狂気の始まり
村長宅が焼け落ちるまで、へたり込む少女はその場を動こうとしなかった。
最後には泣き疲れて眠ってしまった少女を担ぎ、ファーモス爺は炭焼き小屋のベッドに運んだ。
翌日、炭と共に少女を馬車の荷台に押し込んで、新パラセル村へ帰路につく。
少女は心ここに在らずとばかり、ひと言も喋らなかったが、ファーモス爺は何も聞こうとはしなかった。
炎に照らされて妖しくも赤く輝いて見えた髪は、太陽の下では眩いばかりのピンク色。不思議な色合いも相まって、少女の周りだけが切り取られたかの様に現実感が希薄になっていた。
「セレナ……セレナ……」
時折呟く声が、ピラークと呼ばれる鳥型の
ファーモス爺さんは御者台でため息を漏らす。村の厄介者の自分が更なる厄介者を持ち込んでしまう、娘夫婦に申し訳無いと思いながらもこの少女を見放す事は出来そうになかった。
ピラークに曳かせた荷馬車で一日の距離に新パラセル村はあった。
大森林では大した距離ではないにしろ、セレナを背負ったユマでは決してたどり着けない距離であったと言えるだろう。
日の入り前に新パラセル村まで辿り着いたファーモス爺は、村の様子がただ事じゃない事に気が付いた。
まだ暗くなる前から村の各所で火が焚かれ、厳戒態勢が敷かれて居るのだ。
村の入り口には警戒感も露わに人が立ち、日頃の長閑な空気がどこにも無い。
「これは一体どうした事じゃ!?」
「ファーモス爺さんか、無事だったんだな」
門番をしている若者は近所の気に食わない悪ガキだが、今日は斜に構える余裕ぶった態度が鳴りを潜め、焦りの色さえ窺えた。
「一体何が起こったと言うんじゃ!」
「驚くなよ爺さん、どうやら王都が落とされたらしい、人間にな」
「なんじゃと?」
「信じらんねぇよな? でもマジらしい、あいつら魔法を無効化する秘密兵器を出して来やがったとかで、魔法で一網打尽にしようと思っていた魔法師団を逆に一網打尽にして、王都まで一気に駆け上がったって話だぜ」
「そ……そんな馬鹿な事が」
「有るんだよ、ココだってヤバいかも知れねえぞ? 村長やらが集まって、村の中心じゃ喧々諤々の話し合いの真っ最中だ」
「そ、そうだったか……」
ファーモス爺はチラリと荷台を見やる。爺とて馬鹿ではない、その事件と少女は無関係ではないだろう。
「では、その話し合いの場に連れて行っては貰えんか?」
「ハァ? 爺さん正気かよ、そんな場に爺さんが行ったらどんな顔されるか解ってんだろ?」
「どんな顔をされようとも構わん、ワシの話を聞いて、それでも下らないと思うなら好きな様に村から摘み出せばいいじゃろう」
「ちっ、好き勝手言いやがって、吠え面かくなよ?」
かくして連れられた村の集会場で、ファーモス爺と爺に背負われた少女を見るや、元々これ以上ない程に紛糾していた会議は蜂の巣をつついた様な騒ぎに成った。
誰かが言った、「これはエリプス王の娘、ユマ姫に間違いない」
誰かが叫んだ、「他の王族はどうなったのか!」
ファーモス爺が呟く、ユマ姫と寄り添うように死んでいた青い髪の美しい少女の事。
すかさず響く叫び声、「それこそがセレナ姫では無いか!」
鳴りやまぬ怒号、そして絶叫。
取る物も取らず逃げて来たと言う行商人や、旅人の口から何度聞いても信じられなかった王都陥落の報が、どうやら真実だと否応が無く確定していく。
そんな怒号が止まぬ集会場は少女の一言で、一気に静まり返る事になる。
「父様も死んだ、母様も死んだ、ステフ兄様も、セレナだって死んじゃった」
焦点の定まらぬ目で泣きながら笑う。
「みんなみんな死んじゃって、私だってどうして生きてるか解らない」
泣く事も怒る事も出来なくなった参加者は静まり返り、沈黙が訪れた。
結局何も決まらないまま、会議は終わり。夜が明ける。
誰も彼も仕事など手に付かず、村の決定に固唾をのむ中、当事者であるユマ姫はとんでもないことを宣言する。
「私は人間の街へ、出来れば王都に向かいたいと思います」
皆、ユマ姫が何を言っているのか理解出来なかった。
この村で姫を旗印にレジスタンスを決起すると言う案が却下され、西にある大きな町にお連れすると言う話に纏まり始めた矢先であった。
ユマ姫は護送などたらい回し、ただの問題の先送りだと見抜いていた。
そして、帝国に霧がある以上、エルフだけでは決して太刀打ち出来ない事も。
「魔法を封じる策が向こうに有る以上、我々だけで戦うのは得策ではありません。ならばどうするか? 敵の敵は味方。私が狙うのは東のビルダール王国との同盟です」
