#03 タイムリミットは七日の二十一時三十二分十七秒
車から降り立った場所は、どこにでもありそうな学校の校門前だった。
「……ここ、か」
「まるで最初からここに来るのが分かっていたような口振りですね」
「ちょっとした縁が有ってな」
日曜でありながらグラウンドには部活動をする学生の姿がちらほらと見受けられる。
流れる汗。若人はこの灼熱の太陽の下であっても元気だ。俺だったら三千円積まれてもそんな苦行は御免被る。そんな枯れ果てたお兄さんの分まで駆け抜けろ、青春! ……五千円なら考えるな。どうやら俺はスポーツマンにはなれそうにも無い。なりたい訳じゃないが。
「ちょっとした縁、ですか。いえ、涼宮さんに関連しているのは知っていましたが、貴方も何かお有りで?」
東中学と書かれた表札を見て溜息を吐く。……さて、お気付きの方も多いと思う。俺達が降り立ったここは言うまでも無くハルヒの出身校、その校門前だ。
ちなみに谷口の出身校でも有るが……そっちはどうでもいいか。まかり間違ってもアイツが世界の危機に関係している事は無いと言い切れる。
普通人、一般ピーポー……なんか、懐かしい響きだと思ってしまう自分に自己嫌悪。どこで道を違えたのか。高一の春か。後悔先に立たずとは金言だな、全く。
「まぁな」
ハルヒの出身校。憂鬱な少女。七月二日。リミットは五日後の二十四時。七夕。うーん、何と言おうか……厄介事の臭いがぷんぷんするのは気のせいじゃ無いだろうな。
「これで何も気付かない奴は頭がどうかしてるだろ?」
「ふむ……どうやら、貴方は僕達が知らない情報をお持ちのようだ。……貴方が動くと考えて僕を張らせた機関の見解は当たりですか」
少年が笑う。久方振りにコイツの安堵の表情を見た気がするが、残念ながら同性のそれには興味無いぞ、古泉。
「そうでもないな。肝心な事はまるで分からん。なんっつーか……『ああ、あの事件絡みか』って程度が分かっただけだ」
「十分かと」
「……そんだけ切羽詰ってる、って事か?」
「残念ながら、貴方が仰られる通りです。どんな小さな手掛かりであっても……藁をも掴む、といった所ですよ」
古泉が俺と、俺の隣の長門に向かって手を伸ばした。
……欧米人なお前はどうか知らんが、純粋培養の日本人な俺にはシェイクハンドの趣味は無い。知ってるか? ここは日本だ。郷に入りては郷に従え。握手がしたいならヨーロッパにでも行って来い。
「いえ、閉鎖空間にご案内しようと思いまして」
「分かってる。冗談だ。流せ」
隣を見れば既に長門は古泉の手に手を重ねている。役得だな、超能力者。なんだか腹が立つから握る手に力を入れてやろう。喰らえ、ヘルズクロー!
「……怖がる必要は、有りませんよ?」
怯えて力を入れてるんじゃねぇっつの。……この野郎、渾身の
「あ、目は閉じていて下さいね。網膜が引っ掛かってはコトですから」
……ハイ、無言の戦闘行為は端から勝負にならず俺の完敗である。なんだよ、握力なんてモンまで鍛えてやがるのか、秘密機関の構成員。
しっかし、網膜が引っ掛かるとか……脅しだよな、古泉? 若干眼を閉じる眉に力が篭っちまったのは……こ、怖いわけじゃ……ないんだからねっ。
そんなツンデレは男がやっても気色悪いだけか。うん。正直、すまんかった。反省してる。
トンネルを抜けると、そこは灰色だった。って感じだろうか。実際はトンネルなんか潜っちゃいないし、雪国に比べたら情緒もへったくれも無いのがうら悲しいね。
「現実と閉鎖空間の間をトンネルと言えなくも無いかと考えますが」
そんなフォローは要らん。
「これは失礼しました」
はてさて、何度目ましての閉鎖空間は過去数回の記憶に漏れずやはり灰色で、気温なんてものが最初から存在していないみたいに暑くも寒くも無かった。先程までじりじりと鉄板の上に置かれた牛肉みたいに惜し気も無く降り注ぐ陽光に焼かれていた俺としては……しかしちっとも涼しいと感じないのは真実この世界に温度が無いからだろうか?
