第4章 言葉のかわり
第14話 彼には内緒で
九月下旬になってから、美咲はようやくHair Salon HIROを訪れた。伴奏を始めてから練習に時間を取られてしまい、日曜の午後はメンバーと会って、ステージ前の土曜は朋之とスタジオに行くこともあって、延ばし延ばしになっているうちに航にも「そろそろ行ったら?」と言われてしまった。
前回がいつだったか、はっきり覚えていない。
四人で飲み会をしてからは切った記憶がないので、朋之と会った日が最後だとしたら二ヶ月は経っている。
「そんだけ放置してたら、伸びるわな」
美咲の髪を見て、裕人は笑った。どんな髪型にするか考えずに来てしまったので、まだまだ暑いか、涼しくなるか、天気の長期予報を思い出しながら一緒に考える。
「俺は紀伊は髪長いイメージやったけどな。癖毛やから中途半端にしたら跳ねそうやし……。ショートにしたことある?」
「あるよ。人生で二回くらい」
それなら前と同じ感じで行くか、と笑ってから裕人は美咲の髪を切り始めた。今回は先にカットして、カラーは後らしい。
「そういえば……トモ君とこでピアノ始めたんやってな。こないだトモ君来てくれて、話してたわ」
「うん……久々やから緊張するけどね」
「でも、助かってるらしいで。トモ君だいぶ前から、ピアノの人辞めるからどうしよう、って言っててん」
なんとか責任は果たせているようで、とりあえず安心した。敬老の日コンサートはアカペラだったので美咲は袖から見ていただけだったけれど、秋にはちゃんとしたホールでの伴奏が控えている。朋之が以前、『手を怪我したら大変』と言っていたけれど、篠山のところで伴奏をしていたときも演奏会前に『指挟んだらあかんから離れとき!』と、ピアノの準備をさせてもらえなかったことがある。ステージに立つのが近くなると、代わりがいない貴重な人材は危ないことから遠ざけられるらしい。
「あのさ──一個聞いて良い?」
「うん……なに?」
裕人はハサミを持つ手を止めて美咲のほうを見た。
「中学のとき──トモ君のこと好きやったやろ?」
予想外の質問で、美咲は顔をひきつらせてしまった。鏡に映る裕人を見て、口を少し開けたまま返事に困ってしまった。
「ま──まぁ……嫌いではなったけど……」
「佐方もそんな感じやったよなぁ……。あいつとは連絡取ってんの?」
「ううん。高校入ってしばらくはメールしてたけど、今は全然。大学のときにSNSで見つけて連絡したけど、一言しか返ってこんかったから、そんな人か、って思って」
「ふぅん……俺も高校一緒やったけど、二年でクラス離れてから知らんな」
彩加の話題が出てきたので話が逸れた、と気を抜いていると、裕人は改めて朋之の話題に戻した。これは正直に言うしかないか、と美咲は言葉を探した。
「確かに──気にはなってたよ。彩加ちゃんもそうやったと思うけど……。でもあの頃、他にも何人か気になってたし」
「えっ、誰?」
「それは秘密ー。あ、高井君は入ってないから」
高井佳樹と話すことは増えたけれど、ほとんどの女子から嫌がられていた彼に恋愛感情を持ったことはない。
「俺は入ってた?」
「さぁ? どうやろね」
「ちなみに──トモ君は、紀伊のこと好きやったみたいやで。俺もまぁ、クラスの中では上位やったかな。あ、俺が言ったこと、トモ君に言わんといてな?」
全く想定していなかった発言に、美咲は再び口を開けたまま固まってしまった。けれど裕人はカットが終わったようで、交代でやってきたアシスタントにシャンプー台に案内されてそれ以上の話は出来なかった。
アシスタントはシャンプーをしながら美咲に話しかけていたけれど、美咲は半分しか聞いていなかった。先ほどの裕人の発言が頭から離れずに、朋之の顔が浮かんできてしまう。
「さっきの話、ほんまやで」
美咲が鏡の前に戻ると、裕人が待っていた。
「山口君とは──そんなに話せんかったけどなぁ……」
「あいつ、知り合い多かったからな。紀伊もしょっちゅう音楽室行ってたし……そもそも、誰かと付き合ってた子自体、あんまりおらんかったしな」
恋人をつくる、ということが珍しかった当時、そんな話が出た途端に学年中で噂になっていた。それが嫌で何も言わなかったのか、あるいは単純にタイミングがわからなかっただけなのか。
あの頃、朋之はどんなだったかな。
と美咲が考えている間に、裕人はカラーの準備を始めていた。二ヶ月も放置していたから、全体を塗り直す必要があるらしい。
「ところで、話変わるんやけど……佐藤はあれから彼氏できたん?」
「佐藤? ……ああ、ハナちゃん? どうやろう、あれから連絡ないけど……まだなんちゃうかな」
「それならさぁ、俺の高校の先輩でフリーの人おるんやけど……紹介して良いかな?」
裕人の高校時代のクラブの集まりがあって、彼女と別れたから新しい恋がしたい、と言っている先輩がいたらしい。会ったときに写真を撮っていると言うので見せてもらうと、それなりにイケメンだった。今は普通のサラリーマンで、住んでいるところも華子と近いらしい。
美咲は帰宅してから華子に連絡し、近いうちに先輩と会ってもらうことになった。イケメンだったと美咲が言うと、華子は嬉しそうにしていた。
『やったぁ。あ、でも、性格が大事やからなぁ……』
「詳しくは聞いてないけど、今まで付き合ってた人は平均期間が長いみたいやで。優しいからよっぽどのことなかったら怒れへんとか、そうそう、大手で働いてて給料も良いんやって」
『ほうほう……。大倉君と同じ高校ってことは、頭も良いよなぁ』
それから世間話を少ししてから、また会おうと約束して電話を切った。
華子に幸せが来ますようにと願いながら、裕人にも連絡した。
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