第8話 煌大への疑念

「そろそろ時間だ。もう戻らなきゃ……」


「え? 優芽が先に切りなよ」


「ハハッ、俺たち毎回このやり取りしてるね」


「じゃ、また金曜の夜に」


 俺は暗くなったスマホの画面を見つめながらため息をついた。


 優芽と会うようになって約2か月。日に日に彼女への想いが増していく。声を聞けばすぐにでも会いたくなるし、会えば家に帰したくなくなる。こんな関係は間違っていると分かっているのに……。

 あの時俺が抵抗しておけば、今も二人で堂々と過ごせていたのだろうか? いや、教師と生徒という関係上、堂々とできたことなんて一度もなかったか……。それに、あの時すでに煌大との結婚は決まっていたから、どんなに掻いたところでどうにもならなかっただろう。


 俺は暗くなった気持ちを切り替え、自席に戻り午後の作業を始めようとした。するとすぐに仲の良い同僚が、ニヤニヤしながら俺のそばにやって来た。


「おいっ、小鳥遊〜。お前最近彼女できただろ?」

「……なんで?」

「昼休み、毎日誰かに電話してるだろ? 戻ってきた時のお前の顔、ニヤけまくってるぞ?」

「は? 誰がニヤけてなんか――」

「それにさ、毎週金曜の夜に飲みに誘っても行かなくなったじゃん? 前は断るなんてなかったのに」

「そ、それは……」

「相手は社内の人か? それとも取引先か?」

「そんなの教えねーよ」

「何だよ、ケチだなぁ」

「ハハッ、何とでも言え」


 良かった。相手が優芽だとはバレていない。でも行動には気をつけよう……。


 そんなことを思った翌日、出社すると同時に同期が席に駆け寄ってきた。しかし昨日とは違い、やけに緊張した顔をしている。


「おいっ、小鳥遊! お前何かやらかしたのか!?」

「突然なんだよ……?」

「社長からの呼び出しだよ! 今すぐ『社長室に来い』って!」

「え……?」


 優芽とのことが社長にバレたのか? いや、それはないはず。でも優芽のことでなければ、他に社長に呼ばれる心当たりはない。


 俺は急いで社長室に迎い、ドアをノックした。すると中からドアが開けられ、目の前に社長秘書が立っていた。俺に札束を見せたあの秘書だ。思い切り視線がぶつかったが、軽く会釈しただけで中に通された。


「失礼します。経理課の小鳥遊です」

「キミが小鳥遊くんか。まぁこっちに来て座りなさい」


 勧められたソファーに向かい合って座ると、社長は会社のトップらしく鋭い視線でこちらを見つめた。


「以前、娘が随分とお世話になったようだね」


 あまりにすんなり採用されたものだから、てっきり俺の存在なんて覚えていないのだろうと思っていたが、どうやらそれは俺の思い違いだったようだ。


「……娘さんとのことを知っていたのに、なぜ採用していただけたのですか?」

「あぁ、仕事に私情は挟まないたちでね」

「そうでしたか……。それではなぜ、一社員の私がここへ呼ばれたのでしょうか?」


 俺がそう尋ねると、社長はソファーの背もたれに身体を預け天井を見つめた。そして、大きく息を吐きながら身体を元の姿勢に戻した。


「私は今、二つの大きな問題に頭を悩まされていてね。今回呼んだのは、それをキミに解決してほしいからなんだ」

「……なんで私なのですか?」

「娘を追って我社に飛び込んできたその根性を見込んでだ。それに今、キミは私に後ろめたいことをしているだろ?」

「ずっと俺を調べていたのですか!?」

「採用はしたが野放しにするつもりはなかったからな。いつか利用できるように見張らせてもらったよ」

「じゃあ何もかも知ってるのですね?」

「あぁ。でも、私に協力してくれたら見逃してやってもいいぞ?」

「見逃すって……、それ本気ですか?」

「私情を挟まないと言ったが、そんなキレイ事を言ってられる状況ではないんだ。それに実は、問題のうち一つが娘にも関わることなんだ。……キミたちを別れさせておいて調子がいいかもしれんが、娘のことを今も大事に想ってくれているならぜひ協力してほしい」


 俺たちのことを見逃すなんてどうかしてるとは思うが、こちらとしては願ったり叶ったりだ。俺は二つ返事で社長に協力することにした。

 

 しかし二つの大きな問題って一体なんだ? それも優芽に関わるものって……。俺との仲を見逃してまで社長が解決したい問題。社長自らは手が出せず、俺なら探りを入れられるもの……。その時、俺の頭に一人の人物が思い浮かんだ。


「……煌大だ」


 俺は経理課へ戻る足を止め、振り返ると給湯室に向かった。

 給湯室には、予想どおり噂好きなパートさんが集まってお茶をしていた。


「スミマセン。ちょっといいですか?」

「あら、小鳥遊さん! 珍しいわね〜。どうしたの?」

「社内インタビューで皆に聞いてるんだけど、副社長ってどんな人かな?」

「副社長? 仕事ができて、それも奥さんを溺愛してて素敵な人だよね〜」

「そうですか……」


「でもさぁ、一時期あんな噂があったじゃん?」

「あぁ! そういえばそうだったね!」


「う、噂ってどんな?」

「副社長と副社長秘書がデキてるって!」

「はっ!? どういうこと!?」

「式典の日、副社長が会場からしばらく姿を消してる時間があったんでしょ? その時間、ホテルの部屋から副社長と秘書が出てくるのを見た人がいたんだって! でもまぁ、すぐに消えた噂だからやっぱり違ったのかもね〜」


 副社長専属の秘書は、優芽とは全くタイプの違う大人の女を丸出しにしたような女性だ。

 確かあの時副社長は『秘書と打ち合わせてた』って優芽に言ってたけど、もしかしてあれは嘘なのか?


「おいおい、マジかよ……。まさか一つ目の問題ってこれか?」

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