第8話 津久見家
「そろそろいいかな」
いつの間にか、才がテーブルの脇に立っていた。
「二人はさっき帰ったけど、オレはキョウちゃんを置いて行くわけにいかないから」
「あ。そうだよね。ありがとう」
母が亡くなってから、恭一は伯父の家に住所を移した。が、ライヴで遅くなる日などは才の家に泊めてもらうようにしていた。
「町田さん。一ノ瀬さん。今日はありがとうございました。約束、忘れないでくださいね」
かよ子が頷くのを確認してから、才とともに店を出た。
電車に乗って最寄り駅で降りる。が、そこからタクシーに乗る。徒歩では時間が掛かり過ぎる。まして、夜中に近い時間。この選択が賢明だと思われる。
タクシー乗り場は混んでいた。ご機嫌な人たちもいるようだ。
順番が来て乗り込むと、すぐに目を閉じてしまった。何だか少し疲れていた。
初めて人を好きになった。そして、その人のことを思って、ライヴでミスをしてしまった。初めての告白。初めてのチョコレートパフェ。
夢の中にまで、彼女の姿が出てきた。重症だ。
才に起こされて、目を開けた。いつもながら、感心するほど大きな家だ。その周りは緑に囲まれていて、さながら森のようだ。
育った環境がまるで違うこの二人が、何故出会ったのだろう。
恭一は、少し憂鬱になりながら、そんなことを考えていた。
「いっそ、ここに住んでくれればいいのに」
才が低く言った。それは、何度も言われて来たことだった。
「気持ちはありがたいけど、それはダメだと思う」
理由は言わない。が、お互いにわかっている。一緒にここで暮らすことはできない。それは承知で、才は何度も口にする。その度に恭一は断ってきた。
いつも使わせてもらっている部屋に案内され、中に入る前に、
「いつもありがとう。ごめんね」
謝罪の言葉が、つい出てしまった。才は恭一の背中を軽く叩くと、
「また明日」
笑顔で手を振り、自分の部屋に向かった。
自分が存在することは、ここの人たちにとって、罪でしかない。が、知ってか知らずか、皆とても親切にしてくれる。大事なお坊ちゃまの客だからだろうとは思う。その親切心が時として恭一を苦しめていた。
つい言ってしまう「ごめんね」の言葉。彼が生きている間、ずっとその気持ちでいるのだろうか。
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