第12話 裏切りと嫉妬
煌大の裏切りを知ってから初めて迎える金曜日の夜。私はタクシーを貸切にし、会社の近くで待機させた。しばらくして退社時刻となり、正面入口から社員たちが各々楽し気な表情で出てき始めた。平日から解放され、きっとこれから週末の夜を楽しむのだろう。そんな中、ひとり心配そうな表情をした伊織が急ぎ足でこちらへ向かってきた。そして伊織は、周囲の様子を伺いながらさっと私が待つタクシーに乗り込んだ。
「お待たせ。こんな近くで待機して大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ちゃんと変装したし」
私はそう言うと、自慢げに伊達メガネをくいっと上げて見せた。私と伊織はさらなる証拠をつかむため、今夜煌大を尾行することにしたのだ。
30分ほど待機をしていると、煌大の車が正面入口につけられ、建物から煌大と秘書が一緒に出てきた。煌大は運転手を下ろして自らハンドルを握り、秘書はその助手席に慣れた様子で乗り込んだ。伊織はタクシーの運転手にあの車を追うよう指示を出し、私たちは煌大のあとをつけた。
煌大はしばらく車を走らせると、一軒の料亭の前で車を停めた。するとすぐに店の者と一緒にスーツ姿の男性が頭を下げながら、煌大を出迎えた。あの男性の顔には何となく見覚えがある。確か父に業務提携の話を持ち掛け、その時バッサリと断られた会社の社長だ。煌大を先頭に一行は料亭の中に入って行った。
またそこで待機していると、1時間ほどして煌大たちが談笑しながら店から出てきた。煌大とその社長は笑顔で握手を交わしている。何の話をしていたのか分からないが、父の知らないところできっと何かが上手くまとまったのだろう。
煌大たちは再び車を走らせ、そしてあるマンションの駐車場に車を停めた。秘書を家まで送ってきたようだ。煌大の不倫なんてどうでも良いと思っている。しかし、まっすぐ家に帰るわけではなく、秘書の肩を抱きながらマンションの一室に向かった煌大の姿を目の当りにし、私の心はざわついた。あの溺愛が演技だと分かるまでは、私は5年間妻として煌大に愛され続けてきた。あの激しいほどの愛が、今はあのマンションの一室で秘書に向けられている。自分勝手な黒い感情が心を占めた。
「……お客さん、ここでも待機しますか?」
私の顔色を見て、運転手は少しバツが悪そうにそう尋ねた。
「もう大丈夫です。今から言う住所に向かってください」
黙ったままマンションを見上げている私に代わり、伊織は自分の家の住所を運転手に伝えた。
伊織が私の手をそっと握ると、私は我に返った。そして彼の肩に寄り掛かり泣いた。なぜ涙が出てくるのか自分でも分からない。伊織は何も言わず私の頭をポンポンと叩いて優しくあやす。その心地よい感触は、黒く渦巻く私の心を穏やかにしてくれた。
◇ ◇ ◇
「やはりこれもだ……」
俺は山積みされた経理書類に目を通しながら舌打ちした。経理上何の不備もなかったのでこれまでは全く気にも留めていなかったが、副社長の裏切りを考慮しながら伝票を見返していくと、怪しげな取引がいくつか見受けられた。俺はこれらの取引に気づけなかった自分自身に苛立ちながら証拠を拾い集めていった。
そうこうしているとあっという間に昼休みになり、俺は屋上に向かい優芽に電話をした。副社長を尾行したあの日、優芽は泣きながら俺の腕の中で眠りにつき、朝早く自宅に戻った。それから連絡が来なかったので、副社長と何かあったのではないかと心配になっていたのだ。
「あっ、俺。この前大丈夫だった?」
「そっか。副社長も朝帰りだったのか……。証拠? あぁ、もうすぐ揃うよ」
「準備が出来次第、社長のところには俺一人で行く」
「ハハッ、心配しなくても大丈夫だよ! じゃ、また」
電話を切ると、缶コーヒーを片手に空を見上げた。
俺は、俺から優芽を奪っておきながら、彼女を平気で傷つける副社長が許せない。しかしそれとは反対に、優芽を泣かせるほど夫として愛を与えてきたのだと思うと、それが例え演技だとしても羨ましくなった。だからあの晩、俺は優芽を自分の部屋に連れて帰ると、嫉妬を振り払うかのように朝まで何度も彼女を抱いたのだった。
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