第6章 きれいな形で
第27話 彼女のために ─side 航─
美咲と結婚したことは正解だったと思う。初対面の女性といきなりそういう話をするのは抵抗があったが、すぐに打ち解けた。性格は何の問題もなかったし、育った環境が似ていたので家のことも分かってもらえると思った。残念ながら共通の趣味はなかったが、飲みに行きたいときや突然決めた旅行にも付いてきてくれた。
それでも結婚してしばらくは世間は外出自粛ムードだったし自由時間も減って、一人で出掛けるのはスーパーへの買い出しやたまに実家へ帰るくらいだった。結婚式のときに学生時代の友人を招待していたが、それ以降はほとんど彼女らとは会えていないらしい。
中学の同級生が親戚になったようで、彼女は美咲が外に出掛けるきっかけを作ってくれた。久しぶりすぎて忘れていることも多かったようだか、同窓会の準備だと言って頻繁に会っていた。それから同窓会で美容師の名刺を貰ってきたことも、合唱団で伴奏を始めたことも、悪くは思っていない。それまで行っていた美容室は確かに割高だったし、その美容師の腕が良いことは後輩から聞いていた。美咲が綺麗になるのは俺も賛成だった。
伴奏を頼んできた奴が男だったのは驚いたが、俺は何も反対しなかった。美咲は練習が終わるとまっすぐ戻って来ていたし、家事もきちんとやってくれていた。家の用事にも顔を出してくれていたし、何も疑わなかった。後になってその男・朋之と話すことが増えたが、怪しい様子はなかった。
それでも知らない人が見たら、美咲が遊んでいると思われるのだろうか。
親戚が美咲と朋之が並んで歩くところを見かけたようで、会ったときにその話をされた。
「美咲ちゃん、何してるの? 航君を置いて……」
「違います、ただの同級生で、合唱団のメンバーなんです。忘年会の帰りです」
必死に説得していたが、なかなか信じてもらえなかった。
俺が一人で実家に行ったときも、
「あの子は……今日も行ってるんか? あんまり……仲良くするようやったらな……」
「何も心配することないから。俺そいつとたまに喋るけど、ほんまにあのおばちゃんの勘違いやで」
噂は既に広まっていて、美咲は親戚中で評価を下げられていた。だから練習に行くのを戸惑っていたが、俺は行った方が良いと言った。変に規制するほうが余計に悪いと思った。
俺は美咲を信じていたし、美咲が隠し事をしている様子もなかった。だから子供が出来たと聞いたときは嬉しかったし、朋之を信頼していたから彼に送迎を任せた。途中でつわりがひどくなって休みを挟んだが、美咲は春のコンサートまでしっかり頑張った。
仕事を抜けられなかったので、美咲はひとり電車で帰省した。午前中に無事に到着したようで、その報告がLINEに入っていた。
週末には出来るだけ美咲に会いに行った。友人たちからLINEは来ても訪ねてくる人はいないようで、俺が行くといつも喜んでくれた。
五ヶ月に入ってからの戌の日の安産祈願は結婚式を挙げた神社まで行った。美咲の実家からは少々遠かったが、結婚式を担当してくれたスタッフにも会えたので、近況を少し話した。結婚式は世間の事情で半年ほど延期になって打ち合わせも増えていたので、俺たちのことをしっかり覚えてくれていた。
たまに美咲に会いに行かずに知り合いの店に飲みに行くと、顔見知りの客たちに怒られた。
「奥さん待ってるんちゃうんか?」
「たまには飲ましてくださいよ……」
もともと毎週行っていたわけではないし、美咲にはどうするのか連絡は入れていた。美咲は頑張ってくれているが、俺も仕事と家の手伝いが大変だった。
お腹は徐々に大きくなってきていて、天気が良いときは家の近くを散歩しているらしい。美咲の髪は長かったはずが短くなっていたので聞いてみると、同級生の美容師が帰省ついでに切りに来てくれたらしい。
「私は近所の店に行こうと思ってたんやけどね。タダでやってくれた」
「良いなぁ。俺もそんな友達ほしいな……」
「また何かでお返しせなあかん」
学生時代の友人たちも来てくれたようで、安産祈願のお守りがたくさん並んでいた。結婚式を挙げた神社のスタッフからも葉書が届いていた。出産は昔と比べると安全になっているらしいが、それでも大仕事だ。
ピアノはもちろん弾けないので、美咲はよく部屋でCDをかけていた。結婚前から聴いていたものや、Harmonieから貰ったものも棚に並んでいた。
「子供の性別……知りたい?」
「うん。あ、いや──」
美咲は医者から聞いていたらしいが、俺は敢えて聞かないことにした。男でも女でも、たとえ障がいを持っていても俺と美咲の子供に間違いない。生まれた後で確かめても、何も問題ない。
「音楽……好きにさせようとしてる?」
「うん。あ、でも、無理にピアノさせようとは思ってない」
美咲はクラシック音楽を聴きながら少しうとうとしていた。たまにオペラのような曲も入っているので歌い出されると
テレビを見ているときも、寝ているときも、いつも隣にいた美咲がいないのは寂しかった。キッチンから料理のいい匂いがしない、アイロンを自分でかけても上手く仕上がらない、ヘッドフォンをしていても僅かに漏れていた電子ピアノの音も聞こえない、ひとりの生活は楽だったが全てがつまらない。
それでも──。
俺は以前から、美咲のためにあることを計画していた。
美咲には余計な心配をかけたくなかったので、子供が無事に生まれてから話すつもりだった。
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