第11話 Harmonieと記憶
本音を言うと、朋之がいる混声合唱団『
美咲はずっと伴奏担当として学校生活を送っていたけれど、ピアノと同じくらい歌うのも好きだった。知っている曲が聞こえると歌いたくなるし、簡単な伴奏のときは一緒に歌っていた。篠山が初めて有志合唱メンバーを募集したときは彩加と一緒に顔を出して、その場に朋之がいたので驚いた記憶がある。当時は美咲よりピアノが上手い生徒がメンバーにいたので伴奏は彼女に任せて美咲は歌う側になった。
三年になってから選択授業があり、美咲は前期で歌のクラスを選んだ。それは残念ながら、授業一覧が出たときに書かれていた内容のせいか、女声だけになってしまったけれど。特に深く考えずに過ごしていると、篠山から全曲の伴奏を依頼された。卒業学年なので卒業にちなんだ曲もあり──、それはその年の有志合唱でも歌うことになったようで、何の予告もなく練習の場で美咲に篠山が声をかけた。
美咲と同じように、朋之が気になる女子生徒は複数いたらしい。
一緒に行動していた彩加は何も言わなかったけれど態度がそれを物語っていたし、別の生徒が『○○ちゃんが山口君を……』と話しているのを聞いたこともある。イケメンな上に頭も良くて、運動神経が良いに加えて声まで良いとなると誰でも気になるはずだ。
卒業にちなんだその曲を聞くと、美咲は今でも朋之を浮かべてしまう。ゆっくり話すことはなかったけれど同じ趣味があると知って、伴奏をするのも他の曲とは気持ちが違っていた。
今までに手にした楽譜は捨てられず、全て取ってある。当時の楽譜を引っ張り出して、さらっと弾いてみる。以前に加入していた『えいこん』のものも、何となく弾いてみる。
伴奏をすることは、おそらく問題ない。
それよりも美咲が気になるのは、朋之や篠山との関係だ。もしも朋之と頻繁に会っていたら、航はどう思うだろうか。もしも篠山に怒られたら、耐えられるだろうか。
(──よし、決めた)
美咲は決断を航に話し、朋之にLINEした。
『こないだの話やけど、私で良ければやってみます。でも、練習に毎回行くのは厳しいかなぁ』
どちらかといえば、楽しいほうに行きたいけれど。義実家に全く行かなくなるのは、さすがに申し訳ない。
『ありがとう! 俺もときどき休んでるから大丈夫。いつから来れそう? 以下、練習日程です』
朋之から練習日程の表が写真で送られてきた。場所は隣町の公民館で、日曜の午後に集まっているらしい。表の下には舞台予定が載っていて、一番早いのは近くの老人ホームで敬老の日に行われるミニコンサートらしい。
『そういえば……こないだ篠山先生いたから名前出してみたんやけど……〝ああ、そう。〟って感じで終了やったわ』
やはり篠山は、美咲のことを良くは思っていないようだ。
美咲が公民館に到着すると、練習に借りている部屋からガヤガヤと声がした。ドアを開けて中に入り、『あ、この感じ、久々』と少し嬉しくなる。
朋之は代表ではないけれど一応指導する立場のようで、すぐに姿を見つけた。楽譜を見ながら高齢の男性と何か話していた。
「あ、紀伊さん──小山さんの方が良い?」
「どっちでも良いよ」
朋之は男性との話を中断し、美咲を手招きしてから男性に紹介した。
「こないだ話してた、同級生の小山さん」
「小山です。よろしくお願いします」
「それから──うちの代表、
「えっ、そうなんですか」
井庭は美咲たちより三十年ほど前に卒業して大学を出てから教師になり、その後、退職してからHarmonieの指導を始めたらしい。
練習開始時刻になって、朋之は全員を注目させた。練習内容と今後の予定を話したあと、美咲のことも簡単に紹介した。美咲はとりあえず伴奏担当なので、歌のパートには入らないことになった。
練習が始まり、朋之はテナーのメンバーの元へ行った。美咲は井庭のところに残り、話を続けた。
「小山さんは確か、前にえいこんにいたって聞いたんやけど」
「はい。学生のときやから、だいぶ前ですけど」
「そのとき、何弾いた?」
次の練習に行くと朋之に伝えたとき、出来れば以前に伴奏を担当した楽譜があれば持ってきてほしいと頼まれていた。篠山のことがあってあまり思い出したくなかったので押し入れの奥に封印していたけれど、思いきって引っ張り出してきた。
「ふんふん……なるほど……。あ、これ、難しかったんちゃう?」
「はい……コンサートで弾いたんですけど……普段はスリッパとかで練習してるのに、当日はヒールで焦りました」
音自体が複雑な上にペダルを上手く使わないと汚く聞こえる曲で、弾けるようになるまでに随分苦労した。それを本番の衣装──黒いスーツに合わせたパンプスで弾くことに会場で気付き、ヒールのある靴を履いてきたことをものすごく後悔した。最初に練習で弾いた時は、音が汚すぎて篠山に怒られた。
美咲は井庭の隣に座り、メンバーの練習をしばらく見学していた。美咲が以前にいたえいこんよりは小規模ではあるけれど、平均年齢が自分より上に思えたので少し安心していた。
「小山さんは、山口君とは中学の同級生?」
「はい。二年の時に同じクラスで……小学校は違ったんですけど」
「あの学校、大きいからなぁ。小山さん、小学校一年生のとき──自転車と正面衝突したんやろ?」
「え? ……なんで、知ってるんですか」
自転車と正面衝突したのは事実ではあるけれど、つい先ほど知り合ったばかりの井庭はもちろん、朋之にも話したことはない。おそらく両親も忘れているし、美咲も一時期それを忘れていた。
「もしかして……井庭先生って」
言葉に詰まる美咲の隣で井庭は、ははは、と笑った。
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