次元を超えた片思い

澄久

第1話

次元を超えた片思い




セミの音が鳴り響く夏、遮光カーテンで外からの光を締め切り、エアコンの効いた涼しい部屋には、人工的な光がモノトーンの無機質な部屋を照らしていた。


その中で、黒いパソコンデスクの上に足を乗せ、スマホでSNSを流し見していたのは、17歳の青年、小金井カオルだ、高校に通いながら喫茶店をアルバイトとして働いている。

夏休みは、アルバイトの予定を増やすようなことはせず、予定のない日は宿題を進めていた。

だが、その宿題も8月に入って間もないのに全て終わり、明日から学校が始まっても問題がないくらいには余裕があった。


だらだらとSNSのタイムラインを流し見していると、秋から始まるアニメなどの情報がまとめられていた。


カオルは、中学時代まではアニメなどはあまり見ず、夕方に放送している国民的なアニメしか見たことがなかったが、最近は友人に勧められ、人気のアニメを何度か一気見し、一般人くらいにはアニメに詳しくなりつつあった。


今回の秋アニメは、SNSのコメント欄を見る限り"豊作"と呼ばれる、期待度が高いアニメが多く揃っているらしい。

カオルは夏休み明けの話題作りのために、この夏休み中、何個か見てみようと考え、その投稿に貼り付けてある記事を親指で押し、秋アニメの一覧を一つ一つ見ていた。

どうやら人気漫画のアニメ化や、キャラクターに声を当てている声優が豪華であることが重なり、豊作と呼ばれている。


だが、カオルは声優は有名な人を1人2人知っている程度だ、あまりアニメを見る基準にはならないだろう。

漫画はどうだろうと、原作があるアニメを見てみると、どれも知らない漫画だった、そもそもカオルは漫画の知識は浅く、社会現象をもたらした作品を、題名だけ知っている程度だ、中身はあらすじ程度しか知らない。


そうだ、とカオルは閃いた、あらすじだ、あらすじを見て面白そうなアニメを見てみれば良い、カオルは秋アニメの一覧に乗っているアニメを検索サイトで調べ、あらすじを見た、すると、恋愛ものや、SFもの、今流行っていると言われている異世界ものなど、多種多様なアニメがあり、そのあらすじはどれも面白そうだった。

だが、「これだ」というあらすじは見つからなかった、一話に三十分も時間を費やすアニメは、あまり心に響かないものだと長く感じてしまう、どうせなら楽しく時間を消費したい、そのカオルの気持ちは通らず、アニメのあらすじを見終わったが、心に刺さるものはなかった。


気づいた頃には午後5時、外の様子を遮光カーテンを捲り覗いてみると、遊び終わった小学生が帰路に向かって自転車を飛ばし、部活終わりの高校生が、アイスを齧りながら、グループで歩いていた。

「アイス……」

いくら涼しい室内でも、暑い夏の醍醐味は冷たいアイスだ、カオルは自室のある二階から一階の冷蔵庫に向かうために、机の上に乗せていた足を下ろし、スリッパを履いて廊下へ出た、廊下には蒸し暑い空気が身体を包み込んで、とても不快に感じたカオルは、早足にリビングへと向かった


リビングに入ると、母が夕飯の支度をしており、大きな鍋からは沸騰した水がブクブクと水面に向かって飛び出していた、コンロの近くには素麺の袋が置かれており、その光景を見たカオルは『今日の夜ご飯は素麺か』と何となく思いながら、冷凍庫を開いた


だが、中にはアイスの箱が無くなっていた。代わりにカオルの嫌いな食べ物、エビピラフの文字が、こちらを覗いていた。


いつもならアイスの箱がなくなっていたら、次の買い物の日まで我慢するのだが、どうしてもカオルはアイスが食べたい気分だった、買いに行こうにも、外は蒸し暑い嫌な空気、カオルは悩んだ末、アイスは諦めた。


リビングを出ようとした際、母が口を開いた

「あ、大変、麺つゆ切れてる……ねぇカオル、お使い頼んでも良い?お母さんおかず作らないといけないのよ……」

カオルは扉に手をかけたまま、後ろを振り返った。

麺つゆが切れては、素麺は食べれない……完全に夜ご飯は素麺の気分になったカオルは、冷凍庫には、カオルの嫌いなエビピラフが覗いていたのを思い出し、すぐに首を縦に降った。

「別にいいけど……」

「ありがと〜、じゃあ、千円渡しておくね、さっきアイス切れてたでしょ?アイスも買っていいよ」


母はリビングから居間に向かい、バックから財布を取りだし、財布から出した千円札をカオルに手渡した

「それじゃ、車に気をつけるのよ〜」

「うん」

カオルは千円札を受け取り、外に向かった。


玄関の扉を開けると、廊下より温度が高く、風があるものの、蒸し暑い空気には変わりなかった。でも、頼まれたものは仕方ない、カオルは近くのショッピングモールまで歩いて向かった。


同じ路地をすれ違う人物の中に、自分の学校と同じ制服の生徒が、大きなカバンを持ちながら下校していた



カオルは部活に入っていなかった。部活の練習は億劫だと思うのと同時に、アルバイトの時間も削られるので、高校1年生から帰宅部であり、汗と涙を流す青春とは程遠かった、その青春を、カオルは密かに憧れていた。