セルギス帝国と対を成す、ビルダール王国とエルフの同盟。
投げられた賽は劇薬だった。
「あまりに無謀ですぞ!」
「そうだ、猿共を味方に付けてどうする!」
「信頼できるハズが無い」
村人は大騒ぎ。彼らは人間を下に見て、同盟など及びもつかない。
それでもユマ姫は一歩も引かない。
「この世を統べる権利を神授されたなどとのたまう皇帝、彼の者が我らの技術を手に入れたらどうなるか? 解らぬ程に王国も愚かではないでしょう。我らの技術が優秀であればあるほど、脅威は恐ろしく、同盟は頼もしく映るでしょう」
ユマ姫の言うことは尤もに聞こえた。
帝国と王国は犬猿の仲。人間同士で激しく争っている。
エルフの技術を手に入れた帝国が、その矛先をドコに向けるかは自明に思える。
長老とおぼしき男が進み出て、姫に尋ねる。
「しかし、ツテはあるのですか?」
「ありません」
「そんな!」
ビルダール王国とエルフには紛争などは一度も無いが、ソレは切り立ったピルタ山脈に遮られるが故。表立った国交など何も無いのだ。
加えて種族の壁と言う奴は根が深い。
唯一残った王族にもしもの事があったなら、村の責任問題になりかねない。
更に言うなら、人間との同盟など姫の独断で決めて良かろう筈が無いのだ。
「お止め下さい。我らで決められる事では御座いませぬ」
「何を悠長な」
しかし、ソレでもユマ姫は止まらない。
「だとすれば、誰が決めるのです! 父様ですか? 母様ですか? 死者に話が聞ける者が居るのならば名乗り出て下さい! それとも最後まで戦った父を見捨てて逃げた元老院の生き残りでも探してみますか? 見つけ次第、すぐに父様の身元に送って差し上げます」
滔々と語る姿に、世を儚んだ少女の面影は既に無く、戦女神の如くに見えた。
初めは戸惑うばかりだった村人も、その様子に徐々に惹き込まれて行く。
どうやって国を、首都を、日々の生活を取り戻すのかと言う焦りと不安で一色だった心が、奴らに一泡吹かせてやると、人に依っては地図から奴らの国を消してやるとばかりに勢い込むほどに、人々は姫の姿に勇気と誇りを感じていた。
そんな姫の姿を広場の端でファーモス爺は冷や汗交じりに見つめていた。
爺だけが知っている、燃え盛る村長宅を呆然と見つめる銀と赤の空っぽな瞳を。
そして今、決意溢れる眼差しに込められた感情は何なのか?
それは勇気にも誇りにも見えない。
人間との同盟などと言うのは本心だろうか?
本当は帝国も王国も区別も無く、或いはエルフさえも、全てを殺して回りそうな狂気を感じていた。
瞳に映る全てが復讐の対象では無いのかと、そこまで思えてしまって、先ほどから震えが止まらないのだ。
「この国の、いや、この世界の終わりなのか」
ひとり、つぶやく。
エルフの国に伝わる『終末の刻』。新興宗教が決まって利用する脅し文句。
厄介な伝承と苦々しく思っていたが。或いは本当なのかと思えて仕方が無い。
広場を見渡して、この異常に気が付いているのはファーモス爺だけだった。人々の顔を見ればわかる。それこそ終末の刻が来たと言わんばかりの表情だった村人たちが嘘の様に明るく、勇ましい表情に変わっている。
まるで英雄譚を読んでいる少年の様ではないか。
ファーモス爺は知っている。本当の絶望は絶望を感じた瞬間には無いのだ。もう駄目だと思った瞬間には、まだ次の手が、もう少しマシな次善策とでもいうべき何かが残されている。
しかし、絶望した時に、一発逆転の手段が救いの糸の様にするすると下りてきたら?
その先にこそ本当の絶望が有るのだ。
息子が病気に成った時に、下らない宗教に頼ってしまった自分がいかに愚かだったのか。今広場に集まる人々の顔はあの時の自分のそれに近い、現実逃避と熱狂だ。
宗教に騙された爺は、何十年かぶりに神に祈った。
なにせもう爺に出来る事は祈る事しか無いのだから。
神を否定し、他人を信じず、村の嫌われ者だったファーモス爺は以後、村での評判を取り戻す事になる。
それは神や他人に縋りたくなる程の恐怖を感じたから、そしてその恐怖の対象を連れて来た功績からだと言うのは何という皮肉か。
かくして少女は村を出た。
共に行こうと声を荒らげる若者を引き連れて、ピラーク二頭立ての馬車で出て行く様を、ファーモス爺は複雑な気持ちで見送った。
村の歓声が大きい程に、爺の胸は凍える様に寒かった。
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