雲を食むもの・(著)カラクレナイ
猪座布団
Starry Sentimental Venus
#01 未来ってーのは柑橘系の香りがするらしい
未来ってーのは柑橘系の香りがするらしい。
きっと纏めてしまえばそれだけの話。
六月三十日、茹だる様な暑さは夏の到来をこれでもかと声高に俺へ教えてくれる。
季節は初夏。とは言いながらも一週間の内に日本列島のあちこちでは真夏日がちらほら見掛けられたりと中々に季節感溢れる今日この頃である。最近よく耳にする地球温暖化とやらの影響だろうか。
冬の頃こそもっと温暖化を全世界的に進めるべきだなどと下らない事を内心思わないでもなかった俺だが、そのツケとでも言うべきか俺の疚しい考えに天罰を下そうと空の上の何かが考えたのかは知らないが……シャツが肌に張り付くのは気持ち悪い事この上ないぞ。
ああ、馬鹿な考えは今日を限りで悔い改めますのでどうか太陽さんよ、ここらでのんびり長期休暇でも取ってみたらどうだい?
窓際後方二番目というポジションは、頼んでもいないのに日焼けサロンに通っているような、見事な日当たりでございましたとさ。
そんな見事な日本晴れ。俺はと言うと夏休みを迎える前に学生が避けて通る事の出来ない天敵、一学期末の定期試験への憂鬱さも相まって夏本番を待たずして既に完全夏バテモードである。
ま、いつだって半分ほどバテモードだったりするのだが。そこはほっとけ。
さて、幾つになっても死刑はゴメンって事で。
今日も今日とて、誰に命令された訳でもないのDNAに刻まれた本能がそうさせるのであろうか、せっせと餌を巣穴へ運ぶ働き蟻の様に何も考えず部室へと足を運び……お、今日は俺が一番乗りか。珍しい事も有るモンだ。
部室棟は静かだった。テスト前期間という事でクラブ活動の類は全面的に停止となっている。当然、お隣さんも今日はお休みである。
学校側の配慮なのか……単に教師がテスト問題を創る時間が欲しいだけだと俺は見ているのだが、真実がどうなのかは知らん。
前述の通り部活動は原則全面停止となっている。にも拘らず俺が文芸部室へと来ているのはなぜか。勘の良い方、あるいは涼宮ハルヒという人間の人となりを多少なりとも知っている方なら説明は不要だと思う。
蛇足と知りつつも敢えて説明をするならば、学校側の言う事をはいはいと聞くようなヤツが団長であったりした場合、この学校非公認の活動団体は既に公認となっていた筈で。
テスト期間何するものぞと今日もSOS団の予定表には休みなど書き込まれてはいない。
ま、ハルヒ以外がこんな活動内容不定(不逞?)の組織を作り上げるとは思えないので、そこは致し方が無いのだが。
人の気配の無い静かな室内で一人溜息を吐く。ああ、抵抗せど、抵抗せど、我が暮らし、楽にならざり。
団長サマへの日々の涙ぐましい、常識的と言っても決して語弊は産まないであろう俺の抵抗は、さりとて本日まで一向に実った
椅子に座り、せめてもの現実への抵抗として数学のノートと問題集を開いてはみた。
しかし常日頃からきちんとノートを取る様な授業態度であったのならば俺の学業成績は前回の一学期中間試験の結果を引き合いに出すまでも無く、墜落寸前の低空飛行を続けてはいなかったりする訳で。
ノートは真っ白とまではいかなくとも、所々に日々の度重なる睡眠不足を何とか打開しようと試みた痕跡が残っていたり、有り余る時間を無為に過ごしてなるものかと俺なりに努力した結果とも言うべき秀逸なパラパラマンガが隅に蔓延っていたりと使い物にはなりそうにない。
……さりとてこのノートの隅、親の贔屓目を抜きにしても素晴らしい出来である。全国パラパラマンガコンクールとかが有ったら無難に入賞出来るな……と、現実逃避はこの辺りで十分だろう。
恥も外聞も無く言ってしまえば、教科書なり問題集なりを眺めてその内容が手に取るように理解出来る脳味噌の持ち主では、俺はまるでない。
数学に取り掛かるのは
我が家では成績が小遣いに直接響いてくる制度を採っている為に、最低限赤点だけは回避しないと、俺はこの年齢でもって定期支給金無しという、うら悲しい学生生活を送らなければならなくなってしまう。
貯金を切り崩すのには限界が有るんだ。どっかに諭吉さんを入れて上からポンと叩いたら二人に増えているようなポケットは落ちてないものかね。有る訳無いよな。
溜息。世界は今日も俺に厳しい。
仕方がない。明日にでも国木田に頼み込んでノートを借りるとしよう。
朝比奈さんは上級生という事でテストの範囲が違うから参考にはならず。長門は授業中にノートを取っているかどうかも怪しい。
では同じクラスかつ成績もかなり良いハルヒはと言えば、授業とはまるで関連性が感じられない意味不明の公式がかなりの頻度でノート上をのたくっていたりする。
一度無理を言って借りた事が有ったが、三次関数を説明する教科書のどこに第一宇宙速度を求める演算式が有ったのかと一時間近く頭を捻る羽目になってしまった前科がアイツのノートには有るので、これも却下。
古泉は進学クラスという事でやはり俺達とは授業内容が違う。
結論として、下校中に何か適当な食い物を奢る提案をして国木田からノート及びご教授を賜るのが毎回の定期試験における俺の定番であった。
学力如きで人の価値は測れないと言うのが持論では有ったが、だったら何で真価を見せられるのかと問われれば、しがない学生の身、特に何も出来ないのが実情だ。
