#08 気付いていますか、私がここに居る意味に

「さってと」


 男子トイレに入って伸びをする。あー、面倒臭い。だがまぁ、ホンモノの未来人を逢わせる訳にはいかないしな。


 俺は古泉提供のスーツに身を包んだ。耳にカフス。……アレ? 最近、こんな格好しなかったっけって妙なフィット感。オカしいな……魅惑のジェネラルパーソンとか言いたくなってきた。

 ……まぁ、良いさ。俺は鏡を見ながら髪の毛をちょちょいと弄ってやる。ワックスとか付けると戻る時が大変だからパス。


 勿論、こんな事でハルヒを騙し通せるとは俺だって思っちゃいない。だが、別に騙す必要は無い事にも気付いていた。

 未来人が居たら面白いだろうなと、そう、もう一度思わせる事さえ出来ればそれで勝利条件はクリアなんだから。


 だったらギャグで構わない。アイツを笑わせてやりさえすれば良い。

 大体、アイツだって本当に俺が未来人と知り合いだなんて思っている訳は無いだろう。分かってる。アイツは諦めたくないだけ。


 だからこその、あのテンション。強がりだって、そんな事俺だって気付いてる。

 だったら俺は夢を見せよう。夢が夢でしかないって気付かれても構わない。

 夢の中で「ああ、コレは夢だ」と気付く夢。明晰夢って言ったか。そんな感じ。諦めなければ、きっといつか朝比奈さんだってアイツに未来人である事を告白出来る日も来るに違いない。


 そうさ。だから、ここで終わらせさえさせなきゃ良い。

 こんな格好までしたんだ。繋げてやるさ、俺が。

 今と、未来を。


 準備完了、トイレを出て部室棟への道をゆるりと歩きながら、心に仮面を被った。今から俺はちょっとだけ未来人。そう、自分に言い聞かせる。

 横殴りの雨に晒される窓に俺の姿が映る。着せられてる感が否めないスーツ姿ではあったけれど、少しいつもの自分とは違って見えるのは……コレがコスプレの魔力ってヤツかも知れん。

 魔力でも何でも良いさ。そこに力が有るなら、借りさせて貰う。たった一人の少女に夢を見させる為なら、世界だって喜んで力を貸してくれるだろうよ。


 部室棟の扉の前で深呼吸。俺の役者振りに世界の未来が掛かってるなんて言うつもりはないけれど。さぁ、準備は良いかい、一般人代表、俺!?


「いやいや、ここはお前の出番と違うだろ。残念だが誰がどう見ても役者が不足してるって言うに違いない。なんせ、相手は他称神様だ」


 俺とハルヒ以外誰も居ない筈の校舎。渡り廊下に俺の物でもハルヒの物でもない声が雨音と共に響く。いや、俺の物じゃない、って言うと語弊が有るか?


「久し振りに高校の制服なんか着たね。マジで、この年齢になってこんな恥ずかしい格好させられるとは思わなかった。今のお前の姿よりも恥ずかしいのは間違いない」


 振り向く。視線の先には男が居た。北高の制服を着て、苦笑いをしている。


「……やれやれだ、全く。既定事項がこの年でまだ残ってるなんざ悪夢でしかない」


 眼が点になってんのが分かる。口は馬鹿みたいにあんぐりと開いて閉まらない。


「良い表情だ。そうでないと、こんな格好までした甲斐が無いよな」


 ソイツは笑った。少しづつ、まるでさっきまでの俺みたいにゆるりとこちらに歩いてくる。

 その姿は果たして堂々と。演劇で主役が壇上に上がるそれを思わせて。


「今日の為に髪の毛まで切らされたんだぜ? ああ、床屋代は古泉に払わせたけどな」


 さて、世界の為に一仕事やってきますかね。そう言って男は俺の隣を歩いて過ぎた。止められない。止められる、訳が無い。

 すれ違い様に後ろからトン、と肩を叩かれる。ほのかに柑橘系の匂いがした。


「役者交代だ。未来人との邂逅を望んだんだろ、アイツは。だったら、夢くらい見せてやらないとな」


 俺はその場にへたり込んだ。背後で部室棟の扉がギィと開く。


「……び、吃驚びっくりし過ぎて腰が抜けるなんて漫画の中だけだと思ってたんだけどな?」


 空笑い、渡り廊下を覆う雨に掻き消される。完全に予想外にして、これ以上無いくらい最強の助っ人。なるほど、アイツに未来人の実在を信じさせるんだったら、そりゃアンタ以上の適役はいないだろうよ。


 未来人だとはとてもじゃないが信じられる筈も無い。だけど完全無欠に未来人。確かに、最高の配役はここぞと言う時に持ってくるのがセオリーだったな。

 下半身には力が入らない。俺は首だけで振り向いて、親指を中空に高く翳した。


「頼んだ、未来人!」


 爆笑。ああ、愉快でたまらない。未来人は今回ノータッチかと思いきや、こんな所でやってくれるとはね。完全に虚を突かれたよ、ああ、チクショウ。

 ドッキリカメラにものの見事に騙された爽やかな気分だ、クソッタレ!!

