残業時間で分かる幸福論

eLe(エル)

第1話 

 俺の目の前に葛西と東山と南鳥羽という3人の男がいる。


 こいつらは創作でもなく偶然、大学時代に同期になった奴ら。そして俺が喜多嶋。お前が「北島」だったら東西南北だったのにな、なんてのは酒の席での鉄板ネタ。


 そんな3人が口々に言う。労働時間の話だ。


 細身で今にも折れてしまいそうなのが葛西。残業時間0時間の男だ。


「やっぱり仕事は出来るだけしないに越した事はないね。二人とも最近残業してるの?」


 それを聞いて東山が喋る。彼は茶髪で髪をセットしたチャラ目の男。残業時間は月平均30時間。


「いや、普通残業するだろ。お前が異常なんだって。そんなホワイト企業に勤めてたら何のスキルも身につかなくなくね?」


 続けて南鳥羽が語る。少し太り気味で、髪も学生の頃に比べたら薄くなった。残業時間は平均80時間。


「葛西ちゃんは昔から緩かったからなぁ。月80とか、毎日9時に帰って土曜日も出勤。たまには日曜日も出てって、多分耐えられないでしょ」


「無理無理。だって俺ゲームしたいもん」


「だから学生の頃から留年しそうになるんだろ、お前は」


 ホワイト企業、葛西は少しムッとした。彼の反論はこうだ。


「スキルが身に付かないって言うけど、その分資格勉強する時間とか取れるから。東は多少勉強できるかもだけど、南はほとんど無理でしょ? てなったら結局残業時間少ない方がスキルも上がるし、そもそもプライベートの時間まで無くして仕事したくないね」


 対して南鳥羽は面倒臭そうに。


「そりゃ、プライベートの時間は取れないね。でも、ぶっちゃけ葛西ちゃんより稼いでる。残業代を別にしたって、もう基本給は俺の方が上だよ。この先10年の間に会社が潰れるとして、資格は合った方がいいけれど、個人として仕事出来る? 資格だけで仕事とってこれる? 俺は時間を犠牲にする代わりに、個人としてのスキルを身につけてるってわけ」


「年収は張り合うつもりないよ。それなりに暮らせてるし」


「でも、結局は年収が大事でしょ。家を買う、車を買う、そういう自由な選択肢がどれだけ変わると思う? 限りあるお金で幸せを享受するのだっていい。でもさ、それって結局妥協でしょ? 今ある時間を費やしたくないから我慢する。でも言い換えたら、それ以上努力したくないってことだよね。折角嫌々働いてるのに、非効率的で損してるでしょ、それ」


「それは言えてるかもな」


 間から東山が相槌を打つ。南鳥羽は続ける。


「別に残業をすれば偉いわけじゃないし、残業をする企業が成長してるわけじゃない。でもね、年収1000万、2000万の商社マン、証券マン、トップセールスにITベンチャー、どこを見ても定時で帰る奴なんていない。それぞれが自分を売り込むための努力を必死にしてるから、それだけの報酬がもらえてる。成功してる人は片手間に仕事してるように見えるけど、ある程度軌道に乗って、空いた時間を有意義に使ってるだけ。それが、偶然ホワイト企業に勤めて、年がら年中毎日6時に家に着いて、ただただ動画サイトを見てゲームをしていて、人間的スキルが上がるわけない。副業で有名動画投稿者になれるのだって、ほんの一部だしね」


「だから、俺は別に今の給料で満足なんだって」


「ならそれはそれでいいんじゃない? でもさ、だとして今の給料すら自分の実力だと思ってないよね?」


「どういう意味?」


「葛西ちゃんの企業の社員が全員残業時間0時間ならすごいと思うよ。でも、そんなわけない。誰かが代わりに犠牲になってんの。出来る写真、出来る人間が、出来ない人の代わりに仕事をして、会社として利益を出して、それを分配してる。会社におんぶに抱っこ、してもらってない? 葛西ちゃんは自分が、出来ない側の社員だとは思わない?」


「だとして、どうなの?」


「いいや、別に。それはそれで得をしてるよね。でも俺は、嫌だなぁ。少なくとも尊敬出来る人間じゃない。ハンディキャップがあるわけでもないのに、誰かに甘えて、もたれ掛かって、迷惑かけても自分は幸せです、これでいいですなんて、恥だからね」


「いや南鳥羽、それは言い過ぎだ。別に葛西が楽して残業0時間を選んでるかどうかは知らないが、そこまで堕落した人間だとは思わねぇ」


 険悪な雰囲気を察してか、東山が間に入った。彼は続けて。


「でも、正直葛西は仕事出来ない側だろ? 大学からの付き合いで知ってんだよ。別に取り繕うことねぇよな? けど、それもこいつの利点だろ? 誰かに助けてもらえるってことも、才能だよな。それで平気なのもこいつのいいところ。俺はむしろ犠牲になってる側だから分かるんだよ、南鳥羽の言う事が。だからこそ、イラつくね。好き好んで犠牲になってるわけじゃねぇが、それで助かってる奴がいるならそれでいいだろ。助けてもらってありがたいと思える人間も必要なんだ。逆に恩着せがましく残業してやってますなんて言うくらいなら、お前も残業時間の少ない会社に移ればいいだろうが」


 南鳥羽は少し窮した顔で答える。


「……まあ、東山ちゃんの言う事も分かる。でも別に、恩着せがましくしてるつもりはないし、俺は俺で仕事したくてやってる。というか、誰に変わってもらえる環境じゃないしね。電話が来たら行かなきゃ行けないし、プライベートの時間だって取ろうと思っても取れない。だからちょっとは羨ましいんだよ、葛西ちゃんが」


