交錯する思惑

 ユマ姫と田中がスフィールを出る前日。


 スフィール城ではグプロス卿とギデムッド老の二人が向かい合っていた。


「どうやら城下町に賊が出たそうですなぁ」


「いや、治安の責任を担う身としてお恥ずかしい限りです」


 ここはスフィール城の談話室。城に泊まる客人達が雑談を交えながら、お茶や盤上遊戯を嗜む憩いの場だ。


 しかし、口調こそ穏やかでも、今ここにいる二人の間は張り裂けそうな緊張感だけが支配している。


 穏やかに話しかけるギデムッド老だが、その内心は苛立ちに塗れていたし、その嫌味に応対するグプロス卿のこめかみには青筋が浮かんでいる。


「しかも襲われたのは例のユマ姫だとか」


「そのようですな、何と言う偶然か」


「かの姫は、我ら帝国が御身を預かるべく準備を整えているのですから、滅多な事が有っては問題ですな。この街の治安を疑う訳では無いのですがこうなっては護衛を雇った方が良いのでは無いですか?」


 そもそも、ギデムッド老にとってグプロス卿が会談の場で、ユマ姫の捕獲を失敗するのは想定の範囲内。


 だが、それにしたって、お詫びに協力を約束するなど上手い事取り繕うなり、他の貴族を通して援助を約束するなりして、彼の姫の身柄を確保するだろうと思っていた。


 それが、執務室での仕掛けに失敗するや、その日のうちにユマ姫の宿に賊が侵入し、まんまと取り押さえられた。


 街では帝国の放った暗殺者が、森に棲む者ザバの、いや『エルフの姫』を襲ったと評判だ。


 そう、ザバではなくエルフ。このスフィールでは新しい彼らの呼び名が急速に広まっている。


 これは人類を代表して化け物退治を行うと言う、帝国の大義名分が揺らぐ事態。

 姫が酒場で語るのは、帝国が森に棲む者ザバに行った非道。大いに語って見せるその仕業は、仕掛けたユマ姫本人が想像する以上に、帝国情報部の幹部たるギデムッドに『効いて』いた。


 ギデムッド老の今の第一目標はユマ姫の確保だが、それは突然振って湧いた指令で、元々の命令はスフィールの反帝国の機運を和らげ、帝国に寝返らせる事。


 一時は王国までむざむざ逃げて来たユマ姫の存在が帝国の優位を証明すると、ユマ姫の身柄の確保は一石二鳥かと思われた。


 しかし姫の反帝国運動で下手をすればスフィールの併合が叶っても、統治の段階で反帝国の抵抗運動に苦しめられ兼ねない状態だ。


 とにかくグプロス卿に姫を抑えて欲しいのがギデムッド老であった。


「いや、しかし我らも人手が十分とは言えない状況でして」


 対するグプロス卿としても面白くない事態。執務室での一件も痛手だが、試しにと向かわせた凄腕の人攫いとやらは見事に失敗した。

 ズーラーを通して秘密裏に雇った人間だけに、解放しようにも衛兵達に説明が付かない。かと言って手っ取り早く始末してしまえば、頼みの組織との関係が悪化しかねない。


 だが、人攫いへの事情聴取として姫の様子やタナカの腕を聞くぐらいは出来るとズーラーを向かわせれば「忍び込むや否や拘束された! 事前に計画が漏れていたに違いない!」と逆に文句を言われる始末。


 そこから解ったのは、どうやったのか息を潜めて忍び込む、こちらの動きを察知する方法が有るだろうと思われると言う一点のみ。


 それにしたってズーラー曰く、一流の戦士の勘は時として信じられない冴えを見せる、等と言われては、結局何も解らず仕舞いと同じ。


 結局、獲物が恐ろしい程に強力だと解っただけであった。

 いや、もう一つの収穫と言えるのは姫に関する証言だった。


「あの女子おなご、ありゃあ何だ? 子供みたいに見えて中身は化けモンだ! ニコニコと俺を殺す相談をしたと思えば、白々しくも悲鳴を上げて悲劇のお姫さまを演じ切りやがった!」


 さすが森に棲む者ザバと言った所か、見た目通りの少女では無いらしいとグプロス卿は唸ったものだ。


(だが! だからこそ欲しいのだ! 幼く純真そうな人形の様な見た目、それに反して強い意志と知性を宿した大きな瞳に、口を開けば恐るべき言葉を紡ぎ出す)