家から数百メートルの距離にあるショッピングモールに着くと、屋内は冷房が効いており外の不快な空気は全く感じられなかった。


このショッピングモールは、一階は全てスーパーが広がっていて、ほとんどの食材は揃う、麺つゆも、アイスも、必ずある。


カオルはショッピングモールの軽快な音と、人と人の話し声が集まった、ガヤガヤとした音を聞きながら、麺つゆを探し、中央の広場を横切る、中央の広場には、垂れ幕で夏限定フェアの広告などが飾られており、ショッピングモールを彩っていた。


この広場は普段、広告を展示する場所としての大きな役目を果たしている、一階に設置してあるスーパーの、季節限定フェアの告知、人気映画のポスター、飲料メーカーのみずみずしい宣伝などが、一度に五枚ほど、ショッピングモールの入口を正面に垂れ下がっている。


垂れ幕を左から右に見る


カオルがある一つの垂れ幕の少女を見た、その刹那



──周囲の音が止まった。



耳に入ってくる音楽や話し声が止む


目の前の垂れ幕の少女に感覚の全てを奪われた。体を滑る冷気、片手に持っている荷物の重み、全てシャットダウンされる。


 白く長いその髪に、透き通るガラス玉のような蒼い目、白いワンピースに麦わら帽子の姿が、こちら側に手を差し伸べていた。


思わず見惚れてしまい、ポスターの向こうの少女に心奪われた。

  彼女の隣を飾っている文字には、《夏クラブ!コミックス第一巻絶賛発売中!》と白の明朝体で文字が記されていた。


《夏クラブ》という題名は聞いたことがなかったが、なにより、目の前の少女に釘付けになったカオルは、すぐさまレジに向かい、母に頼まれた麺つゆのみを購入した。


レジを通し、カオルは本屋のあるショッピングモールの三階までエスカレーターで上がる、三階まで登る際、一秒一秒が長く感じた、それくらい、カオルの胸は楽しさで満ち溢れていた。


ついに本屋に着き、カオルは早足で夏クラブという漫画を探した。


必死だった、垂れ幕であれだけ大きく宣伝していたのだ、きっと有名な漫画だろう、もし無くなっていたら今すぐにでも少し遠くにある本屋に暑い中でも行ける気力があった。


カオルは本屋の漫画コーナーを回る、すると、広場の垂れ幕と同じデザインのポスターが、本棚の側面に飾られていた。


ついに見つけた、カオルは視線を下に移した。

「無い……」

カオルは落胆した。大いなる期待が、カオルの絶望感をより強くし、肩には重りが乗ったように重くなった。


エスカレーターを下り、一階へ向かう、その間、カオルは先程のあの美しい少女で頭がいっぱいだった。


カオルはあの少女を、恋愛的な意味で好きになってしまったらしい。


カオルの恋愛は、小学校低学年の頃、クラスのマドンナを好きになったのが最初で最後だ、だが、今はその女の子とは縁はなく、カオル自身も初恋の相手の名前を覚えていない。


あの初恋に焦がれていた当時の記憶を思い出しても、あの垂れ幕の少女は比べ物にならないほど惚れ込んだ。


一目惚れというやつだ、カオルは自覚した。


一目惚れというのはとても力が強い、ここまで心を動かせるのだ、カオルは今、あの少女のためなら、なんだってできた。


きっと、別の本屋ならある、カオルはそう思い、ショッピングモールを飛び出した。


外は灼熱の地獄、蒸し暑い嫌な空気が顔を包み込み、服が汗のせいで肌に張りつく。


カオルは早足で近くの本屋に向かった、品揃えがいいことで有名な本屋だ、きっとある。

車が通れるくらいの横幅がある広い歩道を早足で歩く、他の人から注目を集めてしまうのが嫌なカオルは、走らず、早足で歩いていた。いつもはこんなことしないのに、何故か今だけはできた。


汗が額から流れ落ちる、呼吸が乱れる、心臓がドクンドクンと激しく脈打ち、汗が目に染み、視界がボヤける、それでも、カオルは歩き続けた。


そして、ようやく本屋の前まで来た、自動ドアが開き、店内の冷気がカオルを包み込む、カオルはすぐさまあの少女の映っていた漫画を探そうと、漫画コーナーに向かった、出版社は覚えている、すぐに見つかるだろう。


漫画のコーナーに着くと、先程と同じ漫画ポスターが本棚の側面に飾られていた。



「あ……あった……」


表紙を見ると、やはり《夏クラブ》と書かれている、カオルはすぐその漫画を手に取った。


ビニールで包まれた漫画は、カサっという音を鳴らし、カオルの手に渡った。


レジに向かい会計を済ませようとする、財布からは、本来はアイスを買う予定だったお金を出した、値段は大体同じだったから、母は特に何も言わないだろう。カオルはそう思い、漫画の入ったビニール袋を片手に、帰路についた。


心が軽くなったのか、日が沈んできたからか、外の暑さはあまり気にならなかった。


家に帰り、母の居るリビングに向かう、リビングの時計を見ると、午後の6時を回っていた、本屋に行く際に、相当時間を使ってしまったらしい、母を待たせてしまったのではないかと不安になりながら台所へ行くと、母はおかずを作っていたようだ。湿ったほうれん草がまな板の上に真っ直ぐ乗せられていた。


