第2話 突然の別れ

「如月〜! この荷物を資料室まで一緒に運んでくれる?」

「はい、わかりました」

「いつもありがとな!」


 先生が私を愛おしそうに見つめる。その視線を感じる度、私は周囲に勘付かれないかハラハラしてしまう。


「せんせ〜い! なんかいつもお嬢……いや、如月さんばっかにお願いしてな〜い? もしかして二人ってできてんの〜?」


 先生と一緒に教室を出たところで、後ろからクラスメイトに声をかけられた。私は焦って身体が固くなる。


「はぁ……。おいおい、それはお前らに頼んでも文句ばっかで手伝ってくれないからだろ?」


 先生は私の横で大きなため息をつき、全く動じない様子でそう答えた。


「てへっ! そうでしたっ! じゃあ、いってら〜!」


 先生の反応が彼女たちの期待に反したのか、彼女たちもそれ以上は追求せず、あっさりと教室に戻って行った。



 資料室に着くと私たちは運んで来た資料を手分けして棚に戻し始めた。

 片付けが終わる頃、私を呼ぶ先生の声が聞こえてきた。声を頼りに部屋の一番奥へと進む。 “どこだろ?” と探していると、突然私はグイっと腕を引っ張られ、次の瞬間には彼の胸に抱き寄せられていた。


「ちょ、ちょっと伊織! 誰か来たらどうするの!?」

「こらっ、学校では小鳥遊先生でしょ?」

「普通の先生はこんなことしませんっ!」

「ははっ! そうだな!」

「もうっ、それよりも早く離してよ」

「い〜や〜だ〜」


 この資料室には滅多に人は来ない。そのことを知っている私たちはいつもこうして二人きりの時間を過ごしていた。

 今日もいつもと同じように二人でじゃれ合っていると、カラカラ……とドアが開けられ、誰かが資料室に入ってきた。段々と私たちがいる方に足音が近づいてくる。伊織は咄嗟に私を自分の背中に隠した。握ったままの彼の手から緊張が伝わってくる。しかし、その誰かは私たちに気づくことなく作業を終えるとすぐに出ていった。


「はぁ、危なかったね……」


 私が安心して息を吐くと、こちらを振り返った伊織と目があった。

 伊織は緊張が解けたばかりの少し興奮気味な瞳で私をじっと見つめた。彼が言わんとしていることに気づいた私は、少し顔を上げ目を閉じた。すると、伊織の唇が私のおでこに優しく触れた。次は鼻先と頬。そしてお互いの唇が何度か軽く触れ合うと、徐々に二人の息が熱を帯び、深く混じり合う大人のキスへとなっていった。

 いけないこととは分かっている。でも、いつも別れの不安と背中合わせの私たちは、例え学校であろうともこうして皆に隠れてお互いの愛情を確かめ合わずにはいられなかった。

 


 

 そして時は流れ、私は先生との関係を周囲に隠し通したまま無事卒業の日を迎えた。


「優芽、卒業おめでとう」

「ありがとう。これでもう私たちは先生と生徒じゃなくなったよ? ねぇ、もういいよね?」


 伊織は真面目な顔をして頷くと、私をお姫様抱っこして寝室に連れて行った。そしてベッドの上に私をそっと下ろし、優しくキスをした。私の心が ‟ついにこの時が来た” と喜びで躍る。しかし伊織はその続きをしようとしない。不思議に思い目を開けると、伊織の顔がすぐ近くにあった。間近で見る彼の顔は悲しみに染まり、瞳は怯え揺れていた。


「……どうしたの?」


 私が尋ねると、伊織は唇を震わせながら私を地獄に突き落とす一言を発した。


「優芽……、別れよう……」

「……え? 一体どういうこと?」

 

 私は突然の出来事に頭が追いつかない。その時、張りつめた空気を破るかのように玄関チャイムが鳴り響いた。伊織は訪問者の正体を知っているのか、黙って玄関へと向かう。その場に取り残された私は呆然とベッドの上に座っていた。すると、一人の男が寝室に入ってきた。私はその見知った顔に驚き、思わず大きな声を出した。


「な、なんでアナタがここにいるの!?」


 現れた男は父親の秘書だった。


「さぁお嬢様、一緒にお家に帰りますよ?」

「いやっ! 私は伊織と一緒にいる!」


 私は必死に抵抗した。でもなぜか伊織は下を向いたまま何も言わない。そんな彼の前に秘書が立った。


「如月家は礼儀を大事にしておりますので、一応お礼を申し上げます。

 小鳥遊様、これまでお嬢様のことをありがとうございました。お礼としてこちらをお納めください」


 秘書が彼の前に四角い風呂敷包みを置いた。


「待って! 何それ!? ま、まさかお金!? 伊織、そんなの受け取らないよね!?」

「優芽、ごめん……」

「なんで!? ずっと一緒にいようって約束――」

「頼むから分かってくれ! 俺は教師という立場を失いたくないんだ!」


 伊織は覚悟を決めた顔でその包みに手を伸ばした。その瞬間、私の中で何かが壊れる音がし、まるで血のような生温かい涙が一筋頬を流れた。


「お嬢様、帰りましょう……」


 秘書は私の手を取った。ショックのあまり抵抗する気力を無くした私は、力なくその指示に従った。


「……では小鳥遊様、これで失礼いたします」

「優芽!」

「最低……。二度と私の前に現れないで……」


 私が冷たくそう言い放つと、彼は傷つき今にも泣き崩れそうな顔をした。

 自分で私を捨てたくせになぜそのような表情をするのか私には分からない。でもそんなことはもうどうでもいい……。心が砕け散った私は、 この日 ‟人を愛する” という気持ちを捨てた。

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