 不気味で恐ろしい。

 そしてなにより美しい。


 だからこそ、その身が欲しい。


 グプロス卿はユマ姫の美しさに強烈に魅入られていた。


 魔法を使う恐ろしい森に棲む者ザバの少女。交わる事はおろか、檻に閉じ込め両手を縛っても危険で、玩具として保持する事も難しい。


 それでも欲しい。あらゆる女性を抱き、弄び、拷問まがいの事をして、殺してしまった事も有るグプロス卿だが、好色を自称しつつも、歳を重ね内心女性に飽いていた。


(結局は、どんな女も我が身が可愛いだけの俗物よ! だがあの少女は! 姫だけは違う、くびり殺される瞬間すら嫣然えんぜんと微笑み、コチラを挑発するだろう)


 ならばこそ、その綺麗な顔を歪めてやりたいと、絶望に沈む顔が見たいと、卿の歪んだ欲望が疼いて収まる事が無かった。


 だが、それには表立って姫を確保してはならない。


 どうしてか、ユマ姫の身柄を欲しているのは帝国も同じだからだ。

 強烈に身柄を要求してくる。


 これでは帝国に寝返ろうが、卿の手元にユマ姫は残らない。


 秘密裏にその身柄を確保する必要が有る。

 姫には行方不明になって貰わなくてはならない。


 その為には非合法な組織に依頼するしかなかった。グプロスの配下であっても、シノニムのような表の人間を動かす事は出来ないのだ。


 むろん、馬車を提供することは出来ないし、他の貴族に用意されるのもマズい。


 そうなれば捕まえたところで、帝国に差し出さなくてはならなくなる。しかも、その上で姫の身柄を売った卑怯者と誹られるのは目に見えていた。

 それではグプロスには面白くない。


 グプロス卿はユマ姫を一目見てから、彼女の身柄で帝国に恩を売る程度では満足出来なくなっていた。


 しかし、そんな事は遊戯盤の向こうで座るギデムッド老には関係ない。貴族でも衛兵でも軍でも動かして、とっととユマ姫の身柄を押さえて欲しいのだ。


 ギデムッド老はグプロス卿を睨む。


「自由に動かせる人材が少ないのは我らとて同じ。ですが人手不足を嘆いて、それこそ姫の身に何かあればなんとします? スフィールの存続に関わる事態となりましょう。いっそ騎士団を動員し、卑劣な帝国の魔の手から姫の御身を守ると言う事で、身柄を押さえてはいかがでしょう? 我らが協力しても構いませんぞ」


 ギデムッド老は騎士の形をした駒を弄びながら、グプロス卿の顔色を窺う。


 ギデムッド老とて、グプロス卿の立場は解っている。風聞に関してフォローはするつもりだし一気にカタを付けて欲しい。


 その事も伝えているがどうにも芳しくない。


 まさか、グプロス卿が年端も行かぬ異種族の少女に本気で入れ揚げているなど、想像の埒外だけに、「我々がそこまで信用できないか!」と歯噛みする思いで卿の出方を窺っていたのだ。


「しかし、そこまで厳重に警備してはそれこそ帝国に狙われていると喧伝する様な物ではありませんか? やはり街の外で秘密裏に姫君を確保したい」


 このグプロス卿の物言いに、白々しい事をとギデムッド老は内心怒りに震える。


 賊はグプロス卿が雇った者だと見え見えの上、姫に協力しないように貴族に圧力を掛けたのも知っている。


 ここまで秘密裏の確保に拘る理由。ギデムッド老の心当たりでは、単に後ろ指刺されたく無いだけでは、もはや説明が付かない。


 密かにグプロス卿のポケットにしまい込み、帝国との交渉でチラつかせ、より良い条件を引き出す目的以外に思い至らなかった。


(小賢しい真似を、どこまでも暗愚な領主よ!)