「買ってきたよ」

カオルはそう言って、麺つゆを母に差し出した、母は麺つゆを受け取ると、珍しい物を見るような目をして、カオルの片手に持っていたビニール袋を見つめた。

「あれ?本買ったんだ、珍しいね」

有名なチェーン店だったからか、袋を見るだけで本屋と分かったようだ。

「うん、漫画買った」

「そうなのね、お使いありがとうねぇ」

そう言って母は、麺つゆをコンロの端において、包丁を持ち、まな板の上に乗っているほうれん草を切り始めた。


カオルはリビングを出て、軽い足取りで二階の自室に向かった。あの少女の姿が頭に浮かぶと、自然と口角が上がった。

どんな性格だろう、優しいのだろうか、それとも少しドジなところがあるのだろうか、そうであっても、そうでなくても、カオルは愛せる自信があった。


自室に入り、ベットに座る、袋を留めているセロハンテープを剥がし、中を見ると、ビニールに包まれた漫画が上から見えた。漫画を取り出して、漫画を保護している梱包を剥がす、その音ですら、心が弾んだ。

梱包を剥がし終わり、ビニールをゴミ箱に捨てる、カオルはベッドにうつ伏せに寝っ転がり、待ちに待った漫画の1ページを捲った。


内容は、カオルが一目惚れした主人公であるヒマワリが、友達と学園生活を送る、ジャンルでは青春を題材にしている漫画だ。

「俺の見たかった漫画だ……」

カオルは異世界に転生するものや、超能力を使う漫画とは違う、より現実味のあって、より理想的な物語が見たかったのだ。

秋の放送アニメでは、確かに、青春を謳歌するようなものは無かったから、しっくりくるものがなかったのも当然だろう、カオルはそう思いながら、漫画を捲った。


あの少女……ヒマワリは高校1年生であり、入学式の日と同時に、物語は始まるようだ、桜の散る漫画のコマの中心には、ヒマワリが空を見上げ、紙の向こうのカオルに向かって微笑んでいた。


1巻は序盤ということもあり、周囲の登場人物の自己紹介が多かった、どの人も個性的で、魅力はあったが、カオルの心に刺さるのはヒマワリのみだった。ヒマワリは元気で明るく、笑顔を絶やさない子だった、家族や友人を大切にし、勉強は苦手だが、運動のセンスは抜群という性格だった、ヒマワリはカオルの理想とする、ヒロイン像そのものなのだ。


全て読み終え、漫画を閉じる、あっという間だ、まるで時間が止まったかのような感覚に陥った。カオルはその余韻に浸りながら、スマートフォンで次の漫画の発売日を調べる。

検索サイトで《夏クラブ》と調べ、漫画を出版している会社の情報を追うと、8月28日と記入されていた。

「1ヶ月後……」

思わずスマホを閉じて、布団に突っ伏した。

1ヶ月後、夏休みが終わる直前だ、とても待てない。だが、嘆いたって早く発売される訳でもなく、カオルは諦め、ベットから立ち上がり、机の脇にある参考書だらけの本棚に漫画を収納した。

「カオルー!ご飯よ!」

1階から母の声が聞こえた、カオルは自室を出て、リビングの方へ向かった。廊下は相変わらず蒸し暑かった。


 次の日、カオルは予定があった、週に3日のアルバイトだ、高校1年生の頃から働き始めている、家の近くで、時給も良いことから今の喫茶店を選んだ、先輩は優しく、客層も良いことから大当たりだった。

 アルバイトに行く準備を整え、午後3時に薫は家を出た、外は蒸し暑く、日が高い、そしてセミの音が鼓膜を響かせる、カオルは自転車に乗り、バイト先である喫茶店を目指した。前を進む度に顔を横切る風は生暖かく、若干不快に感じたが、いつも店長が店に早めに来ているから、冷房が効いているはずだ、カオルはそう思うと少しだけ不快感が減った。


 曲がり角を曲がり、従業員用の駐車所の脇に自転車を止める、裏口に向かい、立て付けの悪いドアを後ろに開くと、涼しい空気が体を包み込み、外で火照った体を冷やした。


店内は店長1人だけだった。


「お、小金井くん早いねぇ、今日もよろしくね」

「よろしくお願いします」

カオルは店長に向かって礼をすると、店の奥に向かい、従業員用の更衣室へ向かった。

灰色のアルミ製のロッカーを開き、ハンガーにかかった黒い無地のエプロンを取り出す、胸元には刺繍で小金井と書かれており、シンプルなデザインをカオルは気に入っていた。紐を後ろに回し、蝶蝶結びにする。

その後、同じ時間帯で働く人達が出勤し、今日もアルバイトの時間が始まった。


「ブレンドのブラックコーヒー1杯とパンケーキ1つよろしくね」

「はい、少々お待ち下さいませ」

伝票クリップに挟まれた白いメモに、頼まれたメニューを記入する。キッチンのカウンターまで向かい、メモを渡した。

「ブレンドのブラックコーヒーと、パンケーキ1つずつ、よろしくお願いします」

「はい!」

元気なカオルのバイト仲間は、伝票を受け取ると、テキパキと料理を作っていった。


今日はあまりお客さんが居ない日、近所の主婦が談笑する声や、コーヒーのカップと皿が重なる音が静かに響き、店内のBGMが鮮明に聞こえた。

注文が届くまで、カウンターの近くにいようと、手を後ろに組んで待っていると、呼び鈴が鳴った。

1番窓側の席だ、カオルは早足でそこまで向かうと、その席は女性二人組が利用していた。


片方は金色の長髪で、爪にはキラキラした装飾が着いており、露出の多い服を着ていた、もう1人は、黒く艶のある髪で、金髪の女性と比べたら、大人しめな印象を受けた。年はどちらもカオルとさほど変わらないだろう。