 ソイツは後ろ手にはたはたと手を振った。


「任せろ」


 座り込んだ俺を残して文芸部室へと続く方向へ踵を返す。


「よぉ、連れて来たぜ。ご指名の、未来人だ」


 誰も居ない校舎を反響してここまで声が聞こえる。俺は分厚い雲に覆われた空を見上げた。


「マジモンが来たら、そりゃ俺なんかの出る幕なんざ無いよなぁ」


 狂った様な笑い声は、そりゃもう綺麗に雨音に流されちまった。


「さて、ご説明頂けますか、朝比奈さん?」


 足腰に力も入らない格好悪い姿勢のままに俺はそう問い掛ける。渡り廊下の校舎側からぴょこんと見た事の有る顔が現れた。

 この暴風雨の中でさえ、その微笑みに何の干渉も出来ないレベルアップしたアルカイック・スマイル。朝比奈さん(大)のご登場だ。


「アイツを連れて来たのは貴女ですね?」

「はい」


 強い風に吹かれる髪を右手で押さえながら彼女は言う。


「既定事項なんですけど、良い仕事したと思いませんか?」

「思いますよ、ええ。素晴らしいタイミングでした。お陰で腰がダメになりそうです」


 少しづつ下半身に力を入れていく。まるで生まれ立ての馬みたいにカタカタと震える俺の両足。じゃじゃ馬グルーミンかよ、ってな具合。頑張れ頑張れー。


「未来人は時間にはちょっと煩いんですよ」


 知ってます。ただ、今度からは素振り程度でも入れて頂けると助かりますね。俺の下半身の為にも。


「気付いていますか、私がここに居る意味に」


 ま、なんとなくで良いなら。


「……未来は閉ざされちゃいない。ここで終わっちゃいない。続いている。そういう事ですね?」


 何とか立ち上がって俺は答える。ああ、尻が濡れて気持ち悪いったら無い。


「その通りです。貴方達は、私達は、続いていくんですよ、ずっと」


 そうさ。最初から分かっていた。朝比奈さんが居る以上、藤原が未来からの指令を受け取っている以上。

 未来は決して閉ざされてなんかいない事。


「既定事項なんです。キョン君達がここで頑張ってくれる事も、全部」

「貴女達からしてみたら、既定事項でない事なんて無いでしょうけどね」


 俺の皮肉にクスリと笑う女神。


「キョン君がこれ以降、何もしなかったら既定事項から外れますよ?」


 そんな事しませんよ。ただ、俺としては自分達が仕掛けたつもりで居ながら、実際は全部ハルヒの奴に仕掛けられた祭だって事が少し気に障るだけで。


「嘘吐き」


 近付いて来た朝比奈さんがそんな言葉と共に俺の額を指で弾いた。


「『楽しければ、それで全部チャラにしてやるか』。今のキョン君はそう思っているって聞きましたよ、彼から」


 本当に、未来人ってのは全部知っているから始末が悪い。


 朝比奈さん(大)は北高の校舎を「懐かしい」なんて言いながら、ふらふらとどっかに歩いていってしまった。

 俺はトイレで服を着替え直す事にする。ああ、このスーツ、尻を汚される為だけに用意されたのだろうか。古泉、哀れ。合掌くらいはしてやろう。


「いや、卒業したら古泉から貰うんで、あんまり無下に扱うなよ? それ着て大学の入学式に出るんだからな」

「マジかい」


 振り返れば未来人。って……おお。お疲れさん。


「いや、ハルヒの相手に関しちゃ懐かしいって気持ちが勝ってあんま疲れちゃいないな。それよりも制服を着せられた事の方が疲れた。精神的に」


 そんなもんかね。……ん? ハルヒとは最近会ってないのか?


「そうじゃない。この年齢のハルヒとは、って意味だ。お前にもいずれ分かるさ」


 だろうな。全く、誰よりもアンタが言うと説得力が有るね。


「だろうよ。俺以上にお前を分かっているヤツなんてそう居ないさ」

「違いない」


 俺は未来を映す鏡と向かい合って笑った。


「で、なんで来たんだ? アレか? やっぱり既定事項ってヤツか?」


 俺の問い掛けに男は笑った。よく笑う男だと思う。俺もこんな風になるのだろうか。どうも、思っていたよりもあっけらかんとしている感が否めない。


「それも有る。お前の馬鹿面を見たかったから、ってのも有る」


 忌々しい。全くもって忌々しい。ああ、コイツがコイツでなかったら脱いだズボンを投げ付けてやる所だってのに。


「だが……一番はやっぱ今日が七夕だったからだろ。うん」


 はぁ? 七夕がお前と何の関係が有るんだよ?


「そりゃ、決まってる。俺はジョン=スミスだからな」


 ……三年前からご苦労な事だ。飴食うか? 制服のポケットになぜか転がってたヤツだが。昆布味。


「要らん。今日は七夕だからな。全国的に今日は……良く知らねぇけど『願いが叶う日』なんだろ、きっとな」

「ああ……ああ、なるほど。納得」


 律儀なものだと溜息を一つ。他人の事は言えないのも憂鬱に拍車を掛けた。


「アイツの願いは一つ叶えてやったぞ。って訳で特別ゲストはこの辺で退場だ」


 ソイツは笑った。手を掲げる。タクシーでも停めたいのか知らんが、どこの世界の車が高校の、それも男子トイレを走ってるっつーんだ?


「未来の車に舗装された道は必要無いんだよ。外に付けてあるのさ」

「三年で車は空を飛ぶようになるのかよ。そりゃ未来が楽しみだ」


 ハイタッチ。男子トイレの濁った空気を切り裂く様に破裂音が響き渡る。自分と握手するなんて孫の代まで馬鹿にされそうな経験だ。


「それじゃ再度、役者交代だ」

「任せとけ」


 俺は未来に背中を押されて男子トイレを後にした。バイバイ、ジョン=スミス。三年後にまた会おう。

 宇宙人に引き続き、未来人の話は終わった。さて、理解してるとは思うが後は超能力者の話だ。そう、これでこのグダグダなお話も終わりってな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る