 ギデムッド老に言わせれば森に棲む者ザバの姫など危なっかしくて、確保し続ける事などグプロス卿には不可能。


 帝国とて魔力無効化の兵器を使いつつ、睡眠薬や、痺れ薬、他にも各種精神薬を使い分け。用が無い時は常に猿ぐつわ、最悪、舌を抜き、言葉を奪う覚悟を持って、その身を確保しようと準備を重ねている段階なのだ。


 それが、帝国がどうしてもと欲しているのを見るや、思い付きだけで秘密裏に姫を確保し、交渉を有利に進めよう等と色気を出し始めた。


 ギデムッド老にはグプロス卿の態度はそう映った。これはもう任せては置けないと見切りを付ける。

 いや、正確にはこの事態を想定しギデムッドは既にカードを切っていた。


「我々が、正義の為に森に棲む者ザバの討伐に当たる事、このスフィールは歓迎してくれた、違いますか?」


「それはそうなのですが、スフィールは今も王国領、国境付近の大都市として戦争で親族を亡くした者も多く、大々的に帝国に協力する事も難しいのが実情でして」


「ですが、森に棲む者ザバの討伐は人類共通の悲願、王国も帝国も関係ないとの卿の演説に、一帝国臣民として感動の涙を流した物ですが……」


 グプロス卿は反戦の為にそんな演説まで買ってでていた。ソレをあげつらう。


「私個人としてはそうでも、人々の思いと言うのはままならぬ物故、いかんともしがたく」


 そんなグプロス卿の言葉になるほどと頷きながらも、今まさに名案を思いついたとギデムッド老は膝を叩く。


「そうですか! それでは我々は堂々と使節団を派遣し、その目的をこの街の住民に知って頂く必要が有りますな」


「使節団……ですか?」


「左様、聞けば我々の討伐作戦に誤解が広がっている様子、我らの正義を穢されては作戦で命を落とした者も浮かばれません、森に棲む者ザバの非道と我らの正義を知って頂く必要が有るでしょう」


 笑顔で提案してくるギデムッド老に対して、ぬけぬけとほざくなと青筋を立てるグプロス卿。


 だが、人間の常識では森に棲む者ザバは悪と言う事になっている。


 領主の演説や広報などまともに相手にして居る人間は少ないが、グプロス卿は公的にザバの討伐を支持してしまっているし、堂々と使節としてやって来られては無視も出来ない。


 実の所、帝国の勇気ある進軍に敬意を! 等とザバ討伐に関しては街を上げて帝国を称えていた事が、かえって帝国が嫌いな者を中心に、姫の語る事こそがショッキングな事実として一気に広まる原因となっている。