金髪の女性が、口を開いた。

「えっと〜……カフェラテといちご練乳パフェでお願いしま〜す」

「私は……モカのブラックコーヒーと、チョコアイスで……」

2人の注文を伝票に記入し、書き終わると俺は2人の方を向いた。

「少々お待ち下さいませ」

先程と同じように、キッチンの人にカウンター越しに注文を読み上げ、料理が出来上がるのを待っていると、先程の女性二人組の会話が聞こえた。


「彼氏とか作らないの?」

「まだ……いいかな……?」

女性2人組は、恋バナと言われるものをしていた、金髪の女性が、机に前のめりになって黒髪の女性を問い詰めていた。盗み聞きはあまりよろしくないが、耳に入ってくる情報には抗えなかった。

「そんなこと言ってたら、彼氏が出来ないままおばさんになっちゃうよ?いいの?」

「う……それは嫌だなぁ……」

黒髪の女性が下を向いて、両手の指を絡ませた。


カオルは考えた、このまま漫画のキャラクターであるヒマワリを好きになったままでは、現実の彼女はできない、それでもいいのかと自分に問いかけた。

だが、すぐには答えが出てこなかった。


「小金井く〜ん!ブレンドブラックコーヒーと、パンケーキね」

「はい、ありがとうございます」

キッチンのスタッフは、黒いトレイの上に、ほろ苦い匂いを出しながら、湯気が立っているコーヒーと、四角に切られたバターを乗せた、パンケーキの皿を置いた。

カオルはトレイの縁を右手で持ち、左手で下を支え、注文した男性の元へ向かった。


「お待たせしました、ブレンドブラックコーヒーと、パンケーキでございます」

机の上にトレイを置いて、男性の目の前にコーヒーとパンケーキを置いた。男性は読んでいた本を閉じて、にこやかな表情でパンケーキを見ていた。


「ありがとうございます」

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

男性のテーブルから離れ、カウンターへ戻る、その途中、窓側の席に座っている女性2人組がカオルの方へ顔を向けた。

「お兄さん彼女いるんですか〜?」

席の横を通った時、金髪の女性がカオルに向かって若干からかい気味に質問をした、黒髪の女性は慌てた様子で金髪の女性の口を塞ごうと、手を金髪の女性に被せようとしていたが、机の幅が広く、届かないようだ。


カオルは彼女が居なかった、彼女が居ない年数が、自分の年齢と同じであり、告白すらされたことがなかった。

カオルは金髪の女性のからかうような質問に、若干面倒臭そうに答えた。

「居ないですけど」


「じゃあさ、この子はアリ?」

そう言って、金髪の女性は、ニヤリとイタズラをするような顔で、黒髪の女性に人差し指を向けた。

黒髪の女性は、顔を真っ赤にして、下を向いた。

「ええっと……」


黒髪の女性は良く言えば大人しい……が、正直地味だ、黒髪で化粧が薄く、清楚だと思うが、どこか垢抜けないところがあり、カオルの好きなタイプではなかった。


カオルはどちらかと言うと、ヒマワリのような、元気で、明るく、周りを照らせるような女性がタイプだった

だが、このことを正直に言ったら、黒髪の女性に傷をつけてしまう、なんと言ったら良いか分からず、カオルは困惑した。

「カオルくーん!パフェとコーヒー出来たよ!」

「はい、すぐ行きます」

カオルは若干の息苦しさを感じたため、すぐにキッチンの元へと向かった、ただ、今出来上がったメニューを注文したのは先程の女性2人組、品物を置いたらすぐにでも離れよう、カオルはそう思いながら、キッチンに繋がっているカウンターへと向かった。


「いやぁ、カオルくん確か彼女いないのに、災難だねぇ」

キッチンに居たスタッフは、カオルを慰めるような口調でそう言った。カオルはなんだか不要な慰めを受けたように感じ、若干の苛立ちを覚えながら返事をした。

「別に気にしてませんよ……」

カオルはパフェとコーヒーの乗ったトレイを両手で持ち、窓際の席へと向かった。


窓際の席に向かうと、金髪の女性が、またイタズラをするような子供の表情で、カオルの方を見ていた。

「ねぇ、どうなんですか?」

金髪の女性は、カオルが目の前にパフェを置くと、そう質問した。

カオルは再び返答に困り、苦笑いをしながらこう返した。


「あはは……ノーコメントで……」

 金髪の女性はその言葉を聞くと、少し不満そうな表情を浮かべた。カオルはこれ以上変なことを言われないように、足早にその場を離れた。


 その後、その金髪の女性から視線を感じたが、話しかけては来なかった。


 その日のバイトが終わり、エプロンをロッカーにしまう。

ロッカーの下段に置いてあるリュックを取ると、スマートフォンの通知音が聞こえ、カオルは通知の内容をチェックした。母からだった。


 『牛乳買ってきて』と端的に書かれた文章の下には、キャラクターがお辞儀をしているスタンプが送られてきた。


 カオルのアルバイトから帰る途中には、以前、《夏クラブ》の垂れ幕を展示していたショッピングモールがある。

 カオルはそこで牛乳を買おうと、夕焼けで熱くなったアスファルトの上を、自転車で漕いだ。


ショッピングモールに着くと、夕時だからか人が多くいた、だが、カオルが買うのは牛乳1つだけ、すぐに会計を済ませようと思ったが、会計をするレジは、多くの人が並んでいた。