その辺は後で古泉にでも聞いてみれば良いな。
「で? この閉鎖空間がどうしたって?」
「いえ、一昨日説明した通り、どうもしないから問題なんですよ」
「どうもしない……ねぇ。長門、何か分かるか?」
長門は茫洋とした瞳で辺りを見回した後で、俺を振り向いた。
「……何かって何?」
いや、俺に振られてもそれはそれで困る。俺だって何がなんだかさっぱり分からんしな。
勉強が分からない子にどこが分からないのかを聞いても、どこが分からないのかすら分からないのだから分からないのだと言われる感じによく似ていた。
であるからして。この場で唯一何が分からないのかを分かっている奴に司会を頼むしか無い。
「古泉……俺はこの場合、長門に何を聞けば良いんだろうな?」
「そうですね……長門さん、彼にこの空間がいつ産まれたのかと、どの様な状態に有るのかを説明して頂けますか?」
「了承した」
古泉は近場に有った植え込みの段差に座り込んだ。真似て俺も座る。長門も俺達に追従した。三人並んで縁石に座り込む……場所さえ違えば青春のワンシーンとかタイトルを付けて写真を撮りたくなりそうだ。
「この空間は五日前、六月二十七日の二十時二十六分八秒に発生した」
だから、秒までは要らんって。
「現在は二十七次関数の速度で拡大を続けている。拡大速度から演算した結果、七月七日の二十三時六分十一秒をもってこの星を内包。後、拡大速度を爆発的に加速させ、地球時間の七月八日零時零分零秒をもってこの宇宙を飲み込むと考えられる」
……二十七次関数?
「すまん、三次関数ですらキビしい俺に分かり易く説明してくれ」
「二次関数と同じだと思って頂いて宜しいかと。二次関数は分かりますね? ただ、時間に対しての侵食の速度がその比ではないと考えて下さい」
古泉が補足する。……いや、流石に二次関数なら分かるが。
「ある一定の大きさを越えた時点で拡大速度は手が付けられなくなる。そうなってからでは何をしても結末は変えられない可能性が有る」
まるでコンピュータに論文の朗読をさせているように抑揚無く淡々と喋る長門。あーっと……つまり、何が言いたいんだ?
「涼宮さんが世界の変革を望まなくなったとしても、変革が行われてしまう時間的なリミットが今回は有るんですよ。少しづつ傾斜角度がキツくなっていく下り坂をスキー……スノーボードでも構いませんが。そのどちらかで滑り降りる事を想像してみて下さい」
古泉に言われて目を閉じて空想する。初心者用のコースを滑っていた筈がいつの間にか上級者用を滑っていて、にも関わらず俺自身は別にスキーの腕前が上手くなっている訳でもない……となると。
「……途中でコケるな」
「そこまでリアルな想像は要りませんよ」
分かってる。冗談だ。
「停まろうとしても停まれなくなってしまう、ある一点が存在するのはお気付きですか?」
コケてそのまんま転がって雪玉になって転げ落ちていくのなら、なぜかリアルに想像出来るんだが。昔の漫画は偉大だな。
「それで構いません。現在、閉鎖空間は我々の感覚ではまるで拡大してはいないのです。拡大を続けていると分かったのは長門さんをここにお招きした、三日前」
拡大していないのにしてるってどういう事だよ?
「つまりですね」
古泉は手近な木の枝を使って植え込みにグラフを書き始めた。
「二次関数……貴方も授業で放物線を描くグラフくらいは見た事が有りますよね?」
まぁな。あれだろ? 横線に対して直線じゃない奴だろ? ぐわっ、って上に伸びてく奴だろ? ぐわっ、って。
「はい。『Y=AX27+B (Y >1、X >0)』と考えてください。X軸が時間、Y軸がこの空間の体積。AとBは正の定数です。少々細かくなりますので具体的な数字は置換させて頂きました。この関数の特徴としましてはX=1を越えた後で一気にY正方向へと伸びていきます」
「それがどうした?」
「この、X=1が今回のタイムリミットになる訳です。これ以降、どれだけ涼宮さんにアプローチをした所で、改変能力が涼宮さんの手を離れ暴走してしまっているので意味は無いのではないか。というのが機関と情報統合思念体の共通認識です」
……って事は……えっと。タイムリミットが七月八日の午前零時零分きっかりじゃない、って……そういう事かよ、古泉?
「察しが早くて助かります。……長門さん、具体的な時間を彼に教えて頂けますか?」
「試算の結果、タイムリミットは七日の二十一時三十二分十七秒。プラスマイナスの誤差は1,51秒以内」
「と、こういう事なんですよ」
それまでに何とかしないといけないんだな。
「ええ。原因が分からない現在、対処のしようが無い、というのは先日申し上げた通りです」
古泉の言葉を裏付けるように、結構長々と会話をしていた筈なのだが一向に神人とやらが出てくる気配は無い。無音。サイレント。大声で叫んだら山彦が返ってきそうだ。
「唯一つ言えるのは、涼宮さんは苛立ちを抱えているのではないという事ですね。もしその様な精神状態であるのならば僕らが感知しない訳はありませんし、また、神人が発生するでしょうから」
長門を見る。何を考えているのか分からないが、やはり茫洋とした眼で何も無い空間の一点を見つめていた。猫か、お前は。怖いから止めなさい。
「しかし、涼宮さんは現実に世界を作り変えようとしている以上、何かを抱え込んでいると見るのが妥当でしょう。僕にはそれが何なのかは分かりません……が」
超能力者がウインクする。顔近いぞ、お前。
「貴方は少なくとも糸口を掴んだようです」
「さてね……頭の中で超展開を繰り広げる他称神様の思考回路なんか、俺にはちっとも読めんよ」
言いながらも、俺には一つの確信が有った訳だが。秘すれば華。もう少し俺の中で確信が持てるまでは黙っておくとしよう。
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