スーニカの宿屋
「良かったですなぁ、話が纏まって」
朗らかに語り掛けるヤッガランさんとは対照的に、俺は狐につままれた様な気持ちでいた。
それほどにシノニムさんの態度はあっさりした物だった。
「私は姫です」と手ぶらで現れた人間をどう思う? 頭がおかしいとしか思わないだろう。
身体的特徴から人ではない
身辺調査を徹底的にやった上で、何度も面談をして会わせるかどうか決める。
そうなるのが自然じゃないか? 今の俺には実質、なんの後ろ盾も無いんだぞ?
ところがだ。
「なるほど、大変な事が起こっているようですね、解りました。三日後、グプロス様の都合が付くように調整させて頂きます」
あっさりと三日後に会える段取りがついてしまった。拍子抜けを通り越してポカンとしてしまったのも仕方がないだろう。
適当に言ってるだけ、もしくは罠かと考えたが、だとしても納得がいかない。罠なら罠で、俺が本物じゃなけりゃ意味が無い。
最低限、俺が本当にお姫様なのかどうかだけはみっちり確認してくるだろうと想定問答集まで用意していたのだが。
と、そこまで考え、思い至る。
……そうか、そんな確認を取らずとも俺が本物だと、ヤツらは確信しているのだ。
そういえば、ここは人種のるつぼ。帝国の人間だって大勢居る。
エルフの国が滅んだのも、姫が一人逃げたのも、全てご存知ってワケか。
いやいや、だとしても影武者の可能性をどうやって排除する? なりすましの間者。詐欺師の騙りって可能性もある。
いやいやいや? もしかして俺が本物かどうかすら重要じゃない? ザバの姫を確保したと宣言出来ればソレで十分? だとすると……
「おーい、何考えてんだよ、どっちにしろ考えたって結論なんざ出ねぇよ、今日何するかを考えようぜ」
思考に沈む俺の目の前、田中がひらひらと手を振った。気が付くと俺たちは貴族街を抜け、中央広場まで戻ってきていた。
「では、私はまだ仕事が残っているのでここで失礼します」
ヤッガランさんともココでお別れだ。お礼を言って二人でその後ろ姿を見送ると、後は三日後まで何をするかを考えなくてはならない。
「……とりあえず、宿を取りますか。先程のスーニカの宿屋と言う所が良いのですが」
「そーだな、とりあえず五日ほど取っておくか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうしてやって来た宿屋はファンタジーの宿屋そのもの。今まで訪れた村々では宿屋と言うより民泊に近い有様だったので、リアルファンタジー世界にワクワクしてしまう。
城塞都市らしく四階立てで、カウンターや食堂を含めてコンパクトに作られていた。
その小さなカウンターに体を押し込める様に座っているのは恰幅の良い女将さんだ。
「あんたたち、泊まりかい?」
「ああ、五日程頼みたい」
「あいよ、お名前は?」
「俺だ田中だ、タナカ。解るか?」
「ああ、そういや、前にも泊まってたっけね」
「んだよ、もう耄碌してるのか?」
「止めとくれよ、最近ホントに忘れっぽいんだ」
砕けた様子で話が進む、冒険者らしいやり取りは慣れたものと言った所か。
「後ろのお嬢ちゃんは連れなのかい? 部屋は一緒でも?」
「あー、そうだな、オイ部屋は別が良いよな?」
「勿論です」
道中では共に野宿もしたので今更なのだが、変な噂が立ってもお互い面白くないだろう。予算だって潤沢に有るハズだ。二倍の依頼料に魔石まである。
「そうかい、じゃあ二部屋だね。お嬢ちゃんお名前は?」
サラサラと澱みなく記帳していく女将さんに俺は元気に名前を……名前を?
「僕の名前はライル!」
元気一杯に答えてしまう。
……いや、違うだろ!
俺は……俺はユマ・ガーシェント・エンディアン。
それで高橋敬一だ!
「おい、何言ってんだ?」
頭を抱える俺に、田中が怪訝そうな声を掛ける。気持ちは解るがスルーして欲しい。
ライル少年の記憶が押し寄せて来ているのだ。しかし俺に更なる追撃が訪れる。
「ライル! ライルかい?」
「もう、母さん! ライルは亡くなったのよ。三十年も前に」
「でも、今のはライルの声だよ! ライルが帰って来たんだよ」
「はぁ……ボケちゃったのかしら……」
食堂から走り込んで来たのはしわくちゃのお婆ちゃんだった。でも、そのお婆ちゃんを一目見るなり、俺は誰だか解った。
あれは……あれは僕のお母さんだ、背は曲がってるし、顔だってしわくちゃになってるけど。それでもあれは僕のママだ!
「ママ! ママァ!」
泣きながら僕はママに駆け寄る、ママは何時もみたいに僕を抱きしめてくれる。
腕の中、懐かしい匂いがして涙があとからあとから流れて止まらな……ななな
ぐっぐぐぐ、いやいや、俺は高橋敬一でユマ姫だっての!
クッソ!