カオルは順番が来るまで、スマートフォンのSNSを流し見していた。熱中症で運ばれた人数や、知らないアプリのサービス終了など、あまりカオルの興味はわかないものであった。


興味のあるものを検索してみようと、カオルは検索欄に、好いている人である"ヒマワリ"を検索に入れた。すると、夏だからか、花の方の向日葵しか、画像として出てこなかった。SNSは便利ではあるが、たまに的外れなことが起きるから厄介である。


ふと、カオルは前を見ると、次で自分の順番になっており、目の前の人が会計をしていた。台に牛乳を置いて、財布から二百円を用意し、トレイに置いて、会計を済ませた。


ショッピングモールの外に出ると、もう日は落ちており、西の方角は橙色の空が広がっていたが、東の方角を見ると、紺色に染まっていた。


自転車のカゴにリュックを入れ、ポケットから鍵を取り出し、ロックを外していると、手元が突然明るくなった、街灯が着いたのだ。


それと同時に、カオルの後ろから人影が伸びた。その影は、ピクリとも動かず、カオルは自転車を退かすのを待っているように捉えた。


カオルはその人影の方向に顔を向けた。

「あ、すみません、直ぐにどきますね……あれ」


カオルが振り返り、人影の方向を見ると


昼に出会った黒髪の女性だった。


黒髪の女性は、カオルの顔を見て、驚いたのか目を丸くした。

「昼間のお客さんですよね?どうかしましたか?」

 カオルが声をかけると、黒髪の女性はハッとしたように我に返った。

「あ……いえ、あの時の方だと気づかなくて……」

 黒髪の女性はそう言うと、顔を赤くしながら下を向いた。カオルは自転車をどかした。


「今日は友人がご迷惑おかけしました……」

黒髪の女性はそう言いながら頭を下げた。カオルは慌ててフォローを入れた。

「あ、いや……!全然大丈夫です!」

 友人というのは、昼の金髪の女性が、自分に彼女がいるかどうか聞いたことだろうか、だとしたら、黒髪の女性は何も悪くない。

「……何かの縁ですし、一緒に途中まで帰りませんか?」

気まずさに耐えかねて、カオルはそう提案した。発言した後、『流石に客と店員の間柄なのに少し馴れ馴れしかったか?』と、心配になったが、黒髪の女性は、特に不満げな様子を見せず、こう言った

「是非……お願いします……!」



そうして、カオルと、黒髪の女性は、共に自転車を横に引きながら、家に向かった。

「そういえば……名前を言っていませんでしたね……俺は小金井カオルです」

遅くなった自己紹介、カオルは慣れない女子との会話に少しタジタジしながらも、しっかり名乗った

黒髪の女性も、カオルに目を合わせながら、口を名乗った。




「小夏……向日葵です……」



夏の夜風が、2人の髪を靡かせた



「な、名前負けしてますよね……こんな暗いのに向日葵とか……」

カオルは驚いた、それは向日葵が名前負けしているということではなく、ただ、好きな人である、"ヒマワリ"と同じ名前であるこに。

カオルは、驚きながらも彼女のその発言を、すぐに否定した。

「そんなことないです……!いい名前だと俺は思います……!」

少し音量が大きくなってしまい、カオルは必死な自分を少し恥ずかしいと思った。

黒髪の女性は、ニコリと笑った、その笑顔は、昼の暗い印象とは、真反対な笑顔だった。


「じゃあ……カオルさんって呼びますね」

 カオルは、その言葉に胸がドキリと鳴った。名前で呼ばれるなど、カオルにとっては小学生以来だった。

何とか表情に出さないように必死になりながら、カオルは返事をした。

「じゃあ俺も、向日葵さんって呼びますね」

 そうして、カオルと向日葵はお互いの名前を呼びあった。

 夜風が吹く中、自転車を引き、人通りの少ない路地を歩いた。会話は続かなかっが、不思議と嫌ではなかった。むしろ心地よいくらいであった。


 しばらくすると、カオルの家の前に着いた。カオルは足を止め、向日葵の方を向いた。

「あ……ここです。それでは、また……」

「はい、また明日……!」

 カオルは自転車を止めて、鍵をかけた。ふと、向日葵の歩いている方向を見ると、街頭に照らされた綺麗な黒髪が靡いていた。


 カオルは、その姿を目に焼き付け、自分の家に帰って行った。


 次の日、カオルはいつもより早く目が覚めた。時計を見ると、まだ朝の5時30分を回ったところだった。

 今日は土曜日、朝からアルバイトだが、カオルがアラームをセットしたのは朝の7時、かなり余裕があった。

 だが、一度起きてしまってから眠気がどこかに飛んでいってしまい、カオルは仕方なく体を起こして、アルバイトに行く時の服に着替えた。そして、洗面台に行き、顔を洗った。


部屋に戻ると、まだ6時にもなっていなかった。カオルは本棚から《夏クラブ》の漫画を取り出して、ページをめくった。

やっぱり、ヒマワリは飽きることがなかった。既に知っている展開でもカオルは《夏クラブ》を楽しめた。

 まだまだ2巻発売日は先だが、どんな物語が来るのかが楽しみで仕方がなかった。部活動について掘り下げて欲しいなと思いながら、何気なくカオルはカバー裏を見てみた。


「……えっ!?」


 そこには、ヒマワリの本名、身長、誕生日などのプロフィールがこと細かく記載されあった。

 本名は佐藤ヒマワリ、身長は160cmと、カオルより低かった。

 そして、誕生日に目を向けると、カオルは息を呑んだ。

「運命じゃん……」

  カオルの誕生日と、全く同じだった。

  カオルは心の底から喜んだ。ベットをじたばたとし、自分とヒマワリとの共通点を見つけて嬉しくなっていた。

 朝から上機嫌になったカオルは、そのまま1階に向かった。

 

