが考えてみれば、大森林からはるか遠いこの地でも、翼を持つ彼らには大した距離ではない。そして、このゼスリード平原には隠れる所などどこにも無いのだ。


 見上げれば、空を黒く染め上げる集団が急速に迫って来ていた。


 ゼスリード平原は帝国と王国が鎬を削る決戦の地、その筈だった。


 だが既にエルフも人間も、帝国や王国も分け隔てなく。恐鳥リコイ達の餌場へと成り果てようとしていた。

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