ああ、学生生活ってのは楽じゃない。只でさえ俺はハルヒのお守りをして世界平和に一役も二役も買っているんだ。自覚は無いがそうらしい。だったら、その辺りを考慮してテストの結果にも下駄を履かせては貰えないモノかね、まったく。
日本史の教科書を眺めながらそんな下らない事を考えていると、不意に部室の扉がノックされた。世は
「なんだ、お前か」
これ見よがしに溜息を吐く。マイスウィートエンジェルが勉学に打ち込む俺に対して一服の清涼剤を提供してくれるのを期待していただけに、室内に入ってきた嫌味の無い微笑に肩透かしを感じてしまうのも無理からぬと言えよう。決して古泉に非が有る訳ではないのだが。気分の問題だな。恨むのなら自分の性別を恨め、優男。
「人が入ってくるなり溜息だなんて、趣味が良いとは言えませんよ?」
「悪いな、朝比奈さんの登場を心待ちにしてたんだ」
古泉が長机の上に広げられた教科書を見つけて小さく頷く。
「なるほど。そう言えば定期考査は来週からでしたか。気分転換を欲するその心境は理解出来ますよ。学生の本分、お疲れ様です」
ソイツが椅子に腰掛けるのを待って、俺は口を開く。
「他人事みたいに言うな。お前だって超能力者である前に学生の筈じゃなかったか?」
それとも定期テストに一々怯える様な頭の持ち主じゃない、とでもこのニヤケ面は言いたいのかね。ああ、クソ。憎らしい、忌々しい。さりとてかなり羨ましい。
「いいえ……」
言いよどむ少年がいつになく焦燥した面持ちをしている事に、俺は気付いた。ニヤケ面がニヤケ面していない。
「いつもならば僕も学生のカテゴリ内で良いかと思われますが、どうも……『いつも』では現在無いらしいんですよ。学生である前に超能力者である事を強制されている様でして」
古泉の言葉に唾を飲む。何だ? また何か面倒事が発生してるってのかよ?
「閉鎖空間が三日前から発生しています」
いつもの回りくどさはどこへやら。単刀直入、徹頭徹尾まで無駄なワードが見当たらない。どうした、古泉。悪い物でも食ったか……って、イヤイヤ、ちょっと待て。
この超能力者の余裕の無さ……マジモンの非常事態?
「……三日前? どういう事だ? なんでそんなに長い事放置しておいたんだよ? お前らが仕事サボったら『ぼくらのちきゅう』がヤバいんじゃなかったのか?」
疑問文四連鎖。次はブレインダムドだな。そんな俺の言葉に、机に肘を突いて小さく息を吐く超能力者。
「いえ、サボっている訳では有りません。昨日学校を休んだのはその対策が理由ですし」
そう言や、姿を見なかったな。あんまり気にしてなかったが。
「端的に言いますと……この度出現した閉鎖空間が壊せないので、その対策会議に出席していました」
「そんなにヤバい神人が出現し……」
台詞は途中で止められた。コイツが人の話を遮るなんてそうそう有る事ではない。記憶を探ってみたが、矢張りと言うべきかそんな過去には思い当たらなかった。
「違います。逆です」
「逆?」
今一要領を得ない。何が逆なんだ? ヤバくない神人が可愛くて機関員全員が骨抜きとかそういうオチなら前に誰かがやってたぞ?
「貴方の想像は中々に愉快ですが……今回は本気で余裕が無いのでそういった話題は広げられません。分かり易く言うとですね……居ないんですよ、神人が」
「なっ……!?」
神人が居ないと言われて、いの一番に思い出したのは、いつぞやの橘に連れて行かれた佐々木の閉鎖空間だ。だが、今回の話は佐々木のモノではない。話しているのも橘ではない。
ハルヒの閉鎖空間で、対処を迫られているのは古泉だ。
「通常の閉鎖空間の処理方法は以前に見て頂いたと思います。つまり、涼宮さんの苛々の元を断つか、ないしは苛立ちの具象化である所の神人を僕ら超能力者の手で倒す事です」
一度しか見てはいないし、一年も前の話ではあったがよく覚えている。と言うか、あんなレアで非常識な体験は忘れようとして早々に忘れられるモンじゃないしな。
「その神人が閉鎖空間に居ない。だから閉鎖空間を崩壊させる事が僕達超能力者には出来ない。でありながら拡大を、こうして話している今、現在も続けています。最早、我々機関には打つ手が有りません」
なるほどな。神人を倒すのが仕事のお前らが、その仕事をさせて貰えない、って訳か……いや、全然分からんぞ?
「説明しろ、古泉」
俺の促しに微笑みの貴公子はその二つ名を丁重に返上して、口元に苦笑いすら浮かべず頭を振った。
「説明……したいのは山々なんですけどね。分からないんですよ、理由が」
「……マジか」
言いながらも、古泉の顔が冗談を言っている顔に見えない事だけは平時から鈍い鈍いと言われ続けている俺にも理解出来て。
「エラく、マジです。……分かるのはタイムリミットだけ」
「……タイムリミット?」
俺の問い掛けに頷く古泉。オイオイ、そういうのはあのサンタスティックな十二月でコリコリに懲りまくってるんだぜ。大概にしてくれよ、チクショウ!
「一週間後の七月八日の零時零分……七夕を境に、この世界は消滅するという事だけが機関の全会一致による結論です」
古泉は諦める事に慣れた中間管理職の哀愁を背中に浮かべ、そう言った。
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