 カオルが朝ごはんを家族で食べている時、母がカオルに話しかけた。

「何かいいことあった?」

顔に出ていたのだろうか、母に上機嫌なのを悟られたらしい。カオルは、若干照れくささを感じながら返事をした。

「ちょっとね」

そうすると、母は興味深そうにニヤニヤと笑ったが、それ以上は言及してこなかった。


食器を片付けカオルはアルバイトの準備を始めた、と言っても、用意するのは弁当くらいで、昨日の夕食で余ったものを詰めた段と、白米を詰めた弾の2段弁当で、作るのに10分もかからなかった。

カオルはその2段弁当をリュックに詰め、アルバイト先に向かった。


その日は、まだ日が登ったばっかりだったが、少し蒸し暑い、でも、楽しみにしている《夏クラブ》の発売日がモチベーションとなり、アルバイトへ行く足取りは軽かった。


アルバイト先である喫茶店に着くと、店長は既に出勤していた。

カオルは挨拶を交わしてから、ロッカーで仕事着であるエプロン姿へと着替え、早速開店の支度をした。

テーブルを掃除するための布巾を手に取り、丁寧にテーブルを拭く。

丁度店内のテーブルを1周した時、開店時刻の午前10時になった。今日は土曜日、きっとお客が多いだろう、カオルはちょっとだけ憂鬱な気持ちになったが、ヒマワリの顔を思い出すと、自然とやる気が出てきた。


仕事をこなし、午後1時を回った頃、チリンチリンと鳴る扉から現れたのは艶やかな黒髪を靡かせた、向日葵の姿だった。


「あ、向日葵さん、いらっしゃいませ」

向日葵はカオルを見て、若干顔を赤らめながらも、ニコリと笑い、店内に入って来た。

「こんにちは、カオルさん」

 カオルは向日葵さんがまさか今日も来るとは思わなかったが、確かに昨夜、『また明日』と言っていた気がする。

カオルは向日葵をカウンター席に案内しながら、そう思った。


 今日は珍しく、土曜日だと言うのに人が少なく、忙しいという実感が湧かなかった。

若干暇に思ったカオルは、カウンターに寄りかかり、メニュー表を眺めていた。

 カオルが暇なことを悟った向日葵は、カオルに話しかけた。

「夏休みにアルバイトなんて真面目ですね」

「あー、はい……今のうちにお金貯めておきたくって……」


カオルがアルバイトをする理由は、お金は沢山あっても困らないことと、大学費用の足しにするためだった、と言っても、進路はあまり深く考えておらず、近くの国公立に落ちたら、私立に行こうと言う荒い計画を立てているだけだった。

「と言っても、使い道があまりなくて……最近は漫画にハマったんですけど、次出るのが8月の下旬なんですよ。」

カオルは話を続けた、ヒマワリのことを思いながら。

「主人公が可愛くて大好きなんですよ……あ……すみません……語りすぎましたね……」

「いえいえ、全然大丈夫です!つまり……交通費位の出費なら、金銭的には問題ないのですか?」

カオルはその質問に、少し違和感を持ちながらも、きちんと返事をした


「まぁ……そうですね」

「なら……」


「少し……協力して欲しいことがあるんです……!」

カオルはそう言われ、とりあえず詳しい話はアルバイトが終わる午後2時まで待ってくれないかと頼んだ。

「わかりました……!それじゃあ、2時にもう一度来ますね」

「は、はい……」

 カオルはその後、特にやることもなく、店に来る人も少なかった為、テーブルを拭いたり、メニュー表を綺麗に並べたりと、黙々と仕事をこなした。



そして、午後1時半を過ぎた頃、カオルは店の外に出ると、ちょうど、向日葵と合流した

「すみません……お時間頂いて……」

「いえ……わざわざ店まで来てくれてありがとうございます」

 カオルはとりあえず、向日葵の協力して欲しいことが何かを聞いた。

「それで……協力して欲しいことはなんですか?正直俺に出来ることかどうかは……」

すると、向日葵は肩から下げた黒いバックから、細長いファイルを取り出した、チケットを入れるファイルだ。

 向日葵はそのファイルから、1枚のチケットを取り出した。

「間違えてツアーのペアチケット買ったんです……唯一の友人を誘ったんですけど、どうやら予定が合わないみたいで……ツアーじゃないと行けない場所なのと、明日が期限でどうしても行きたいんです……お願いします!」