染み込む少年の知識をゆっくりと整理する。
少年は街の人気者だったらしい。父は早くに戦争に出かけたっきり消息不明。母は女手一つでこの宿を切り盛り。それを元気にお手伝いする姉と弟。
幸せな三人家族、いつしか父親の事が話題に上がる機会も減って行った。
だけど弟のライル少年だけは父親が帰って来ると信じていた。来る日も来る日も門の側で待ち続けた。
そうして健気な少年は街の人気者に成って行く。
正直、少年はただ暇だったのだ。母親も宿屋を手伝う姉も忙しく、狭い都市には空地も無い。
引っ込み思案で友達も少ない少年は、街の入り口で街ゆく人々を観察するのが楽しみになった。
そのついでだ、そのついでに門番に「今日はお父さん来なかった?」と毎日尋ねただけで、いつの間にか悲劇の少年に祭り上げられていた。
人間版忠犬ハチ公と言う訳だ。少年だって本気で父親が帰って来るなんて思っていた訳では無い、それこそついで。
そして、その『ついで』でいつしか同情され、今まで指を咥えて見るしかなかった屋台の串焼きや果実のお裾分けにありつけた。
更には門番の兵士達に優しくされ、誕生日さえ祝ってもらう。
オイシイ思いをする内に、それが仕事になっただけ。
誰にでも起こり得る事、極めて普通の少年だ。それでいて街の注目を集める人気者。
だからこそ神に選ばれ
……そして死んだ。
少年の最期の記憶は断片的で朧気だ。
ガラガラと車輪が回る音。豪華な馬車。馬の嘶き。流れる血、冷たくなっていく自分の体。
貴族の馬車が大急ぎで門へと駆けていた。恐らくその時、いつも通りに門の前の佇む少年が撥ねられた。
それだけ、きっとそれだけ。
神に選ばれた、大人しくて多くの人に見守られ育った優しい少年の最期はそれだけだった。
普通の少年故に、何か特殊な能力が身に付くとかは今回に限って無さそうだ。
ただ其れより問題なのは、お婆ちゃんにギュッと抱きしめられた今の状況。
「スイマセンが……」
そう断ってゆっくりと老婆の腕から逃れる。
「私はあなた方が
そう言って、頭のショールをさっと剥がすと、ハッと息をのむお婆さん。
「我々は
ゆっくりと優しく問いかけると、老婆も女将さんも目を丸くしコクコクと頷いた。
「そして、私はエルフの巫女、シャーマンをしていました。今、私にライルと言う少年の魂が乗り移ったのです」
俺、突然の告白。
それに対し、面白そうに肩を竦める男。
「へぇーそうなのか? 姫様で巫女?」
田中よ! 頼む! ココはスルーしてくれ!
俺も無理が有るとは思ってる!
思っているのだが、誤魔化したいのだ!
「じゃあ、お嬢ちゃんにライルの魂が入り込んだってのかい?」
女将さんは当然懐疑的だが……
「ライルと! ライルと話が出来るのかい?」
お婆ちゃんはグイグイ食いついた。
押し切るしかないだろう。
「ええ、ですが魂を入れるのは危険なので通訳する形になりますが……」
そんな風に誤魔化して、女将さんをルッカ姉、お婆ちゃんはお母さんのナーシャと伝えれば、まさかと言う顔をする。
トドメにと、お母さんはレッドベリーのジャム作りが得意なんだと宣言すれば、ライルの大好物だったと驚かれた。
「でも最近は作ってないの、久しぶりに作ろうかねぇ」
嬉しそうに昔を懐かしむお婆ちゃんと、対照的にまだ疑っている女将さん。
だが、それでも何とか話は纏まった。
いや丸め込んだ!
これで一安心だ。
取り敢えず田中と俺でそれぞれの部屋に荷物を置いた、ここからどうする? 街に繰り出すか?
いや、まだ日は落ちていないとは言え、ココまでそれなりに無理をしている。今日は休むべきかも知れない。
どうせ三日は身動きが取れないのだから、観光する時間はたっぷりある。
そんな風に考えていると、扉がノックされ声が聞こえた、田中だ。
「オイ、ちょっと良いか?」
「はい、どうぞ。丁度私も相談したい事が」
いっそ今日はもう寝よう。向こうも同じ相談だろうか?
ガチャリと扉が開かれ、入って来た田中は、どうにも歯に物が挟まった様な有様だ。
「いや……あのな」
言い淀んで、椅子に逆に腰掛けると、背もたれに肘を立て頬杖をした。
「なんてーかさっきの? 霊を呼び出すみたいのでよ、人を探せないのかなと思ってよ。木村って奴とか、何でもいいから手掛かりを探してるんだ」
……お前も信じたのかよ。
それに、そうか。
やっぱり田中の行動原理は俺達を探す事か、でもな、俺の能力は降霊じゃないんだ。そもそも俺、死んでないし……いや? 死んだか。
「ごめんなさい、私はたまたま波長が合う霊が勝手に体に入って来るだけなのです」
「そっか、成人の儀の時もそうだったのか?」
「え、ええ……」
あーうん、説明が面倒だしそれで良いだろう。
「あー悪い事聞いたな、ああ、これからどうする?」
「体調を整える為に、少し早いですが寝ようかと思います」
「んじゃ、扉にはしっかり鍵を掛けて、一人では出歩かない様にな、俺はちょっと出てくる」
「分かりました、お気をつけて」
「ああ」
扉から出て行く田中を見送ると、チクリと罪悪感が滲んだ。
もう俺の事、言ってしまっても問題無いよな?
流石にココまで来て、俺の『偶然』が恐いからって放り出すような男じゃ無いだろう。
でも……ソレはソレで困る。
あまりり田中と縁深くなるのも考え物だ。
もう大分巻き込んじまったが、このままずっと一緒に居るとまた『偶然』に巻き込んで殺しちまうだろう。
「それもキツイな……」
ベッドにボフン寝転がり愚痴る内に、瞼はどんどんと重くなって行った。
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