「なら初めからそう言えっての。葛西が仕事出来ない、寄生虫なのは知ってんだからさ」


「ちょっと、東? 擁護してくれてんのか貶されてんのか分かんないんだけど」


「は? どう考えたって擁護だろ」


 葛西は苦笑いする。そして、二人を見ながら。


「まあ、南の言うことも分かるしね。そりゃ、金だって有り余ってるわけじゃないし。だからって俺は趣味を削るくらいならやりたくないことやって早く帰りたい。そこにプライドだとか、ないわけじゃないけど、結局何が大事かってことだから」


「まあ、そうだよな。お前にはゲームしかないもんな」


「……でも、むしろ東の方が働いてて大丈夫って思う事あるよ?」


「俺?」


「残業30時間って言うけど、本当?」


「何がだよ」


「まあ、実際30時間なのかもしれないけど、サービス残業が多いんじゃないかって」


「さぁ、そういうのもあるけど」


「人情深いから、やらされてるんだろうって思うけど。それはそれで黙ってやってたらいいけどさ。都度やってあげてる感出すでしょ? あとその口調。毒舌ぶってるけど、結局は誰かのこと下に見てる」


「言い方のこと言ってんのか?」


「葛西ちゃんの言いたいのって、あれでしょ。東山ちゃんのしんどい発言。Twitterとか見ると、毎日悪口か愚痴だもんね。別に見なきゃいいってのは知ってるけど、結局こういう飲み会で一番そういう話してるの、東山ちゃんだし」


「そうそう。で、結局30時間でもしんどそうだからさ。南みたいに80時間くらい仕事してマウント取りたいんだろうけど、それはきついんでしょ? 前にもっと少ないところで働いたら、って提案したんだけど、これ以上低くしたら俺の価値が下がるとかなんとか言っててさ。さっき南のことも色々言ってたけど、東もぶっちゃけ俺のこと下に見てるよね?」


 東山はバツの悪そうな顔で目を逸らしていて。


「そういうことじゃねぇっての」


「そうそう、東山ちゃん。確かに俺には80時間なんて社畜すぎるだろって、よく笑うよね。30時間くらいが一番理想だと思ってるんでしょ。思い込みたい、っていうかさ。でも、その分給料も微妙だし、中途半端に休みは取れなかったりするし。代休をもらって平日休んでも、遊ぶ相手なかなか見つからないしね。案外そういうとこ、苛々してるんじゃない?」


「うるせぇな、さっきから」


「怒んないでよ。元々東からけしかけたんだから」


「……はぁ」


 空気が悪くなる中で、全員がスマートフォンを操作する。


 沈黙が続いて、ふと葛西が時計を見る。


「……と、そろそろ時間か」


「もうそんな時間? それじゃあ、行こうか」


 3人、黒い服を纏ってカフェを後にする。


「……あいつは、どんだけ働いてたっけ」


「最高200時間とか言ってたけど」


「……バカだよな」


「俺たちの悩みっていうか、年収とか残業とか、家がどうとか。そういうの関係ないもんな」


「借金があったらしいよ、親の。それで働くしかなかったんだって」


「酷いよな」


「誰が?」


「……さぁ。誰のせいでもないんだろうけど。いや、会社が悪いのか」


「会社も悪いけど、そこまで働いてたあいつも悪い」


「でも、逃げ出せるもんじゃないんだって。80時間の俺もそうなんだから」


「……笑えねぇよな」


 3人が話している横を並行して歩いていた。


「あのさ」


「何?」


「働き方は色々あるし、その理由も人それぞれだけど。死んだらダメだよね」


「……お前、それ今いうか」


「不謹慎だって言うなら、さっきの東と南の言葉もそうだし」


「まあ、そうだね。前居酒屋で飲んだ時、止めればよかったよ。喜多嶋ちゃん、笑いながら話してたから。遂に200時間突破、とか武勇伝みたいにさ。そうやって保つしかなかったんだって思うとね」


「……アイツはバカだよ」


「バカ、だけどさ。仕方ないじゃんん」


「死ぬかもしれないって分かってても、俺たちは、働き続けるしかない」


 それを聞いて、何となくそうかもしれないなと思っていた俺はようやく納得した。


 働くってことは、手段なんだぜ。

 働くことが目的じゃないし、大義名分やプライドに邪魔されて、自分たちの大切にしてるものが脅かされるなら、逃げるしかない。

 誰か助けてくれる人がいないなら、自分自身で。誰が悪いとか言ってらんないんだよ。

 もしそれが怖いなら、早いうちに嫁さんでも見つけな。

 って、俺はそうしたのに、ダメだったけどな。最低な男だろ。


 なぁ、お前ら。働くってことは、チキンレースなんだぜ。

 出来るだけ自分を研ぎ澄まして、「幸せ」ってギリギリのラインまで色んなものを削って目指していくゲームだ。

 死なない事最優先で、残業時間短めに。ビビって早めに止める奴。

 幸せへの選択肢を増やすために、残業時間は関係ない。無鉄砲な奴。

 丁度いいところを模索して、結局中途半端に休めない。中途半端な奴。

 気づいたら死んでる奴。

 死んだらダメだろ!

 でも、死ななきゃどこにいたって、勝ちは勝ちだから。


 周りの声に唆されて、道を間違えるなよ。


 死ぬなよ。


「一足早く、転職の準備をしてるぜ。そんでついでに、名前も北島に変えとくよ」




 了

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