 向日葵は、カオルに向かって頭を勢いよく下げて、 チケットを前に突き出した。

 カオル自体、明日はバイトも、友人との予定も無く、断る理由は無かったのだが、一つ気になったことがあった。

「別に問題はないんですけど……なんのツアーなんですか?」

 すると、向日葵は顔を上げ、黙ってチケットを見せた。

カオルは予想外のツアーに、1度動きが止まった。


「は……廃校めぐり……ですか……」



カオルは家に帰宅し、風呂や夕飯を済ませた後、スマートフォンを開いた。

「女子と初めて連絡先交換したかも……」

当日は最寄り駅へ集合となったが、迷子などの万が一のことも考え、カオルと向日葵は連絡先を交換した。

明日ということで、カオルは財布やモバイルバッテリーなどの必需品をバックに詰めた。

廃校めぐりへ行く場所は、隣の県のアクセスが少し悪い所で、早めに行かなければならないらしい。

カオルは明日に備え、早めに就寝した。


次の日、カオルはいつもより30分早く起き、朝食を摂り、身支度を整えた。

 カオルの服装は、半袖のTシャツにジーパンとシンプルで、髪もワックスなどを使わず、櫛で整える程度だった。


 外に出ると、カラッとした暑さで、確かに気温は高いが、不快に感じるあの独特のジメッとした感覚はなかった。

 駅まで歩くと、既に改札口付近に向日葵がいた。

 向日葵は白を基調としたワンピースを着ており、腰にはベルトが巻かれていた

 ヒマワリに似た服装で、カオルは思わずじっと見てしまった。

「おはようございます、向日葵さん」

 カオルが挨拶を交わすと、向日葵も軽く会釈をして、「おはようございます」と返した。


 それから、改札をくぐり、電車に乗ると、夏休みだが人は少なく、カオルと向日葵の2人が並んで座れた。

「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、ご一緒してくれてありがとうございます」

 2人は目的地に着くまでの間、他愛もない会話をした。

 話していると、同い年なことを知り。電車に揺られながら、好きな食べ物やちょっと踏み込んだ話だと、在学している高校などを聞き合った。


「まさか隣の高校だったとは……」

「どこかで会ってるかもしれませんね」

他愛もない会話をしていると、ふと、天井に吊るされている電車の広告が目に入った。

「あ……」

カオルは目を見開き、その広告を見た。向日葵は疑問に思いながらも、カオルの視線の先を見つめたが、何がカオルの視線を引いたのか分からなかった。

「何かあったのですか?」

「いやぁ……あの広告、好きな漫画のキャラクターで……思わず見つめちゃいました」

カオルが指を指したポスターには、先日、ショッピングモールで見た、ヒマワリが表紙である、《夏クラブ》の広告だった。

「ほんとに、好きなんですね」

向日葵は、そう言って、長く艶のある黒い髪を、指でくるくるといじった。


あっという間に目的地である廃校の最寄り駅へと着いた。こじんまりとした駅だったが、人の往来はそこそこあるなとカオルは何となく思いながら、改札を出た。

外に出ると、目の前は体育館ほどの広さの広場があり、地面にはレンガが敷き詰められている小洒落た空間だった。

集合であるここの広場はツアー客が集まっており、向日葵がチケットを渡すと、バスに乗る列の後ろに並んだ。

廃校のある場所まではバスで移動らしい、それからは自由行動で、写真撮影や、廃校の中を回れるらしい。


バスは修学旅行で使うような大きなバスが2台ほどあり、中に入ると2人組の席が左右に並べてある、よくある形だった。

カオルと向日葵の席は丁度、運転手のすぐ後ろの席だった。窓側に向日葵が乗り、通路側にカオルが座った。

水分補給をしているカオルに、向日葵が楽しそうに話しかけた。

「いよいよですね」

「そうですね、楽しみです」

向日葵に誘われていなかったら廃校なんて人生で行かなかっただろう、カオルは貴重な経験を味わえることに、心が踊っていた。

「ここの廃校は屋上も解放しているみたいですよ……!そこからの景色がほんとに綺麗で、今日は晴れていますし、良かったら行きましょう!」

カオルは若干前のめりになって、熱く語っている向日葵に驚きながらも、せっかくなら綺麗な景色を見たいという気持ちは同じだった

「はい……!」


バスが目的地まで着くと、目の前には廃校と言われてもあまりピンと来ないような、それくらい新しい施設に見えた。

「廃校に見えませんね」

カオルは素直な感想を呟いた。廃校と言われて最初に思いついたイメージは、木造で、一階建てであり、今にも倒れそうな見た目のイメージだが、目の前の校舎は、シミはあるもののコンクリートで作られており、3階建てで、現在も使われていると言われても特に違和感がない。

なんなら、どこかで見た気もする。

「まだ廃校になって5年だそうですよ……!生徒が居ない学校に居ると、何だか不思議な気持ちになるところが私は好きなんです!」

向日葵は会話を重ねるに連れて、だんだん廃校愛の熱が強くなっているとカオルは思ったが、確かに、好きな物や人を語る時は熱くなるものだ。


自由行動となり、カオルと向日葵は、校内に入っていった、昇降口から学校に上がると、真ん中に線が入った特徴的な廊下に、横開きのドアが並べられていた。

教室の一室に入ると、向日葵が教室をぐるりと視界を1周させ、こう呟いた。

「机の数少ないですね」

「廃校になったのは、多分人数の問題なんでしょうね……」

広々とした教室には生徒用の机が横一列に5つしかなく、少しだけ寂しさを感じたが、どこか懐かしい気もした。

「カオルさんは学校だとどんな感じなんですか?」

「僕ですか?うーん……」

 カオルは自分の学校でのことを思い出した。

 友達と呼べる人はいるが、そこまで深く関わってはいない。部活もしていないため、授業が終わったらさっさと帰っている。

「まぁ、ぼっちではないですが、そんなに仲良い人がいるわけでもないので、普通って感じですかね……」

 至って普通の学園生活を送っている、だが、汗と涙を流すような青春とは無縁だった。

「青春とか、憧れちゃいます」

 だからそこ、カオルは《夏クラブ》にハマったのだろう、放課後にアイスを買い食いするようなものでもいい、ただ、ほんのひと握りだけでも、学生という時間を満喫したい、カオルはそう思っていた。