 曰く、森に棲む者ザバ討伐の真実! 彼らは魔獣を狩る人類の味方で、それを惨殺した非道な帝国! と言う構図。


 なるほど、帝国としては反論の機会が欲しいと街に使節を送る事に筋が通る。


 そして使節団がちゃっかり姫を確保する。


 それに抵抗する様なら「お前らは人間の敵である森に棲む者ザバに与するのか!」と突き付けてくるだろう。


 それでも抵抗するなら、スフィールは完全に帝国と袂を分つ事になる、結局、ギデムッド老はグプロス卿に踏み絵を突き付けた格好だ。


 グプロス卿は流石に姫の為に帝国に喧嘩を売って、その身の破滅を招く程の覚悟は無い。

 歯ぎしりをしながらも冷静を装うしかないのだ。


「それはそれは! 我々も精一杯歓迎しないとなりませんな、何時、如何ほどの規模でいらっしゃるのかお伺いしても宜しいですか?」


 使節団とやらが来ても、姫が居なくなった後なら関係の無い話。


 捕まえた姫をスフィール城に隠すのは難しくなるが、隠し場所など幾らでも用意できるとグプロス卿は高を括った、……だが。


「明後日、早ければ明日、百人規模で伺わせて頂きたいと思っております」


「何と言いました? 明日? それに百人ですと?」


 早くても一週間後。そんな卿の予想は大きく裏切られた。友達の家に遊びに行く感覚で、今日明日と使節団を編成して呼び寄せるなど不可能。


 それはつまり既に出発し、このスフィールに向かって居ると言う事だ。


「いえ、何かあった時の為、国境沿いの村に使節団を待機させていたのですよ。ザバの姫に有る事無い事吹き込まれては、我々としては堪らない」


「いや、しかし我々としても準備と言う物が」


「なに、食料も寝床も自分たちで用意致します、我らのわがままでこの街に留まろうと言うのですから」


「そんな訳には……」


「いやいや、我々としては使節団が卿の領地を訪問する、その許可さえ頂ければそれで良いのです」


 つまり、ギデムッド老は何としてでもグプロス卿の領内でカタを付けるから黙って見て居ろと、そう言っているのだ。


 これを断ると言えば、帝国はスフィールに何をするか解らない。グプロス卿に選択の余地は無かった。


「解りました、許可を出しましょう」


「おお! 今から早馬で国境まで届ければ、明日中に使節団を呼び込める。是非お願いいたします」


 既に日も落ちた時間、暗い中、今から全力で国境まで早馬を飛ばそうとするギデムッド老の執念に、グプロス卿は驚きを隠せない。

 驚くのは動きの早さだけでは無い、その規模もだ。


「それにしても使節団に百人、ですか?」


「ええ、あの姫と妖獣殺しのお二人ですからな、失礼の無い様にその程度の規模は必要でしょう」

「…………」


 ここに来て、グプロス卿はやっと自身がその戦力に関して大きな思い違いを、それこそ完全に一桁違いの勘違いをしていた事に気が付いた。


(百人……だと? 相手はたった二人、いや馬車に残した森に棲む者ザバを心配しているのか? それにしたって……)


 動揺するグプロス卿に、ギデムッド老の固い声が浴びせられる。


「それ程の相手だと言う事ですよ、グプロス卿」


 ギデムッドは穏やかな様子を捨て去り、冷たい眼でグプロス卿を睨む。

 その脅しに顔を青くするしか無いのがグプロス卿だ。


(森に棲む者ザバの魔法、それ程の脅威なのか? それに妖獣殺しも匹敵する化け物だと?)


「なに、難しい事ではありません、我々は森に棲む者ザバの扱いは心得ています、ですからお任せ下されば何も問題は起こりませんとも」


 一転猫撫で声で話しかける。ギデムッド老は青くなるグプロス卿に溜飲を下げ、これで下手なちょっかいを掛けて来ないだろうと安堵していた。


 ……しかし、違うのだ。


 グプロス卿はその保身や金銭に駆られ姫を欲したのでは無い。ただ、愛欲によりユマ姫を欲したのだ。


 その欲望に際限などない。何かを天秤に掛けて諦めるなどあり得ない。


(いや、まだだ! まだチャンスは有る、むしろ帝国がそれだけの戦力を投入する。大混乱になる。チャンスが出来たと考えるべき)


 グプロス卿は全く冷静ではなかった。


 それほどに、ユマ姫は男を狂わせる魔性の魅力を誇っていた。


「それ程の規模でしたら、スフィールからも迎えを寄越しましょう」


「いえいえ、お気遣いなさらずに」


「いや、百人規模となればもしや帝国軍の侵攻と、現場の兵士が勘違いしかねません。ズーラーと数人を迎えに行かせます」


 監視につけると、そう言う事だ。

 ギデムッドは内心鼻で笑うが、おくびにも出さない。


「おお! そうですか、それはありがたい、ゲイル大橋からゼスリード平原を真っ直ぐ向かうと思いますので行き違いの無い様にお願いします」


「ええ、ご丁寧に」


 話は纏まった、グプロス卿は入国許可証にサインし、ギデムッド老に渡す。


 ギデムッド老は事の経緯と、ズーラーと言う男が迎えに来る事を手紙にし、併せて控える部下に渡す。


 部下は足早に部屋を出て行く、既に手配してある早馬に届ける為だ。


「ではこれにて、老体に夜は堪えます故、失礼いたします」


 話は終わったと、さっさと談話室を後にするギデムッド、その背中を見送るグプロス卿はソファーの上、反り返り天井を眺め思考を巡らせる。


(ズーラーを表の案内人として、裏では秘密裏に人攫い共を尾行させる、ユマ姫の魔法の力が本物なら百人相手でも逃げ切るかも知れない。疲弊したそこに網を張ればチャンスは有る)


 グプロス卿はユマ姫の事を全く諦めて居なかった。


 頭にあるのは、どうやってどさくさに攫うかと言う事だけ。


 卿のユマ姫への思いは、多少は保身や金銭にリスクを負ってでも手に入れたいと、祈る様に願うほどだった。それは欲を越え、もはや愛と、卿の本当の初恋と、そう言っても良い物かも知れない。


 だが、愛ゆえの行動は誰にも読み切れない。複雑な事態を生み出して行く。

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