蜜糖ハニームーン ~例えばこんな至上恋愛 スピンオフ~

宇月朋花

第1話 終わりと、その先

アシスタントを務めていた料理研究家の先生が、引退の意思を固めた。


お料理教室の生徒さん達にその旨を告げて、個人経営の会社を畳む準備に追われながら、安藤舞は正直途方に暮れていた。


通っていた料理教室の先生にスカウトされて雇って頂いたので、企業での社員経験なんてものは無かった。


人生の第二ステージを始めると決めた恩師の選択は、全力で応援したい。


けれど、彼女を支える事だけを生きがいにして来た舞にとって、教室の閉鎖はかなりの痛手だった。


無防備なまま、右も左も分からない大草原に放り出されたような気がしてしまう。


「私の勝手でこういう形になってしまって本当に申し訳ないわ。みんなの次の仕事先は責任を持って探すようにするから」


先生の言葉通り、事務スタッフのみんなは、知り合いの料理学校や先生のもとに次々と転職先を決めて行った。


けれど、最後まで踏み出せない自分がいた。


大好きなケーキ屋で開かれる、月に2回の洋菓子教室。


そこの講師をしていた先生に憧れて、お手伝いを始めてから4年。


この先生以外の人の元で、また1から仕事を始める気にどうしてもなれなかったのだ。


料理以外全く興味を示さなかった舞の、事務能力はほぼ0に等しい。


この道をずっと進んでいくのだと思っていたから。


まさか、こんな形で幕切れが訪れるなんて・・


「安藤さん、仕事のこと考えてくれた?」


何人かの料理研究家の先生からお声をかけていただいていたのだ。


もちろん、答えは全て保留にしていたけれど。


先生の言葉に曖昧に笑って舞は告げる。


「・・・すいません・・もうちょっと・・考えさせて下さい・・」


「うん。いいのよ。気にしないで・・18歳からずっとここにいたんだもの。不安になる気持ちも分かるわ・・ほんとにごめんなさいね?」


「寂しいけど・・先生の決められたことなんで、ちゃんと納得してます。・・・踏ん切りがつかない私が悪いんです。でも、コレ以外私に取り柄無いんで、今週中にはお世話になる先生を決めます」


期限を決めなくては、いつまでもズルズルと悩み続けるに決まっている。


もともと、行動派ではないのだから。


ちょっと強引なくらいがちょうどいいのよ・・・


自分に言い聞かせて笑顔を作ると、先生はやっと安心したように微笑んでくれた。


「会社は畳むけど、いつでも、相談には乗るから。なんでも話しに来て頂戴ね?うちの母も、あなたのことお気に入りなのよ」


何回か会ったことのある、先生のお母様は、あの志堂グループの本家で長年家政婦を務めてこられた、家事のエキスパートなのだ。


そんなお母様と、一緒に暮らすことにしたので先生は、早期引退を決意されたのだ。


これからは、実の母の老後をゆっくりと一緒に過ごしたいんだそうな。


その気持ちは痛いほど分かる。


美味しいお茶と手作りのおはぎを出して、もてなして下さったお母様を思い出す。


お花もお茶も、お作法も何もかも完璧なご婦人。


「未だに子供みたいに叱られることもあるのよ?」


そんな風に先生が零すくらい、立派な方。


そのお母様に気に入って貰えるなんて素直に嬉しい。


「ありがとうございます。また、ご自宅に遊びに行かせて頂いてもいいですか?」


「もちろんよ。次の仕事が決まるまでは、何があっても私が責任持つからね」


「はい・・・すみません」


「いいのよ。それが社長の仕事だもの。それで、明後日の水曜日の取材の件なんだけど」


そう言って、とり出した書類をテーブルに並べる先生。


舞は目の前のホワイトボードに書き込まれた、”地元情報誌の取材”の文字を目で追った。


地元で有名な企業やお店をピックアップして、紹介するコーナーの取材を受けていたのだ。


今後も、先生個人の自宅で開かれる内輪向けの料理教室は続けるので、その宣伝もかねて。広報関係も担当していた舞が、取材に出向くことになっていたのだ。


「はい。当日は、朝のうちに焼いたケーキを持って伺おうと思ってます。個人教室の連絡先は、先生の携帯という事でいいですか?」


確認事項を確かめながら、当日のスケジュールに目を通す。


朝は、先生のアシスタントとして、料理教室に参加。


午後からはアシスタント役を別の女の子に任せて、舞は取材に向かう。


下準備と材料チェックは朝のうちにやっておかないと・・・第二教室のメンバーにも連絡を入れて・・・


やることを組み立てつつ、先生の言葉をメモする。


こういうとき、つくづく思う。


私から、料理を取ったら何も残らないなぁ・・


”この次”なんて何も見えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る