 向日葵は「なるほど……」と相槌を打ち、生徒用の木と鉄でできた椅子に座った。

カオルも右隣の席に座り、ぐるりと周りを見渡して、ここにも5年前は同じ光景を見ていた人がいたのかと思うと、少し不思議な気持ちになった。

「青春って言われても、定義が広いですからね……例えば……」


その瞬間、向日葵がカオルの左手を取った。突然の出来事にカオルは心臓が飛び跳ねそうになった。


「こういうことですか?」

 向日葵はそう言って、カオルの手を握ったまま、自分の頬に当てた。

 柔らかい感触が手に伝わり、カオルは体温が急激に上昇していくのを感じた。そして、向日葵の顔を見ると、カオルの方を真っ直ぐに見つめていた。

まるで、恋人のような距離だった。カオルはこの空気に耐えられなくなり、咄嵯に手を振りほどき、顔を背けた。

すると、向日葵が笑いながら謝った。

「ふふ、ごめんなさい」

何だか気まずい雰囲気になり、カオルは話題を変えた。

「そ、そういえば、ここの屋上はすごくいい景色って言っていましたよね、行ってみますか?」

 向日葵はニコリと優しく笑い、返事をした

「はい、行きましょうか」


廊下に出ると、他のツアー客はほとんど教室で写真を撮っていた。屋上に行く者は少なく、カオルと向日葵はスムーズに屋上に向かえた。


 屋上に着くと、そこは想像していたよりも開放的な空間だった。コンクリートで作られた床があり、フェンスに囲まれていて、空が広く見えるようになっている。


「あ……」

 カオルは夕焼けが照らす屋上に足を踏み入れた途端、思わず声が出てしまった。

「どうしました?」

 カオルがこの校舎に来てから、何故か見覚えのあるような気がしていたが、それは間違いではなかったようだ。

「ここ、好きな漫画の学校ととても似てます……」

 ヒマワリが通っていた学校の屋上と、ここの景色がとても酷似していた。

 花壇やベンチの位置、遠くに見える山々まで、そっくりそのままだ。

その瞬間、カオルは嬉しさで心が満たされ、思わず表情に出てしまった。


「漫画……ほんとに好きなんですね」

 向日葵は少し声のトーンが下がった。

「えっと……」

 それを感じ取ったカオルは慌てて弁明しようとした。何故怒ったのか、カオルは理解できなかったが、何とか悪気がなかったことを伝えたかった。

向日葵は薄笑いながら、一つ一つ言葉を出した。

「別に怒ってませんよ……ただ、羨ましいなって思っただけです……」

カオルはその言葉の意味がわからなかった。向日葵が何を羨ましがっているのかも、カオルは理解できなかった。

悩んでいても始まらない、カオルは向日葵に、何を羨ましがっているのか聞いてみた。


「ど……いう意味ですか?」


カオルが質問を投げる、それを受け止めた向日葵はカオルの目をまっすぐ見て答えた。


 胸がギッと締め付けられる、さっきまで感じなかった蒸し暑さが、今更肌を包み込んだ。

向日葵はカオルの目を見て、はっきりと言った。


「貴方の好きな物、全部羨ましいです……」

そして、一拍空けて、向日葵はハッキリと言い放った


「貴方のことが、好きなんです、一目惚れです」


 向日葵の黒曜石のように黒く澄んだその瞳は、カオルをしっかりと捉えて離さない。その瞳を向けられたカオルは、何を言っていいのか分からず、黙ってしまった。


何も言えなかった。


ただ、向日葵とは、付き合えないと、カオルは思った。

カオルは、胸いっぱいの申し訳なさを、感じながら、断った


「ごめんなさい……」

 カオルは頭を下げ、そう言った。

「……理由を聞いても、良いですか?」

理由は単純だ、例え漫画の中だろうと、カオルは好きな人が居たからだ。


「俺、他に好きな人がいるんです」

 向日葵はカオルのその言葉を聞くと、疑問を持った表情をしてこう聞いた。

「もしかして、電車の時に居た、あの広告のキャラクターのことですか?」

カオルは縦に小さく頷いた、漫画のキャラクターに本気で愛を抱いているなんて知られたら、向日葵はどんな反応をするか、怖くなった、世間は漫画のキャラクターに恋をする人を、あまり良い目で見ないことを、カオルは知っていた。

 カオルは視線を落とした。

向日葵眉間に皺を寄せて、涙目になりながら、訴えかけた。


「……ただの架空のキャラクターですよ?絶対、叶わないんですよ……!」


カオルにとって、ヒマワリに対する思いは叶わなくたって良いのだ、振り向くことが全てではない。



「だけど……」



 これは、ただの



 次元を超えた、片思い

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次元を超えた片思い 澄久 @udonkyuuri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る